00話後編 プロローグ2
「ごめんなさい!!」
あれから小一時間程立っただろうか、森の中に、平謝りする声が続いていた。ロタの声だ。
ここは、街の近くの森の入口付近にある川である。周りを木で囲まれ、適度に広く深いところもあるので、ここにはよく水浴びをしにくるのだ。
スープによって汚れた服と身体を洗うのと、再度痛めた左側頭部を冷やすために来たのだが、ずっと機嫌の悪そうな表情をしているシルフィーネに、ロタは、只ずっと平謝りをしていた。
実は、シルフィーネは怒っているのでは無く、あの時の少女のような声の事を考えていたのだが・・・、まぁ、たまにはいい薬と、ロタに対して少々冷たい扱いをしていたのではあるが・・・。
ロタに背を向けたまま、ザパン!と服を着たまま、頭の先まで水に浸かり、ゴシゴシとついたスープを洗い流しながら、痛めた左側頭部を水中でさすり冷やした。
何を見つけたんだろう・・・そして、どこから聞こえたんだろう…
不可解だった、空耳にしてははっきりと、現実にしては弱々しいその声が頭の中から離れない。
何だったんだろう・・・、そう考えていると、
ゴポゴポゴポ
強い水音が聞こえて、いきなり後ろに強い力で引っ張られる。
"グエッ‼"
声にならない声が水中で更に声にならずに、ガポガポと空気の吐き出す音が聞こえた。
"え、え~"
何が起こったか判らない状態で水面から飛び出した刹那
「大丈夫か!!」
ロタの大声が聞こえた。
"へっ?"
あまりにも激しい動きに、ゴホゴホとむせ返しながら、改めて状況を確認すると、ずぶ濡れのシルフィーネが、背後からロタに抱きかかえられて、浅瀬に持ち上げられていた。
「大丈夫か!」
再度大声で、シルフィーネを正面に抱き直し体を揺すりながらロタが言った。まだ頭の痛いシルフィーネには、辛い大声だ。
「・・・なに・・・? 何があったの…?」
何が何だか判らないシルフィーネが涙目になりながら、少女のような か細い声でで、ロタにそう言った。
「は?」
なぜか、険しい顔をしたロタが、一瞬間の抜けた表情になり、少々安堵した表情で、ヘタヘタとしゃがみ込んだ。
「よかった~、溺れたかと思ったよ~」
ゆっくりとシルフィーネを抱きしめながら情けない声を出した。
どうやら長考し過ぎたらしい。あまりにも長く水に沈んでいたので、溺れたと勘違いしてシルフィーネを引き上げたとの様子だ。
ロタらしいや・・・、クスッと笑みを浮かべてその状況に納得した。
ゴメン・・・と、シルフィーネは言おうとしたのだが、・・・なにかおかしい、だんだんと苦しくなってきた。ロタが、あまりの感動のあまり、力加減なしにシルフィーネ抱きしめていたのだ。
ギシギシと、締め付けられ、声も出ない状況に、再度、ああ・・ロタら・・・し・・・い・・と思った。
水中で、溺れなかったのに、陸地で酸欠になりそうになりながらもがくが、ロタは自分の世界に入っているらしく「良かった~」と繰り返していた。
"よ・・・くない・・・ああ・・・、本当に・・・意識が・・・遠くなっ・・・てき・・た・・・。"
上を見上げるしかない状況で、目に映る空がグルグルと回り始めた。
もうだめだ・・・、そう思った時、
パシッ!
「殺す気か!」
小さくはっきりとした口調でそういいながら、カレンが背後からロタの頭を右手に持った黒い布で強めに叩いた。
「痛ってー」
そういいながら、頭をおさえるためにシルフィーネから手を離すロタ。
"ああ…助かった・・・"
そう思いながら、力なく倒れながらも、やっと呼吸が自由になったので思い切り空気を吸い込み始めたのだが、
ザパーン
まだ川の浅瀬にいた為に、倒れた先が水中となり、強く吸った後半が空気ではなく水になってしまった。
立てば膝までも無い浅瀬で、シルフィーネは自分がどんな体勢になっているのか理解できずに、
もがき、溺れかかった。
やっとの思いで、水中から顔を出し、両手を川底についた状態でしゃがみ込んだ。
ゴホゴホとむせ返しながら、長い間まともに吸い込めなかった空気を適度に吸い込み、何とか一息ついたところで、全身ずぶ濡れのまま、ただ水面を凝視し、低く唸るような声で、
「こ~ろ~す~気~か~」
なまじ睨まれるより恐怖が走った。
事の悲惨さを理解したロタは、「アワワ・・・」とゆっくり後ずさる
呟き終わると、首から下は全く動かさず、ゆっくりと、まるで機械仕掛けでも見るように、首から上を小刻みにゆっくりとロタに向ける。
見えるはずのない怒りのオーラをロタは感じた。
「ごめんなさーい!!」
森中にロタの声が響いた。
「全く、もう!」
無残になった紅いワンピースから、カレンが宿舎から持って来てくれた黒いワンピースに着替えたシルフィーネは、手頃な木陰でまだ湿っている髪を櫛でとき始めた。
「カレンが来てくれなければ、本当に死んでたわ!」
身なりを整えながらブツブツと愚痴をこぼすシルフィーネ。ふと、川の方に目をやると、素っ裸で水浴びをしているロタと、それを眺めるカレンの姿があった。
「あーら、さすが、ジルの惚れた胸ねぇ」
「うるさい!見るな!」
「いいじゃん、減るもんでも無いしー」
そんな会話が聞こえてきた。
"まぁ、落ち込まれるのも困るが、反省の色の薄いやつだねぇ・・・"
軽い苦笑いをしながら立ち上がった、その時、
ビューン‼
と強い風が吹いた、どこから吹いたのか、少々生温かいその風は、せっかく櫛でといたシルフィーネの髪を一瞬でボサボサに変えた。
ちょっとの沈黙の後、
「んもー!!やになっちゃうなぁ」
と言いながら、再び櫛で髪をとこうとした時、もう一度強い風が吹いた。
その生温かい風を、やり過ごそうとした、刹那、
まるで、頭を殴られたかのような強い衝撃が襲ってきた・・・そして、
"見つけた!!"
