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砂の国の王子は歪な人形を溺愛する  作者: 音暖
第一章 人形の目覚め
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第二話 新しい日々  

 「まずは言葉遣いと立ち居振る舞いを教えるわね。ここは七番目の王子様のお屋敷だから、高貴な方のお目汚しにならないように身体と服はいつもきれいにしておかないとだめよ」


 そう言って、ティティユの指導役になった女の子はティティユの肘や膝のホコリを払った。彼女はレビーと言って、調理場で見習いをしているらしい。ティティユよりは背が高いけれどまだ子どもに見える。短めに切りそろえた赤い髪を二つに結んでいた。


 ティティユの仕事は調理場の隅で皿を洗うことだ。仕事が終わったら調理場と別の建物にある使用人の家に戻り、少し年上の女の子たちと食事をして眠る。レビーもその中の一人だ。執事から仕事着をもらったので、仕事中は白のシャツとズボンを着て、靴は革靴に履き替え、長い髪はまとめて帽子の中に入れている。


 屋敷の主人は七番目の王子なのだと知った。王子とはどんな立場なのかまったくわからない。執事から仕事着を受け取る時、「主を敬い、守ることが使用人となるあなたの務めです。よくよく考えて行動するのですよ。」と言われたので、ティティユは今日から『七番目の王子の使用人』としておかしくない行動をしないとこの屋敷にはいられないということはわかった。


「ご主人様のことは『アルバート様』、自分のことは『わたし』と言うのよ。さぁ言ってみて」

「アルバート様、わたし」

「わたしのことは『レビー』と呼んで。料理長はポルックさんて名前だけど『料理長』と呼ぶのよ」


レビーはポルックを指さして説明する。


「わかった。レビー、料理長」

「そう、上手よ」


 レビーは調理場にいる人の名前と道具の名前を一つ一つ声にだして言うので、ティティユは彼女のあとに繰り返していった。


「名前はこれくらいでいいわね。あなた丁寧語は使えるの? アルバート様と執事のサディクさん、他にも貴族のひとたちと話すときは、静かに穏やかに話さないといけないの。」

 

 ていねいご、聞いたことがない響きだったので、ティティユは頭を左右に振ってわからないと答えた。


「じゃあ今日からすこしずつ教えてあげるわ。屋敷の中でアルバート様と会ったら、ご挨拶をして、礼をするのよ。アルバート様が通り過ぎられるまで顔をあげてはだめ。自分から話しかけるのもだめよ。」


 ティティユはしっかりとうなずいて理解したことを伝えた。それを見たレビーは不思議そうな顔になった。


「……ティティユ、あなた具合でも悪いの? あなたってあまり話さないのね」

「具合は悪くない。レビーに質問したいことがある、いいか?」

「いいわよ、なんでも聞いて」


 レビーはそう言って嬉しそうに笑った。

 ティティユはアルバートに出会った時に感じた心地よさを感じた。きっとレビーもアルバートと同じで、ティティユがいろいろ話しても嫌がらないような気がした。


 父はティティユと話すことを嫌がった。そして声をだすことを禁じた。ティティユの失った左腕は、あまりの不愉快さに耐えかねた父が近所の野良犬に食べさせたのだ。


 アルバートに話しかけたとき、とても驚いてはいたが不機嫌になることも怒り出すこともなく、ティティユの目を見て話を聞き、適切な答えをくれた。


 アルバートのような人に出会ったのははじめてだったのだ。叶うならずっと話をしていたかった。だからティティユはここで働くことにした。


「アルバート様と話をしたいときはどうしたらいいんだ?」

「それは無理ね。アルバート様から話しかけられるのを待つしかないわ」


レビーは無理無理と頭を左右に振って言った。そうか…話せないのか…


 がっかりしたティティユの気持ちを察してくれたのか、レビーは「何か聞きたいことがあるなら、執事のサディクさんから伝えてもらえるわよ」とティティユの頭を撫でた。その温かさがまたティティユにアルバートを思い出させた。


