7、あたたかな村
フルグリット侯家のコボルト居留地は、山を背にした丘陵の土地に定められていた。
二十年前、この付近は岩と瓦礫の土地であり、とても人の住む場所ではないと見捨てられていた場所だった。
今や、そこは緑成す牧草が広がる土地となっている。
「奴ら、どんどん土地に手を加えていきましてね。よく働く上に、子だくさんだ。その代わり、入れ替わりも激しいですが」
案内してくれた兵士は、皮肉とある種の親しみを込めて評した。
ここで暮らすコボルトの、おもな産業は牧羊だ。牧童にして牧羊犬、というのはなんとも言い難い独特の味があるが、彼らはそれを受け入れているらしい。
「彼らは土地の手入れにも、才覚があったみたいだね」
「いいなあ、この土。ケデナじゃ、こういう土が作りにくいんだ。持って帰りたい」
馬車から降り、土の吟味をしていたカーヤが、羨ましげにつぶやく。
魔法による土壌改善は、一時的な効果は認められても、長期的には効果が途切れてしまい、荒れ地に戻ってしまうことがほとんどだ。
定期的な施肥や土の入れ替えなど、昔ながらのやり方が必要だった。
「それにしても、本当にコボルトばかりだね」
明るい日差しの下、野良で働いている姿が見える。おそらく、自分たちで食べる分の野菜を作っている畑では、雑草取りや、次の作付けのために土を起こしている姿がある。
牧草を刈り取り、荷車で運ぶ者たち。
肥料にするために、羊たちの糞を集めていく者たち。
畑の端では、子供の面倒を見る女たちが敷物に座り、毛玉から糸を紡いでいる。
その周りではしゃぎ、声を上げ、おもちゃを振り回しては、じゃれ合う子供たち。
どこかで、誰かが歌っている。
それに合わせて、また別の誰かが歌う。
風にそよぐ牧草のささやきと、遠吠えのようなコボルトの声が、相和して流れた。
「……イフ姉」
「うん」
「幸せそうだ」
「……そうだね」
カーヤは顔をぬぐい、そのまま歩きだしていく。その後について歩くイフは、奇妙なものを見かけた。
子供たちの遊ぶ辺り、女たちのすぐそばに、二本の棒のようなものを立て掛けたものが置かれていた。
その下には素焼きの器があり、白っぽい丸いものが盛られている。
「すみません。少し、お話をよろしいですか?」
糸を紡いでいた手を休めたコボルトの母親は、寄りかかる子供を撫でつつ、頷いた。
「これは農具か何かですか?」
「『ナガユビ』だ」
「……ナガユビ?」
「猟、使う道具。勢子、熊、鹿、追う道具。見習い、使う奴だ」
長い棒の先には、何かをひっかけるために使う金具があり、一応武器として使えなくはない。とはいえ、コボルトの体格では、気休め程度だろう。
その下に置かれていたのは、どうやら団子らしい。
イフの視線に母親は笑い、一つ取って差し出した。
「ほれ」
「い、いただきます」
すでに表面が乾いていたそれは、とても美味しいとは言えない。とはいえ、独特の味わいがあり、噛んでいくと、小麦のそれとは違うことに気づく。
「これは、何で作っているんですか?」
「百合根。供える。ナガユビに」
「……どうして?」
「知らねえ。ずっとそうだ。ナガユビ、団子、供える」
それは素朴で、単純な答えだった。
魔除けか、子供らの安全か、猟の成功かは分からないが、そうした何かを祈り、続けられてきた儀式なのだろう。
「どこのコボルトも、やっているんですか?」
「ああ。森のも、谷向こうも、みなそうだ」
「イフ姉、どうかした?」
こちらが付いてこないことを心配した友人が、不思議そうな顔を向ける。
イフは改めて草原と畑を見渡し、休憩場所や作業場に、同じ印を認めた。
「なんでもないよ。さあ、村長の所に行こう」
「ところで、なに食べてたの?」
「食え」
ぬっと差し出される団子に、カーヤが戸惑い、受け取って口に含む。
微妙な食感に苦笑しつつ、礼を言って歩きだす。
「美味しかった?」
「出来立てを食べたい」
「思った。わたしも」
「あとね」
彼女は一瞬、遠い目をして、西の方へ顔を向けた。
