00話前編 プロローグ
ゼルギノ暦463年、大陸ゼルギノは、
王国ゼルギルフを中心に栄華の夢のごとくに栄えていた。
カツン、カツーン
だだっ広い石畳の廊下を歩く二つの女性の人影がある。
ここは王国ゼルギルフの王城の傍らにある女宮城と呼ばれる王妃や姫の為の
女性だけの城である、
ここに入城できる男性は、王と乳飲み子の次期の皇子のみであり、いわゆる大奥であるこの城で働く者はすべて女性であり、この城を守る為に配備されている衛兵もまた女性のみで構成されている、兵士である彼女たちは、アマゾネスと呼ばれていた。
カツン、カッ!
豪華な扉の前で足音が止む。目的はこの部屋のようだ。
「お入りなさい・・・・」
少々甲高い可愛らしい声を確認すると、今まで先導してきた女性が扉を開ける。
ほぼ全てが白い装飾に飾られた広い部屋が目の前に広がる。暗かった廊下とはうって変わった まばゆい部屋から目が眩むほどの灯の光が廊下に放たれた。
廊下に漏れた明かりに照らされたのは、一見華奢な腰まである長い黒髪の美人であった。装飾の少ない足首まである紅いワンピース、あまり肌を露出したくないのか、付け足したかのような手首までの長い袖、そこから見える少し日焼けした腕には、かすり傷のような傷跡がいくつか見える。
「待っていましたわ、戦士シルフィーネ。」
部屋の中には、栗毛色で縦ロールのかかった長い髪、白いネグリジェをまとった、これまた白く透き通るような肌の10歳くらいの少女が目に飛び込んできた。
髪の毛の色が無ければ、まったく、この白い部屋に溶け込んでいる。
「お呼びですか?姫。」
恭しく一礼する。シルフィーネの黒くさらりとした長い髪が前へと垂れ下がる。
「ええ、今夜はなかなか眠れないの。・・・だから、あなたのお話を聞きたくて・・・」
“ああ、”今夜も”眠れないのね・・・”
シルフィーネはそう思った。
姫の名はシャルロットという。
・・・このゼルギルフは王国には珍しく、皇子に恵まれ、国王のケヌギスは、姫がほしくてたまらなかったという程であり、25人目にして、やっと授かった女児がシャルロットである。彼女よりあと、三人の子供が産まれたが、全て皇子であった。だから、王、ケヌギスがシャルロットにかける情は並大抵なものではなく、実はこの女宮城はシャルロットと、多くの皇子を産み出してくれた正妃、側室のために造られたものである。
ケヌギスは男性禁制のこの城を造るにあたり、女性の近衛兵士が必要と、アマゾネスと呼ばれる女性兵士部隊を結成した。多くは国の腕自慢の女性たちであるが、平和な世で職を失った傭兵の姿もあった。
シルフィーネは後者の方で、若いながらもいろいろな国に行き、戦ってきた。
その経験からか、戦における経験や知識を持ち、また各国で伝えられる様々な物語や伝説なども良く知っていた。
シャルロットは、そんな自分の知らないことを知っているシルフィーネから、いろんなエピソードを聞くのが好きだった。
シルフィーネは、わくわくしながら自分を見つめるシャルロットをみて「はは」と愛想笑いをした後、彼女をベッドに寝かせながら毛布をかけると、自分は近くにあった椅子に腰をかけた。
「話ですか・・・・」
少し間をおいて、「よし。」と独りで相槌をし、シャルロットに向かい語り始めた。
「それでは、今日は、ある国の魔女の話を・・・」
「魔女って・・・?」
シャルロットは魔女というものを知らなかったらしい。シルフィーネはやさしく答える。
「私が魔女と呼ぶのは、不思議な魔法を使える女性のことです。」
「ふーん、ね!ね!それで・・・」
シルフィーネはシャルロットが動くたびに毛布をかけなおして、
” ”魔法って何?”って聞かれなくて良かったわ・・・・”
そう思いながら、話を続けた。
