第11話「合意の値段」
アルトゥールの葬儀は、領地の古い聖堂で行われた。
石造りの壁に灯された蝋燭の光が揺れ、低く祈りの声が響く。
騎士団は正装で参列していた。
アリアもまた、公爵家としてではなく、一人の統治者として前に立つ。
弔辞は短くした。
美辞麗句は使わない。
「彼の死は事故です。しかし、彼が迷い、怒り、去った背景には、私の決断があります」
ざわめきはない。
だが、視線は重い。
「私は急ぎました。正しいと信じる道を」
視線を上げる。
「しかし、正しさだけでは足りないと学びました」
騎士たちの間に、微かな揺らぎが走る。
「彼の名を忘れません。そして、同じ過ちを繰り返さない」
それだけを告げ、頭を下げた。
葬儀後、セルマが隣に立つ。
「令嬢。騎士団内の空気は、完全には戻りません」
「分かっている」
「だが、あなたの言葉は届いた」
完全な勝利はない。
だが崩壊もしていない。
それが今の現実だ。
城へ戻ると、ミレイユが待っていた。
「財政報告です」
机に広げられた帳簿。
「公爵家の私費削減は効果を上げています。ただし」
「ただし?」
「農閑期制度を任意にしたことで、参加率は六割に留まりました」
「想定内よ」
「ですが、治水計画は遅れます」
遅れ。
数字が赤字に傾く。
合意を取れば、速度は落ちる。
「合意には値段がある、ということね」
アリアは静かに言う。
「はい」
ミレイユは頷く。
「急げば血が流れる。待てば赤字が膨らむ」
二択ではない。
だが両立は難しい。
窓の外、曇天の下で農民が畑を耕している。
騎士たちは街道に出ている。
制度は動いている。
だが、財政はまだ脆い。
「商人連合から再度打診が来ています」
ミレイユが続ける。
「投資額を引き上げる代わりに、関税優遇の長期契約を求めています」
短期的には黒字。
長期的には依存。
王都での教訓がよぎる。
急げば、切られる。
「条件を再交渉する」
「強気に出ますか」
「いいえ」
アリアは首を振る。
「対等に」
対等。
その言葉に、ミレイユがわずかに笑う。
「理想的ですね」
「理想を、現実に落とすのが仕事よ」
数日後、商人連合との会談。
代表のルカが微笑む。
「我々は支援を惜しみません。ただし、相応の見返りを」
「理解しています」
アリアは落ち着いて応じる。
「ですが、関税の恒久優遇は認められません」
「それでは投資は」
「段階的に」
提案を出す。
「一定期間ごとに見直す契約。双方が利益を確認し合う形で」
ルカの目が細まる。
「信頼が足りないと?」
「信頼は確認で育つものです」
沈黙。
やがて、ルカは小さく笑った。
「面白い」
即断はしない。
だが交渉は続く。
城へ戻る途中、セルマが言う。
「商人も誇りを持つ」
「ええ」
「今度は、そちらの誇りも扱わねばならん」
アリアは苦笑する。
「統治とは、誇りの管理ね」
「違う」
セルマは首を振る。
「誇りを折らずに、方向を揃えることだ」
その言葉は重い。
夜、執務室で一人、帳簿を見つめる。
黒字にはまだ遠い。
騎士団は完全には安定していない。
商人との交渉も未決。
だが、領地は崩れていない。
ゆっくりと、だが確実に形を変えている。
アリアはペンを置く。
「合意には値段がある」
その値段を払えるかどうか。
それが統治者の覚悟だ。
王都での敗北は、まだ背中に重い。
だが今は、逃げていない。
急がない。
削り、結び、重ねる。
アルトゥールの名を思い出す。
犠牲は消えない。
だが無駄にはしない。
夜更け、窓の外で風が強まる。
嵐の前触れのように。
改革は続く。
だがその足元で、まだ見えぬ火種が燻っていることを、彼女は知らない。




