第2話「お前を喰っていいか?」
「……く、くそ……腹が……減る……」
地面に四つん這いのハジ。
彼の体は明らかに限界だった。
先ほどスライムを食べ、ようやく“空腹死”を免れたはずなのに、胃の中はすでにスッカラカン。
「このままじゃ、また死ぬ……」
辺りを見回す。
すると、近くの根元に生えていた一本の白くて丸いキノコが目に留まった。
「……もう選んでる場合じゃねぇ!」
ガブッ!
キノコの傘にかぶりついた瞬間――
「……ん? 焼き鳥味?」
ふわっと香るタレの風味。
しっかりとした歯ごたえ。
絶妙な塩加減。
だが――
「……腹の足しに、なんねぇっ!!」
エネルギーに変換される前に、どこかへ蒸発していく感覚。
「これ……燃費ってレベルじゃねーぞ!? まるで穴の空いたガソリンタンクじゃねぇか!!」
ぐうぅぅぅぅぅぅっっ……
胃袋、再び絶叫。
「くそっ、もうこうなったら……モンスターだ!!」
立ち上がるや否や、森の奥へ駆け込む。
すぐに目に入ったのは、ピョンピョン跳ねるウサギ型モンスター。
「悪いな……お前、俺の朝食だ!!」
モグッ! ゴクンッ!
次に飛んできた鳥型モンスターも一口で――
モグッ! ゴクンッ!
背後の木から落ちてきた芋虫型モンスターは……
「バターの香り……?」
モグモグッ! ゴクリッ!
──そして5分後。
「……はぁ、はぁ……よし……これで、少しは……」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!!
「ッッッッッッッッ!!!!」
ハジ、思わずその場に崩れ落ちる。
「……嘘だろ……? 今、3匹は食ったぞ……!?」
胃袋に向かって問いかける。
「ポトフ……おい、ポトフ、今のお前の仲間たち、ちゃんと栄養になってんのか!?」
『う〜ん、みんなすぐ溶けちゃったスね!
美味しかったけど、燃えカスくらいしか残ってないス!』
「もっと深刻に言えよお前ら!!」
力が抜けながらも、空を見上げてハジはつぶやいた。
「俺……完全にモンスター界のアサシン弁当じゃねーか……」
そうしてまた、ハジの“食材”探しの旅は続く。
空腹に追われ、満腹の幻想を追いながら――
「……あー、もう、なんなんだよこれ……」
草むらに座り込みながら、ハジは腹をさすって呻いた。
限界の空腹はどうにかしのいだものの、体力はギリギリ、精神的にはもう崩壊寸前だ。
『……ん〜〜、あったかいスねぇ〜この胃袋』
「お、お前か、ポトフ……」
ハジの頭の中――いや、胃の奥から、陽気な声が響く。
スライム・ポトフ。初めて食ったモンスター。味はカレー風味、性格はやたら前向き。
『紹介するス! 仲間が増えたスよ〜!』
「仲間……?」
ザワァ……
突如、胃袋の中に、にぎやかな“食材会議”のようなビジョンが浮かんだ。
◆◆◆
「イエェェェェア!! 俺こそ焼き鳥先輩! モモ肉のジューシー王者よ!!」
──鳥型モンスターの擬人化、バンダナとサングラス姿のドヤ系兄貴。
「やあん……わたし、バター昆虫ちゃん……とろけちゃうぅ♡」
──芋虫型モンスター、なぜかアイドル風。語尾に♡多用。
「初めまして。“野草5号”改め、サラダです。タンパク質バランスなら私が担当します」
──葉っぱメガネ女子。やたら分析的で語彙が専門書レベル。
◆◆◆
「……は?」
胃袋の中で、食べたモンスターたちが人格を持ってワイワイしている。
ポトフ『いや〜みんな、個性強すぎスよね〜♪』
焼き鳥先輩『おいポトフ! ここの温度、もうちょい上げろや! 脂が冷えちまうぜ?』
バター昆虫ちゃん『あ〜〜ん♡ おなか撫でてくれたら、もっととろけるかもぉ♡』
サラダさん『胃酸濃度、37.2%。消化には適温ですが、会話には不向きです』
ハジ「なんで俺の腹の中、食材系ゆるアニメみたいになってんだよ……!?」
頭を抱えるハジ。
だが、この異常な現象はまだ“序の口”だった。
――ゴォォォォ……
その時。
混ざり込むように、どこからともなく響く、得体の知れない低音の唸り声。
『…………ゴ……ォ……………』
一瞬、胃袋内のゆるキャラたちが黙り込む。
焼き鳥先輩『……おい、今の声……だれだ?』
バター昆虫ちゃん『あれぇ? 今の、ポトフくんじゃないのぉ〜?』
サラダさん『違います。これは我々と違う“次元”の存在です。』
ハジ「……やめてくれ。おれ今、すごく胃が痛い」
ポトフ『スルー推奨スよ!“あいつ”は、たま〜にしか喋らないから!』
ハジ「おい!あいつって誰だよ!!」
胃袋という名の異次元が、どんどんカオスに染まっていく中――
ハジはようやく理解し始めていた。
この世界、絶対まともじゃねぇ……!
