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私が欲しかったのは、怖い「特別」じゃない【ハッピーエンドver】  作者: 味噌野 魚
1章 私が欲しかったのは、怖い「特別」じゃない
6/26

5.知ってしまった事実 75階

かなりの残酷描写ありです。



 その階層は、いつもと少し様子が違った。

 エレベーターを降りてからしばらく歩いているのに、魔物が一体も現われない。

 それなのに血の匂いと腐臭は常にしていて足下はひんやりと冷たかった。

 魔力補充もかねて繋いでいる手に自然と力が入る。


 「あはは。なんだか肝試ししてるみたいだなぁ」

 「笑えないよ。本当に出てきそうだからやめて」

 「あれ? 由亞ってぇおばけも苦手だっけ?」


 わざとらしい「も」に例のモノを思い出してしまう。

 ゾッと身震いすれば、蓮がうなじを突いてきた。


 「えい」

 「ひぃっ。れ、蓮!」

 「あははっ」


 笑い事じゃない。

 全身に鳥肌が立って、連鎖的に鳩尾がシクシク痛みはじめる。

 恨めしい気持ちで蓮を睨めば援護するように恵が舌打ちした。


 「蓮、いいか…げ、ん……っ!」


 苛立ちを隠さないドスのきいた声。

 なぜかそれは次第に小さくなり、最後は息を呑む音で終わる。

 恵と繋いでいる右手が尋常じゃないほど震えていた。

 嫌な予感に慌てて前を向き、言葉を失う。


 『イタ、イ』

 『ナンデ…』

 『フザケルナ』


 私達は廊下の突き当たりに到着していた。

 そこにはあやとりで遊ぶ白い陶器のマネキンと、2-Bの…死んだはずの私達の同級生と山本先生がいた。


 どっと汗が噴き出す。


 「嘘…」

 「へ~。これは驚いたなぁ」

 「……っ」


 もちろん生前と同じ姿ではない。

 肌は黒く変色し、体はつぎはぎだらけ、瞳は虚ろで、喋る言葉はカタコトだ。

 きっとそこに彼らの魂は、ない。…あってほしくない。


 「あのマネキンがフロアボスだよね~。じゃ、行ってくるよ」

 「待っ…!」


 ぱっと蓮が手を離し、マネキンに向かって駆け出した。

 それを待っていたかのようにマネキンが蓮を指さす。

 

 『ユル、サナイ』

 『イタイ、イタイ』

 『ナンデ』


 口々に言いながら2-Bのみんなが蓮に襲いかかった。

 慌てて蓮の周りに結界を張る。

 だけど私の結界は一秒も保たずに壊され、一瞬のうちに蓮の体はみんなの中に埋もれてしまった。


 「い、いやぁあ! 蓮!!」

 「えー? そんな叫ばなくても大丈夫だよ?」

 

 スパンッと水平に舞う水の鞭が見えた。

 その瞬間、ボトボトと蓮を囲んでいたみんなの上半身が床に落ちる。赤黒い血が床に広がる。


 ギィヤァァァァアアア


 化け物のような悲鳴が響き渡った。

 みんなの声だ。


 「っうぅ」


 なんで、こんなことに。

 返り血にまみれた蓮はいつものように笑顔で手を振ってくる。

 どうして笑っていられるの?

 

 「あはっ」


 私の反応に満足したのか、蓮は目を細めるとマネキンに向かって駆け出した。

 マネキンは少し慌てた様子で腕を振る。すると蓮が切断したみんなの胴体が浮かび上がり下半身に接合した。

 みんなはまた、蓮に襲いかかる。が、蓮もまた、みんなを水の鞭で切断する。

 救いを求めるような絶叫が、怨念のこもった咆哮が、イタイと叫ぶ声が、止むことなく響き続ける。じわじわと心を蝕む。

 きっと痛みなんて感じてない。私達を追い詰めるためにマネキンが操っているだけだ。そうでなければ、耐えられない。


 どうして蓮は、平気な顔で、なんのためらいもなく、みんなを傷つけることが出来るの?

