第三話 家族
今日の素敵な出会いをアルバートに話したい、そんな思いが通じたのかもしれない。午後の穏やかな風が吹き抜ける窓辺で針仕事をしていると、アルバートが窓の外に顔を出した。
「ベラ、調子はどうだ?足の痛みは和らいだか?」
「アルバート様、ようこそいらっしゃいました。お医者様のお薬がよく効いて、今はだいぶいいですよ。」
ベラの答えを聞いてアルバートは安堵の笑顔を見せた。
アルバートが笑顔になる瞬間がとても好きだ。何度でも見たいと思う。
ベラはアルバートの母に仕えている使用人の子で、アルバートと同じ歳といいうこともあり幼いころから一緒に育てられてきた。母の仕事を手伝うようになって、互いに主従として振舞っていても、アルバートはベラのことを家族だと言い、ベラもアルバートを自分の半身のように大切に思っている。
今年成人したアルバートは会うたびに身体が大きくなって、ベラがよく知るアルバートではなくなっていくような寂しさを感じていた。しかし、もともと整った顔立ちのアルバートが、その清廉で芯の通った美しさで女性使用人たちを虜にしていく様子は面白かったし、とても満足していた。
アルバートは幼い頃から清らかで折れない強さを持っているかっこいい男の子だったのだ。みんなが気がついていなかっただけで。
使用人の家の一階、最奥にあるベラの部屋は、アルバートが不自由なベラのために用意した居場所だ。頑丈な鍵付きの扉を開ければすぐに食堂や浴室に行けるし、窓の外にあるたくさんの草木が強い太陽の光を和らげてくれている。
アルバートは執務の合間にたびたびこうして庭先にやってくる。そして少し立ち話をして帰っていく。今日の手土産は瑞々しいぶどうだった。ベラは御礼を言って、さっき食堂で作ってきた柑橘水でアルバートをもてなした。
「アルバート様、今日はとても素敵なお友達ができたのですよ。体は小さいのにとても勇敢で、お人形のように可愛らしい女の子なのです。」
「人形のように…それはティティユではないか?」
「まぁ、すぐにわかってしまうなんて。アルバート様には敵いませんね。」
アルバートは下働きや見習いの名前も憶えていて、皆の行く末に心を砕き責任を持とうとする。
ベラはアルバートが抱え込みすぎている時、自分にも分けてと何度も言っているのに、いつもたいして分けてもらえないことが不満だった。
繕い途中のティティユの仕事着を見せて、ティティユが友人のためにネコと戦ったのだと興奮気味に話した。
「あの体であばれるネコを捕まえたとは、まったく無茶をするな。」
「ほんとうに。腕や首には大きなひっかき傷がありました。とても激しい戦いだったのが想像できますわ」
ベラとアルバートは幼い頃よく森で遊んでいたから、野生のネコやキツネ、大きな鳥などとも触れ合ったことがある。この国のネコはどこにでもいるけれど人に懐くことはなく、鋭い爪を持っているのだ。
友人のために大人たちやネコに立ち向かうという並外れた行動力に興奮していたが、手足が不自由なティティユの体で挑むことは想像するだけで足がすくんだ。
アルバートはふと遠い目をして、さらに衝撃的なことを話してくれた。
「ティティユはここにやってきた時も、父親のために磁器人形のふりをしていたのだ。父に金貨をやりたいからと、私に自分を買わせようとしていたのだぞ。信じられない話だろう?」
「なんてこと…驚きましたわ。アルバート様に人買いをすすめるなんて、あなたを良く知る私たちには思い付きもしない作戦ですね」
ティティユは自分が人形のように扱われることを受け入れたということなのか。父親のために……それほど父を大切に思っていたのだろうか。父親は、同じくらいティティユを大切に思っていただろうか。
「…わたくし、ティティユが心配になってきました。優しすぎて、自身を簡単に放り出してしまいそうで。」
「ほんとうにな。せっかく安全な働き口を与えたというのに。ベラ、これからもティティユを気遣ってやってくれないか。」
「ええ、お任せください。ティティユはもう私の大切なお友達ですから」
アルバートは「頼もしいな、また来る」と笑って、執務に戻っていった。
今日一日で、ベラはティティユのことがすっかり好きになってしまった。ティティユが話してくれた異国の話は初めて聞くものばかりで、途中で気付いたのだ。ティティユはベラが喜ぶ話を作ってくれていたのかもしれないと。
ベラがティティユの話を楽しんで聞いている間も、ティティユの表情は変わらなかった。しかしティティユの言葉や行動からは、たしかな愛情を感じる。ベラはいつかティティユの笑顔を見たいと思った。
この国では母親が家族の無事を願って服に名前を刺繍する。ベラは、心優しい小さな友人が危ない目に合わないように、そう願いを込めてティティユの仕事着に彼女の名前を刺繍した。