「この話は、私がメサルの国に居たときに聞いた話です・・・。」
「昔、・・・・百年以上の昔・・・・、サンという都市国家がありました。」
「都市国家って?」
わからないことがあるとシャルロットはすぐに聞き返し、また、そんなシャルロットにシルフィーネはやさしく答えた。
「大きな都市が、国と同じ様な政治をしていると、そう呼ばれるようになります。」
話はさらに続く。
「ある時、サンの長、メルテルスが、神殿の奥の棺に一人の女性が眠っているのを見つけました。」
「それが魔女ね。」
「そう、その女性は、とても強い魔法を使う魔女だったのです。」
シャルロットは固唾を呑んで聞いた。
・・・その魔女はフロールといい、魔界からやってきたというのだ。メルテルスは、まるで手品のような魔法を見て感動し、その不思議な力に野望を膨らましていった。
それから、フロールの魔力を武器にメルテルスの強硬な政治が始まった。都市国家として栄えていたサンは、彼による独裁都市と変わっていった・・・。
・・・二年後・・・強硬さと、それに伴った残虐さに耐え切れず、ついに市民が立ち上がる。
市民は、幾度と無く蜂起し、その3年後、ついにメルテルスとフロールを倒すことに成功した・・・。
・・・そんな内容の話が続いていた。
「どうやって魔女を倒したの?」
シャルロットが尋ねる。
「魔女の力を封印して、力を使えなくしたと聞いております。」
「封印って?」
間髪入れずに質問が来た。
「あまり詳しいことは解りませんが、フロールは常に、その魔法の源、魔力を魔界から引き寄せていたらしいのです。市民は、その魔界との境界から彼女に魔力を与えないように、壁のような物を造ったと聞いています。その壁のような役割を「封印」と言っているみたいです。」
その説明を納得いかないような渋い表情で聞いているシャルロット、今まですごい魔法を使っていた魔女が、なぜそんな壁一つ壊せないのか?壁というのは、どんな形なのか?疑問が沸いて来るが、語っている本人が、「詳しいことが解らない」といっているので、多分これ以上の説明は難しいのだろう。うーんと軽くうなりつつ、「ぬりかべ」の様な壁を思い浮かべ、納得しようという結論に落ち着いた。
なにやら質問をしたそうなシャルロットに気づきながらも、シルフィーネは話の最後を語り始めた。
「力を奪われた魔女は、死ぬ前に、こう言いました・・・。」
遠い眼差しをして、低い声で、シルフィーネなりにしゃがれた声色で最後の台詞を言う。
「『この恨み・・・この国が最も栄えし時・・・晴らして見せよう・・・・主らが子孫を繁栄から、恐怖の底へとおとしめてくれるわ・・・・・・』・・と・・・言い残しました。」
ここでこの話は終わる。
「ねぇ、ねぇ、それじゃ、恨みは晴らされたの?」
「へっ・・?」
いやいや、そんな事は聞いていないし、考えたことが無い。ただのおとぎ話みたいな物と思っていたから、そんな質問が来るとは思ってもみなかったので、シルフィーネは思わず聞き返してしまった。
「だって、その魔女の恨みが晴らされたか気になるでしょ。」
言われてみるまでは気にしなかったが、そういわれればそうなのかもねぇ・・・・と、この話を選択したことを反省しながら、何とか答えを探していた・・・が
「さあ、それは、どうでしょう?物語の続きは、私にも解りませんわ。」
正直にはぐらかしてみたところ、シャルロットのなんだか腑に落ちない眼差しが刺さってきた。
シルフィーネは、とりあえずクスクスと愛想笑いをしてシャルロットをなだめた。
「さあ、姫様、お話はこれでお終いですわ。もうおやすみなさいませ。」
・・・といっても、おとなしく寝ようとしない。もっと異国の話が聞きたいとダダをこねるシャルロットをみて、妥協案を提示する。