 

 笑顔でみんなを切り刻む彼を見ながら心の中で問いかける。

 私も恵も、ずっと震えている。

 見知った人を、同じ教室で過ごしてきた人たちを、友達を…この手で壊すことが怖いからだ。そんなことしたくない。できない。

 

 もちろん動かなければ自分たちが殺されることはわかる。

 仕方がないことなのだと、わかっている。

 だけど感情が、記憶が、理性が、拒絶するのだ。こんなの嫌だと。


 だから蓮が怖い。理解できない。どうして!?と揺さぶって問い質したい。

 ……そうやって私は、傷つかない安全な場所で彼を非難するのだ。

 蓮は、私と恵を守る為に、戦ってくれているのに。


 「っほんとに…私、最低」

 「由亞ちゃん!?」


 バッドを掴んで駆け出す。狙うのはマネキンだ。

 マネキンは蓮だけを見ていた。クラスメイトも全員、蓮に襲いかかっている。やるなら、今しかない。


 結局私はみんなを傷つける道を選べなかった。

 汚れ役を蓮に押しつけ、だけどただ黙っていることも苦しくて。その全てが解決する、フロアボスを倒すという道を選んだ。

 卑怯者。偽善者。だからお前は「特別」になれない。

 たくさん自分を罵るけど、それらを全て受け止めて、私はマネキンにバッドを振り下ろす。


 「みんなの死体を、弄んでっ。許さない!」


 バッドが頭部に当たる。

 ()()()()()、マネキンの頭がぐるんと回転した。


 「…え」


 蓮を見ていたマネキンは、のっぺらぼうなのに、今確かに私のことを見ていた。

 ぴょんっと見た目を裏切る軽やかな動きでそれは私の攻撃を躱した。バッドは勢いをそのままに空振りし、失敗したと気づいたときにはもう目の前に床が迫っていた。


 「っ痛ぁ」

 「由亞!」


 打ち所が悪かったのか、肘と膝がびりびりと痺れてすぐに動けない。

 だけど蓮の焦った声が聞こえたからなんとか顔を上げ、固まった。


 『ドウシ、テ』

 『ユルサナイ』

 『ナンデ、オマエ、ガ』

 「っひ…」


 虚ろな瞳が私を囲んで見下ろしていた。

 腐臭と血の臭いがする。結界を張らないと。そう思うのにうまくいかない、できない。怖い。

 あちこちから伸びてくる手が、髪や腕を引っ張る。そのうちの誰かが私の足を引っ張って逆にその人の腕が千切れた。それはまるで近い未来の私の姿だと言われているようで、ゾッとした。とにかく怖くて死にたくなくてがむしゃらに手足を動かす…けど、すでに死んでしまったみんなを傷つけることはひどいことのように思えて、私は……


 『ズル、イ』 

 「ぃっ」


 栗原さんのネイルが私の腕を引っ掻いたのは、そんなときだった。


 痛みにうめけば、腕にはべっとりと大量の血が付着していた。

 私の血だと、思った。だけどよく見るとその血は赤黒くて…まさかと思い顔を上げると、


 目の前が赤に染まった。


 直前に聞こえたべちゃっという音と、鼻を貫く強烈な鉄と腐敗の香り。

 震える手で目元を拭う。晴れた視界に映った自分の手は、…赤黒く濡れていた。


 「ひぃっ…」


 赤い雨が降っていた。

 絶えることなくそれは降りそそぎ、服が濡れ、ぐっしょりと体が重くなる。気持ち悪い。

 だけど、それ以上に…

 


 ズシャッ

 グアァアア

 ギャアアア


 

 私は、怯えていた。


 どこからともなく現われた大木が、みんなの体を貫いていた。

 逃げ惑うみんなの足下から鋭い木が突き出て、一人一人、串刺しにしていく。いくつもの木が肉を突き破り、みんなの体を破壊し続ける。

 手足がちぎれてどこかへ飛んだり、首が転がったり、臓物が飛び散ったり…いつかの光景が頭をかすめて、体の震えが止まらない。


 「大丈夫?」

 「…れ、ん」

 「フロアボスはもう倒されたみたいだよ」


 私の腕を掴み立ち上がらせたのは蓮だった。

 彼も私と同様に全身血まみれだ。

 目を細めて蓮がある一点を指さす。


 見たくない。そう願う意思に反し体は勝手に動き…とうとうその光景を見てしまう。

 