「やっと……森、抜けた……」
ハジは、のたのたと木々をかき分けながら、光の差す出口へとたどり着いた。
足取りはおぼつかず、顔色は若干青い。
胃袋はすでにさっき食べた焼き鳥とバター昆虫を燃やし尽くして空っぽである。
「頼む……次こそ……まともな街とかであってくれよ……」
──だがその先に待っていたのは、“街”でも“村”でもなかった。
それは。
行列。
「……は?」
広がる平原のど真ん中、まっすぐ一本伸びた道の両脇に、無数のモンスターたちが整列していた。
直立不動のスライム族。
正座して待つオークたち。
草の上で三角座りしているリザードマン。
妙に整列が上手いケンタウロス軍団。
その数、ざっと――百体以上。
頭上には、掲げられた幟が何本もはためいている。
「ようこそ、神の胃袋」
「待ってました! 胃神さま!」
「我ら、喰われることに誇りあり!」
──そして極めつけは、
「第172回・食われ待ちモンスター大行進!」
ハジ「なんだこれええぇぇぇぇぇぇ!?!?!?」
混乱の極みである。
ザッ……
その中から、ひときわ大柄な獣人の戦士が一歩、前へ。
銀髪のライオン顔。鋼のような肩甲骨。
だがその瞳には、戦士というより新商品を見つけた食通のキラキラ感がある。
「ついに……ついにおいでなされたか……!」
ハジ「いや、え、誰……?」
「我が名はボルゴ・ミート・サード!
この“東の食待ち平原”を代表して、胃神さまをお迎えいたす者!」
「いやいやいやいや! なんで俺、“神”扱い!?」
ボルゴ、ひざをついて頭を垂れる。
「どうか……どうか、この我が肉体を最初に召し上がっていただきたく!!」
周囲のモンスターたちから、拍手と歓声。
「行けー! ボルゴー!」
「お前が最初に食われるんだー!」
「うらやましーー!!」
ハジ「うらやましがるな!!お前ら正気か!?」
胃袋の中で、ポトフの声が響く。
『スゴイスね〜!歓迎されてるスよ〜!』
焼き鳥先輩『よっしゃ来たー!胃神様人気!』
サラダさん『状況分析:明確に宗教化しています』
バター昆虫ちゃん『わたしも外でパレード出たかったぁ〜♡』
ハジ「うるさいうるさい胃の中うるさい!!」
そして――
遠くの空に、不穏な雲が流れ始める。
『…………ゴ………………ミ……』
またしても混じる、あの“低音の声”。
だが、そんなことにはお構いなしで、ボルゴは両腕を広げ、肉体を光に照らしながら叫んだ。
「どうぞ我らを喰らい、栄え給え――
神の胃袋の君よ!!」
ハジ「おれの異世界……もうまともな味しねぇ……!!」
「……我ら“喰われ待ち”。」
その一言で、空気が変わった。
ボルゴ・ミート・サードが、胸に拳をあて厳かに語る。
「捕食され、胃に取り込まれ、魂が昇華されること……それこそ我らモンスター族の、最上の進化なのだ」
周囲のモンスターたち、いっせいに深く頷く。
ハジ「……え、何それこわ……」
ボルゴ「この世に生まれし瞬間から、我らは願ってきた。
“いつか来る神の胃袋に、己の全てを捧げる日”を……!」
ハジ「いやいやいやいや!」
ハジ、両手ブンブン振って全力否定。
「おれはな!?
スーパーで半額のカツ丼ばっか食ってた、ただの独身土木作業員だぞ!?」
「神とか、胃袋とか、そんなもん任された覚えねぇぇぇぇ!!!」
ボルゴ、拳を高く掲げながら叫ぶ。
「この方こそ、選ばれし捕食者・胃神!」
「いーがーみ!」「いーがーみ!」
モンスターたちのコールが始まる。
カンカンと太鼓まで打ち鳴らされる。
スライムたちがリズムに合わせてピョンピョン跳ねている。
ハジ「やめろォ!!音頭とるな!!」
そして次の瞬間――
バサァッ!!
後ろから飛び出した鳥型モンスターが、両翼を広げて空中で一回転しながら叫んだ。
「次は私を食してください!! 本日締切の“いちご骨付きもも肉”でございます!!」
ハジ「自分を食材名でアピールすんな!?!?」
ウサギ型モンスターが、両手で尻を差し出す。
「この尻肉、三年寝かせました!今が食べ頃です!」
ハジ「なに育ててんだお前!!??」
そしてその中でも、冷静な声が響く。
「……むむ。やはり神は、迷いがあるようだな……」
姿を現したのは、フードをかぶった知性派スライム(?)。
肩には「供膳者ギルド」の腕章。どう見ても宗教関係者である。
「胃神さま。どうかお心を楽に。あなたは“食う”ために転生されたのです」
ハジ「いや俺、カツ丼落とした拍子に死んだだけだよ!?!?!?」
一方そのころ、胃袋の中では。
ポトフ『……完全にイベントスよ〜。胃神フェス開催スね〜』
サラダさん『……ある種のカルトですね。観察しがいがあります』
焼き鳥先輩『うぉおお!祭りだァァァ!!!』
バター昆虫ちゃん『もう……どんどん詰め込んでほしいですぅ♡』
ハジ「もうお前らも落ち着けえぇぇぇぇ!!」
──だが、その叫びがかき消されるほどに、モンスターたちは盛り上がっていた。
「さぁ、胃神さま!この列のどこからでも、お好きな部位をどうぞ!」
「えぐられる!切られる!飲まれる!私たち、みんな準備できてますッ!」
ハジ(……これ、胃袋だけじゃなくて、精神の限界も試されてないか?)