「仕方ありませんね。それでは、お話ではなく、子守唄など・・・・」
近くにあったハープを手に取り奏で始めた。それに併せて、透き通った歌声を披露する。セルシアという国の子守唄だ。
その美しい歌声にシャルロットは、いつしかうつらうつらと聞き入り眠っていった。
・・・・・どれくらいの時間がたったであろう。シルフィーネは寝静まったシャルロットを確認し、手を休めた。そしてハープにもたれかかって、静かに深いため息をついた・・・・。
なぜだろう、この数日間、昼の警備をしているのに・・・・なぜ夜に寝させてくれないのだろう・・・。
傭兵時代は、何日も寝ない事などはよくあったが、今はその時のように張り詰めた雰囲気ではないし・・・と・・・後ろ向きに考え事をしている自分を制止して、
「早く寝ましょ・・・」
そう呟き、すやすやと眠る王女様のシーツを静かに直すと、音を立てないように純白の部屋を後にした、
この季節夜明け前に見える「二首龍星座」を空に確認して、とぼとぼと宿舎を目指した。
自分の部屋に帰ってくると、豪快ないびきが聞こえてきた。同室のロタのいびきだ。
この部屋は3人部屋で、もう一人カレンという同居人がいるのだが、外まで聞こえるこの騒音にも怯まずスヤスヤと眠っていた。いつもの風景ながら、すごいなぁと軽く感心しながら、暗い室内を自分のベッド目指して小早に歩いた、もう眠い・・・ただその想いでベッドに勢い良く突っ伏した。
――――ゴツン―――――
シーツにあるまじき固い物がシルフィーネの左側頭部を襲った。
痛みのある頭を抑え、声にならない唸り声をあげながら小さくうずくまる彼女の左手に硬い物体が、
「なんだよ~、これ~」
ようやく出た情けない呟きをだしながら、それを確認する。・・・酒瓶だ・・・
「ロタ~」
さらに情けない声を、いびきの主に向けて発したものの・・・返事があるわけでもなく、ただ豪快ないびきにかき消されてしまった。
これ以上は無駄と判断したシルフィーネは、予定外の外敵要因からの頭痛と戦いながら寝る事にした。
―――ズキン、ズキン――――
けっこう強めの頭痛をこらえながら、羊を数えながら何とか紛らわそうとする。
「羊が一匹・・羊が二匹・・羊が・・・」
何匹数えたかはシルフィーネも判らなかったが、200匹を数える前には、その声も寝息に変わっていた。
そんな中でも容赦なく、夜はうっすらと明けて行った。
チュンチュンと雀の鳴き声が聞こえる。朝である。この時間は、兵士より城内の使用人が慌しい時間帯である。
「ほら、フィーネ起きなさい!!」
少し薄暗い部屋の中で、やっと寝付いたばかりのシルフィーネをおこそうと声をかける女性がいる。
やや日焼けのかかった麻色の肌をした細身の小柄、服装は黒いワンピース、天然パーマのかかった短い黒髪をした女性だ。
「ん・・・、もうちょっと、寝かせ・・・て・・・・」
抵抗を見せるシルフィーネに、もう一度今度はシルフィーネの体をゆすりながらトライする。
「起きろったら!」
「ん・・・・」
失敗に終わって「まったく・・・」と軽い溜め息をついた直後、彼女の背後から声が聞こえた。
「どきな、カレン。」
その低くはきはきとした声に彼女は、
「へっ・・・?」
と返すのがやっとだった。
小柄の女性・・・カレンは、声のするほうをゆっくりと振り返った。そこには肩まであるストレートの赤髪に、そばかすの目立つ頬、白い肌をした肩のあらわになった麻のタンクトップシャツに、赤い短パン姿をした筋肉質の大柄の女性が毛布を手ごろな大きさに畳んでいる。
「いや・・・あの・・・・ロタ・・・・何をする気なの・・・・?」
ロタと呼ばれた大柄の女性は、見るからに筋肉のある腕を軽く振って、
「決まってる!」
と短めに答え、シルフィーネのベッドと逆の壁にゆっくりと歩いていく。