 恵が冷たい目で、マネキンを踏みつけていた。

 陶器の体はもう粉々なのに、原型すらないのに、ひたすらに足を振り下ろし続ける。

 大木はずっと成長を止めない。だから血の雨は止まらない。視界の端で何かが飛び散り続ける。

 怖い。恵が怖い。


 「め、恵っ」


 だけど…幼い頃の使命感が、私を突き動かす。

 恵を守るのは、私。

 震える手を伸ばし、彼の右腕を引っ張る。

 大した力は入れてないけれど、恵の体は簡単に私の方へと傾いた。


 「……由亞ちゃん」


 冷たい瞳に光が戻り、恵が私を見る。


 「…っ!」


 そして足下にある白い陶器の残骸を、みんなの体を引き裂いて成長し続ける大木を、じっと見て、青ざめる。体がカタカタと震え始める。

 恵は、震える声で言った。


 「…由亞ちゃん、僕がみんなを殺した」

 「っ!」


 ぽろぽろと恵の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


 「学校で、みんな殺した。僕が…犯人」

 「ど、うして、か…聞いて、いい?」


 この光景を見て、そうかもしれないとは思った。覚悟は出来ていたつもりだった。

 だけどいざ、本人の口から罪を告白されると、頭が真っ白になる。

 恵の腕を掴む手が、さらに震える。そんな私に縋るように、恵が私の手を自分の腕ごと握りしめた。恵の手は、私以上に震えていた。


 「…休憩で、由亞ちゃんが寝ているとき。女子が僕のところに来た。自分たちの誰かとパートナーになれって。僕は、断った。そしたら由亞ちゃんはやめたほうがいいって、誰かが言って。男に色目を使ってるとか、なにを考えてるかわからないとか、ありもしないことをベラベラと…。周りのやつらもそれを聞いて楽しそうに笑って。僕は無視したけど、そしたら誰かが魔法で由亞ちゃんに火をつけようとしてっ。僕は、やめろって怒って、全員死ねって思った……そしたら、みんな死んじゃった」


 一気に吐き出すように言い切ると、恵は堪えきれなくなったのか、しゃくりをあげて泣き出した。

 その姿に、幼い頃の恵が重なる。胸が締め付けられる。


 「っごめんなさい、ごめんなさい。僕がみんなを殺した。みんな、ごめんなさい…」


 …恵がみんなを殺してしまったのは、事故だ。


 人の命を奪った以上、仕方が無いとは言えない。

 だけど魔法が暴走しなければ、恵はみんなを殺さなかった。

 その魔法は、今日突然、与えられたものだ。制御できなくて、当然じゃないか。

 それに感情で魔法が暴走するなんて、ワニは教えてくれなかった。

 そしてその感情は…怒りは、私を想ってのことだ。


 「恵のせいじゃないよ」

 

 涙で顔をぬらす恵の手を取って必死に訴える。

 

 「恵は私のために怒ってくれた。守ろうとしてくれたんだよね。だからこれは、私のせいだよ」


 私の目からも涙がこぼれる。

 嫌だ、泣きたくないのに。だって本当に泣くべきなのは、恵と死んでしまったみんなだ。

 そもそも私がペア決めの時に出しゃばらなければ、今回の悲劇は起きなかった。私が選択を間違えた。私のせいだ。


 「ごめん、恵。ごめんなさい、みんな」

 

 謝る私に恵が青ざめ、首を振る。


 「由亞ちゃんは悪くない。僕だけが悪い。どうして…こんなことしちゃったんだろう」


 恵はぽろぽろと涙を流し、自分を責める。

 私も恵も一緒だ。自分が悪くて、それが正しくて、それ以外を受け入れることが出来ない。

 …だから私は、恵の頭を撫でる。


 「恵が私の為を想ってくれて、起きてしまったことなら、私にも責任がある。……恵、私と一緒に罪を背負ってくれる?」


 一人じゃない。私がいる。奪ってしまった命を背負って生きて、2人で一生苦しもう。

 下がる口角を無理矢理あげて笑いかければ、恵も弱々しく笑った。


 「うん…」

 「もう、あんなことが起らないように、一緒に気をつけよう」

 「うん。ごめん、由亞ちゃん。ありがとう」


 私と恵はみんなのお墓をつくった。

 ここにはみんなの体を埋める場所がないから、恵の魔法で作り出した花でみんなの体を覆い隠す。

 花が降り積もる中、ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で謝り続けた。私と恵は罪を背負い、生きている限り苦しみ続けます。だからどうか、みんなは成仏してください。


