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第3話「ハジ、グルメ扱いされる」

腹が、減った。

 世界の彩度がどんどん薄れていく。目の前の森の木々すら、もはや青菜のおひたしにしか見えない。


 


「……ちくしょう、また胃が空回りしてる……」


 


 俺、ハジ(42歳・元土木作業員・最近転生)。

 異世界に放り出されてからというもの、《万物捕食》なんて燃費最悪なチートスキルのおかげで、飯を喰ってないと死ぬ。いやマジで。二時間おきに命の危機。


 


 南東の道をふらふらと進みながら、足を引きずる俺の目の前に、急に視界が開けた。森を抜けると、そこには──


 


「村……? いや、なんか雰囲気が……変だぞ……」


 


 小さな集落だった。けれど、その入口に掲げられた看板が、すべてを物語っていた。


 


 


【ようこそ、選ばれし胃袋様へ。ご賞味は計画的に!】


 


 


「は?」


 


 そう呟いた直後、村の中から数体のモンスターがぞろぞろと現れた。


 


「ついに来たッスね、胃神サマァァァ!」


 


 一番に現れたのは、頭に立派なトサカを持つ鳥人間。胸に書かれた文字は──


 


『燻製ファイター・ケムケム』


 


「このトサカっ! メープルチップで燻すと、香ばしさが段違いッス!ぜひお試しあれッス!」


 


「誰に向けたセールストーク!?」


 


 続いて、ぷるぷると揺れる氷色のスライムが、しゅるりと前に出る。


 


「私、冷却機能ついてるんで、生食でも安全ですよ♡ お刺身とか、いかがスか?」


 


『生食系女子・ユッケス』

その紹介文、どこの婚活パーティーから来た。


 


 極めつけは、まるまると太った猪の獣人。腹に誇らしげに書かれた名は──


 


『脂ノ神ことバラミィ』


 


「サシの入りは国家級! ワインで煮込んでもよし、しゃぶしゃぶでもよし!」


 


「なんなんだよ、この“調理前提自己紹介”ッ!?」


 


 思わず天を仰ぐ。ていうか、なんだこの世界。俺はただの中年男だったんだぞ? 土木の、カツ丼好きの、地味なオッサンだったのに──


 


「……完全に俺、“食う側”って立場、忘れられてんじゃねぇか……」


 


 だが胃は減る。足は震える。理性と肉体のバランスが崩れたまま、俺は奇妙な“グルメの村”に、足を踏み入れてしまう──。



「では! 本日もよろしくお願いしますッス! まずは俺からいかせてもらうッス!」


 


 燻製ファイター・ケムケムが、勢いよく羽を広げて一歩前へ。手には、なんか手描きのボード。……火の近くで持つとすぐ燃えそうな安っぽい紙製だが、そこにはやけに丁寧な調理工程図が描かれていた。


 


「このトサカ、スモークウッドはメープルがベストッス! 8時間燻すと、外はカリッと、中はジューシィ!」


 


「なんのレシピコーナーだよこれ!」


 


 ハジは思わず叫んだ。が、ケムケムはどこ吹く風だ。


 


「あと! 胸肉もなかなかのものッスよ!味は淡白、でも焼くと香ばしくて──」


 


「ちょ、やめろ!部位の説明すな!自分で!」


 


 次に現れたのは、つるんとした氷色のスライム娘。ふわふわと浮かび、ハジの前でぴたっと止まると、笑顔を浮かべてイラストパネルを取り出した。


 


「どうも〜♡ 生食系女子・ユッケスス! 今日は《食べても当たらないスライム》をテーマに来ましたぁ」


 


 なにそのニッチすぎるアピール。


 


「私、体温が22.5度で安定してるんスよ。菌類が繁殖できないギリギリのラインって言われてて♡ だから生でもOK!」


 


「“刺身に自信あります”って自己紹介、聞いたことねぇよ!?」


 


 ユッケスがくるくる回転して、ぷるんと弾けるような揺れを見せると、周囲から謎の歓声が上がる。


 


 そして三番手、でかい。とにかくでかい。登場した瞬間、地面が軽く沈んだ。


 


「お待たせしましたッス、脂ノ神・バラミィの登場ッスよ……!」


 


