6.私にできることを 99階
100階を目の前にした99階でエレベーターは止まった。
次がゴールなのだから、今回のフロアボスは今までの中で一番強いに違いない。緊張に体が硬くなり、じわじわと手に汗がにじみだす。
だけど私がやることは変わらない。脆い結界で一瞬でも時間を稼いで、2人の邪魔をする小型の魔物を倒す。それだけだ。そうやって恐怖に怯む自分の心を必死に奮い立たせる。
それなのに、待てども待てども、一向に扉は開かない。
「どういうこと?」
「エレベーターが壊れた? あはは」
「黙れ、笑うな……?」
恵はいつものように眉間に皺を寄せて蓮を睨むが、なにかを見つけたのかその視線がわずかに逸れる。
「…張り紙」
「え?」
怪訝に歪む恵の視線の先にあったのは言葉通り張り紙だった。
エレベーターの背中側――鏡のところにA4サイズの白画用紙が貼ってある。
「あれ? こんなのあったっけ~?」
一番近くにいた蓮が、わくわくと瞳を輝かせながらそれを剥がす。
なにか書いてあるようで、画用紙を見る彼の目は右から左へと動いていく。
「あはは。これは驚いたな~」
読み終えた蓮の瞳は楽しげに細められていた。
「なにが書いてあったの?」
「自分で読んだ方がおもしろいよ」
蓮が私と恵に画用紙を差し出す。
嫌な予感がした。だけど読まないわけにはいかない。私が紙を受け取り、恵が後ろから覗き込む。
文章は2行だけのシンプルなものだった。
《 右のエレベーターは、ハズレ。残念☆
1階に戻って左のエレベーターに乗りましょう 》
手に持っていた画用紙がはらはらと床に落ちる。
信じられなくて、衝撃的すぎて、手に力が入らなかった。
だけど次の瞬間には、自分の手を固く握りしめていた。怒りに体が震え出す。
「ふ、ふざけないでっ!」
「チッ」
顔が熱い。視界がぼやける。歯を食いしばっていないと泣きそうだった。
だって、ここまでたどり着くまでに、私達がどれだけ辛い思いをしてきたと思っている。
死と隣り合わせの戦いを繰り返し、何度も魔物を倒して、生き物の命を奪う恐怖と罪悪感に苦しめられた。
恵は2回もクラスメイトを殺すことになり、泣いて苦しんだ。ごめんなさいと泣く恵の声は、今も耳に残っている。
それなのに、紙切れ一枚で、残念☆だなんて。
最初からやり直しだなんてっ。
「ひどい!」
床に落ちた画用紙を、思い切り踏みつける。
ドゴォンッ
瞬間、大きな振動音と共に体が浮いた。
「…え」
「由亞、おいで」
「由亞ちゃん」
私と同じように浮いている蓮と恵が、左右から私を守るように抱きしめる。
背中が天井についた。
そこでようやくエレベーターが急降下していることに気づく。あまりにも勢いよく落下するから、体が浮いているのだ。
全身から血の気が引いた。
「ご、ごめ…私が、床を踏みつけたからっ。ごめん…」
謝って許されることではないけど、謝ることしか出来ない。
どうしよう。私のせいだ。このままの勢いで落下したら、1階に到着したとき確実に体を床に打ち付ける。大怪我じゃすまない。死んでしまうかもしれない。それ以前に、こんな勢いで落下してエレベーターは無事でいられるのだろうか。
青ざめ、涙があふれ出す。
「あはは。も~由亞、泣くなって。どうにかなるから」
「由亞ちゃん、大丈夫」
それなのに足を引っ張ることしかできないお荷物な私を、蓮も恵も責めない。
ぎゅっと抱きしめられ、労るように背中と頭を撫でられる。
優しくて、懐が広くて、見捨てない。
やめてよ。私のせいだって怒ってよ。私が悪いのに。
性格の悪い私はこんなときでも2人を非難してしまう。そんな自分が大嫌いだ。
「恵、なにをすれば良いかわかるね?」
「あぁ」
「由亞、階数表示灯を見て」
「ぇ?」
蓮のやさしい声に恐る恐る顔を上げれば、彼はいつも通りの笑顔で私を見下ろしていた。
やっぱり変わらない蓮に背中を押される気持ちで私は階数表示灯を見た。
このエレベーターの階数表示灯はアナログ式で、1~100までの数字が扉の上にずらりと並んでいる。
今の私達と同じ目線にあるそれは、1秒にも満たない速さで点滅していた。48、47、46…どんどん点滅する数字は小さくなる。下降している。
「今俺たちがどこの階層にいるのか、わかるよね」
「うん…」
お利口さんだねと頭を撫でられる。
完全に子供扱いされているのに、その手のぬくもりに涙が出そうになった。
「今魔法で恵がエレベーターの落下速度を緩めてる」
「え!」
恵は普段から口数が多い方ではないけれど、今は特に静かだった。
慌てて右を向けば、彼は額から汗を流しながらエレベーターの入り口を睨んでいた。その瞳は緑色に輝いている。魔法に集中しているのか私の視線に全く気づいてない。
「まあ、期待はしないで。ちょっとでも速度を落とせれば万歳くらいの軽い気持ちでやってるだけで、エレベーターを止めることは目的じゃないから」
目的。その言葉に、蓮と恵がなにか考えを持って動いていることを知る。
……情けない。
私が自分を責めている間に2人は先を見据えて動いていた。こういうところが、私と違う。立ち止まって蹲ってばかりの私と大違い。
