第六話 新しい仕事場
「今日からは、この文書室で文書を写すことがあなたの仕事です。公式文書は王宮に送るもの一通と、アルバート様が保管されるもの一通の計二通作成しなければなりません。あなたは、アルバート様や他の執行官が書いた文書をもとに、全く同じものをもう一枚作ってください。紙はこちらにあります」
サディクはそう言って壁一面にある書棚の右端を差した。ティティユはこくりとうなずいた。
今朝、レビーたちと朝食をとっていると、颯爽と歩いてきたサディクから「洗い物係は昨日で終わりです。新しい仕事場に案内します」と言われ、新しい仕事着を渡された。白いシャツと藍色のベスト、ベストと同じ色のスカート、靴は華奢な革靴で、帽子はなかった。
するすると滑る生地とボタンの多さに翻弄されながらもなんとか仕事着を着て食堂に戻ると、「ティティユ、すこしこちらに来て」とベラに呼び止められた。ベラは小さな袋から櫛を取り出してティティユの髪をすき、手早くひとつに編むと先を手頃な紐で結んだ。
「ティティユ、新しい制服がとても似合っているわ。あなたがこれから行くところでは、アルバート様やたくさんの貴族の方々と顔を合わせるの。彼らはわたしたちより高い美意識を持っているから、身だしなみには今までよりも気をつけるのよ」
ベラはそこまで言うと、ティティユの全身を隅々まで見て襟や裾を整えた。忙しいサディクが自ら案内すると言い、今まで触れたこともない上等な布の制服を渡され、ベラが真剣な顔で忠告する場所。きっとこれまでのすべてが通用しないような、選択を間違えると酷く大変なことになるような場所なのだろうと想像できた。
ティティユはベラに御礼を言って、サディクに従い食堂を出た。
そして今、ティティユはサディクから新しい仕事を教わっている。連れてこられた文書室と呼ばれる部屋は、大きな窓がある壁を挟んで両側の壁に天井まで届く文書棚があり、調理場が三つ入るくらいの広さがあった。中央に書御台というものが六つ置かれていて、窓際にある大きなテーブルで今から仕事をするらしい。
「ティティユ、あなたは文字が読めますね。書くことはできますか?」
「試したことがないのでわかりません。」
「では試してみましょう」
サディクからペンとインクの準備の仕方を教わって、はじめてペンを握り紙に線を引いた。ペン先が紙に引っかかって、ぶつぶつと途切れた線になった。隣で手本を見せるサディクの手の形や姿勢を真似して何度か書くと、するりと滑らかな線になった。
サディクは「上手ですよ」と笑って、次は文字を書く手本を見せる。覚えている文字の形を想像しながらサディクのようにペン先を動かすと、想像に近い文字が現れた。自分の手から文字が生まれる感覚に高揚して夢中でペンを動かしていると、頭上から感嘆の声が聞こえてきた。
「大したものじゃないか、私の幼い頃よりもよほど上手いぞ」
見上げると、そこには紙束を持ったアルバートが立っていた。
本当に会えた……
ティティユは立ち上がり、挨拶をして頭を下げる。
「お褒めにあずかり光栄です」
「ええ、ティティユは本当に覚えが良くて。もう少し教える楽しみを味わえるかと思ったのですが」
隣のサディクさんは苦笑いしているが、困っているようではなかった。
「教師役となると凝り性なサディクにここまで言わせるとは、やはりお前は大物だな。
ティティユ、腕と足の調子はどうだ? サディクと交換に行っていただろう」
「以前よりも軽くて付け心地が良いです。良いものを与えていただき有り難うございます、アルバート様」
サディクは「身の回りを整えるのは主の役目だ」と言っていたが、それにどれほどのお金を掛けるのかは主次第なのではないか。ティティユはやっぱりこの人に御礼を言いたかった。
アルバートはティティユの全身をしばらく眺めて、納得したようにうなずく。
「サイズも合っているようだ。どこかに痛みがでたらすぐにサディクに報告しなさい。わかったな」
「わかりました」
「約束だ」
アルバートはニコリと笑って念を押したあと、紙束を扉の近くで作業をしている老人に渡して去っていった。
文字の書き方を覚えたあとは、いくつかの注意事項を教わって、サディクも文書室を出ていった。
残されたティティユは、同じ仕事をするファシルという名の男の子の隣に座って仕事をはじめた。