 どっしりとした猪獣人。大トロのようなサシが、肩と腹からあからさまに見えてる。なぜかエプロン着てる。もはや高級焼肉の品評会にしか見えない。


 


「サシの美しさには自信あるッス。俺の脂、炙ると……じゅわっと香り立つんスよ……!」


 


 そう言って、ボードを見せる。そこには「特選・腹部スライス部位」のカットモデル図。


 


「あと内臓も臭みないって、前に食べられた先輩が言ってたッス!」


 


「“前に食べられた先輩”って、フレーズ怖すぎるんだけど!?」


 


 ハジは思わず後ずさる。胃袋がぎゅるぎゅる鳴っている。なのに、なぜか食欲が……いや、食欲だけが……妙に、湧いてくる。


 


「……いや、おれ、完全にグルメ番組の審査員じゃねぇか」


 


 並んだモンスターたちの目は、本気そのもの。全員が“命乞い”ではなく、“ご指名”を待っている。それも、焼かれたり、煮込まれたり、生でいかれたり……。


 


「この異世界……やっぱ、どう考えても狂ってるだろ……」


 


 だが、胃袋はまたもや空腹の鐘を鳴らす。

 ハジの中で、「人としての常識」と「飯としての本能」が、静かに揺れ始めていた。



「……やべぇ、なんか……ほんとに、うまそうに見えてきた……」


 


 目の前で、トサカをピンと立てた鳥人間――燻製ファイター・ケムケムが、胸を張って仁王立ちしている。


 


「遠慮は無用ッス!俺を喰って、元気取り戻してほしいッス! これが俺の、生きた証ッスから!」


 


 ハジは、手を伸ばす。ためらいながらも、トサカの先に指を添える。


 


 ……あれ、これって、マジで……食っていいのか?

 罪悪感。戸惑い。だが――胃袋は待ってくれない。


 


 グルッ。

 腹が悲鳴を上げた。理性が揺らぐ。


 


 ――トサカ、いただきます。


 


 モグ。

 ゴクン。


 


「……う、うま……ッ!」


 


 煙の香りが鼻を抜け、トサカの表面はカリッと香ばしい。中は、しっとりジューシィで、ほんのり甘い脂が舌の上で溶けていく。


 


 ただ美味いだけじゃない。

 口の中に広がるのは――


 


 ――誇り。


 


 「俺を喰って、力にしてくれ!」と笑っていた、ケムケムの顔。


 


 ――喜び。


 


 「選ばれた!」という高揚感、長年スモーク技術を研究したという努力。


 


 ――覚悟。


 


 「焼かれて、燻されて、それでも生きる意味がここにある」

 そんな“気持ち”が、味に染み込んでる。


 


 ハジは、涙を流しながら言った。


 


「なにこれ……うまくて泣けるって……どんなバグ仕様だよ……」


 


 胃袋の中から、ポトフがしれっとした声で言う。


 


「この世界、進化の方向が完全に“味覚”なんスよ。

 美味しくなる=強くなる、なんス」


 


「意味がわからねぇ……!」


 


 しかし、ハジの中には確かな感覚が芽生えていた。


 


 これはただの“空腹”を満たすための行為じゃない。

 彼らは“食べられる”ことで、自分という存在を、次のステージへ進めている。


 


 その味には、命の軌跡がある。


 


「なんなんだよ……この世界……グルメ漫画かよ……」


 


 涙と脂が混ざる中、ハジはそっとつぶやいた。

──ゴクン。


 トサカモンスター「ケムケム」を捕食し、口の中に残るのは煙と旨味、そして――


 


 ぱんっ、と音を立てて、ハジの脳裏に白いフラッシュが弾けた。


 


「……ッ!? 今の、なに……?」


 


 次の瞬間、意識がぐらつく。視界が一気に別世界に引き込まれていく。


 


 そこは、木造の燻製小屋。煙が充満する中で、まだ若き日のケムケムが、一人、丸太を削って燻製器を組み立てている。


 


『この燻し方じゃダメッス……もっと、じっくり火を……香りを……』


 


 彼は、真剣だった。何度も失敗し、何度も焦がし、それでも燻し続けた。


 


『最高のトサカは、ひと噛みで世界を変えるッス!』


 


