第一話 出会い
父が治めるこの国は、広大な砂漠を背に大河の恵みに支えられ、様々な部族が行き交い商売をする土地として栄えている。
住民は王に忠誠を誓う貴族と、国に集い流れゆく者である平民に区別される。ここに住む者は皆等しくこの国の宝であり、王族は人々を守り導くべしというのが、父王の教えだ。
アルバートは父を尊敬し、また平民でありながら父と添い遂げる決意をした母を誇りに思う。
一五歳になり、六人いる兄たちと同様に政務を任されるようになった。アルバートの仕事は平民への金貸しと、争い事の裁定である。
貴族の中には、半分平民の第七王子にはお似合いだろうと悪意をこめて噂する者もいた。しかしアルバートは自分の生まれを恥じたことはなく、父から賜ったお役目をしっかり果たすのだと意気込んでいた。
「アルバート様、お疲れのご様子ですのでお休みになられてはいかがですか。」
「あぁ、そうしよう」
執事兼補佐役のサディクに促されてあたたかいお茶をすする。ぼんやりと執務室を見回すと、隅に置かれた磁器人形が目に入った。
磁器人形は異国では小さな女の子に贈られるらしい。あれは融資をした商人が質草として置いていったものだ。
小さな子どもくらいの大きさで、銀色の艶やかな長い髪は緩く編みこまれている。伏せられた目と赤く染まった唇、フリルやレースを沢山重ねた上等な衣装に身を包んでいた。
顔の作りを見る限り、とても精緻で美しく、生きている人の子だと錯覚してしまいそうだ。
アルバートは近づいて人形の顔を覗き込んだ。傷ひとつない滑らかな頬、この人形を持ってきた商人の子は、きっと自分の家族のように可愛がっていたのだろう。
「さぞ大切にされていたのだろうな…」
「……そんなわけなかろう」
自分のつぶやきに誰が返答をしたのかわからず周囲を見回した。サディクは茶を用意したあと出ていったので、アルバートの他には誰もいなかった。
「どこを見ているのだ、こちらだ」
声のする方を見下ろすと、人形の目が開いてアルバートを見ていた。人形はカタリと木がぶつかるような音を立てて立ち上がり、あたりを見回すと、「私は何をすればいい?」と問いかけてきた。
アルバートは得体のしれないものを目の前にして、声を出すのもやっとだった。
「そ…其方人形ではなかったのか!? 聞いていないぞ!?」
「言われなくても気づいているものだと思っていた。貴族はときに磁器人形を贈ると見せかけて子どもを売り買いするのであろう?」
「なっ……」
さっきまで人形だった銀髪の少女は、淡々と自分は買われたのだと説明する。アルバートは買った覚えなどないし、そもそもこの国では王が人の売買を禁止している。
「いや、まってくれ、人身売買は王が禁止したはずだ」
「禁止とは、表に出ぬように行うべしという意味であろう?」
「ちがう! お前の言う表とはどこだ」
アルバートこそが平民の裁定者だというのに、彼から隠さずして誰から隠そうというのか。
先ほどからこの少女の返答はどこかずれている。
見たところ六・七歳くらいで、融資をした商人の娘がそのくらいの年頃だったと思いだした。商人レゾナ・ブルドフは、質草として娘を置いていったということか。
混乱するアルバートの前で、少女はおもむろに服をめくり、左腕と右太腿の繋ぎを見せて、少女の左手と右足は作り物だと言った。
「見ての通り私は半分ドールのようなものだからな、丁度よかったのだろう。本当にいらんのか? 滑らかすべすべの少女の肌をなめまわすも、瑞々しい瞳をえぐり取るも主さまの自由だぞ?」
「するわけないだろう。お前の目に私はどう映っているのだ。」
少女は残念そうにうなだれる。よく見れば少女の立ち姿は、手足の欠損をかばって傾斜していた。木製の義手と義足は体格に合っていないように見える。
「其方はレゾナ・ブルドフの娘だろう? 父になんと言われてここに来た?」
「私が主さまにご奉仕したら、父は金貨をたくさん貰えると聞いた。」
「はぁ……貰えるのではない。私が行うのは融資だ。金貨はいずれ返さねばならないのだ。つまり、お前の父ははじめから金貨を持ってとんずらするつもりだったということだな」
それを聞いた少女の白い顔がさらに青ざめた。
「それはちがう! 父は救いようのない脳無しだから、きっと考えが及ばず…」
