第1話「公開諮問会」
婚約破棄から始まる物語です。
ですが、
これは「ざまぁ」だけの話ではありません。
正論では国家は動かない。
では、何なら動くのか。
その答えを探す物語です。
少し硬派な内政×政治ファンタジーですが、
楽しんでいただければ幸いです。
王城大広間に、ざわめきが満ちていた。
天井高く吊られた燭台の炎が揺れ、その光が磨き上げられた大理石の床を淡く照らしている。壁面には歴代国王の肖像画。どの顔も、厳格で、揺るぎない。
その視線の下、王国の未来が量られようとしていた。
「王国財政に関する公開諮問会を、これより開始する」
宰相の低い声が広間に響く。
今年、王国は深刻な歳入不足に直面していた。度重なる凶作、隣国との小競り合い、そして何より、長年手つかずだった貴族特権の歪み。
議題は明白だった。
だが、答えはまだ誰のものでもない。
「まずは、フェルンベルク公爵令嬢。前へ」
名を呼ばれた瞬間、アリア=フェルンベルクは一歩を踏み出した。
裾を整え、背筋を伸ばす。胸の奥で鼓動が強く打つが、それを表には出さない。
視線の先、玉座の隣に立つのは王太子レオハルト。
金の髪、蒼い瞳。凛とした姿勢。彼は静かに頷いた。
――大丈夫だ。
その小さな合図が、どれほど心強いか。
アリアは壇上に立ち、広間を見渡した。旧来の大貴族たち、都市代表の商人たち、軍務卿、神官長。国の中枢が一堂に会している。
「発言の許可を」
「許す」
国王の短い言葉。
息を吸い、吐く。
「現在、王国歳入の三割は、旧貴族層に付与された恒久免税特権によって失われております」
ざわ、と空気が揺れた。
予想された反応だ。
「この特権は百年前、内戦終結の代償として与えられたもの。しかし、当時と現在では経済構造が大きく異なります」
用意した資料を広げる。
「都市商業の拡大により、流通量は当時の五倍。にもかかわらず、徴税構造は旧来のまま。結果、国家は慢性的赤字に陥っています」
数字を示すたびに、広間は静まり返っていく。
アリアは続ける。
「免税特権の段階的縮小と、都市商人との協調課税制度の導入を提案いたします。貴族の忠誠は尊重されるべきです。しかし――」
一瞬、視線が王太子へ向いた。
彼は微かに頷く。
「忠誠は、免税で買うものではありません」
言葉が落ちた。
重く。
はっきりと。
広間の空気が凍りついた。
数秒の沈黙。
その間に、アリアは勝利を確信しかけた。
理はある。数字もある。代替案も示した。
反論は難しいはずだ。
だが。
「……公爵令嬢」
低く、抑えた声。
レオハルトだった。
「貴族の忠誠は、単なる取引ではない」
彼は壇上へと歩み出る。
「彼らは王家と血を分かち、戦場で命を捧げてきた。その歴史を、数字だけで測ることは出来ぬ」
貴族席から、安堵の気配が広がる。
アリアは即座に応じた。
「歴史は否定しておりません。しかし、現在の財政破綻は未来の忠誠を損ないます。国家が立たねば、血も歴史も守れない」
理路整然。
迷いはない。
王太子の指先が、わずかに強く握られたのを、彼女は見なかった。
「ならば問う」
レオハルトの声は静かだが、強い。
「今、免税を削減すれば、彼らはどう動く?」
「……改革には痛みが伴います。しかし説得を」
「説得で、誇りは守れるか」
その問いに、わずかな間が生まれた。
アリアは答える。
「誇りは、特権ではなく行動で示されるべきです」
決定的だった。
貴族席から、明確な怒気が立ち上る。
玉座の国王は沈黙を保つ。
レオハルトは、ゆっくりと目を閉じた。
その横顔は、苦渋に満ちていた。
「……フェルンベルク公爵令嬢アリア」
形式張った声音。
「我が婚約者としての立場において、その思想は看過できぬ」
広間がざわめく。
「よって、本日をもって婚約を解消する」
息が、止まった。
言葉の意味が、理解に追いつかない。
婚約解消。
この場で。
公の場で。
「理由は、思想の相違である」
それだけ告げ、王太子は背を向けた。
歓声も罵声もない。
ただ、重苦しい沈黙。
アリアの視界が、わずかに揺れる。
だが、彼女は頭を下げた。
「……御意に」
声は震えなかった。
震えさせなかった。
広間の奥、ひときわ整ったドレス姿の令嬢が、静かにこちらを見ていた。
クラリッサ・ヴァレンシュタイン。
旧貴族筆頭の家に生まれた娘。
その瞳は冷たくもなく、嘲りもない。
ただ、測るように。
値踏みするように。
アリアは視線を外さなかった。
自分は間違っていない。
国家のためだ。
理はここにある。
そう信じている。
だが胸の奥で、何かがひび割れる音がした。
正しいはずだった。
数字も、理屈も、未来予測も。
それなのに、なぜ。
宰相が形式的に会の終了を告げる。
ざわめきの中、アリアは壇を降りた。
一歩。
また一歩。
足取りは乱れない。
乱れさせない。
だが、耳の奥で、先ほどの言葉が繰り返される。
「思想の相違」
それは、否定よりも冷たい。
広間を出る直前、背後から声がした。
「……アリア」
振り向けば、レオハルト。
その表情は、王太子ではなく、一人の青年だった。
「君は、正しい」
その一言が、刃のように胸に刺さる。
「だが、王太子は正しさだけでは務まらぬ」
返す言葉が、見つからない。
彼は踵を返し、去っていった。
残された廊下に、冷たい空気だけが漂う。
アリアは、ゆっくりと手を握る。
震えていた。
自覚した瞬間、胸の奥が軋む。
正しいはずだった。
国家を守るために。
未来のために。
それなのに、切られたのは自分だ。
小さく、息を吐く。
「……では、証明すればいい」
誰にともなく、呟く。
正しさが、国家を守れると。
理想が、血よりも強いと。
まだ彼女は知らない。
国家とは、人の恐怖と誇りで出来ていることを。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
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