 記憶が、涙腺にくる。


 


「な、なにこれ……俺、いまトサカ食って感動ドキュメンタリー観てんの……?」


 


 続いて――


 


 ひんやりとした青い洞窟。氷が煌めく中、スライム「ユッケス」が自らを冷やしながら、自撮り魔法で“刺身映え”を研究している。


 


『自然光!角度!粘度!……くぅ〜、この艶、いい感じス〜!』


 


 女子力高い努力スライムである。


 


 さらに、山の麓の修行場。猪獣人「バラミィ」が、豚呼ばわりされた怒りから一念発起し、肉質向上のために全身の脂肪バランスを調整する日々。


 


『豚で何が悪い!? 脂肪こそが、うま味の器なんだよォッ!!』


 


 ハジ、鼻水まじりに叫ぶ。


 


「いや、なんで俺、食材の過去ドラマ見せられてんの!? めっちゃ泣けるんだけど!!」


 


 胃袋の奥から、陽気なポトフの声が響いた。


 


『たぶんスけど、スキル《万物捕食》が進化して、“深食しんしょく”モードに入ってるスね〜』


 


「深食……? って、おい、俺のスキル、勝手に深まってんのかよ!」


 


 ただ腹を満たすだけの“捕食”が、いつの間にか、**命と想いを丸ごと味わう“共感食”**へと変わり始めている。


 


 ハジはぽつりと呟いた。


 


「これ、もはや食うっていうか……人生をいただいてるんじゃねぇか……」


 


 風が吹く。食材たちの想いが、胃袋という劇場で再演されていく。



 夕暮れ時のディッシュヴィレッジ。


 空腹を満たし、記憶の残滓に胸を打たれ、少しだけ異世界の“食文化”に慣れてきた頃。


 村の中央広場に、鈴を鳴らしながらやって来たのは──


 赤と黄のツートンカラー、艶やかな皮膚とどっしりとしたフォルムをもつ、パプリカ型の野菜獣・ピーマン長老だった。


 


「胃神さま……お届けモノでございます」


 


 手渡されたのは、封蝋付きの封筒。


 素材は最高級の紙、封蝋にはフォークとナイフが交差した紋章。


 開けると、極めて丁寧な文字でこう書かれていた。


 


《供膳者ギルドより 正式招待》


本日の主菜:胃神 ハジ 様


御調理担当:供膳者ギルド南方支部所属 第六厨房長


お献立:瞬間燻製 → 胃内マリネ → 神格発酵仕立て


お時間:日没直後


場所:ミートバレー調理場(現地にて解体)


 


 ハジの目が、飛び出しかけた。


 


「……ちょっと待て。これ、俺が“食べられる側”の招待状じゃねぇか……!?」


 


 封筒に同封されていた名刺には、きっちりした書体でこうも書かれていた。


 


《料理人ギルド 供膳者連盟》


――「あなたの神格、いただきます」


 


 その瞬間、胃袋の中からポトフがそわそわと声を上げた。


 


『えっ、えっ、これ……けっこうヤバいやつス? でもちょっと……期待してる自分がいるス……!』


 


「お前、完全に胃袋バグってんだろ!?」


 


 思わず名刺を地面に投げ捨てようとしたそのとき──


 遠くの空に、料理包丁を模した飛行船が現れた。金属の船体には、豪華な文字で刻まれている。


 


《供膳者到来》


 


 ハジは背筋に寒気を覚えながら、つぶやいた。


 


「……この世界、やっぱどうかしてるだろ……!」


──味に、心が乗る世界で。


 


 満たされぬ空腹と、終わらぬ混乱。


 口にするたび、そこに“想い”が宿り、

 腹の奥、心の底へと──味が染みていく。


 


食うことは、選ぶこと。


選ばれること。


そしていつか、誰かのために、自分を差し出すこと。


 


 この世界では、“生きる”と“食べる”が、重なり合っていた。


 胃袋が受け入れたものすべてが、

 ハジの一部となって、彼を変えていく。


 


 それは、グルメなのか。

 それとも、地獄なのか。


 


 ──だが、そんなことを考える暇もなく、

 次の“料理人”たちは、もう手を伸ばしていた。

 


──つづく。




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