しゃがれた野太い声が頭の中に響いた。
まるで、世界がグルグルと回っているような、気分の悪くなる感覚の中、その声は繰り返す。
“見つけた!!、見つけた!!“
強く頭の中に響くその声は何度もその言葉を繰り返す
「何を・・・」
力なくつぶやいた・・・、それが精一杯だった。
シルフィーネは、その場に力なく倒れた。その様子に気づいたのか、カレンとロタがこちらに走ってくるのが見えた。
"見つけた!!、見つけた!!“
意識と共に小さくなってくるその声はまだ続いている、だんだんと、遠くへと遠ざかるその声を聞きながら、意識が無くなるのを感じていた。
"見つけた・・・"
最後に聞こえたのは、しゃがれた声ではなく、街で聞いたあの少女のような声だった。遠くへと行ってしまった不快なあの声とは違い、耳元で囁かれたように近くに聞こえたその声を聞き、何故か安堵し、そのまま気を失った。
「だ・・・れ・・・?」
最後にそう呟きながら…
ロタが水浴びしているのをカレンがじっと眺めている。
「あーら、さすが、ジルの惚れた胸ねぇ」
ちょっと冷やかし気味に言った。
「うるさい!見るな!」
「いいじゃん、減るもんでも無いしー」
軽く言い合った後、カレンは、自分の胸を眺めた。
小柄なカレンに見合った膨らみがそこにあった。
急に沈黙した様子に気づき、今度はロタがカレンを冷やかし始めた。
「あーら、あんたの愛しのミィ君は、あんたのどこが好きか言ってくれないの?」
意地の悪いニターとした笑みを浮かべながらカレンに聞いた。
「ミィじゃない、ミイルス!」
カレンが顔を赤らめながら反論した。
「いいもんね‼ミイルスと私は外見じゃなく、内面が好きなんだから‼」
めずらしくカレンがムキになってきた。
"ああ、胸はそれ程、お気に入りでは無いって事ね…"
鈍感なロタにもそれは分かった
その時、ちょっと強めの風が吹いた。
風上に目をやると、シルフィーネがボサボサになった髪を触りながら、愚痴をこぼしている。
それを見てカレンは、クスッと笑った。すると、髪を櫛でとこうとしていたシルフィーネが、突然頭を抑えながら悶え始めた。
「ちょ・・・、おかしくない・・・あれ・・・」
一瞬にして笑みが消え、緊迫した表情に変わったカレンは、ロタにそう言って、シルフィーネに向かって走り始めた
「ちょっと!フィーネ!大丈夫?」
カレンのその声に応えることなく、シルフィーネは、糸の切れた人形の様に地面に倒れた。
「だ・・・れ・・・?」
あまりにも小さいその声はカレン達には届かなかった。
「なんで"シィル"なの?」
いつものように円卓で三人が食事している最中に、不意にカレンがロタに言った。
「お前こそ何で"フィーネ"なんだよ。」
「あら、だって、"フィーネ"って可愛いじゃない。」
「なんでだよ、"シィル"の方が呼びやすいだろ!」
比較的、不毛な会話が目の前で行われているのを見て、シルフィーネは、苦笑いした。
"なぜ、"シルフィーネ"ではいけないのだろうかねぇ・・・。"
そんなことを思いながらロタとカレンを呆れた眼差しで眺めていた。
当の本人の前で交わされる討論はまだ続いているが、シルフィーネの意見を聞いてくれる気配ではなさそうなので、愛想笑いに似た苦笑いを浮かべながら、聞き流すこととした。
"まぁ、自分がどう呼ばれようとも、名前なんて記号みたいなものだから、自分がわかればいいんだけどなぁ・・・"
名前なんて…誰も気にしないわ・・・。そう思った時期・・・寂れた集落でなんとか食い繋いでいた幼少の頃が頭をよぎった。
"まだ、そんなこと覚えていたんだなぁ・・・"
軽く自嘲した。
「じゃぁ、俺が"シィル"って呼んだら、お前が"フィーネ"って呼べば、丸く収まるんじゃねーか?」
「まぁ、そういうこともありかもね・・・」
シルフィーネが、ちょっとしんみりとしている最中に、強引な結論をロタが切り出した。
「えっ!ええ~!!」
聞き流すことを決めた筈だが、大幅に予定外な結論に思わず声をあげた。
「そこまでやって、なんで"シルフィーネ"じゃないの~!!」
なにか、自分が渦の中に流されるような、そんな落下にも似た感覚がシルフィーネを襲った・・・
シルフィーネは、宿舎のベッドで目を覚ました。
