第4話:「料理人ギルド《供膳者》」
──導入:白服集団、現る──
焼きたてパンのような朝の香りが鼻先をくすぐる。
ディッシュヴィレッジの朝。
胃袋の中から「昨晩のコースうまかったス~」と誰かが寝言をつぶやく中、ハジはひとり、村の広場へと足を運んでいた。
手には昨日受け取った**“調理申請書”。
金の封蝋がしてあり、開けてもいいのかすら分からない。いや、そもそもなんで俺が“調理される側”なんだよ!**
「はあ……胃袋もたれそう……」
愚痴をこぼしながら広場に差しかかった瞬間だった。
──そこに、いた。
白い料理服に身を包んだ者たちが、広場を埋め尽くしていたのだ。
全員、真っ白な帽子に前掛け。まるで軍隊のように無駄のない整列。
人数は、ざっと三十人以上。動き一つなく、ピクリともせず、ハジの到着を待ち構えていた。
静寂。
そして──
「ようこそ……“胃神様”」
全員が、一斉に深々とお辞儀。
ぎっ……と一瞬、空気が張り詰めるような音がした(気がした)。
村の背景で風に揺れる旗が、「本日のお献立:胃神様」と読めたのは気のせいではない。
ハジの背筋に、ぞわりと寒気が走った。
「……うわ怖っ。なにこれ、“星三つです”集団かよ……!」
料理バトルの最終回みたいな威圧感。しかも、自分が主役サイドじゃない気配が濃厚すぎる。
胃袋がきゅるる……と鳴った。
緊張か、空腹か。いや、どう考えても両方だ。
そして、白服たちの列の奥から、ひとり、小柄な影がすっと現れる。
その者は、銀の髪に包まれ、目を閉じたまま歩みを進めてくる。
片手には銀のスプーン──
その姿は、まるで“供する”ために生まれてきたかのようだった。
白服たちの中を、ひときわ小さな影がすっと前に出た。
足取りは軽やか。だが、踏みしめる一歩一歩には一切の迷いがない。
白銀の髪が、朝日を受けて揺れる。瞼は閉じたままだが、少女はまっすぐハジの方へと向かってきていた。
「……うわ、なんか……本物感あるぞ?」
その少女が、静かに立ち止まり、片手に持っていた銀のスプーンを胸元に掲げた。
「私の名はミルミ。“供膳者”ギルド第七の火加減、《味の祈導者》です」
……と、さらりと自己紹介された。
「……は?」
ハジ、反射的に聞き返す。
「七? 何その謎の火加減階級。あと“祈導者”って何? 神父? コック? どっちだよ!」
少女──ミルミは、それに笑みで返した。
「わたくしの舌は、肉の痛みを聞き取ります。鼻は、命の温度を嗅ぎ取ります。そして――」
スプーンが空を切るたびに、周囲の空気がほんのり香ばしくなる気がした。
「あなたは、“咀嚼の終着点”。世界が味覚で回る限り、その胃袋は理に直結するのです」
「ちょ、待てって!」
ハジ、盛大にツッコむ。
「俺はただの、腹減って死んだ中年の土木作業員だっつーの!」
そのとき――胃袋の奥から、声がした。
『……けどス、この人たち……味に命、賭けてるスよ……』
──ポトフだった。
普段は陽気なお調子者のスライムが、今はやけにしんみり呟いていた。
ハジは視線を前に戻す。
ミルミの笑みは、やわらかく、だが確信に満ちていた。
“食う”か、“食われる”か。
あるいは、“供される”とは別の道なのか。
この世界のルールは、もはや常識のメニューにない。
(……どうなってんだよ、この異世界……!)
ハジの背中を、胃袋の中の誰かのゲップが撫でた。
「開宴──」
ミルミの静かな一声と共に、世界の色が変わった。
ディッシュヴィレッジの中央広場に設えられた即席の円卓。その上に、怒涛の百皿が、次々と、異様な整列をもって並び始める。
盛りつけの美しさは芸術の域。立ちのぼる香気だけで意識がトぶほどだった。
「え、ちょっ、待って!? この数、何!? え、無理、胃袋に入るか!?」
「**“歓迎の百皿”**です」
白服の料理人たちが、寸分違わぬ動作で一礼する。
一皿目──「サンダーワイバーンのレバーペースト」
二皿目──「グラタン・オブ・キメラ」
三皿目──「煮込みヒュドラの七味仕立て」
どれも、異常な完成度。魔物料理のはずが、フレンチと和食と錬金術がケンカせずに同居している奇跡。
「……見た目だけじゃねぇ、香りも味も……やばい、全部“うまい”……ッ!」
ハジ、抗えず。
スプーンを持ったその瞬間から、**“食べさせられる”ではなく、“食べにいっている”**状態。
咀嚼のたびに、言葉にならない喜びがこみ上げる。
(……これ、俺が食ってるのか? それとも、食材たちが俺を使って自己表現してんのか?)