「ちょ・・・、ちょっとフィーネ、早くしないと・・・ちょっと~!!」
しかし、前と同様にそれは無駄な掛け声となった。シルフィーネにしてみれば、寝付いたばかりだからしょうがないのだろうが、同室の彼女たちは、そんなことは知らないのだ。何とか無傷でおこそうと必死になるカレンの後ろから、殺気の無い危機感が迫ってきた。その危機感を感じ、カレンは横に避けた。ロタがダッシュでこちらに近づいてきたのだ。
「シィルー起きろ!!」
―――バチーーン――――
かなり残酷な音が部屋中に響いた。ロタの振った毛布が綺麗にシルフィーネの左側頭部に命中したのだ。
ベッドに腕を振り下ろしたままのロタと、怖いものを見ないように頭を押さえならしゃがみこむカレン、その風景のまま、しばしの静寂があった・・・・・。
「・・っ・・・・てーーーーーー!!」
シルフィーネが目覚めた。キーンとする頭を押さえつつ、ある程度の内容を把握した。
「何すんだよ!!ロタ!!脳みそプーになったらどうすんだよ!!」
「うるせー!!また朝飯喰いっぱぐれるぞ!!」
間髪入れずに返された言葉に冷静に思考をめぐらし、答える。
「う、それはいかん・・・」
とりあえず、三人は朝食を目指すこととなった。
50人ほどの定員の食堂の片隅で三人が取る朝食は、お世辞にも美味しそうではなかったが、
この国では一般的な朝食メニューだ。
10cm角くらいの少し硬いパン一切れと、ジャガイモのスープ。
ゆっくりと食事を取りながら、ロタが会話の口火を切る。
「今日の勤務は昼からか・・・、しっかしよぉ、毎回思うけど、この勤務体制に対して人が少なすぎだよなぁ。」
珍しく、雇用のされ方に話題を持ってきた。
ロタとカレンはシルフィーネと同じく傭兵の出で、大柄のロタは見た目道りの力自慢の剣士。いつも明るく、じっとしていられない性格で、自称「かよわい女の子」・・・らしい・・・。
小柄のカレンは、傭兵のころから、剣では右に出るものがいないと言われるほどの剣技の持ち主である。人見知りする方だが、シルフィーネとロタとは気が合うようだ。
「そうね。この人数で半2謹交代ってのは正直つらいわね。」
まじめな話題にカレンが返す。
「あと、20人くらい増やして完全な三勤交代になんねぃかなぁ・・・」
そんな会話を聞きつつ、シルフィーネも何かぼやきたかったが、面倒そうなのでパンと一緒に言葉を飲み込み、暫く二人の会話を聞いていた・・・。
「・・・よし、街に行くぞ!!」
シルフィーネがスープを飲み干したのを待っていたかのように、ロタの嬉々とした発言が出た。
「へっ・・?」
きょとんとした返事に巨体の女性がが少々呆れ顔で言い直す。
「だからぁ、街に行って、喰い直すんだよ。」
「いやだ!!帰って寝る!!」
間髪いれずにした返事に、椅子から立ち上がったロタからの バッサリとした返事が返ってきた。
「だーめ。あんたが来ないと安売りしてくれないやつらがいるからねぇ。」
ニカッとしたその笑顔が近づいてきたので、シルフィーネは咄嗟にテーブルにしがみついた。
「いーやーだ!!もう眠いんだもん!!寝させてよ!!」
「だーめ!」と言いながら、すでに駄々っ子と化したシルフィーネをロタは片手でテーブルから引っぺがし抱え込んだ。さすがに力ではロタには敵わない。半分涙目になりながら、カレンにすがった。
「カレーン・・・」
その助けを求める声にカレンは、にっこりと笑ってやさしく答える。
「まぁ、あきらめて・・・」
「えぇぇぇぇ…」
二人にずるずると引きずられていくシルフィーネの様を、食堂にいる人たちは呆然と見送った。
太陽はだいぶ昇っていた・・が、まだ昼までには時間がある。
街は、朝の静けさからは一転、人ごみにあふれ、賑わいをかもし出している。
