3、不機嫌な女
古王国カイタル。それはモラニア大陸の北部に位置する、もっとも古い王家の一つであり、エファレアから渡ってきた貴族の血が、最も意味を持つ土地でもある。
その領土の南、国境線沿いに一つの村がある。
セダス山脈北部の村、アガ・イトラン村。
元はカイトラと呼ばれた村の、移住者たちが住む村である。
「そういうのは、別の奴に聞いてくれ」
最初から、敵意ばかりがあった。
それはそうだろう。この村の人々は戦争の被害者であり、理不尽の受難者だ。
自分たちが村を捨てる羽目になった出来事など、容易に語れるはずもない。
聞き出せることと言えば、それを引き起こした者への評価だった。
『ナリばかりのおもちゃの兵隊』
『見栄坊のごろつき』
『カス』
『ごくつぶしのろくでなし』
『犬死したチンピラ共』
聞き込みを始めて半日も経たないうちに、二人はげんなりとうなだれるしかなかった。
「か、覚悟はしてたけど」
「さすがにここまでとは、思わなかったよ? イフ姉」
休憩を取りに村の酒場に入ると、すでに店に居た老人たちが、こちらに声を掛けた。
「おいあんたら、なんでもあのクソ神様の話を聞きてえんだって?」
「え、ええと、そう、です」
「聞かせてやるよ。まあこっち来いって!」
おそらく、農閑期で暇を持て余しているのだろう。炒った豆をつまみに、安酒をあおる老人たちは、口さがなく"知見者"の軍隊を罵り始めた。
「誰でも加護を受けて、勇者のようになれると来た。ところが蓋を開けて見りゃどうだ」
「板切れ一枚のつかいっ走り、加護が切れたらただのぼんくらに逆戻り」
「その癖『俺は勇者の軍だった』とか抜かして、村は襲うわデカイ面するわ、いい迷惑だったぞ!」
"知見者"の勇者は、加護を市井の人々に与え、勇者と似た能力を授ける神規を使っていたという。
しかし、魔王軍との決戦の後、その加護は消えて、各村落に駐屯していた元勇者軍の兵士たちは瓦解し、狼藉の限りを働いた者が多数出た。
結局、各国の軍が『"知見者"の軍に居た者は兵士ではなく賊と見なす』と触れを出し、その摘発に当たり、事態を終息させた。
「ようやくごろつき共が死んだと思ったら、今度は魔王と疫病だ! そんなでくの坊の神を、誰がよく言えるってんだ? どうせなら"英傑神"の勇者をよこしてくれってんだよ」
「ほ、ほんとうに」
「おっしゃるとおりで、もうしわけない。はは」
なぜか二人で平謝りしつつ、それでも幾らか、有益な話も出てきた。
「とはいえ、あの連中が来なかったら、もう少し被害がでかかったってのは、あるがな」
「なにしろあっという間に、国中の迷宮が潰れたからな」
「道に関しても、塩でも魚でも、昔に比べて三日は早く着く。そういう意味じゃ、ちっとは感謝してやらんでもないが」
「その辺にしときな、爺共」
やってきたのは、厨房を取り仕切っていた、大柄な中年女だった。
年相応に肥えてはいたが、それでも所帯やつれしている風ではなく、日々はつらつと生きている風の顔立ちだ。
「くだ巻いてる暇があったら、うちに帰って古釘でも磨くか、鍬だの鋤の研ぎでもしておきなよ」
「嫌だよめんどくせえ。どうせうちに居たって、煙たがられるだけだしよぉ」
「それ以上、安酒で居座られても、商売あがったりだって言ってんだよ。おまけに新しい客へ絡み酒しやがって」
分が悪いと見たのか、老人たちは銅貨を置いて、文句を言って去っていく。
ありがたいと思いながらも、情報の入手先を失って、イフはため息をついた。
「なんだい、折角助けてやったのに、もう少しあの爺共の愚痴が聞きたかったのかい?」
「いいえ。ただ、わたしの仕事に必要な事でもあったので」
「……あんた、魔法使いだろ。爺の昔話を聞くことが?」
「この方は」
カーヤの袖口を引くと、イフは銀貨を三枚、彼女に差し出した。
「一番いいお酒と、そろそろ始末しておきたい干し肉の塊。その中で一番重いものを」
「……何が聞きたいんだい」
「この村の人たちの評価は聞きました。今度は貴方の言葉を」
「酒場の女将に何を期待してんのさ」
イフは彼女の手の甲と、首筋の傷を指さした。
「おそらく刀傷。それも、昨日今日のものじゃない。ですよね?」
「それと身ごなしも。歩き方に癖がある、規律のある軍務についていた者のそれだ」
酒場の女将はどっとため息をつき、それから戸口に向かった。
