第6話「廊下の静寂」
騒ぎが収まった後、屋敷は奇妙な静けさに包まれた。
使用人たちは何事もなかったかのように動いている。だが、その足取りはわずかに硬い。
アリアは長い廊下を一人で歩いていた。
窓から差し込む夕暮れの光が、床に細い帯を作る。
規則正しい足音。
その音だけが、自分がまだここにいると教えてくれる。
角を曲がった先、人気のない回廊で足を止めた。
胸の奥に溜まっていた何かが、ようやく形を持つ。
悔しさか。
怒りか。
それとも、恐怖か。
壁に手をつく。
指先が冷たい石に触れる。
その瞬間、震えが走った。
今まで抑えていたものが、一気に溢れ出しそうになる。
「……私は」
声が掠れる。
間違っていない。
そう何度も言い聞かせた。
だが。
門前で睨んだ若い騎士の目が脳裏に焼き付いている。
裏切られた者の目。
自分は、彼らの忠誠を疑ったのだろうか。
疑っていない。
だが、そう受け取られた。
政治とは、受け取られた結果で動く。
廊下の先から足音が近づく。
マリアだった。
「お嬢様……」
彼女は一歩手前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「ご無理をなさらぬよう」
その言葉に、アリアは小さく笑った。
「無理などしていないわ」
だが、声が震える。
自覚した瞬間、目の奥が熱くなる。
「……なぜ、私は切られたのかしら」
問いは、昨日と同じ。
理はあった。
国家のためだった。
それでも。
「殿下は、殿下なりの国家をお守りになったのだと思います」
マリアは慎重に言葉を選ぶ。
「そしてお嬢様も、お嬢様なりの国家を」
国家。
同じ言葉。
だが中身は違う。
「私は……急ぎ過ぎたのかもしれない」
初めて、弱音が漏れる。
「急がねば、財政は持たないと思った」
「ですが、急げば心が追いつきません」
マリアの言葉は素朴だが、真実を突く。
心。
誇り。
恐怖。
それらを置き去りにして、数字だけを積み上げた。
「私、逃げ道を用意しなかった」
鞘を作らなかった。
痛みの順番を考えなかった。
だから、刃は自分に返ってきた。
廊下の窓から、王城の塔が見える。
あそこが、自分の居場所だったはずだ。
だが今は遠い。
「お嬢様は、間違っておりません」
マリアはもう一度言う。
その言葉は、慰めだ。
だがアリアは首を横に振る。
「間違っていない、では足りないの」
静かに、しかしはっきりと。
「通さなければ、意味がない」
正しさは、証明されなければただの独りよがりだ。
その証明には、合意が要る。
味方が要る。
時間が要る。
廊下の奥から、父の執事が近づいてくる。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
アリアは深く息を吸った。
震えは、まだ完全には止まらない。
だが、足は前に出る。
歩きながら、心の奥で何かが形を変えていく。
怒りではない。
悔しさでもない。
覚悟だ。
王都を去る。
中央から外れる。
だが、それは終わりではない。
むしろ始まりだ。
廊下を抜ける直前、アリアはもう一度だけ振り返った。
夕陽に染まる塔。
かつて自分が立つはずだった場所。
「……証明する」
今度は、独り言ではない。
自分への誓い。
正しさが国家を守れると。
だが、その方法を学ぶ。
削り、譲り、結び直す。
刃ではなく、結び目で。
まだ彼女は知らない。
結び目を作るには、まずほどく勇気が要ることを。
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