6、白き古峰の都
白麗の都。
その二つ名は、モラニア一の平原、ストラウムの中央にそびえる高峰、ストラ山から取られている。
頂上付近に積もる永年雪を王冠に見立て、リミリス王家の象徴とした初代国王の先見性は、二百有余年続く今でも、歌や詩に讃えられられ続けていた。
街を囲う巨大な胸壁は、今は無きジェデイロ市の倍の高さを誇り、内側に築かれた都市の大半が、磨かれた石材と成熟した木材で構築されている。
大通りは賑やかで、商品をやり取りする商家は、人と物で溢れていた。
「こういうのを見ると、やっぱりケデナは田舎だなーって、実感しちゃうなあ……うらやましい」
「仕方ないよ」
ぼやくカーヤの背中を叩き、イフは笑った。
「こういう都を造るには、権力を中央に集める必要があるの。お金も人も、まとまったほうが強いから」
「ケデナには、まとまりなんてないも同然だしねぇ。そういや、ドワーフとエルフ、またうちの領内でもめてるとか聞いたなぁ……正直、帰りたくない」
「カーヤも大変だね。次期領主様だし」
「今は父様と、プフおじさんがいるからいいけど……今後が不安すぎる」
とはいえ、まだ年若いカーヤにいきなり領地経営を任せるほど、彼女の養い親たちも性急ではないだろう。
今回の旅の同行者として彼女が付けられたのも、世界の様子を見て回り、糧とするようにという親心から発したもの。
あまり、気落ちさせるのもかわいそうだ。
何か気晴らしになりそうなものを買ってあげよう。そう思って、往来を見渡した。
「ねえ、カーヤ。あれ」
「え、なに……」
それは、大通りから伸びる小路の一つ。いくつもの露店が並ぶところに、ケデナでは見ない存在が店を出していた。
野禽や鹿の肉を串焼きにしている店。それを経営しているのは、人ではなかった。
大人の男の半分ほどしかない、犬のような顔を持つ、獣人。
「コボルト……」
それなりに盛況らしく、幾人かの人々が肉を求めて歩み寄っていく。さり気なく、表からは見えないところに居るが、それでも。
「こんにちは」
「……い、いらしゃい」
それまで愛想よく肉を売りさばいていた彼も、こちらの顔を見て驚いたようだった。
「人、ちがう? ごめん、始めて見た。お客さん?」
「大丈夫。わたしはこういう顔なだけ。お肉、美味しそうですね」
「う、うん。俺、ちゃんと肉、売ってる。うまいぞ」
よく見れば、この店の奥の方にも、人の売店に混じって、雑貨などを売っているコボルトたちの姿があった。
「それじゃ、二つ下さいな」
「ふたつ、うん。鹿、雉、猪、どれ?」
「あー、いや。よっつで。鹿、雉、猪、ひとつづつと」
「わたしは雉で」
コボルトはにっこりと笑い、慣れた手つきで鹿と猪、それから雉を二本、焼き始める。
「ここで商売して、長いのか?」
「うん。おととし、お前、都行け、言われた」
「出稼ぎ、というわけか」
「うん。それと、女王様、来い。行った。コボルト、人、同じ、する」
煙の上がる焼き台の向こうから、脂と煙で少し毛皮のくたびれたコボルトは、それでもうれしげに告げた。
「俺たち、もう、追われない。人と同じ、扱う。言った」
その施策のことは聞いていた。
リミリスを統治する現女王、リィル・リミリア・エファレイア。その彼女がまだ、フルグリット侯爵家の息女であったころから、彼女はコボルトとの融和政策を進めていた。
当然、その施策は激しい抵抗と嫌悪を呼び、物議をかもした。
しかし、彼女は粘り強く交渉を続け、その領内にいくつかの居留地を設け、難事業に対応し続けた。
その後、彼女は女王となり、五年ほど前からコボルトたちに、ガイ・ストラウムでの商取引を可能にするという触れを出している。
「知ってるか。来月、女王様、コボルトの村、人の村、同じ、なる」
「ええ。でも……大丈夫なんですか?」
「うん。むつかしい、聞いた。税金、人、だいたい同じする。言った」
「課税率を人と同じに? でも、それは……」
さすがに領地経営に理解のあるカーヤは、難しい顔で眉をしかめた。
コボルトは魔物であり、その存在を許容するのであれば、彼らの扱いは人と同じにしなくてはならない。
そして、同じ扱いにするということは、税法や刑法も等しく適用されるということだ。
だが、彼らの体は小さく、寿命も人のそれよりは短い。確実に、不公平の種になるのは目に見えていた。
「たぶん、わたしたちが呼ばれたのも、そのためだよ。ケデナは多民族が生きる場所。複数の異なる種族に対する助言を、聞きたいんだと思う」
「……それだって、毎日頭の痛い問題ばっかりだけどね。でも、そういうことなら」
串焼きが焼き上がり、手渡される。
野禽の肉は堅かったが、それでも肉付きもよく、噛むほどにうまみが出た。
「おいしい」