──しかし、その混乱の中、ふとハジの目に映った。
道のはるか先。
誰にも気づかれず、黒いローブの小柄な影が、静かにこちらを見つめている。
ジリ……と、地面に影が滲むような足音。
空気が、歪む。
ハジ「……誰だ、あいつ……?」
胃の奥からも、得体の知れない**“低音”**が、今までよりはっきりと響いた。
『……オマエ……ナラ……タベ……レル……』
胃の奥から、やわらかい声が響く。
ポトフ『……ハジス、食べればいいと思うス。みんな、自分から来てるスよ』
ハジ「……“食べられたい”って、そんな動機あるか普通……!?」
森の行列のモンスターたちは、いまだ健気に並んでいた。
誰も逃げない。むしろキラキラした目でこっちを見てくる。
ハジ「……くっそ、なんだこの“修学旅行のバス待ち”みたいな空気……」
胃の中ではサラダさんが冷静に補足する。
サラダ『この世界では、“捕食される”ことが、魂の統合と再誕に繋がるとされています。
宗教的進化論……と言えばわかりやすいかと』
焼き鳥先輩『そうそう!ワシなんて食われて昇天した瞬間、羽が2本増えたからな!』
ハジ「もうお前らうるせぇ!!」
だが、その声にも力がない。
腹が……減りすぎている。
目が霞み、膝が笑う。
(……まずい……マジで死ぬ……)
ぐうぅぅぅぅぅ……
空腹音が、まるで獣の唸りのように鳴った。
──そのとき。
行列の中から、ひとりのモンスターが、そっと前に出た。
角のあるリス型の少年モンスター。まだ若い。
「……胃神さま。よければ、私を……どうぞ」
その姿に、ハジは咄嗟に手を伸ばすのを止めた。
ハジ「おまえ、まだガキじゃないか……!」
リス少年は笑った。
「でも……“食べられたくて”進化を夢見るのは、子どもでも一緒です」
そして、ゆっくり目を閉じた。
「……お願いします、俺の“生”を……あなたの糧に……!」
──ごくっ。
それは、一瞬だった。
拒む暇すらなく、本能が動いた。
そして。
リス少年の声が、胃の中に響いた。
『……ありがとう……これで……“次”に……進める……』
ハジ「………………」
静かだった。
行列のモンスターたちは、微笑んでいた。
胃の中は、またひとつ賑やかになっていた。
でも、ハジの口からこぼれたのは、小さな、乾いた独り言だった。
「……これ、絶対……なんか間違ってるだろ……」
──胃の中が満たされていくたびに、
ハジの“心”だけが、少しずつ削られていく。
ハジがリス少年を“捕食”してから、行列は静かに解散していった。
まるで何かの儀式を終えたかのように。
胃の中では、ポトフが祝福めいた声でつぶやく。
ポトフ『いや〜、感動スねぇ……新入り、泣いてたスよ』
焼き鳥先輩『ワシも最初の頃はそうだったのぅ。青春やな!』
サラダ『宗教的というよりは、実に循環的。ある意味、サステナブルです』
ハジ「……うるせぇ。俺の胃袋、いつから哲学討論会になったんだよ……」
腹は満たされた。
だが、胸の奥は、ますます空っぽだった。
そんな中──
先ほどの獣人が、ハジの前に静かに歩み寄る。
「胃神さま。ここから先、南東に向かってください。そこに、あなたを“料理する者”たちがいます」
ハジ「……料理する? 俺を?」
獣人は、深く頷いた。
「“供膳者”……我々の世界の、“供する者たち”のギルドです。
あなたの胃袋の力を、正しく導く、最後の“調理人”たち……」
ハジは、思わず後ずさった。
「いやいやいや、ちょっと待て。俺、食べる側だよな? 料理される側じゃなくて……!?」
獣人は静かに言った。
「……料理される覚悟のない者に、“食”の神託は降りません」
──その言葉が、やけに重く響いた。
ポトフ『供膳者……聞いたことあるス。確か、“生きたまま盛り付ける”とか、“自分で焼いて運ぶ”とか、すごいとこスよ!』
ハジ「いや説明がホラーなんだよ!!」
森の出口から見える南の空に、奇妙な煙と香ばしい匂いが漂っていた。
──香ばしいのに、不穏。
──温かいのに、怖い。
ハジは、胃を押さえて呻いた。
「……この異世界、食の感覚どうかしてるだろ……!」
──そして、彼は歩き出す。
次なる満腹の予感と、
なにかが壊れていく足音を響かせながら──。
《第2話・完》