「なぜ庇う。お前は金貨と引き換えに置いていかれたのだろう」
少女は何か反論しようと小さな口をぱくぱくさせたが言葉にならず、アルバートの瞳をじっと見つめたあと、納得したようにこくりとうなずいて「そうだな」とつぶやいた。
「…いや、可愛い娘を差し出さねばならぬほど困窮していたということだろう。気を落とすな」
そういって少女の頭をぽんぽんとたたく。アルバートがサディクを呼ぶためにベルを鳴らすのを、少女は不思議そうに見上げた。
「お前のようなやつははじめてだ。そのようにくるくると感情のままに表情を変えていては周囲から侮られるのではないか?」
「くっ…お前のせいだろう。あれほど驚かされたのだ、お前相手に取り繕っても無駄だ。」
「そういうものか」
はじめて会った子どもに指摘されるとは思わなかった。最近は顔を作るのにも慣れていたはずだったのだが、たしかに、人形のように表情が動かないこの少女の方が上手だ。
「…お前の目には、さぞ醜悪なものに見えているのだろうな。父は罪人となった。私も処分されるのか?」
少女の橙色の瞳には何の感情もこもっていなかった。
少女にどこまでの責を問えるだろう。人形のふりをしてアルバートを欺いたこと、少女が自身を売ろうとしたこと、父が借金を踏み倒す手助けをしたこと…それにしても、この少女の年齢にそぐわぬ言動はなんなのだ。
「お前自身は、自分にどのような罪があると思う」
「……」
入室許可を求めるサディクの声にこたえると、執務室に入ってきたサディクは少女を見て驚愕しつつも、すぐさま家臣たちに指示をだして少女を留置室に連れていかせる。
少女が部屋を出るとき、小さな声で「私が知りたい…」とつぶやいたのが聞こえた。
「サディク、至急レゾナ・ブルドフを捕らえて娘の証言の裏付けを取れ。加えて、彼がどこで磁器人形を使った人身売買を知ったのかをたどってほしい。もしかすると平民の子どもの失踪が増えている件と関係があるのかもしれない。」
「承知いたしました。」
使用人だろうと妾だろうと、人を売り買いすることは今の王が禁止したので、当然質草にもしてはいけない。ブルドフは隠れて取引をしていた者たちの情報を得て、貴族であれば誰にでも通用する取引だと思い込んだのだろう。
アルバートは少女の様子を思い出して嘆息した。自分はドールにはうってつけだったと少女は言ったが、少女の腕と足を奪ったのもその父なのではないかという悪い予感がして胸が痛んだ。
翌日、ブルドフが国外逃亡を図ったと報告が上がった。娘を置いて借金を踏み倒すつもりだったのは疑う余地がなくなった。
アルバートはあの少女を人身売買の被害者として扱う事に決めた。しかし少女は父の他に身よりがないので、これから一人で生きていかなければならない。あの容姿と不自由な体ではまともな食い扶持を探すことはできないだろう。
「仕方がない。あの娘が望むなら、しばらくは屋敷で使ってやってくれないか……どうした、言いたいことがあるなら聞くぞ」
「いいえ、かしこまりました。…年下の女性がお好みでしたら、これまで受け取った釣書はお断りしなければなりませんね」
サディクは真剣な顔で「幼い容姿であれば…」とぶつぶつ考え始めたのでさっさと下がらせた。
サディクは、罪人の娘を屋敷に置いてもよいとするアルバートの判断が甘いと思ったのだろう。それでも言葉にしないのは、民を生かしたいというアルバートの意思を理解し、援助する心構えを持って仕えてているからだ。うちの使用人たちは本当に主思いでおせっかいだ。
少女を裁定の間に呼び出し、ブルドフには労役を課すが、お前に処罰はないと話した。少女はそれを表情もなく静かに聞いている。
「これからは一人で生きていくことになる。お前が望むなら、私の屋敷で働くことを許す。そうなれば衣食住に困ることはないだろう。どうする?」
「私がはたらく?………私はここに居たい。ここで働かせてくれ」
まっすぐにこちらを見る瞳には光が宿っていた。やる気があるなら不自由な身体でもできることはあるだろう。
アルバートが了承して名を聞くと、「ティティユ」と名乗った。たしか異国からきた瑞々しい風味の茶葉がそんな名前だったな。
「ではティティユ、ここの生活を良く学び働くように」