「うん。うまいぞ。うち、いい狩人、たくさんだ。その鳥、昨日」
「おいそこの犬」
それはあからさまな侮蔑。
通りからの光を遮る、大柄な影が二つ。そこから、太く嫌ったらしい声がかかった。
「あ、お役人、ど、どうも」
「肉は売れたか」
「う、はい。売れて、る」
イフを肩で押しのけ、仕立てのいい礼服を身に着けた髭の男は、むっつりと片手を差し出す。
コボルトは目をつぶり、それから小さな袋を手の上に乗せた。
それを懐に収めると、こちらを眺めて、心底嫌そうに顔をしかめた。
「なんだ貴様……異形か。貴様もコボルトと同じ、臭い魔物が人に降った者か」
「ダメだよ、カーヤ」
背後で凄絶な殺気を放ち始めた従者を抑え、イフは冷えた視線で、官吏と背後に控える兵士の顔を、じっと見つめた。
「私は旅の者です。ケデナから、白麗の都を見物しに参りました」
「黒き蛮夷の地より来た者か。何か言いたそうだな」
「先ほど、貴君が彼から取られたもの、それは職責に基づくものでしょうか」
「他国の慣わしを誹謗するつもりか?」
「いいえ。珍しかったので、質問を」
皮肉に口元を歪めて、男は告げた。
「こいつらは獣だ。魔にこびへつらうのを止め、神の恩威しろしめす、我が国に降った敗残者だ。その身の程を知らせ、永遠に忠誠を誓うよう、躾けているのだ」
「それが、女王陛下のご意志というわけですか」
「貴様には関係のないことだ。内政に口を挟むなよ、異国人」
男の目は、物欲しそうに往来のコボルトたちを眺め、唾を吐いて立ち去った。
緊張が解け、犬顔の目から、だいぶ精気が失せているのが見て取れた。
「前言撤回。逆らえない相手から賂を貪るとは、この国は最低だ!」
「でも、それに文句を言う人は少ない。結局、コボルトたちはまだ、魔物として扱われているから」
「イフ姉!」
懐から数枚、銀貨を取り出して屋台に置くと、イフは不安そうなコボルトに頷いた。
「また来ます。その時に、少しおまけしてください」
「……ありがと。気を付けろ。あいつ、こわい役人」
「大丈夫」
手にした木の杖を軽く挙げ、イフは笑った。
「こう見えてわたし、結構強いんですよ」
それから、王城の衛兵詰め所で、くだくだしいひと悶着があり、城内に設けられた謁見の間に通される頃には、夜が更けていた。
「お待たせしまして、申し訳ありませぬ。遠国よりようこそ御出でくださいました。偉大なる賢人、並びに誉れ高き、紫の騎士よ」
その衣装は普段使いのものに近い、簡素なものではあった。略式の冠と夜会用の室内着を身にまとった彼女は、座に腰かけて二人と対面した。
「お招きに預かり、恐悦至極にございます。ヴィルメロザ騎士団総領、フランバール・ミルザーヌが名代、紫の騎士、カーヤ・アンヴァル・モーニック。女王陛下の御前に、罷りこしました」
ひざまずき、礼を取るカーヤの後についで、イフも礼を取る。
「四大陸魔術師連盟、主席魔術師。並びにケデナ魔術連盟代表、イフ・アルキドルーガ、御前に罷りこしました」
「楽になさってください。いえ……折角ですので、場所を変えてお話を」
「お疲れではありませんか? 先ほどまで、議会を開いておいでだとか」
女王は皮肉気に笑い、扇を口元に当てた。
「軸木の壊れた荷車を押すようなものです。わたくしに、徒労を強いたいだけのね」
「陛下……」
「では、こちらへ」
その目元や口元には、苦労を重ねた皺が見て取れる。おそらく、連日どころか年をまたいだ労苦が、彼女に降り積もっているためだ。
それでも全身からは一種の覇気がみなぎり、弱さなどは一切感じさせない。
数多の勇者が混乱を招き、魔王の放った疫病で疲弊したモラニア諸国。その中で最も精強に立ち直ったされるリミリス。
その屋台骨を支える女王の気概に、二人は姿勢を正した。
「それにしても、あなたは変わりませんね、イフさん」
城の一隅にある、女王の私室。その応接の間で、彼女は相好を崩していた。口調もどこか、昔の娘時代を思わせた。
「素体となった竜種の影響だそうです。外見に経年は現れず、寿命も通常の命とは比べ物にならぬほどとか」
「……そうだったの? 確かに、いつまでも変わんないなって思ったけど」
「その代わり、終わりがいつ来るのかも、分からないと。"凍らぬ泉"直々の診断です」
少し湿り気の混じった会話を目礼で打ち切ると、心得た女王は友人に声を掛けた。
「カーヤ、という名前を聞いた時は、もしやと思いましたが……あの小さな女の子が」
話題を振られて、カーヤは食べかけの焼き菓子を手にしたまま、頬を染めた。
「あの頃は、礼儀も何も知らない小娘で……陛下にはとんだご無礼を」
「いいえ。一緒に作ったシチューのことは、今でも思い出します。あの砦で、皆がいて、とても楽しかった」
