第16話「王都の影」
王都からの使者は、雨の日に来た。
灰色の外套に身を包み、王家の紋章を胸に付けている。
「王太子殿下より、親書を」
封蝋には、確かに王家の印。
アリアは静かに受け取り、執務室へ戻る。
ミレイユとセルマが同席する中、封を切った。
簡潔な文面だった。
『フェルンベルク領の施策、王都でも議論を呼んでいる。
旧貴族派は警戒し、商人派は注視している。
均衡を崩すな。
王国全体は、まだ揺らぎに耐えられぬ』
最後に、短い追記。
『急ぐな。だが止まるな』
レオハルトの筆跡だ。
アリアはしばらく黙っていた。
「……王都は不安定なのですね」
ミレイユが言う。
「ええ」
セルマが腕を組む。
「あなたの領地は、実験場であり前例だ」
成功すれば、王都でも同様の要求が出る。
失敗すれば、「ほら見ろ」と言われる。
「均衡を崩すな、か」
アリアは小さく呟く。
均衡は、保っている。
だがそれは、あくまで領地内の話。
王国全体の均衡は、また別だ。
「旧貴族派が動く可能性があります」
ミレイユが指摘する。
「あなたを牽制するために」
「具体的には」
「視察団の派遣、あるいは監査」
監査。
公爵領といえど、王国の一部。
名目はどうとでも作れる。
「隠すものはない」
アリアは即答する。
「だからこそ来るのです」
ミレイユの声は冷静だ。
「隠していないからこそ、粗探しができる」
数日後、その予感は現実になる。
王都より、三名の監査官が到着。
旧貴族派に近い人物が含まれていた。
「領地改革の実態を確認させていただく」
形式は穏やかだが、目は鋭い。
アリアは歓迎する。
「すべて公開します」
帳簿、契約書、騎士団の再編記録、森の管理契約。
隠さない。
監査官は細かく質問を重ねる。
「担保に出した土地、回収の確証は」
「違約条項をご確認ください」
「騎士団の士気は本当に安定しているか」
「団長に直接お尋ねを」
セルマが前に出る。
「士気は戦場だけで測れぬ。今は領地を守る戦いだ」
監査官は無表情だ。
だが、質問の角度が変わる。
「公爵令嬢は、商人と近すぎるのでは」
核心だ。
「近いのではなく、対等です」
アリアは答える。
「依存ではありません」
「保証できますか」
「十年後に結果が出ます」
即答。
監査官の一人が鼻で笑う。
「十年後にあなたがここにいる保証は」
空気が凍る。
だがアリアは動じない。
「いなくても、制度は残ります」
それが答えだった。
監査は三日間続く。
城下町、鉱山町、森。
民にも話を聞く。
最後の日、監査官は言う。
「現状、大きな不正は見当たらない」
だが続ける。
「ただし、急進的である」
急進的。
またその言葉。
「急いでいるわけではありません」
「結果として、既存秩序を揺らしている」
それは事実だ。
監査官たちは去る。
城内に緊張が残る。
「報告は王都へ戻る」
ミレイユが言う。
「どのように書かれるかで、空気が変わる」
夜、アリアは親書をもう一度読む。
『急ぐな。だが止まるな』
レオハルトの言葉。
王都もまた、均衡の上に立っている。
自分の成功が、彼の立場を危うくする可能性もある。
「難しいわね」
小さく呟く。
領地を守りながら、王都も揺らさない。
だが、止まれば意味がない。
アリアは地図を閉じる。
「教育計画を前倒しする」
ミレイユが顔を上げる。
「森の子どもたちだけでなく、騎士団の家族も対象に」
「思想教育と取られます」
「違う」
アリアは首を振る。
「契約の読み方を教えるの」
理解は力になる。
理解は、煽動を弱める。
王都の影は伸びている。
だが、影に怯えない。
急がず、止まらず。
均衡の上を歩き続ける。
その先に、どんな嵐が待つとしても。