「へい、らっしゃい」
「やすいよー」
あちこちから景気の良い声が聞こえてくる。
ここはゼルギルフの城下町、物流と商売の街であり、大きな荷物を手押し車に載せて行き交う者もいれば、屋台で買い物や冷やかしする者など、多種多様な人々が街を埋め尽くしていた。
「こっちにシャウンおかわりだ!!」
街の中央からちょっと離れたところにある料理屋「ティタン」には、小さな人だかりが出来ていた。
「まったく、よく食うなぁ・・・」「すごいなぁ・・・」「オレもおかわりだー!」
などと、人だかりから感心する声や、対抗する声が聞こえる。
・・・その中央には、店の前にあたかもオープンテラスのように並べたテーブルがあった。
そして、その中央の円卓には・・・・
「ホイよ、ロタ!シャウン大盛り!!」
ウエイターの銀髪の青年が、りんご大のパンを大盛りに乗せた大皿をロタの前に置いた。
この国では一般的な揚げパンの事を「シャウン」といい、各店ごとに味や形が違うのだが、ここのものは食べ応え重視で、安く大きくがモットーであり、ロタが選んだのもそれが理由なのだ。
置かれたばかりの熱々の揚げパンをここぞとばかりに頬張るロタを見て、
「ジル!こっちにもシャウン大盛りなー!」
「おい、ジル!こっちにも‼」
さらに周りの男達が競っているかのようにシャウンを注文するのだ。
その様子を横目に必死に揚げパンを作る店長のアーグは
「いやー、ロタが来てくれると売り上げが上がるわ‼」
と、うれしい悲鳴をあげていた。
周りの状況もお構いなしにただひたすら円卓の上に乗ったシャウン頬張り続けるロタの右隣には、ちょっと恥ずかしそうに小皿に乗ったドライフルーツをゆっくりと頬張るカレンの姿と、さらにその隣には、そのドライフルーツにも手を付けずに、突っ伏して眠っているシルフィーネの姿があった。
「ジル!シャウン大盛りな!スープもつけてくれ!」
大盛りにあったはずのシャウンが皿の上にあと二つになったところで、ロタがそう言った。
「おー!」
まわりから歓声がおこる。明らかに対抗している男共よりもペースが早い!
「アイヨー」
二つくらい離れた席で注文をとっていた銀髪の青年は、景気良く返事すると笑顔で何やら店長に指で合図した。それを見た店長は苦笑いしながら揚げパンを揚げ始めた。
「ジルも良く働くわよねー!夜勤明けでしょ」
カレンが感心しながら呟いた。
「ふーん、そーなんだー。アイツ要領イイから、サボって寝てたんじゃないか」
関心なさそうに口をモゴモゴしながらロタが答えた。
「もうちょっと気にしてあげないと、あんたら付き合ってるんでしょー」
意地の悪い笑みを浮かべてカレンが返した。
「そ、そんなんじゃない!あいつから言いよってきてるだけ!!」
「あーら、でもあんたも満更でもないんでしょー」
フフンとした意地の悪い笑みのままカレンは小声でロタに訪ねた。
その言葉を聞いた途端、ロタの冷たい視線がカレンに向けられた。少々殺気じみたその視線に、カレンは少々あせっていた。
「なんて言ったと思う?」
「は?」
難しい質問がやってきた。主語がない。
「あいつに、私のどこが好きなのって聞いたの!!」
「あー、そういうことね」
なんとか主語がわかったが、答えがなかなか思いつかない、
"っていうか、それって普通の男女の会話よねぇ、なんでこんなに殺気が・・・"
そして「何があったんだろう」という考えがグルグルと頭を支配してきた。
「何て言ったと思う!!」
今まで喰うに専念していた大女が、その巨体を繰り出して小柄なカレンの前に詰め寄った。
「さー、何て言ったのかしら・・・」
冷たい視線を受け、意地悪い笑みから焦りながらの愛想笑いになったカレンには、そう答えるのがやっとだった。その時・・・
「胸だ」
