全自動くすぐりマシン・Ver.1.0
放課後の化学準備室は、今日も妙に賑やかだった。
ドアを開けた瞬間、金属の擦れる音と、陽菜の弾んだ声が同時に耳に飛び込んでくる。
「できたー!やっと完成したよ涼香ちゃーん!」
陽菜は白衣の袖をまくり上げ、両手を広げて私を迎える。
その正面には――
見た目からして、完全にヤバい機械が鎮座していた。
高さは私の身長くらい。
黒と銀のフレームでできた、まるで拷問器具みたいな形。
四隅に太い拘束ベルトが付いていて、中央には人が立つための台座。
そして何より恐ろしいのは、フレームの内側から無数に伸びている、柔らかそうなシリコン製の「指」みたいなアームたち。
「……何ですか、それ」
私は一歩後ずさりながら、冷たく尋ねる。
陽菜は目をキラキラさせて説明を始める。
「これね!コードネーム『全自動くすぐりマシン・Ver.1.0』!どんな人でも五分で確実に笑顔にしちゃう、究極のリラクゼーションデバイス!」
「リラクゼーション……?」
「うん! ストレス解消!笑うと副交感神経が優位になって、心も体もほぐれるんだよ!作動時間はちょうど五分!一度入ったらタイマーがゼロになるまで絶対に出られない仕様!」
陽菜は自慢げに胸を張る。
私は無言で機械を睨む。
「……見た目が犯罪です」
「えー!カッコいいじゃん!近未来感あるでしょ?」
「近未来の拷問装置です」
私は即座に踵を返そうとする。
「待って待って!涼香ちゃん、試してみてよ!」
「絶対に嫌です」
理由はシンプルだ。
私は――くすぐりに、致命的に弱い。
小学生の頃、友達に脇をくすぐられて失神しかけたことがある。
以来、人に触れられること自体を極力避けてきた。
ましてや、機械に五分間も無防備にくすぐられるなんて、
想像しただけで体が震える。
「じゃあ、もう帰ります」
「えー!だめだよー!涼香ちゃんがいないと意味ないもん!」
陽菜が私の腕を掴む。
「離してください」
「ねえねえ、ちょっとだけ!一回だけでいいから!」
「一回でも嫌です」
私は振りほどこうとするが、陽菜の握力が意外と強い。
白衣の袖が私の制服の袖を引っ張る。
「涼香ちゃんの笑顔、見たいんだもん……!」
その言葉に、胸の奥が一瞬だけざわついた。
昨日、一昨日の記憶がフラッシュバックする。
「お姉ちゃん」と甘えた自分の声。
陽菜の胸に顔を埋めた温もり。
「……見せません」
私は強く言い放ち、陽菜の手を振り払ってドアに向かう。
しかし――
「じゃあ、強制執行!」
陽菜が突然、私の背中を押す。
「っ!?」
バランスを崩して、私は機械の台座に突っ込んだ。
「待っ――!」
ガチャン!
金属音が響き、四隅の拘束ベルトが自動で私の手首と足首を締め上げる。
「や、やめてください!」
体が大の字に引き伸ばされる。
腕は頭の上、足は肩幅に開かれ、
完全に動けなくなった。
「はい、固定完了!五分スタート!」
陽菜がリモコンを操作する。
ブーン……という低いモーター音が響き、
機械の内側から、無数のシリコン指がゆっくりと近づいてくる。
「部長!本当にやめて――!」
最初の指が、私の脇腹に触れた。
「ひゃっ!?」
体がビクンと跳ねる。
次の瞬間、両脇、脇腹、首筋、太ももの内側、
同時に何十本もの指が動き始めた。
「ひゃははははっ!あはははははっ!」
笑いが、止められない。
指の動きは絶妙だ。
軽く撫でるだけ、
時々ピンポイントで急所を突く、
そしてまた優しく這う。
「や、やめっ……あははははっ!部長っ!止めてっ!あははははははっ!」
涙が出る。
息ができない。
笑いすぎて、肺が痙攣している。
陽菜は私の正面に立ち、スマホを構えて動画を撮り始めた。
「うわー!涼香ちゃんの笑い顔、最高!これ、永久保存決定!」
「撮らないでっ……あはははっ!やだっ、恥ずかしいっ!ひゃははははっ!」
体が勝手に跳ねる。
拘束ベルトがギシギシと鳴る。
指の動きが、少しずつリズムを変えていく。
今度は両足の裏を同時に。
「ひゃあああっ!そこっ、だめっ!あはははははははっ!」
視界がぼやける。
笑いすぎて、頭がクラクラする。
(……やばい)
笑っているのに、どこかで変な感覚が芽生え始めていた。
体が熱い。
息が上がる。
笑いと一緒に、妙な疼きのようなものが混じってくる。
(何これ……)
五分が、永遠に感じる。
そして――
突然、機械の音が変わった。
ブゥゥゥン!