それはもう、二十年も前のことだ。
この場に居る三人は、ケデナのある砦にいた。魔王に追い詰められ、死に瀕した状況に抗うため、"英傑神"の勇者を旗頭に、力を集めていた。
「そう言えば、エルカさんはお元気ですか?」
「はい。今はケデナの魔術師連盟で、新人指導に当たっています。例のカードがケデナでも普及し始めたので、そろそろ河岸を変えるか、なんて言っていました」
「宮廷魔術師であればいつでも歓迎しますので、是非にとお伝えください」
「女王陛下、恐れながら……アクスル卿のお姿をお見掛けしませんが……」
カーヤの言及に、リィルは寂しそうに笑った。
「昨年、流行病にて。神官による治療も施したのですが、命数は尽きていたようです」
「略式ですが、騎士団より哀悼を。総領にお伝えし、いずれ弔問の使者を手配りします」
「ありがとう。あちらでは貴方の御養父、モーニック殿にはよくしていただきました」
「はい。父からも、アクスル殿によろしくと」
それは戦友同士の安否の確認であり、懐かしい記憶を呼び起こす、慰安の時間だった。
だが、いつまでも感傷に浸っている間はなかった。
「女王陛下、実はお耳に入れたいことが」
「……領内に謀反の兆しあり、でしょうか」
息を飲む二人に、リィルは泰然とした、淡い笑みを浮かべた。
「あなた方にも、何か障りがあったようですね」
「エレファス山中にて、カードを使う賊に襲撃を受けました。撃退し、首謀者を教会の者に引き渡してあります」
「残念ながら、国内には私の存在を良く思っていない者も数多いのです」
「やっぱり、コボルトを受け入れる件、なんですか?」
心配で顔を曇らせたカーヤは、自分の言葉から礼儀が失われていることに気づかない。
そして、女王はあえて指摘せず、席を立って執務卓から何かを持ち帰った。
鈍く光る鉄の矢と、一枚の羊皮紙。
「私が女王に即位できたのは、結局のところ運命の綾のなせる業です。魔王の疫病によって兄たちが死に、帰還して後も他家の王位継承権を持つ者が倒れた。結果、暫定的に私が女王となったのです」
「暗殺者の使う毒の投げ矢……すでにそのような凶行が?」
女王は頷き、ため息をつく。それから、手にした羊皮紙を手渡してきた。
「これは……コボルト受け入れと、その後に施行される法の草案ですね」
「商取引に関する免許、並びに土地の開墾と所有も領民と同様に扱う……これはつまり」
「はい。コボルトが権力の側に立つこともあり得る、ということです」
実際、これはかなり異様な形式と言えた。
イフにしろカーヤにしろ、ケデナにおける他種族と、開墾者である人間種族の折衝に経験があるが、あくまで人間は『入植者側』だった。
しかし、コボルトに関してはその逆。同時に、彼らは立場が弱く、いつでも絶滅のために動き出そうとする者が、少なくないということだ。
「幸いなことに、魔王との大戦で領内のゴブリンを始めとする、魔界恭順種はほぼ絶滅しています。コボルトたちも戦争終結後、魔物や魔族の討伐に協力的で、自己の証明をし続けてきましたが……」
「コボルトは魔物、いずれ魔族に加担し、人を殺しかねないと」
「そうでなくとも、私たちは慣習的に、コボルトを駆除対象と見てきました。私のフルグリット侯爵家領内では、暫定的に自治権を持った村が存在しますが、国全体で見れば、理解は低いままです」
それでも、彼女は相当に辣腕を振るったと言えた。
実のところ、他の大陸のコボルトは、絶滅したと言っても過言ではない。
ケデナやエファレアでは二十年、発見の報告が無いし、南洋群島の島で数件、不確定情報があるのみだ。
モラニア大陸南の森林地帯、そこがこの星最後の、コボルトの居留地となるだろう。
「わたくしの治世を、魔族による侵攻の足掛かりだ、と揶揄する者もいます。コボルトなどにかまけて、国をおろそかにする女王だとも」
「愚かな発言です。戦後二十年の間、ここまで発展、治世が安定している国は、そうそうありません。わたしが保証します」
「つまり、そういう難癖をつけて、貴族や土豪を焚きつけ、女王陛下を暗殺せんとする、不埒な痴れ者がいるってことですね?」
鼻息も荒く、拳を打ち鳴らすカーヤをそっとたしなめ、イフは頷いた。
「この件に関して、わたしたちは独自に協力させていただきます。どうか、何なりと御下命を」
「……ありがとう。とりあえず、来月のコボルト村代表との会談、ならびに独立調印式の警護を、お願いできますか」
「不埒な輩の炙り出しは、どうします?」
問いかけられた彼女は、すっと背筋を伸ばした。
その顔に、凍るような微笑みを浮かべて、告げた。
「ご心配には及びません。そちらは、委細承知しておりますので、お気遣いなく」
二人はただ、平伏した。