ロタの背後から、きっぱりとした男の声が聞こえた。
「そー、胸・・・だっ・・・」
一瞬、時間が止まったかのような静寂があった。
答えの声の主がカレンでないことに気づいたロタは後ろを振り向いた、そこにはロタの注文した大盛りシャウンを持つジルがいた。この状況に固まったかのように動かない二人の視線をよそに、静かにスープとシャウンの皿をテーブルに置き、言葉を続ける。
「この胸に惚れた!」
唖然とするカレンと対象的に、ワナワナと震えながら、そばかすのある白い表情がみるみるうち真っ赤に染まっていくロタ。
"まぁ、確かにロタは、背が高くて体格がしっかりしているから、なかなかそこに目がいかなかったけど……、確かに胸大きいよねぇ。"
なんてカレンが思っていると、ジルの人差し指がロタの胸をぷにぷにとつつき始めた。
「そう、この胸」
ぷにぷにとさわる動きはまだ続いていた。
"あー、なるほどー!少ない乙女心が、傷ついたのね…"
カレンは何となくそんな気がした。
刹那、ガシャーン‼と、大きな音が響いた。我にかえったロタが立ち上がってジルに殴りかかったのだ。
大振りのその拳をするりとすり抜けるジル。その拳の行き先にあったテーブルは真っ二つに破壊された。
「よけるな!!」
耳まで真っ赤にしてロタが叫んだ、
「いやー避けなければ死んでるよー。」
ペロッと舌を出し、更にからかいながらジルはそこから逃げ始めた。
「待てー!この野郎!」
ジルの置いていったシャウンを一つほおばりながら・・・、「激しい鬼ごっこが始まった・・・」少なくともカレンはそう思った・・・。
あちこちで激しい音を響かせながら、ロタは拳を振り回してジルを追いかける。また、ひょうひょうとそれをかわしながらジルは逃げた。
「なんだい、二人で食後の運動かい?」
「おーいジル、尻に敷かれるなよー」
大喰い大会から、派手な追いかけっこに大幅にイベント内容が変わっても、来ている客にはいい見世物なのか、周りからいろんなヤジがとんできた。
手当り次第に殴りかかっていたロタも、あまりにも素っ気なくかわされているのに我慢ならずに、殴り損ねた拳の先にあった皿やコップなどを掴んではジルに向かって投げ始めた。
ブン!!ガシャーン!!
いろんな人のヤジや叫び声の中に、そんな効果音が少々広範囲で鳴り渡った。
"まぁ、ジルなら大丈夫よ…ね・・・。あとは、周りに怪我人が出ない事を祈りましょ。"
カレンはそう思った。ロタも指折りの戦士だが、ジルもまた、この国で指折りの戦士なのだ、
ロタがそのスピードと力任せに戦ってきたのに対して、ジルは体術もさる事ながら、逃げ足と知恵を活かしてきた、ゼルギルフきっての兵士なのだ。
それから更にいくつかの皿の割れる音が響いた。
「んー!」
そんな中、シルフィーネがあまりにも騒がしい状況に耐えきれず目を覚まし、大きく背伸びをした。
“また、ロタが騒いでるのね・・・”なんて思いながら、大きく長い欠伸をしていると、
「みつけた・・・」
どこからか女の子のような、か細い声が聞こえた。
「えっ、」
キョロキョロと辺りを見回して目で声の主を探した、刹那・・・
「あー!!」
探していた声とは似つかない、聞き慣れた声が聞こえた・・・と、同時に
ゴツッ!!
かなり強烈な衝撃が左側頭部を襲ってきた、その衝撃でシルフィーネは椅子から転げ落ちた。
なにか走馬燈を感じるほどゆるりとした落下の時間の中、衝撃がきた方向に、右手を口の前にしたロタの焦った表情と、彼女の左手が、何かを投げた後の姿勢であったのが見えた。
「・・・利き手で・・・投げたわね・・・」
彼女は、何よりも先に、そう思った。
カウンター席にいた客の飲みかけのスープ皿がシルフィーネ直撃したのを見て、騒がしかった店は、一瞬で凍りついたかのように静まりかえった・・・