「夢?」
見慣れた天井を眺めながら、そうつぶやいた。
なんであんな夢見たんだろう…と、軽く悩んでいると、
「あっ、気が付いた?」
シルフィーネの様子に気づいたのか、部屋の隅にあるテーブルで編み物をしている女性が声をかけてきた。
半袖の紺色の服、深い緑色のスカート、肩よりも伸びた銀髪をポニーテールに纏めた中背の女性を確認しシルフィーネは呟くように名前を呼んだ
「ジーナ・・・」
ジーナと呼ばれるこの女性は、 三人の子供を持ついわゆるパートのようなアマゾネスなのだが、とても面倒見が良いのと、通常の人にしては体術もこなせるということで、隊長を務めている。
「ひどい打ち方をしたんだねぇ…。頭を押さえながらうなされてたよ…。」
コップに注いだ水をシルフィーネに渡し、心配そうに声をかけてきた。
シルフィーネも、まさか、名前の呼ばれ方の夢を見ていたとは言いづらいのだが、コップの水を半分ぐらい飲み、ゆっくりと答えた。
「あ、いや、ちょっとおぞましい夢を見ていた・・・みたい。」
"ん、いや、間違ってない。嘘は言ってないよね・・・。"
頭の中でそう思いながら、にっこりとジーナに笑みを浮かべた。
「あーそうなんだ、ロタの名前を呼んでたから、てっきり、皿をぶつけられた時の夢を見たんかと思ったわー。」
"あー、そこまで知ってるんだー。"
笑いながら、そう思った。
「あ、あー、そう、ロタがね、えーと、ロタが・・・。」
そこまでして、夢の内容を秘密にしなくても良いのだが、なにか、言ってはいけないという観念になってしまい、いろいろと考えた結果、
「ロタが、口から…バラを出す夢を見たの…。」
何言ってんだろう・・・。軽い自己嫌悪を感じながら握りこぶしを顔の前に出し、必至の形相でそう言った。
ジーナは、キョトンとしながら、目をパチクリとさせた。
「バ・・・ラ・・・?」
「そ、そう、たくさんのバラ!」
こぶしはそのままに、ハッキリと答えた。
たくさんのバラ・・・、そう言われても・・・、何を想像していいのかジーナは困った、焦って、普通のバラのイメージが出来なくなってしまった。
規格外の大きさのバラ?それとも、蟻のように小さいのかな・・・?いろいろと思考錯誤した結果、手品の国旗のように、ツタで繋がったバラが連続して口から出てくる想像に落ち着いた。
「え・・・っと、そ・・・れは、おぞましいねぇ・・・。」
ジーナの精一杯の返事に聞こえた。
しばし乾いた空気が周りを襲った。
その時、ちょっとの気まずい雰囲気と、沈黙を破壊するように、無造作な足音が近づいてきた。
「あー、ロタ達が帰ってきたみたいだね。」
現実に引き戻されたジーナが、何事もなかったかのようにドアの方に視線をやった。
ちょっとして、勢い良くドアを開けるロタと、その後ろに静かについて来ているカレンの姿があった。
「あ、気づいたのね、フィーネ!」
「シィル、見舞いにバラ持ってきたぞ!」
良かったと安堵するカレンのあとから、ロタが嬉々とした表情で、手に持った紅いバラ一束をシルフィーネに見せながらそう言った。
「え~!」
シルフィーネは、どうにもならない表情でロタ達を見つめた。
「あっはっはっは、正夢ってあるもんだねぇ、」
その状況を見て、ジーナは腹を抱えて大笑いし始めた。
状況がつかめずに、ロタとカレンはキョトンとしてお互いの顔を見合わせた。
シルフィーネはというと、いろんな意味で複雑な気持ちを抑えながら苦笑いしていた。
今日の日は平和にすぎて行った。
「うーん、なんかいろいろあったけど、寝不足も解消されたし、まぁ良しとするか・・・」
夕食を取り、ジーナが帰った後に、シルフィーネは大きく背伸びをして今日を振り返った。
"うん、まぁ明日から、頑張るか!"
明日は朝から勤務なので、早く寝よう!そう思った刹那、
コンコン・・と、ドアをノックする音が聞こえた。
シルフィーネは、とても嫌な予感がした。
「だれだろう?」
と呟きながら、カレンがドアを開けた。
「シルフィーネ様・・・、シャルロット姫が・・・、お呼びいたして・・・おります・・・。」
恭しく、申し訳なさそうな口調で、シャルロットの侍女がシルフィーネを呼びに来た。
シルフィーネは、強い目眩に襲われた・・・・・。