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序章 始業式に災厄が現れた


「ふぁ⋯、⋯眠ぃ⋯。怠いなぁ⋯登校」


 早朝から大口を開けて欠伸をし、酷く億劫な足をノロノロと前へ進めていく。筆記用具や雑巾は兎も角、宿題やら上履きやら体操着やら邪魔臭いし重いしで、一種の筋トレかとツッコミたくなるほどに煩わしい。

 ⋯最初だけとはいえ、本当に面倒臭いよな⋯初日って。

 今日は我らが男子校、凛堂りんどう学園の始業式の初登校日だ。二年目となる学校への道順はもう慣れたもので、躊躇う間もなく見慣れた住宅街を横目に歩く。

 ⋯まぁ、俺は春休み中も部活があったから、尚更道をド忘れすることはないけどな。

 眠りを誘う暖かい陽だまりに身体を優しく包まれながら、同じように登校する小学生や中学生、高校生らを気取られない程度にチラ見する。その中に見覚えのある制服を見つけ、脳裏に年下の幼馴染みの小生意気な顔がフッと浮かび、無意識に眉間に皺が寄った。

 ⋯アイツとは、俺が高等部に上がってから接点はなくなった。⋯というか、俺が一方的に避けてんだけど。いや、やめよう。アイツのことを考えてるとろくな事がないのは、嫌ってほどよく身に染みてんだから。


「⋯? ……?? ……⋯!?」


 公園の出入口前を通ろうとしたその時、出入口近くの公園内で男女の若いカップルが正面から抱き合っていた。更には、熱烈なキスを交わしているのが視界に入り、自分にとっては衝撃な光景に思わず足を止め、思わず声を詰まらせて二度見どころか三度見してしまった。

 普段なら当然だがそんな無粋な真似はしない。だが、キスをしている男女の片方が「腐れ縁の幼馴染み」だったら見るだろう。たとえソイツが関わりたくないほどに煩わしい相手でも、よく知る人物が自分の知らない相手と早朝から深いキスをしていれば、まず己の目を疑うのが道理であり現実逃避だ。

 しかも、「男同士で」しているのだから驚きは倍増だった。

 別に俺は同性同士だからと偏見やら嫌悪の目を向けたりしない。自分は恋愛というものが苦手だからよく分からないし、勝手な持論だが恋愛対象なんて人それぞれだろう。とりあえず、俺が結局のところ何を言いたいかというとだ。


 ーー何でお前「女装」してんだよッ!!?


 男同士でキスしていることよりも、腐れ縁の幼馴染みである俺としては「あの彰が」女装している方が気になりすぎるし吃驚した。まぁ確かにあの完璧な変装なら、昔から嫌でもよく知る俺やアイツの家族以外は、そう簡単に見破れはしないだろうが。俺が必死に避けてた約一年間の間に一体お前に何が起きたというんだ。

 あまりの衝撃にマヌケな顔で呆然と凝視してしまったことにハッとなり、アイツが自分に気づかない内にと慌てて公園を通り過ぎようとした。ーーが、遅かった。


「⋯⋯!」

「!?」


 しっかりと、彰と俺の目が合った。⋯終わった。


「⋯ようやく釣れたか」

「⋯ん? どうしたの? アキちゃん」


 俺に気がついたのか、見知らぬイケメンから密着した身体を離した彰は、然も愉しげに此方へと関心を向ける。


「……っ!」


 心臓が嫌な跳ね方をした。

 視線が絡み合った瞬間、彰の形の良い唇が、獲物を仕留めた肉食獣のように吊り上がる。逃げなきゃならない。本能がそう警鐘を鳴らしているのに、足がアスファルトに縫い付けられたように動かない。

 すると、彰はそれまで情熱的に絡めていたイケメンの腕を、まるでゴミでも払うかのように無造作に振りほどいた。


「…え、あ…アキちゃん? どうしたの、急に…?」


 呆然とする男を振り返りもせず、彰はストッキングに包まれた細い脚を迷いなくこちらへ踏み出す。カツカツと、履き慣れている様子の音が、死神の足音のように鼓膜を叩く。


「…もう連れが来たから、もうアンタとはサヨナラ、じゃあね。」


 鈴を転がすような甘い声。だが、その瞳には一切の温度がない。男が「えっ、でも」と食い下がる暇さえ与えず、彰は最短距離で俺の懐へと飛び込んできた。


「……ッ、離せっ……!」


 咄嗟に身を翻そうとしたが、一瞬遅かった。

 ふわりと、春の陽だまりには不釣り合いな、甘ったるい香水の匂いが鼻腔を突く。それと同時に、華奢に見える指先が鉄枷のような力で俺の手首を掴み、そのまま絶対離れないと体言するように腕に抱き縋りついてきた。