胃袋の中では、すでに阿鼻叫喚。
「焼き鳥先輩! あたしの横で跳ねないでください!」
「おぉっと、脂ノ神、また油しぶき撒いてるぞぉ〜!」
「ええい!静かにしてください!ここは胃です。神殿ではありません!」
メガネのサラダさんが珍しくブチ切れていた。
一方、司会進行役だったポトフは……
「……もうダメス……ハジスが何喰ったかわかんねぇス……スヤァ……」
寝落ちしていた。
皿を重ねるごとに、胃の奥で、**“何かが膨張する”**感覚が募っていく。
うねるような圧迫感。膨らむ熱。心音のような震え。
(ヤバい……これ、食い過ぎってレベルじゃない……!)
胃袋の底から、黒煙のような気配が、ふつふつと漏れ始めた。
空気が揺れる。景色が歪む。村人たちは跪き、白服の料理人たちはスプーンを胸に掲げて祈り始めた。
「……おい、何なんだよコレ……俺の体の中、今どうなってんだよ……!」
ミルミが、スプーンを静かに伏せ、呟いた。
「ああ……“胃神の咆哮”……兆しですね」
その声は、まるで雨音のように静かで、
雷鳴よりも重かった。
暴走の兆しと「食欲圧」
「……ハァッ、ハァッ……まだ、食える。けど……なんか、変だ……」
百皿のうち、すでに六十皿は胃の中へ収まった。
なのに、空腹感は引かない。それどころか──加速していた。
胃袋が、まだ欲している。
味が、胃に届いた瞬間に霧散するような、焦燥にも似た渇き。
「な、なんだこれ……! 食ってるのに……“足りない”……?」
その瞬間、**ズン……!**という衝撃が広場を揺らした。
地面にひびが走る。供膳者のひとりがよろけ、膝をついた。
「くっ……この“圧”……!」
「まさか……胃神様が、“暴走状態”に──!?」
広場の空気がねじれる。
大気ごと飲み込まれるような、**圧倒的な“食欲圧”**の発生。
それはまるで、捕食者としての“本能”が漏れ出したようだった。
周囲のモンスターたちが、本能的に怯え始める。
「ヤバい、食われる……!」
「逃げなきゃ……胃袋に吸われる……!」
プレゼンに来ていたモンスターたちすら、退き始めた。
だが。
ミルミだけは、一歩も動かなかった。
恐怖に揺れる空気の中、少女シェフは静かにスプーンを掲げる。
まるで神殿で祈るように、穏やかな声で語りかけた。
「あなたが、“満腹”を知る日が来るのを……」
「私たちは、ずっと待っていたのです」
「……満腹?」
ハジは思わずつぶやいた。
今までの人生で、あったか? 本当の意味での“満腹”なんて。
家計のことを気にして、コンビニ弁当を選んで。
現場で残った差し入れのパンを胃に詰めて。
味よりも量。栄養よりも日持ち。
“食う”という行為の重さに、思いを馳せたことはあったか?
(……もしかして、俺、今……本気で、“食う”ってことに向き合わされてんのか?)
胃袋が、暴れる。
食材たちの人格が叫ぶ。
空腹が、理性を焼き払う寸前。
そして、ハジの目にだけ──見えた。
胃袋の底。
黒く、禍々しく、だが、どこか神聖な光を湛えた“扉”のようなものが。
──そこは、まだ誰も“食べたことのない場所”。
「“満腹”を知る時、世界が“次の味”をくれるのです」
ミルミの声が、脳内に響いた。
これは、**グルメの戦場**だ。
命を賭ける者だけが、そこに座れる。
ハジの右手が、再びスプーンを握りしめた。
その先にあるのは、“食べる”のその先──世界の味覚を変える、異世界グルメの深淵だった。
ハジの“問い”とミルミの“願い”
食卓の時間が、ゆっくりと終わりに近づいていく。
盛られた料理の数々は、もはや「食事」ではなかった。
一皿一皿が、誰かの人生そのものであり、進化と祈りの結晶だった。
だがそのすべてを“食べて”しまったハジは、奇妙な虚無に襲われていた。
皿を置く。手がわずかに震える。
全身から汗が噴き出し、息も絶え絶えだった。
「……なあ、ミルミ」
低く、かすれるような声で、彼は問うた。
「俺って……こんなふうに、食ってるだけで……
本当に誰かを、救ってんのか? それとも……壊してんのか?」
それは、土木作業員だった彼が、異世界の“食”という狂った秩序の中で、
初めて吐き出した“自我”という名の問いだった。
ミルミは、ほんの一瞬だけ目を閉じ(もともと閉じているが)、
それからふっと、唇の端に静かな微笑を浮かべた。
「どちらでもありません」
そして、彼女は手にしていた銀のスプーンを、ゆっくりと彼の前へ差し出す。
「あなたは、“嚥下”という運命を担っているだけ」
「食べることは、受け入れること。
それがこの世界では、ただ“そう在る”だけなのです」
ハジは、答えを受け止めきれずに、しばし黙った。
だがその沈黙の中、最後の一皿が、目の前に差し出される。
銀のドームに覆われた、それは──
供膳者ギルドが総力を挙げて仕立てた、“世界素材の一皿”。
空気が張り詰める。
ポトフの気配すら、静まり返っていた。
ミルミが、ドームの蓋に手を添える。
「“世界の真味”──どうか、ごゆっくり……」
ドームが開かれる瞬間、
ハジの胃袋が、また何かを“迎え入れる”準備を始めていた。
世界を、食すか。
自我を、手放すか。