 そうしてみんなの姿が一欠片も見えなくなって、私と恵はもう一度「ごめんなさい」と謝った。許されないことはわかるけれど、私達は永遠に謝り続ける。


 そんな私達を蓮は最初から最後まで、にこにこと笑顔で見守っていた。


 「死体に謝っても、無意味だと思うけどね~」


 そんな声が聞こえた気がしたけれど、それは本当に小さな音だった。だから私は気のせいだと思うことにした。

 



 「…ありがとう、蓮」


 エレベーターへ向かうまでの帰り道。

 隣を歩く蓮にお礼を言えば、彼はこてんと首をかしげる。


 「ん~? あ! 返り血を洗い流したこと?どういたしまして~」

 

 たしかに全身血まみれだった私は蓮のおかげで元通り綺麗な状態だが…


 「そうじゃなくて、みんなと戦ってくれてありがとうって言いたかったの。…ごめんね、嫌な役を蓮にやらせて」


 みんなが死んだのも、恵がみんなを殺してしまったのも、蓮が死んだみんなと戦うことになったのも、全て私のせいなのに。結局私は自分の手を汚さなかった。

 それなのに次また同じことがあったとしても、きっと私はみんなを傷つけることができないと思うから、本当に自分が嫌になる。卑怯者。


 「別にいいよ~。俺は気にしてないし~」


 だけど蓮はいつものように軽い調子で笑う。

 私を気負わせないように笑い飛ばしてくれているのかそれとも本当に気にしていないのか、わからないから反応に困る。


 「そんなことより俺は、恵の魔法の暴走について話したいなぁ」

 「僕の?」


 自分の話になるとは思ってもみなかったのか、恵が驚いたように蓮を見る。

 私も少し驚いた。


 「そうそう。恵は感情で魔法が暴走するんだろ?」

 「あぁ」

 「しかも、制御できない!」

 「……あぁ」


 恵の顔が沈んでいく。

 蓮はなにを言うつもり? 止めるべきか任せるべきか悩んでいたら蓮が指を鳴らした。


 「だからさぁ、思ってること全部言葉にすればいいんじゃない?」

 「どういうこと?」

 「心の中で思うから暴走するんだ。怒ってるとかうれしいとか、頭で考える前に口に出してしまえば、リスクは減ると思うんだけどな~」


 蓮は名案とばかりに上機嫌で頷く。

 デリカシー・プライバシー共に皆無の提案だ。それに賛同することは、…少し難しい。

 

 だって心に秘めておきたいことは誰だってある。

 「特別」が欲しいとか、自分が嫌いだとか…2人に依存していることとか、私は絶対に知られたくない。思っていることを全て口に出すなんて、耐えられない。


 「わかった」


 だけど恵はその提案に乗った。


 「恵、無理しなくていいんだよ。私は…蓮には悪いけど、リスクは減らない気がするし」


 感情は突発的なものだ。心の中で思っても言葉にしても原理は変わらない。暴走のリスクは変わらないはずだ。

 だけど恵は弱々しく微笑みながらも、しっかりと首を横に振った。


 「僕はもう魔法を暴走させたくない。少しでも可能性があるなら、やる」

 

 たくさん泣いて赤くなった瞳は強い意思を持っていた。

 そんな彼を見てなお横から口を出せるほど、私は我が強くない。


 「それじゃあ私は、恵を応援するだけだね」

 

 笑いかければ昔と同じように恵ははにかんだ。


 「うん。ありがとう、由亞ちゃん。好き」


 時が止まった。


 「……え?」

 「かわいい。早く結婚したい」

 「………え?」

 

 今、恵に告白された?

 小刻みに肩を震わせる蓮の隣で自問自答する。

 それにしては、緊張感もなにもない自然な流れで言われた。


 「私のことが、好き?」

 「うん」


 恵は当然のように笑って頷く。

 その笑顔は幼い頃から何一つ変わらなくて…納得する。

 これは友情の「好き」だ。

 そのことに気づくと、とたんに自意識過剰な自分が恥ずかしくなった。


 最悪すぎる。土に埋まりたい。恋愛漫画の読み過ぎ。

 今も昔も私は恵に対して幼なじみ以上の感情を抱いてない。……けど、思春期の…特に中学生の頃はちょこっとだけ想像した。自分が不良集団に攫われて、それを恵が助けに来てくれる。自分が主人公で、恵や蓮がヒーローの…そんな妄想をして一人で楽しんでいた。黒歴史だ。


