9.蓮と恵に会いたい
「…う。いたた。え、ここどこ」
体の節々の痛みで目覚めると、そこには絶景が広がっていた。
天井からは青白く発光するつららがいくつも垂れ下がり、右手には澄んだ青が美しい地底湖が、左手には天井に向かって鋭く伸びる石筍がある。間違いなく鍾乳洞だ。
「ていうか、少しでも落ちた場所が悪かったら私死んでた…」
地底湖で溺死。石筍が突き刺さって出血死。
ぶるりと身震いして、ふと自分の言葉に疑問を持つ。
「落ちたってどういう? ……ぁ」
全て思い出した。
蓮や恵とギクシャクしていること。2人が致命傷を負ったと呼び出されたこと。2人は無事だったこと。私は生け贄として穴に突き落とされたこと。
一気に頭を駆け巡る。
いてもたってもいられなかった。
「は、早く戻らないと。恵がみんなを殺しちゃう!」
落ちてきたから上に向かえば戻れるはず。
混乱する頭は安易な答えを導き出し、天井まで届く階段やはしごを探す。しかしそんなものあるはずもなく、気持ちばかりが焦っていく。
「これ以上恵に苦しんで欲しくないのにっ」
蓮が恵を止めてくれると信じたい。だけどシャイリーンさんの件を考えるとそれは難しいようなさらに恐ろしい事態になりそうで、不安が悪化した。
とにかく生きてることだけでも伝えなければと、天井を見上げて青ざめる。
「…う。絶対に無理」
そこには全てを飲み込むような深い闇が広がっていた。光の粒すら見えない。あるのは鍾乳石の淡い光だけ。手は絶対に届かないし、声もたぶん聞こえない。
どうすることもできないとわかったからか、気持ちがだんだんと落ち着いてくる。
「冷静に、なれ。蓮と恵。2人と合流する。少しでも早く。そのためにできることを探す」
落ち着け。落ち着け――よし。
私はもう一度辺りを見まわした。
天井は相変わらず高く暗く先が見えない。空に手が届かないのと同じで、天井から垂れ下がる鍾乳石や支柱を登ったとしても脱出は不可能だろう。
「そもそもロッククライミングなんて私にはできないし」
ハハ…という笑い声が空しく反響する。
…蓮と恵に会いたい。
「しっかりしろ、私」
頬を叩いて気を取り直す。
鍾乳洞はとても広い。しかし全体的に石筍があるので歩ける道がほとんどなかった。一方の地底湖は水が澄んでいてとても美しいが、それだけに底が見えないのが怖い。沈めば一巻の終わりなので泳いで出口を探すのはなしだ。だけど綺麗なのでつい眺めていれば、地底湖から別れた細い川があることに気づく。なんとそこには川に沿うように小さな通路があった。足場はなだらかで歩きやすそうで、なにより道が続いている。
「この道を進めば、蓮と恵に会える…?」
淡くはあるが希望の光が見えた。
もちろん罠の可能性もある。一人で進むのは怖い。
だけど、それでも、進まなければならない。
だって、
「は、早く合流しないと恵がみんなを殺しちゃう」
迷っている時間すら勿体なかった。
こうして私は一人でダンジョン攻略することになった。
//////////☆
自分の選択を後悔したのは歩いて1時間ほど経過したころ。
グルルルルルル
「ひぃいいい~」
私は大オオカミから逃げていた。
小さな通路は下水道に似た一本道で、川と天井から垂れる鍾乳石にさえ気をつけていればとても快適に歩くことができた。だけどそれは前方から大オオカミが走ってくる前までの話。
グルルルルルル
唸り声はさきほどよりも近い。
どうして私は魔物が襲ってくることを忘れていたのだろう。泣きそうになりながら走る。
迷う時間よりも罠よりも、なによりも命を脅かす存在がいたのに。
そんなことを思っていれば、ゾワッと背筋に悪寒が走った。咄嗟に川に飛び込む。
ガァアアアア
水の中なのに大オオカミの唸り声はしっかりと聞こえて、恐る恐る水面から顔を出せば、私が先程までいた場所を大オオカミが穴を掘るように抉っていた。気絶したかった。
