月の下
「あの、今更ですがお名前を伺ってもよろしいですか?」
思考を駆け巡らせている僕の耳に、なんとかウィルコさんの声が届く。
「は、はい。シーノ=イノブと申します」
ウィルコさんが少しだけ背筋を伸ばし、こう提言した。
「ではシーノさん。申し訳ないですけれど、しばらく席を外していただけないでしょうか」
ごもっとな意見が僕にささる。
ウルスさんは当然だろと言わんばかりに鋭い目を向けてくる。
できれば僕だってそうしたい。
勇者のことならなんだって知りたいが、ここに踏み込むのは勇者を侮辱することにもなる。
でも、僕にだってただ引き下がるわけにはいかない理由がある。
まだちっぽけだけど、ヌイさんに認められたいという欲と、新聞屋として生きていく自覚。
「僕は…」
「その代わり、その後にちゃんとあなたにもお話しします」
「…はぁ!?」
少し遅れてウルスさんが声を上げる。
「うるさいよ、今度はなに?」
取り分けに集中していたのか、ソリーサさんは今の会話を聞いていなかったようだ。
僕がなんと答えようか悩んでいると、なんと僕も含め4人分の食事が運ばれてくる。
「えっ?いいのですか?」
「おい、なんでこいつまで」
「いいじゃない、滅多に来ないお客様なんだから」
ソリーサさんは食事を並び終えると、ウルスさんの隣に座り手を合わせる。
ウィルコさんも何も言わずそれに合わせた。
どうやら、事は食事の後になるようだ。
僕も黙って手を合わせる。
その様子をあきらかに不服そうにしているウルスさんも手を合わせる。
いただきます。
食事は拍子抜けするほど和やかだった。
ソリーサさんが結構おしゃべりで終始僕に色んなことを聞いてきた。
察するに、自分ではあまり出かけられない分、誰かの話を聞いて補完しているのかもしれない。なんて、そんなことを思ってしまったらただの雑談にも手を抜けなかった。
ウィルコさんも合間に雑学を挟んでくれたりして会話が弾む。
ウルスさんは話しかけないとしゃべらなかったが、僕以外からは素直になんでも答えていた。
こんな怖そうな人がなんでこの二人に従順なのかが少し気になる。
食事はとても美味しかった。
嫌な言い方をすれば普通の家庭料理であったが、味わって食べたいという気持ちにさせられた。
野菜に残っていた苦みすら、味わいになっていた気がする。
ごちそうさまでした。
食事が終わると、せっせとソリーサさんが片付け始め、ウルスさんがそれをすぐに手伝い始める。
僕も少しはやろうと思ったが、ウィルコさんに止められた。
今の内に外に出てほしい。そういうことだと思う。
本当に信じていいのだろうか?
どう見たって信じてもよさそうな人ではあるが、それでもし騙されていたら取り返しがつかない。
しかし、素直に出ていく以外に僕に選択肢は無かったと思う。
粘ったところでウィルコさん達の話ができないだけだし、今の僕に折衷案が出せる技量も無い。
もしダメだったら、自分の不甲斐なさを後悔するだけだ。
僕は静かに外へ出た。
外に出ると真っ暗だった。月明かりと家の明かりが頼りである。
どこにいようか迷いながらソリーサさんの家を振り返る。
不意に視界に入った二つの大きな影に僕は驚き、大きな声を出しそうになった。
肩を震わせて、歯を食いしばってその影を凝視する。
そこには黒い服に身を包んだ男性が二人立っていた。
この村には似つかわしくない高級感あるスーツに、ばっちりと決められた髪。
背も高くて凛々しい。暗くてちゃんと見えてはいないが男の僕でもかっこいいと思える男性たちだった。
二人は僕をちらりと見て、特に反応も無く視線をまっすぐ前に戻す。
軽く足を開き、手を後ろに組んで微動だにしない。
なんだこの二人は?と思って、すぐにウィルコさんのお供か何かだと察した。
ウィルコさんも裕福な雰囲気を持っているし、一人で船に乗ってここまで来る感じでもないので当たっているだろう。
追い出された僕と話をしてくれる感じでもない。
僕は何気なくふらりと少しだけ歩いてみる。
すると、窓からソリーサさんの頭が見えた。
その窓の光に吸い寄せられるように、僕はゆっくりと近づいていく。
家の中から僕が見えないように窓の横に立ち、壁にもたれかかって少しずつ腰を下ろす。
盗み聞きは悪いことで、さすがに家の中の会話が聞こえてくることは無い。
でも聞いちゃいけなかったことが聞こえてくるかもしれない。
天使と悪魔を戦わせながら、僕は耳を澄ませていた。
どういうつもりか、あの男性たちは僕を気にしていないようだ。いや、もしかしたらすでに警戒されているかも?
どうあれ、僕にはこれ以上できることは無い。静かに内へ入れてもらえるのを待つだけだ。
こういう時、他の新聞屋だったら煙草の一本でも吸っているのだろう。
何度か僕も試してみたけれど、吸いたくなるものにはなってくれなかった。
だから煙草は持っていない。だけど、もしかしたら何かの役に立つかもしれないとマッチだけは持ち歩いている。
一本だけ火をつけてみようかと思ったが、万が一を考えてやめた。
勇者のこと以外で僕が大胆になることはほとんど無い。