「ツチツチ、食べたくなったよ」
村長の家は、コボルトの集落でもかなり立派な造りになっていた。
他の家が、開墾時に掘り出した石を基礎に使っているのに対し、こちらは研磨し、形を整えたものを壁に使っている。
「こんにちは。長旅、お疲れ、でしょう」
おそらく、十代になったばかりの若い雄だ。言葉遣いをできるだけ人に合わせ、長として歓待しようとする意志を見せていた。
「無理はなさらないでください。コボルトの口吻では、共通語は操りにくいはずです」
「……すまん。人、言葉、むつかしい。無礼、許せ」
「そちらの方は?」
彼のすぐそばで、椅子に腰かけたもう一人のコボルトが、こちらを見ている。毛皮がだいぶよれて、加齢の兆候が見えている。
「ばあちゃ、挨拶だ」
「……ユネリ、よろしく」
共通語は操りなれていないのだろう。朴訥なコボルト訛りがきつく出ている。
「ばあちゃ、村、拓いた時、ずっとだ。長、少しやった」
「失礼ですが、お歳は?」
「二十と、三。長生き、同じ歳、もういない」
コボルトの寿命は短いと聞いていたが、その実情を見せつけられ、二人は言葉を継げなかった。
『その代わり、入れ替わりも激しいですが』
おそらく、この村を巡回している兵士も実感しているのだろう。コボルトにとって、世界と関われる時間は、あまりにも短い。
「……その、ユネリさんも、式典に?」
「ああ。ばあちゃ、連れてく。行きたい、言った」
「コボルト……村、造る。頼まれた」
それは頑ななほどの、強い言葉だった。それで済んだと言わんばかりに、目を閉じてしまう。それから、少し疲れたような息を吐いた。
「治療師や神官には、診せたのですか?」
「ああ。無理だ、言われた。老衰、治す、無理だ」
このことを、女王は知っているのだろうか。いや、おそらく知っているからこそ、この村との契約を急ぎ、コボルトたちの願いを叶えるつもりなのだろう。
いや、おそらくは『彼』の願いを。
「確実に、貴方は命を狙われます」
ユネリが下がり、村長と対面したイフは切り出した。
村長は驚いた様子もなく、頷く。
「市場、行った奴。嫌がらせ、された。最近、ずっと酷い。女王様、守り、出した。でも無理なとこ、一杯ある」
「他の集落はどうですか?」
「村、認められる。俺、最初のとこ。他、まだだ」
「先鞭を付けられれば反対しにくくなる。連中にとっても、正念場ってことか」
それから、机に地図を広げ、王都までの道を確認していく。おそらく、フルグリット領内を出るまでは安全だ。そこから北上して白麗の都まで、おおよそ一日。
この辺りは"知見者"の舗装もなく、待ち伏せを受けやすい森や林が点在している。
「しかも、無理をさせられないユネリさんもいるから、道中での荒事は避けたいね」
「こんなことなら、うちの騎士団から人を借りとくんだったな」
「紫の騎士の目から見て、奇襲をするならどこ?」
すぐにカーヤは、崖沿いの道や両側を森で囲われた土地を指し示す。それに頷き、イフ自身も経験と感性に従って、暗殺ポイントを絞っていく。
「こんなところかな」
「……まさか、この全ての地点に、なんてこと、ないよね?」
「そう願いたいけど、相手の規模次第かな」
それから、簡単な打ち合わせを行い、二人は村長宅を後にした。
村の周囲には木で出来た防御柵があり、その周囲を軽装の兵士たちが見回りしている。
そんな彼らにコボルトの一群が近づいて、何かを差しだしていた。
「……ああ、彼らの夕食か」
幾分かほっとしたような声で、カーヤが呟く。王都での扱いを見た後で、この村の囲い地を見た時は、少なからず動揺していた。
兵士たちもコボルトも、いつものこととして受け入れている。給仕をした幾人かは、その場に残って会話を楽しんでいるようだ。
「いい村だね」
「うん。そうだね」
「出発は三日後。その間に、できる限りをしよう」
紅に染まり、紫の薄絹が空を覆ってく黄昏のひと時。
二人はもう一度、あたたかな村を見回した。
それから、振り返らずに、帰途についた。