どうしよう。どうやって対応しよう。
私の結界じゃ、大オオカミを倒すことも自分の身を守ることもできない。
引き返そうか一瞬だけ考えるけど、道を引き返しても2人には会えない。それなら進まないと。
幸いにも大オオカミは私が川にいることに気づいていない。
このまま泳いで進もうか。
そんなことを考えていたときだった。
くいっと足を引っ張られた。
え? と思ったときにはもう私は水中にいた。
ごぽぉっと口から空気が漏れて上へ上へと上がっていく。すさまじい早さで。
足下を見ればタコのような触手が私の足首に巻き付いていた。それが下へ下へと私を引っ張るのだ。ゾッとした。必死に藻掻いて暴れて逃げようと努力する。でも触手は外れない。
暴れた分だけ体力が消耗して、息がもう限界で、意識が朦朧としてくる。
走馬灯なのか。
霞む脳裏に浮かんだのは蓮と恵の顔。
ずっと一緒にいたい大切な幼なじみ。
そんな彼らを私は傷つけてしまった。今もギクシャクしたままで、会話らしい会話もできていない。まだ仲直りできてないのに。
それなのに、私は死ぬの?
こんなところで死にたくない。
強い後悔が私に最後の力をくれた。
震える手で触手を掴む。
ありったけの力で引っ張って爪を立てて、それが無理なら噛みついて、一生懸命戦う。
だって私は生きたいから。生きて蓮と恵に会いたい。謝りたい。仲直りしたいから。
だけど、それでも触手は剥がれなくて、私の体はさらに沈んでいく。
さすがにもう、限界だった。
体に力が入らなくて、景色が色を失い始める。
だから、
足下に銀色の閃光が見えたとき、幻覚かと思った。
だけど足首への圧迫感が消え、誰かに腰を抱かれて、水面が徐々に近付いていくのを見るうちにこれは現実かもしれないと思い始め…
「っぷはぁ。ごほっ、ゲホ、っぅはぁはぁ」
地面に投げ出され、酸素を胸いっぱいに取り込み、ようやく確信した。
誰かが助けてくれた。
もしかして、蓮と恵?
喜びに顔を上げて、言葉を失う。
「あなた、弱すぎじゃないですか?」
そこには恐ろしい程に美形の男性がいた。
怜悧な美貌を放つその人は顔のパーツがどれも整っていて美しいのに男性的で、空色の長髪を後頭部で一つにまとめていた。背はきっと蓮よりも高い。体格もがっしりしている。
シャツにズボンというシンプルな格好がさらに彼の美しさを引き立てていた。
「私の声、聞こえてますか?」
「え! あ、はい」
人間味を感じない冷たくも美しい顔が怪訝に歪んだのを見て、ようやく我に返る。
失礼なことをしてしまった。助けてもらったのにお礼も言わずに見とれるなんて、本当にひどい失態だ。
「助けていただいて、本当にありがとうございました」
土下座をするように勢いよく頭を下げる。なぜかというと、彼が帯刀している剣を苛立たしげに指で叩いていたから。とんとん、とんとんと。…怖い。
「感謝は不要です。顔を上げてください」
口調も声色も冷たいが言葉だけは丁寧だったので、恐る恐る顔を上げる。
「ひっ」
上げて後悔した。喉元に剣を突きつけられた。鋭利で冷たいものが喉に触れている。それだけで気絶しそうな程恐ろしいのに、男性が無表情なのがさらに怖い。美人の無表情は恐ろしい。
「あなたはどこの誰ですか。身分を明かしなさい」
「つ、月城由亞です。地球の日本から来ました。ワニに召喚されました。結界と治癒の魔法を使えます。でも弱いです。ほぼ無意味です。だから生け贄にされました。蓮と恵に会いたいです」
もう最後は自分でもなにを言っているのかわからなかった。
川の恐怖から解放されたと思ったら、新たな恐怖に襲われる。なぜこんなことに…。
「自分の素性を他人にペラペラ話すなんて、あなた不用心じゃありませんか? 警戒心を持ったほうがいいですよ」
それなのに眉間に皺を寄せて忠告される。
あなたが話せと脅してきたのでは?