 それからティティユは洗い場に置かれる食器や調理器具をひたすら洗い続けた。背丈ほども幅がある大きな二つの盥に水を張り、片方には石鹸を溶いて泡を作る。汚れた皿を布で拭いてから泡の中に入れ、たわしでこすって汚れを落としたら二つ目のたらいで泡を落とす。ずっとその繰り返しだ。


 木製の義手がすべって皿を一枚割ってしまったとき、料理長はティティユを居残りさせて銀食器を磨かせた。終わってから使用人の家に戻ると、いつも通りの食事があった。レビーたちはティティユの分の食事を残して待っていたのだった。


 屋敷の仕事は皆が交代で十日に一度の休みを取る。その日は町に出かけたり故郷に手紙を書いたりするらしい。ティティユは朝食を食べると、いつも調理場から見ていた家畜小屋へ行ってみることにした。


 調理場の裏手にある家畜小屋へいく途中で、調理場の中から怒鳴り声が聞こえてきた。勝手口から中をのぞくと、怒りっぽくて有名なパバルが、レードルを持って怒鳴り散らしている。

 床には赤茶色の液体が散らばっており、向かいに立っているレビーは真っ青な顔でガタガタ震えていた。


「このソースは十時間以上かけて仕上げたってのにどうしてくれるんだ!」

「わ…わたし、なにも」

「とぼけるな!ここにはお前しかいなかっただろうが」


 パバルは自分が手間暇かけて作ったソースをレビーが床にこぼしたと考えているようだ。ティティユが知るレビーは自分の失敗を隠す人ではないから、きっと他の人がやったんだろうと考えながらあたりを観察してみると、ソースがこぼれている位置から勝手口までの床に、何か所かソースと同じ色の汚れがついていた。


 その汚れは外にも続いていて、追っていくと、そこには一匹の毛むくじゃらなネコがうずくまっていた。気づかれないように観察してみると、ネコの後ろ足の毛がソースで汚れている。


 このネコが本当に鍋をひっくり返したかどうかはわからないが、その可能性を説明することはできそうだ。


 ティティユは物置小屋から獣取り用の網を持ってきて、少し遠くからネコに被せるように投げた。逃げようとするネコに馬乗りになり、苦労して網の端を束ねて紐できつく縛ると、あばれるネコを引きずって調理場に連れていった。


「パバルさん、犯人はこのネコだったよ。こいつの足を見てよ。」


 言い合う二人を囲んで険悪な空気になっていた料理人たち全員が、一斉にティティユの方を見た。

 砂まみれで引っかき傷だらけのティティユがあばれるネコを引きずって立っている姿に驚き。皆がすぐに駆け寄ってきた。


「休みだってのにこんなに傷だらけになって、そのネコが犯人ってのはどういうことだ?」


 パバルはティティユの姿に飽きれつつも話を聞くと言った。


 ティティユはネコの足についたソースを見せて、このネコが鍋をひっくり返した犯人だと説明した。すると、調理場にいた料理人たちみんなが納得の表情になった。


 その中で考え込んでいたパバルは、やがてきつく目を閉じて「くそっ!」と吠えて行き場のない怒りを吐き出した。


 パバルはレビーに向き直り、「すまん!疑って悪かった!」と謝った。レビーは、全身の力が抜けたみたいにその場に座りこんでぽろぽろと泣き出した。ティティユは慌ててレビーに駆け寄る。