「……よーやく捕まえたぁ…。俺からずっと、逃げられるとでも思ってたのか? 咲真ぁ」


 耳元で囁かれたのは、先ほどの甘い猫なで声ではない。低く地を這うような、ドスの利いた男の声。家族や俺の前でしか見せない、あの「鬼山 彰」の本来の口調だ。


「……ざっけんな、彰! 離せよっ、学校遅れるだろ!」

「あぁ? 始業式なんてどうでもいいだろうが。…それより、一年も俺を避け続けた罰を黙って受けろ。この程度の接触で許してやってるんだ、俺の慈悲深さに感謝しやがれ」


 背中に押し当てられた胸板は、女装のパッド越しでも分かるほどに硬く、男のそれだ。

 呆気にとられて立ち尽くしているイケメン男が視界に入る。彼は、つい数秒前まで自分と熱烈なキスを交わしていた「彼女」が、野太い声で他の男と親しげに密着している光景が理解できないのか、口を金魚のようにパクパクさせている。


「……おい、彰。あのヒトはどうすんだよ。お前のこと、アキちゃんとか呼んでたぞ」

「…あー、アレか? 適当にその辺で釣ったモブの共犯者。テメェがこの道通るの分かってたからさ、足を止めさせるための『囮』に使っただけだ。だから、もう用済み」


 彰は冷淡に言い放つと、俺の肩に顎を乗せ、見せつけるようにその男を冷たく一瞥した。


「……おい、いつまで見てんだ。……消えろ、モブ野郎」


 その豹変ぶりに、男は短い悲鳴を上げて逃げ去っていった。……可哀想に。彰に関わったのが運の尽きだ。だが、今の俺に他人を憐れむ余裕なんて一ミリもない。


「…お前、相変わらず最低野郎だな。…何なんだよ、その格好は。……趣味か?」

「まー、そうだな。…誰かさんが1年も俺を放置してくれやがったから性癖が歪んじまったのさ。テメェが普通に待ち伏せしても逃げやがるから、こうして性癖を利用して『エサ』をぶら下げて待っててやったんじゃねぇか。……ハッ。案の定、鶏みてぇに口開けて棒立ちでガン見してくれたなぁ?」


 彰は愉しげに喉を鳴らし、俺の首筋に鼻先を寄せて深く息を吸い込む。


「……あー、これこれ。やっぱ咲真の匂いが一番落ち着くわ。道明の家で野暮ったい一人暮らし満喫してたんだろうが…、今日からはそうもいかねぇから」


 腕に込められる力が強まる。十六歳の俺よりも二歳年下のはずなのに、バスケ部で鍛え上げられた彰の筋力には抗いようがない。女装という異常な出で立ちのまま、彰は俺の耳元に唇を寄せた。


「…逃がさねぇよ? 咲真。テメェの平穏な一人暮らし、今日で終わりにしてやる」


 朝の柔らかな光の中で、赤髪の『美少女』が毒蛇のような笑みを浮かべる。


「おい、いい加減に離れろ……! 目立つだろうが、このバカ!」


 俺は必死に周囲の視線から逃れたいが為に、彰を引っぺがそうとする。だが、この赤髪の「美少女」は、見た目の可憐さとは裏腹に、岩のように動かない。それどころか、俺の右腕をがっしりと抱え込み、胸ーーといってもパッドだがーーを押し当てるようにして密着度を更に増してきた。


「嫌だ。…離したらまた逃げるだろ、テメェは。この一年、俺がどれだけ苦労してテメェの足取り追ってたと思ってんだよ」


 彰は拗ねたような、それでいてドスの利いた声で吐き捨てると、俺の二の腕にグリグリと自分の頭を擦りつけてきた。かつらを被っているというのに、その動きは大型犬が飼い主にじゃれつく――というより、獲物に自分の匂いを上書きしようとする獣の執着そのものだ。