「まあ私には関係ありませんが」
言いながら男性が剣を下ろしたのでようやく肩の力が抜ける。
そう思ったのだが…
グルルルルルル
先程の大オオカミが私たちめがけて走ってきていた。休む暇がない。
慌てて逃げる。
ぶへぁっ。
…つもりだったのだがつい先程まで酸欠だった体は思うように動かず、その場に転ぶ。
「ぃっつう…あ、あの、私のことは気にしないで、あなただけでも逃げてくださいっ」
「もとよりアレはあなたに譲るつもりです。どうぞ」
なに言ってんだ、この人。
グルルルルルル
思考を放棄したのがいけなかった。
いつのまにここまできていたのか、大オオカミが私たちめがけて前足を振り下ろしていた。
ひぃいいい。今日こそ覚醒してくださいぃ。
慌てて結界を張る。が、案の定飴細工のように壊された。鋭い爪が目の前に迫る。今度こそ、死ぬ。
「…まさかこれが由亞さんの限界。弱いですね」
そう思ったが、死ななかった。
私に届く前に、ボトリと鋭い爪が切り落とされたから。
「…え」
「邪魔です。下がりなさい」
「わ」
男性に肩を押されて、一歩二歩と後ずさる。
そこからはもう早かった。
大オオカミに向かって男性が跳躍する。銀色の閃光が走ったと思ったときには血の雨が降っていた。大オオカミが全身から血を吹き出し倒れる。
「……え」
瞬殺だった。
「…あなた、血まみれじゃないですか。下がりなさいと言いましたよね。馬鹿なんですか? 言葉が理解できないんですか?」
唖然としていれば、男性が眉を寄せながら歩いてくる。
辛辣なことを言われたがそれよりも慣れた様子で剣の血を払うその姿を見て、まさかと思う。
「さっきの銀色の閃光って、魔法じゃなくて…その剣ですか?」
「閃光? 凡人にはそう見えるんですね」
興味なさげに首を傾げて男性が私の右手を掴む。
気づいたときにはもう遅く、右手首に焼けるような痛みが走った。
「いっ」
「……。」
なぜか今も掴まれたままの右手を見れば、恵の契約印の下に灰色のツタが増えていた。
男性の左手首にも白のツタがぐるりと一周している。
「魔法が使えないのは少し不便だったので、あなたが女性で助かりました」
「え」
今も手を離さないのは魔力補充のためのようだ。感謝しますと男性は言うが無表情なので感謝されている気が全くしない。
いや、それよりもと顔が引き攣る。彼の跳躍高は高層ビルを遙かに超えていた。剣も常人の技じゃなかった。だけどそのとき魔法は一切使っていなかったというわけで…。
「あの…人間ですか?」
「種族的にはヒトですが、遠い先祖は獣人だと聞いています。狼と豹だったかと」
「……す、すごいですね」
馬鹿みたいな質問をしたと後悔していたら、真面目に返されて、しかも漫画みたいな回答を返される。正直頭がかなり混乱した。
しかし私は目の前の男性を甘く見ていた。
「あらかた回復しました」
「あ、よかったです…へぎゃー!?」
なぜか川へと投げ飛ばされた。
ボコボコと体が沈み、さきほど死にかけた恐怖を思い出す。
「っぷはぁ、ひぃ。な、なにを…ボゴゴゴ」
「まだ血が取れていません。不衛生です」
慌てて水面から顔を出せば、頭を掴まれ沈められる。そしてごしごし手で顔を擦られる。親切心?なのかもしれないが拷問でしかない。
「っぷは、や、やめ…ま、また足に…ボボボボゴ」
「本当に弱いですね…」
そうしてまたタコの魔物に足を引っ張られ、頭上では呆れたような声が聞こえ、私はさらに蓮と恵に会いたくなった。




