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第二話『天墜の勇者』



世界は、滅亡の淵に立たされていた。


精霊種と人間の戦争が終結してから、十年。

あまりにも長く続いた争いに疲弊した世界は、ようやくその傷を癒やしつつあった。

人々は、平和という名の幻のような日々を噛みしめながら、生きることの意味を取り戻していた。

だが――その平穏は、あまりにも儚く脆かった。


それは、まるで天の怒りが具現化したかのように、突如として現れた。


七つの災厄。

それは伝説や寓話の中にしか存在し得なかったはずの、魔力の塊のような存在。

人々は彼らを《魔王》と呼び、恐れ、憎み、そして抗おうとした。


だが、抗うにはあまりにも遅すぎた。


世界の中央、諸王国と精霊の諸国が入り乱れる《大地の交差点》に、七つの魔王は同時に現れた。

その登場とほぼ同時に、幾多の都市が灰と化し、王たちは玉座を失い、軍勢は大地ごと焼き尽くされた。


精霊国――シルメアーレ・エルフィニアも例外ではなかった。


最初に姿を現した魔王、それは巨大な、あまりにも巨大な竜だった。

漆黒の鱗に覆われ、夜空を飛ぶその姿はまるで一つの大陸が空に浮かんでいるかのよう。

その名は、いずれの国にも記録されていない。だが、目撃者はただ一様に、それをこう呼んだ。


――《黒の竜王》


彼は、シルメアーレ・エルフィニアに至るまでの六つの人間諸国を、わずか三日で滅ぼした。

軍も防壁も、そして最強と謳われた防衛術式すらも、一瞬にして焼却した。


そして今――


「魔方陣展開! 追撃魔弾、構成急げ!」


淡い光の円環が広がった。その中心から浮かび上がる紋章は、次第に蒼い炎を灯していく。


「駄目です、姫! 結界層が溶けています――!」


上空の結界に、黒いひび割れが走った。音もなく砕け落ちるその光景に、誰もが息を呑んだ。


「対竜種封印術式は!? まだ完成しないのか!」


その日、空は灰色に染まり、風は戦場の血の匂いを運んでいた。


「全軍、前衛を後退させて。距離を取らせなさい!魔導大隊、全砲列の詠唱を急がせて!」


戦場の指揮を執るのは、第三皇女アストリッド・セレニヤ・シルメアーレ。銀白の髪を風に揺らしながら、彼女は必死に戦局を支えていた。


だが、絶望はすぐそこに迫っていた。


エルフの誇る高位魔法も、巨竜の圧倒的な魔力を前にしては、焔が紙を焦がすようにかき消されていく。巨大な黒い影が吐き出す、全てを焼き尽くす咆哮――それはただのブレスではない。大地が裂け、空が軋み、まるで世界そのものが竜に膝を屈するようだった。


戦場は、混乱と絶望に支配されていた。


青白く発光する巨大な結界の内側で、魔法陣がいくつも浮かび、エルフたちの詠唱の声が飛び交っていた。

空には、黒い影――《竜王》が飛んでいる。全身を覆う鱗が、雷のように魔力を放ち、口元には灼熱の光が灯っていた。


その口から放たれる一息が、都市一つを吹き飛ばす。

その咆哮は、精神を砕き、空間を裂く。

あらゆる魔法が無力だった。どれほど精緻な術式を組んでも、その巨体には届きすらしない。


――まるで、世界そのものが敵になったかのよう。


アストリッドは、王都上空の観測塔にてその光景を見下ろしていた。

淡銀の髪が風になびき、蒼い瞳が、悲壮なまでの覚悟を湛えている。


「……父上、姉上……すでに前線は失われ、逃げる場所などどこにもありません」


震える唇を噛みしめ、彼女は頭を垂れた。


自分たち精霊種は、長くこの国を、この森の守ってきた。襲い来る支配者を全て打ち滅ぼして。

だがそれも、もう昔の話。今、この瞬間――滅びるのは、彼女たちの側だった。


竜王の口が、再び開く。


光が、集まる。

熱が、世界を焼く。


エルフたちは、それでもなお詠唱をやめなかった。

たとえ意味がなくとも、無意味であろうとも。抗わなければ、希望は得られない。


そして、光が――放たれようとしたその瞬間。


閃光が、落ちてきた。


アストリッドは、空を見た。

竜王の巨大な頭部、その中心めがけて、一筋の光が、流星のように降下してきたのだ。


「……何……?」


誰かの魔法か。

あるいは、何者かの最後の一撃か。

だが彼女は、それを直感で「違う」と感じた。


そして――


「……ッ!!?」


天が割れた。


竜王の咆哮が、天地を震わせる。

それは威圧でも怒りでもない――苦悶の咆哮だった。


そのとき、アストリッドはふと、竜の鱗に奇妙な違和感を覚えた。

漆黒の鱗が、どこか妙に“乾いて”見えたのだ。

本来なら魔力の奔流で濡れ光るようなはずのそれが、まるで力を失ったかのように――鈍く、脆く。

目を凝らせば、そこには明らかに“何かおかしい”気配があった。


鱗が剥がれ落ち、肉体が内側から膨れ上がる。ひびが走り――


「な、何が……何が起きているの……!?」


爆発。


無数の目が、それを見ていた。

誰もが、竜王に何が起きたのか理解できなかった。

ただ、彼が――内部から崩れ墜ちていくということだけが、確かな事実だった。


竜王の咆哮がやがて消え――黒い巨体が、轟音とともに大地へと墜落する。

アストリッドの目の前に、それは墜ちた。


地鳴りが世界を揺るがす。

竜の巨体が地に激突し、土煙が空を覆い、戦場は一瞬にして静寂に包まれた。


――そして、その中心に。


竜の崩れた腹部近く。熱と血の混じるその泥濘の中に、一人の人間が倒れていた。衣服は破れ、血に塗れ、その呼吸すら途絶えそうな状態。それでも、確かに生きていた。


報告を受けたアストリッドは、驚愕を隠せなかった。


(あれは……人間?なぜ、あの場所に?落ちてきた……あの人が、あの竜を――?)


精霊も人間も、これほどの奇跡を起こせる者など知らない。だが、目の前の現実がそれを否応なしに認めさせる。


「……天より墜ちた勇者……」


アストリッドは思わず、そう呟いた。天が遣わした希望か、あるいは更なる災いか。まだ判断はできなかった。


「この者を……すぐに救護へ!」


この謎の人間が、竜を落とした奇跡の立役者であると信じて。いや、信じたいと願って。


彼女は、天から墜ちたその者に、運命を賭ける覚悟を決めた。


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