「……っ、痛ぇよ! かつらズレるぞ、彰!」

「ズレても構わねぇよ。どうせあの男は追い払ったし、今はテメェさえ捕まえとけばいい。…なぁ、散々俺を無視しやがったなぁ…? メールも電話もブロック。挙句の果てには叔父さんの家を隠れ蓑にして、俺の前から消えたつもりか?」


 低い声が、じわりと俺の罪悪感と恐怖を突き刺す。

 歩みを止めない俺に合わせて、彰もヒールで器用に歩きながら、恨み言を並べ立てた。


「……あのな、俺は平穏に暮らしたいだけなんだよ。お前と一緒にいると、胃がいくつあっても足りねぇんだ」

「平穏だ…? …ハッ、笑わせんな。俺を一人で中等部に残して、自分だけ高等部でエンジョイしてんじゃねぇよ。…テメェの教室まで殴り込みに行こうかと何度も思ったもんだぜ。だがな、道明のヤツが『今行ったら咲真にガチで嫌われるぞ』ってニヤニヤしながら止めやがるから、この一年間必死に我慢してやったんだよ」


 ……叔父さん、人の気も知らねぇで楽しんでやがるな。いや、知っててやってんのか、あの人は。


「……テメェのせいで、俺の情緒はボロボロだ。責任取れよ。今日からは毎日、朝も放課後も、俺は授業以外じゃ二度とテメェから離れてやらねぇからな」


 彰は俺の腕に顔を埋めたまま、ふん、と鼻を鳴らした。その仕草だけ見れば、ただの甘えん坊な彼女にしか見えないが、吐き出される言葉は完全に脅迫のそれだ。


「……分かった。分かったから、まずその格好をどうにかしろ。もうすぐ校門だぞ。中等部の生徒に見られたら、お前の『陽キャ』な立ち位置が崩壊するぞ」

「知るか。……あーあ、咲真の腕、前より少し太くなったか? 柔道ばっかしてねぇで、俺の話相手として専念しろよな」


 彰はさらに力を込めて、俺の腕に頭を押し付ける。その執拗な感触に、俺はこれからの高校生活が、当初予定していた『平穏』とは程遠い、嵐のような日々になることを確信して、重く、深く溜息をついた。



ーーー。



 学園の正門が見えてくる。赤レンガの門構えを潜れば、そこはもう『男子校』という名の聖域だ。流石にこの格好で突っ込ませるのはな、そもそも隣を歩く俺にまで飛び火がくる。

 俺は人気のない路地裏の奥へと彰を引きずり込んだ。


「おい、彰。ここでその化けの皮をさっさと剥げ。カツラも、そのパッドもだ」

「ちぇっ、もっとこのまま咲真を困らせてやりたかったのに」


 彰は不満そうに唇を尖らせながらも、慣れた手つきでウィッグを外した。中から現れたのは、鮮やかな赤髪。春の陽光を反射して燃えるようなその色は、彼の攻撃的な性格をそのまま映し出しているようだった。

 だが、問題は顔だ。


「……メイク。それ、どうすんだよ。そのまま入る気か?」

「あー、これ? 落とすの面倒くせぇし、このまま保健室まで行って『体調悪いんで』って嘘ついて、また女の格好して寝るかな」

「男子校の保健室に女がいたら大パニックだろうが…! …さっさと落とせよ、待っててやるから」


 促すと、彰はバッグからクレンジング液のボトルとコットンを取り出した。だが、一向に手を動かそうとしない。それどころか、わざとらしく目を閉じて、俺の方に顔を突き出してきた。


「嫌だ。……咲真がやってくれよ」

「はぁ!? なんで俺が…!」

「一年間、俺を放置した慰謝料。…それとも、このまま校門の前で『咲真に弄ばれた』って喚きながら嘘泣きでもしてやろうか?」

「……っ、分かったよ! クソ、お前本当…!」


 俺は悪態をつきながらも、彰の手からクレンジング液とコットンを奪い取った。液体をコットンに適量染み込ませる。

 改めて至近距離で見る彰の顔は、腹立たしいほどに整っていた。長い睫毛、形の良い鼻梁、そして薄く色づいた唇。女装などせずとも、もともと中性的な色っぽさを備えた美形なのだ。怒らせれば「危ない人種」だが、黙っていれば絵画のような美男子。それがこの、鬼山彰という男の本来の姿だ。