 結婚したいとか恵が言っていたような気がするが、それは私の妄想が作り出した幻聴だろう。自分が気持ち悪い。恵に申し訳ない。


 「チッ。明日は恋人記念日なのに、どうして異世界なんかに」

 「え、なんて?」

 「え?」


 だけどもう一度聞こえた幻聴に、今度は聞き返していた。

 恵は不思議そうな顔で首をかしげる。

 

 「明日は僕と由亞ちゃんが恋人になってから、15年目の記念日。……忘れた?」


 私はじっと恵の口元を見ていた。彼の口の動きに合わせて、言葉は聞こえた。…幻聴では、なかった。

 ハハ…と乾いた声が口からこぼれる。え、どういうこと?

 混乱する私の隣で、耐えられないとばかりに吹き出す音が聞こえた。

 

 「あはは! もう無理、なにそれ…あはっ。2人とも付き合ってないよね? 恵の妄想?」


 蓮が腹を抱えて笑っていた。

 そのことに安堵する。一瞬、私と恵は交際していたかと思いかけたが、やはり違ったのだ。私は間違っていない。


 「蓮、死ね。僕たちは付き合ってる」


 だけど恵は否定する。

 眉間に皺を寄せて蓮を睨む恵は、いつも通りの彼で、ふざけているようには見えなくて……戸惑う。ほんの少しだけ、恵から距離を取る。


 「え~本当にぃ? じゃあいつから付き合ってたんだよ~」

 「2歳のとき」

 「2歳のとき!?」

 「どうして由亞ちゃんが驚く? 僕たち花畑で、将来結婚しよう。ずっと一緒にいようって指切りげんまんした…」


 覚えてるよね? 恵ははにかみながら私を見る。

 対する私は、開いた口が塞がらない。蓮は笑いすぎて過呼吸になっている。


 正直、覚えていない。

 覚えていたとしても、子供の頃の話だし、私はそれで付き合っていると思ったりしない。

 だけど恵は、2歳のころの約束を真に受けて、ずっと私と恋人同士だと…ゆくゆくは結婚をすると思っていた。サァーと血の気が引く。


 「……仮に私達が、付き合っているとして」

 「仮じゃない。付き合って明日で15年目」

 「あ、えっと。でも恵、私のこと無視してたよね? 中1からずっと…」


 初めて無視された日のことを私は昨日のことのように思い出せる。

 それで付き合っていると言えるのか。伺うように恵を見ると、彼は申し訳なさそうに眉を下げていた。その瞳は悲しげに揺れている。


 「ごめん。ずっと寂しい思いをさせて。でも全部、お前を守る為だった」

 「どういうこと?」

 「…僕がそばにいたら、由亞ちゃんは妬まれたり、嫌がらせを受けたりするから」


 恵は悲しそうに目を伏せて、もう一度ごめんと謝った。

 確かに私は子供の頃、同級生や恵を狙う大人から度々嫌がらせを受けていた。年を重ねるごとに美しくなる恵と常に一緒に行動する私は、邪魔で妬ましくて仕方なかったのだろう。

 嫌がらせは、小学校中学年からさらに悪化した。


 「小4のとき、和田と喧嘩して勝って、僕は自分が強いことを知った。そのころになってやっと、由亞ちゃんが辛い思いをしてるって気づいた。僕のせいなのに…遅すぎる。そんな僕にお前を守ることができるとは思えなかった。だから、側を離れた……ごめん」