2人はやっぱり「特別」で、私はどこまでもいっても平凡で、だからお荷物で。特別になんて、なれるわけがない。
だけど…
「蓮、私に出来ることはある?」
またいつものように落ち込んで、2人の足手まといになるのは嫌だった。これ以上2人に迷惑をかけたくなかった。
罵る自分の声を今だけは黙ってと押し込み、蓋をする。
「私に出来ることならなんでもする。出来ることがないなら、大人しくしてる。2人の邪魔をしたくないから」
だから正直に言ってほしい。
じっと蓮を見つめれば、彼は満足そうに目を細めた。
「もちろん、あるよ。俺たちにはいつだって由亞が必要だからね」
「えっと…?」
「階数表示灯が3階で光ったとき、恵が扉を破壊する。同時に俺は由亞と恵を抱えてエレベーターから脱出する。計算が正しければ、ちゃんと1階に出られる」
「え! えっと、うん…」
作戦の説明が唐突すぎる。
あたふたする私を笑いながら蓮は言葉を続ける。
「1階の入り口が動かないのに対し、エレベーターの箱は落下…ようするに動き続けてる。一瞬でもタイミングを誤れば、俺たちの体は真っ二つ。映画みたいにね」
スパーンと言いながら蓮は笑う。が、笑えない。
「あはは、そんな泣きそうな顔しないで。大丈夫だから。ジェットブレードとか、フライボードって知ってる? 水圧を利用して空を飛ぶんだけど、あれを魔法で再現しようと思うんだ」
テレビで見たことがある。足の裏につけた機械から勢いよく水が出て、空を自由に動いたり空中で一回転をしていた。
蓮はあの勢いを利用して脱出するつもりなのだ。
「すごい。やったことあるの?」
「ないよ~。でも魔法は想像だから、成功する」
初めて挑戦するのに蓮は笑顔で断言する。
他の人なら不安になるけれど、蓮なら大丈夫だと安心できるのだから、彼は本当にすごい。
「でもそれなら、私にできることはないんじゃ…」
「えーあるある! ほんっとーにちょっとだけど自信ないから、俺たちの周りに結界を張ってほしい」
蓮はおねだりする子犬の目でじっと私を見る。
胸に湧いたのは、私の力では役に立てないという罪悪感。
いつもの私なら頑張ると作り笑いを浮かべながら自分を罵っていた。
だけど今は、今だけは…
「わかった。任せて」
蓮の目をまっすぐ見て、力強く頷いた。
今は、自分に出来ることを頑張りたい。
私の力が役に立たないのは事実だけど、それでも全力を出す。
万が一の時、2人を守り切れるように頑張る。それしか考えない。
「蓮のほんっとーにちょっとだけない自信は、私がカバーするよ」
自分に言い聞かせるように、にやりと蓮に笑いかければ、彼は目を細めて笑った。
「あはっ。良い子だね、由亞。じゃあ結界を展開して」
「え、もう!?」
「今、6階だからね。ぉっと言ってるそばから…恵、5階だよ。もうすぐ」
「チッ」
5…4…とカウントダウンしながら蓮が恵の胴体を脇の下に抱え、左手で私を抱きしめる。
私も慌てて蓮にしがみつき、私達3人を覆うように複数の結界を張る。
「それでいい。俺から離れないでね」
耳元で蓮が囁いたとき、階数表示灯が3階で光った。
瞬間、エレベーターの床を突き破って大木が現われ、そのまま扉を破壊する。
突き破られた扉の穴から見えたのはホテルのロビー。そこにめがけて、蓮がジェット機のように突っ込む。
息が出来ないほどの風圧を感じ、パパパッと結界が割れ続ける音が聞こえた。
「っはぁ、よかった成功して」
気づいたときには、私も蓮も恵も、床に転がっていた。
目の前には赤黒いシミ…大オオカミの血の跡が広がっている。
勢い余り、エントランスの中央まで吹っ飛んでしまったようだ。
蓮が疲れたぁと床に大の字になる。
恵も珍しくぐったりと寝そべったままだ。
もちろんそれは私も同じ。3人全員、肩で息をする。
遠くに赤い火の粉が見えた。
右のエレベーターが燃えていた。熱いはずなのに、足下が冷えていくようだ。
そこでようやく今までで一番、死と隣り合わせだったことに気づく。
「蓮と恵がいなかったら、私今頃、死んでた。2人とも、ありがとう…」
言葉にして改めて実感する。
今回に限らず、2人が今まで私を守ってくれたから私は今こうして生きていられる。
2人がいないと私は生きていけなくて、…私がいなくても2人は生きていける。
そのことがとても悲しかった。
だけど蓮は、そんな私をいつものように笑い飛ばすのだ。
「いやいや、俺たちこそ由亞がいなかったら死んでたって。風圧がまさかあそこまで強いとは思わなかったからさ。そこは計算できてなかった」
「由亞ちゃんの結界のおかげ」
蓮が目を細めて私の左手に手を伸ばし、恵がはにかみながら私の右手に手を伸ばす。
…私がいなかったら死んでた。私の脆い結界が、役に立った。
2人の言葉がじんわりと胸にしみこみ、じわじわと目の前がぼやけてにじみはじめる。
「よ、よかった。うっ…うぅ」
私は2人の手を握りしめた。
今回私の魔法が役に立ったのは奇跡みたいなものだ。こんなこと二度と起きないだろう。
私は魔法を上手く使えなくて、やっぱりお荷物で、自分を責め続ける。
だけど、それでも、今だけは、2人の力になれたことが、うれしかった。
心が少しだけ軽くなった気がした。