「……動くなよ。目に入るぞ」

「ん…、…優しくしろよ?」


 俺は溜息を飲み込み、コットンで彰の瞼をそっと押さえた。アイラインやシャドウがじわりと溶け出す。ゴシゴシと擦れば肌を痛める。嫌気がさした両親の自分勝手な振る舞いを見てきたせいか、俺は無意識に、他人に対して「丁寧」であろうとする質だった。

 指先に伝わる彰の肌の熱。睫毛の震えが指に当たり、なぜか俺の心臓が不規則な音を立てる。頬、鼻筋、口元。至極丁寧に、慈しむようにメイクを拭ってやる。かつての幼馴染としての距離感が、この数分間だけ戻ってきたような錯覚に陥る。


「……終わったぞ。ほら、確認しろ」


 コットンを離すと、そこにはいつもの、小生意気で、それでいてどこか退廃的な美しさを放つ「鬼山彰」がいた。彰はゆっくりと目を開け、俺をじっと見つめる。


「……咲真」

「なんだよ」

「やっぱ、お前じゃなきゃダメだわ」


 その声には、先ほどの脅しのような響きはなく、熱を帯びた本音が混じっていた。俺はいたたまれなくなり、わざと雑に頭を叩いた。


「…うるせぇ、さっさと来い。始業式、始まるぞ」


 結局、彰は中等部校舎へ向かう分岐点になっても俺を解放しなかった。それどころか、当然のような顔をして高等部の昇降口前までついてくる始末だ。

 学ランのボタンを適当に留め、赤髪をラフに掻き揚げた彰の姿は、女子が悲鳴を上げて喜びそうな「ヤンチャな美形」そのものだが、中身を知る俺からすれば歩く地雷原でしかない。


「…おい、いい加減にしろ。ここ高等部だぞ。お前の校舎はアッチだろうが」

「別にいいだろ、減るもんじゃねぇし。……あーあ、このままテメェを俺の教室まで連れてって、放課後までずっと俺の膝の上に座らせときてぇよ」

「なっ…!? ば、バカなこと言ってないで早く行け! ほら、予鈴鳴るぞ!」


 俺は周囲の生徒たちの「なんだあの中等部生?」という視線が痛くて、半ば突き飛ばすように彰の背中を軽く押した。ようやく諦めたのか、彰は「ちぇっ」と短く舌を打ち、踵を返す。


「じゃあな、咲真。放課後、校門前で待ってろよ。…一秒でも遅れたら、テメェの家に不法侵入して布団の中で待機してやっから」

「……はいはい。わかったから行けって」


 溜息混じりに手を振って追い払おうとした、その時だった。すれ違いざま、彰の手が俺の首筋を引き寄せた。


「…んっ…!?」


 一瞬の出来事だった。

 唇の端に、柔らかくて熱い感触が触れる。人波の絶えない昇降口のど真ん中で、彰は俺の口角に、啄むような、けれど確かな主張を持ったキスを落としたのだ。男子校では男同士の恋愛は大して珍しくもないが、周りの雑踏が益々激しくなった。


「…ッ!! お、お前ッ!! 何して…!?」


 カッと顔が火を噴くように熱くなる。怒りと羞恥心で視界が真っ赤に染まり、俺は自分の口元を腕で隠しながら、絶句して彰を睨みつけた。

 だが、目の前の幼なじみは悪びれる様子もなく、むしろ物足りなそうに自分の唇をぺろりと舐めとった。その仕草には、先ほどまでの女装姿からは想像もつかないような、生々しい「男」の色気が宿っている。


「……咲真ぁ」


 彰は一歩踏み出し、俺の耳元に唇を寄せた。その声は低く、獲物を追い詰める猟犬のような冷徹さを孕んでいる。


「高等部にいる間、俺以外のヤツとイチャつきやがったら…、次は『端』じゃ済まさねぇからな…?」


 それはただの命令としてだけではなく、明確な呪いだった。不吉な言葉を余韻として残したまま、彰はひらひらと手を振って、一度も振り返ることなく中等部の方へと去っていく。

 残された俺は、顔を赤くしたまま立ち尽くすしかなかった。心臓の鼓動がうるさくて、唇の端に残った感触と熱が消えてくれない。

 始まったばかりの二年生。平穏な一人暮らし。それら全てが、あの幼なじみの赤髪の厄災によって、音を立てて崩れていく予感がした。



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