「レビー、どこか痛いのか? なんで泣くんだ?」

「すごく安心して。…ティティユ、わたしのためにネコを捕まえてきてくれたのね。ありがとう」


 レビーはそう言ってわたしをぎゅっと抱きしめた。人は安心しても涙がでるのか。


「当然だ。レビーがやってないのはすぐわかった」


 ティティユの言葉を聞いてレビーは一瞬きょとんとしたあと、もっと強くティティユを抱きしめた。 


 ティティユはネコを逃がしてやると、体の傷を洗うために使用人の家に戻った。レビーからはその日以降も何度もお礼を言われることになった。




 使用人の家は、一階にはみんなで使う食堂や厠、浴場があり、二階と三階には男女に分かれて寝る部屋がたくさんある。ティティユが寝ているのは三階の一番奥にある五人部屋だった。


 替えの服を部屋から持ってきて、浴場で全身を洗った。体中に引っかき傷があってとても染みる。深めの傷口には、ここに来た時に着ていた服を割いて作った布を巻き、その上から服を着た。


 ティティユが持っている服は、執事から貰った仕事着が上下二枚ずつだけだったので、今日ネコに引っかかれてたくさん穴が開いてしまった仕事着をなんとかして直さなければならない。


 ぼろぼろになった仕事着を抱えて浴場からでると、食堂の隅で座っている女の子から声をかけられた。


「あなた、最近ここに来たの? 包帯が取れかかっているわよ、結んであげるからこちらにきてくれない?」


 その女の子の言う通り、傷口の布は義手で結ぶのが難しく今にもほどけそうになっていたので、側に行って結んでもらうことにした。女の子は、よく見ると車輪がついた椅子に座っていた。


「わたしはティティユだ。最近ここに来た。布を結ぶのに難儀していたので助かる。あなたの名前を聞いていいか?」

「わたしはベラよ。ティティユは義足で歩いているのね。わたしもこの椅子が足の代わりをしてくれているの」


 「一緒ね」と言ってベラは明るく笑った。ベラはまだ成人して間もないのに、身体が動かなくなっていく病に罹り、今は歩くことができないらしい。


 ベラは病気になる前はアルバート様付きの侍女だったそうだ。傷の手当も慣れたもので、緩んでいた布はあっという間にきれいに結び直された。


「ティティユはどこからきたの?」

「わたしは……遠い国から来た」

「まあ!」


 ベラがよその国の話を聞きたいと言うので、ティティユはベラの隣に座ってたくさん話をした。

 町の家や店はこの屋敷よりもずっと高く大きくて、山一つ分もある広い草原で牛や羊を育てていたとか、蜜がとても甘い花がそこかしこに咲いていて、井戸の水まで甘かったとか。


 本当のこれまでの生活は、父と二人薄暗い小さな家で日銭を稼いで暮らしていたのだが、明るく優しいベラにはそんな話はしなくていい。ティティユは夢中で遠い異国の話を作って聞かせた。ベラはどの話も目を輝かせて聞いていた。

 

「ふふふ…素敵なお話を聞かせてくれてありがとう。ティティユはわたしの知らない世界をたくさん見てきたのね。ねぇ、またお話を聞かせてくれる?」

「いいぞ。ベラの病気はいつ治るんだ?」

「私の病気はきっと治らないの。」


 ティティユは驚いてベラの顔をじっと見つめた。

 ベラはこんなに外の話が好きなのに、自分で見に行くことはできないのかと残念に思った。


 町の人はみな、病やけがで働けなくなったら、死を待つ人の家に集まって生活し、一人またひとりと埋葬されていく。でもベラは使用人の家に居続けられるのだろうか。


「治らなかったら働けないのに、ベラは最期までここに居られるのか?」

「ええ。きっと最期の時までここに居られるわ。アルバート様がここに居ていいと言ってくださったの。本当にお優しい方なのよ」


 そう言って微笑むベラの表情は、ティティユが今まで見たことがない種類のものだった。長年慣れ親しんだ場所で最期を迎えられる安心とは別の何かがある気がした。


 ベラはティティユが抱えていたぼろぼろの仕事着を見て、自分なら簡単に繕えるから一日預けてほしいと言った。ティティユは御礼を言って仕事着を預けると、明日また食堂で会う約束をして部屋に戻った。


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