 恵は苦しそうに私に謝る。

 ……そんな理由があったなんて、知らなかった。

 私のため、だったのだ。


 そのことに気づくと、先程まで感じていた戸惑いはどこかへ消えていた。

 私は恵に嫌われたとばかり思っていた。だけど違った。その逆だった。恵の優しさがうれしくて、目の前が涙でぼやける。


 「恵、ありがとう。今まで気づけなくてごめんね、寂しかったよね」


 恵は小さい頃から私にべったりだったから、うぬぼれではなく、私と距離を置くことはすごく辛かったに違いない。

 恵はやさしい笑顔で首を横に振った。


 「由亞ちゃんと話せないのは、辛かった。けど、寂しくはなかった。だって僕は由亞ちゃんの声を、()()聞いていたから」

 「………え?」


 …ちょっと、わからない。

 私は恵に無視をされても挨拶はしていた。でもそれは偶然会ったらする程度のもので、毎日などでは決してなく…


 「由亞ちゃんの独り言や生活音を聞きながら、結婚したらこんなふうに2人で過ごすのかなとか、たくさん想像した」

 「ひと、り…ごとや、生活、音?」


 怖くて、声が震える。

 そうしたらなぜか恵はパッと頬を赤く染めた。


 「監視カメラは設置してない!着替えを見るのは…結婚してから、だから」


 指と指を絡めながら、もじもじと落ち着かない様子で恵は俯く。


 …恵の言葉が理解できない。理解したくない。

 だけど私の頭はぐるぐると、私の願いとは裏腹に動き続ける。


 監視カメラ「は」と恵は言った。

 つまり監視カメラじゃないものは設置している。おそらく盗聴器。

 盗聴器は問題ないと思っているその思考が恐ろしいし。そのことに気づかなかった自分が、今まで盗聴されていたという事実が…怖くてたまらない。


 「でも今の僕なら由亞ちゃんを守り切れる自信がある。元の世界に戻ったら、堂々とデートしよう」


 恵がそっと私の指に、自分の指を絡めて握ってくる。

 私の手は震えて、顔は青ざめているのに、恵は幸せそうに笑いかける。

 異世界に召喚されてから私は何度も恐怖し怯えてきた。恵はそんな私にすぐに気づいて、いつも私を気にかけて守ってくれた。それなのに、今だけは、私の恐怖に気づかない。


 「先月、由亞ちゃんが買おうか迷ってた服を買いに行こう。青緑色の小花柄のワンピース、似合ってた」

 

 目の前が真っ暗になる。

 それは確かに私が、買おうか迷ったワンピースだ。


 「……な、なんで…知ってるの?」

 「なんで? 一緒にデートしたから」


 震える声で問えば、美しい顔がぱっと花が咲いたようにほころぶ。

 今までなら、かわいいな綺麗だな、恵は「特別」だなと思っていた。

 だけど今はその顔を見ても、…恐怖しか感じない。


 「デートした覚え…ないよ」

 「あぁ。一定の距離を保って歩いてたから…たしかに、あれはデートじゃなくてお忍びデートか」


 ストーカーという言葉が脳裏に浮かんだ。


 「も、もしかして、頻繁に私の後…つけてた?」

 「頻繁? まさか」


 恵は慌てて首を横に振る。

 そのことにわずかに安堵し、安堵する自分に恐怖した。…感覚が麻痺している。

 最悪の事態にはなっていなかったが、私は恵に尾行され、盗聴もされていたのだ。犯罪だ。


 「由亞ちゃんが外出するときは、いつだってお忍びデートを楽しんだ!」


 さらに罪科が重くなった。最悪の事態になっていた。私は外出のたびに恵にストーキングされていた。


 恐怖に後ずさり、繋がれていた恵の手が離れかける。が、離さないとばかりに強く握られた。

 腕を引かれ、体勢を崩した私は恵の胸に倒れ込む。懐かしい匂いがした。けれど、その香りに落ち着くことは、ない。


 私はどうしたらいいの?

 わからない。どこからなにを指摘すればいいのか。言って伝わるのか。…わからない。


 とりあえず恵から離れようと胸を押せば、彼はすんなりと私を解放してくれた。

 私を見下ろす顔は少しだけ悲しげだ。

 そんな彼を見て、罪悪感が胸を刺す。


 今の恵は、怖いし、気持ち悪い。

 だけど私にとって恵は…やはり大切な幼なじみなのだ。

 どうしたって嫌いにはなれないし、できることなら傷つけたくない。


 本当に、どうしたらいいのか、わからない。


 「あ~おもしろいなぁ。2人とも、エレベーターついたよ?」

 「ぁ、本当だ…」


 だから私は、思考を放棄した。

 今は緊急事態だから。7つダンジョンを攻略して元の世界に帰ることが最優先事項だから。他のことは考えない。考えてはいけない。

 そう自分に言い訳をして、エレベーターの前で手を振る蓮の元へと駆け出した。


 「恵、行こう」

 「うん」


 いつも通りの笑顔を貼り付けて、恵の手を引き、走る。




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