第3話「王都の噂」
翌朝、王都はすでに別の顔をしていた。
朝霧の残る石畳の上を、新聞売りの少年が駆けていく。
「号外! 号外! 王太子殿下、婚約解消! 公爵令嬢、貴族特権を痛烈批判!」
声が、路地に反響する。
パン屋の前で足を止めた主婦が紙面を覗き込み、眉をひそめた。
「まぁ……『忠誠は金で買うものではない』ですって?」
「言い過ぎじゃないかしら」
一方、商業区では違う空気が流れていた。
「よく言ったもんだ!」
香辛料商の男が笑う。
「貴族どもは百年も甘い汁を吸ってきたんだ。そろそろ払ってもらわねぇとな」
だが、その声はやがて押し殺される。
近くの卓で、年嵩の騎士が新聞を握り潰したからだ。
「侮辱だ」
低く、押し殺した怒り。
「我らの忠誠を、金勘定に落とすとは」
新聞は、事実を伝えている。
だが、切り取り方は違った。
“痛烈批判”
“貴族制度の終焉”
“若き令嬢の革命宣言”
言葉は煽り、火を点ける。
フェルンベルク公爵邸の書斎でも、同じ紙面が広げられていた。
アリアは、静かにそれを読んでいる。
記事の中で、彼女は冷酷な合理主義者になっていた。
「忠誠は無意味」
「血統は時代遅れ」
そんな言葉は言っていない。
だが、読者はそう受け取る。
「……これが、世論」
呟きは低い。
数字は正確でも、言葉は歪む。
昨日の広間で感じた怒気は、いまや王都全体に拡散していた。
扉が叩かれる。
「お嬢様、ヴァレンシュタイン家より使者が」
マリアの声。
アリアはわずかに目を見開いた。
「……通して」
やがて入室してきたのは、見覚えのある銀髪の令嬢だった。
クラリッサ・ヴァレンシュタイン。
今日も完璧な装い。揺るぎない姿勢。
「突然の訪問、ご容赦を」
声は穏やかだ。
「構いませんわ」
アリアは応じる。
二人きり。
沈黙が落ちる。
「王都は、騒がしいようです」
クラリッサが新聞を卓に置く。
「貴女の言葉は、想像以上に強い」
「歪められています」
「歪む余地を残したのは、貴女です」
静かな指摘。
刺さる。
「私は、国家のために」
「ええ。存じております」
クラリッサはあっさり肯定した。
そのことが、かえってアリアを戸惑わせる。
「ですが」
続く言葉は、刃のように鋭い。
「国家とは、計算式ではありません」
アリアは黙る。
「免税特権は、確かに不均衡です。ですがそれは、王家と貴族の血の契約の証」
「契約は更新されるべきです」
「契約は、合意があって初めて更新されるのです」
合意。
昨日、父も口にした言葉。
「貴女は、彼らに“譲歩の余地”を与えなかった」
「……妥協すれば、改革は骨抜きになります」
「妥協なき改革は、反乱を生みます」
はっきりと言い切られる。
その声に、怒りはない。
ただ、事実がある。
「すでに」
クラリッサは視線を外し、窓の外を見た。
「数家の若い騎士が集会を開いております。『王家を侮辱した令嬢への抗議』と称して」
アリアの胸が冷える。
「……まさか」
「まだ小規模です。ですが、火種はあります」
昨日の広間の怒気が、現実の動きになっている。
自分の言葉が。
「私は、貴女を責めに来たのではありません」
クラリッサは言う。
「ただ、知っていただきたかった」
「何を」
「国家を動かすのは、理屈だけではないということを」
視線が交わる。
その瞳に、敵意はない。
むしろ、どこか哀れむような色がある。
「……では、どうすれば」
問いが、思わず零れる。
クラリッサは一瞬だけ驚いた顔をした。
だがすぐに、いつもの冷静さに戻る。
「時間をかけ、味方を作り、逃げ道を用意することです」
「逃げ道?」
「誇りを守るための」
誇り。
アリアは昨日の貴族たちの顔を思い出す。
怒りの奥にあったもの。
恐怖。
そして、誇り。
「貴女は優秀です」
クラリッサは静かに言う。
「ですが、優秀であることと、統べることは違います」
それは、王太子の言葉と重なる。
正しいだけでは、足りない。
沈黙。
やがてクラリッサは立ち上がった。
「領地へ戻られるとか」
「ええ」
「そこで、学ばれるとよいでしょう」
扉の前で、振り返る。
「いずれ、再び相対する日が来ます。その時は、どうか」
わずかな微笑。
「今日よりも、恐ろしい存在になっていてくださいませ」
そう言い残し、去っていった。
部屋に、静寂が戻る。
恐ろしい存在。
それは賛辞なのか、警告なのか。
窓の外では、遠くでざわめきが上がっている。
若い騎士たちの集会だろうか。
まだ暴動ではない。
だが、火は確かに灯った。
アリアは新聞を握る。
紙が皺になる。
自分の言葉が、誰かを動かした。
自分の正しさが、誰かの誇りを傷つけた。
それでも。
「……退かない」
小さく、しかし確かに呟く。
正しさを証明する。
ただし、今度は。
血ではなく、合意で。
まだ彼女は知らない。
合意を得るには、時に自らの理想を削る必要があることを。
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