モーターの回転数が急激に上がる。
「え……?」
陽菜がリモコンを見下ろす。
「ん? あれ? ちょっと暴走しちゃった?」
指の動きが、明らかに速くなった。
「ひゃははははははっ!ちょっ、速いっ!速すぎるっ!あははははははははっ!」
今までの倍、いや三倍の速度で、
無数の指が私の体を這い回る。
脇腹を高速でこする。
首筋を素早く撫で回す。
太ももの内側を、容赦なく攻める。
「やっ、やめっ……あははははっ!もう、だめっ! 痛いっ!笑いすぎて、痛いよぉっ!」
涙が止まらない。
息が、笑いに奪われて、ほとんど吸えない。
なのに――
(……変)
痛いはずなのに、
体の奥が、熱くなっている。
笑いと一緒に、何か別の感情が溢れ出しそうになる。
恥ずかしい。
情けない。
でも、止められない。
「部長……っ!止めてっ……お願いっ!あははははははっ!」
陽菜は、ただ立っている。
スマホを構えたまま、じっと私を見ている。
その目は、いつもの明るさとは少し違う。
好奇心と、どこか――興奮したような光。
「……涼香ちゃん、すごいね」
小さな声で呟く。
「こんなに笑える子、初めて見た……」
「部長……っ!」
私は叫ぶ。
でも声は、笑いに飲み込まれる。
機械は止まらない。
五分が、まだ終わらない。
笑いすぎて、意識が遠のきそうになる。
でも、その手前で――
(……気持ち、いい?)
そんな、ありえない考えが頭をよぎった。
笑いと、痛みと、熱と、恥ずかしさと、全部が混ざって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「ひゃははははっ!もう……だめぇ……っ!」
体が、大きく震えた。
そして――
ピピッ。
機械のタイマーが鳴った。
指が、ぴたりと止まる。
拘束ベルトが緩み、私は台座に崩れ落ちるように膝をついた。
「はぁ……はぁ……っ」
息が荒い。
涙で顔がぐしゃぐしゃ。
全身が汗でびっしょり。
陽菜が近づいてくる。
「涼香ちゃん、大丈夫?」
「……殺す」
私は掠れた声で呟く。
陽菜はしゃがみ込んで、私の顔を覗き込む。
「ごめんね、暴走しちゃって……でも、すごかったよ。涼香ちゃんの笑顔、めっちゃ可愛かった」
「……動画、消せ」
「えー!無理!これ、宝物だもん!」
私は力なく睨む。
でも、体に力が入らない。
陽菜は私の頭をそっと撫でる。
「ねえ、涼香ちゃん」
「……何」
「今日の涼香ちゃん、すっごく可愛かったよ」
その言葉に、胸の奥がまたざわついた。
(……何これ)
笑いすぎたせいか。
暴走のせいか。
それとも――
陽菜の指が、私の頬の涙を拭う。
温かい。
「……次は、もっと優しいやつ作るね」
「次とか、ない」
私は弱々しく否定する。
でも、心のどこかで、小さな声が囁いていた。
(……次も……)
その考えを、
私は必死で振り払おうとした。
準備室の窓の外は、もう真っ暗だった。
機械のモーター音が、静かに止まった余韻だけが、
部屋に残っている。
私はまだ、笑いすぎた体の震えを、止められなかった。