「今日は店じまいだよ。どうせならウチで、宿も取っていってくれるかい」
決して喜んでいる顔ではない。
溜め込んだ不満と憎悪で、今にも決壊しそうな表情だった。
「あのバカ共への不満込みで、全部吐き出してやるよ」
出された肉は思う以上に上等で、おそらく収穫祭向けの高級品だった。
それを分厚く切り分け、本人もジョッキになみなみと酒を注ぎ、口火を切った。
「確かに、"知見者"はクソだった。土壇場で、アタシらを切り捨てた」
言葉は唐突に、真実をむき出しにした。
「あの時、ベルガンダとか言う魔将と、コボルトの勇者が、アタシらの勇者と対面したとき……アイツは、自分の勇者の加護を取り上げた」
「えっ? は……? 加護を?」
「それは……また」
イフは絶句し、同時に理解もした。
市井に流れる"知見者"への少なくない憎悪は、この事実を源にしているのだと。
「その事実を、すべての将兵が知っていたのか?」
「軍師様と将軍様は知ってた。それと、巨獣討伐隊、つまりアタシらの部隊だけはね」
「取り上げた加護の内容は、分かりますか?」
「せーぶ、とかって能力だったらしいよ。本にしおりを挟むように、何かをやる前の状態に戻れるとか。まあ、アタシらも実感がないけど、何度も使われたらしい」
時間操作、あるいは時間停止。
それは認識、あるいは世界そのものへの干渉であり、『聲』を研究する魔術学派にも、それを可能にするという仮想理論が存在する。
しかし、神はそんな前提条件など知らぬ顔で、奇跡として確立させていた。
「アタシらの隊長は……チンケな男だったよ。調子のいい時は侠客みたいなツラして、都合が悪くなると、すぐに叫んでうろたえて。でも……アタシたちは、いい仲間だった」
「他の、皆さんは」
「死んだよ。ポロ―隊長、キザなファルナン、太っちょのディトレ、でっかいレアドル……みんな、アタシを、一人ぼっちにしてさ」
彼女は顔を、くしゃっと歪めた。
そこに居たのは、置き去りにされた、十代の少女そのものの顔。
「魔物たちが、狂って、死人が、バケモノになって、それでも、アタシは、みんなを守りたかったけど……なにもできなくて。隊長が、アタシに、逃げろって……アタシは、何もできなかった。だれも、誰も守れなくて、死んだ兄さんの代わりに、さえ……にいさん、たいちょう、みんな、みんな……っ」
その様子に、カーヤが席を立ち、彼女の頭を隠すように抱き締める。女将は肩を震わせて、静かに泣き続けた。
やがて慟哭が、静かな嗚咽に変わり、すすり上げながら止んだ。
「それからしばらくして、アタシはこの村に落ち付くようになった。あのクソみたいな戦場が、みんなの死んだ場所が、すぐ近くにあるこの村にね」
「弔いのためか。だが、ここには慰霊碑も、戦没者の銘文もないな」
「どいつもこいつも嫌なんだよ。向き合うのが」
上げた顔にあったのは、涙ではなく怒りだった。
「テメエで散々持ち上げて、期待を掛けときながら裏切られた。その間抜けな過去を、蒸し返されたくないからさ! 全ての罪をアタシらおっかぶせて、悪いのは"知見者"に乗せられた、テメエらだって!」
その怒りを正面から受け止め、イフは告げた。
「――私は今、この世界から消えようとしている事実を、拾い集めています」
「事実?」
「世界を救うのに至らなかった、それでも救おうとした者の足跡を。拾い上げなければ、噂と憶測と、忘却に消えてしまう、本当のことを」
それが、イフが自らに課した、有り方だ。
魔王とその軍による暴虐で、日々失われていった命と、それを守るために戦った者。
あるいは、その思惑とは逆に、利を得るために動いた者たち。
そして、そのいずれとも言えない、取りこぼされてしまう、真実を。
「アタシと、アタシたちのこともかい?」
「はい」
「アタシらは嫌われ者だ。世の中をかき回したクズで、ろくでなしと、さげすまれた」
「それでも道を敷き、人々を守ると立ち上がり、自ら剣を取った人達でした」
「私も誓おう。ヴィルメロザより『紫』を賜った騎士として。あなた方の名誉を、いつか取り戻すと」
ふたたび、女将の頬を、涙が伝った。
それは決して、苦くも辛くもない、透き通るような流れだった。
「ありがとうよ。本当に……ああ……ほんとうに」
それから笑顔に頬を緩めて、厨房へと向かった。
「さあ、注文しておくれ。今日は好きなだけ、なんでも食っていっていいからね」
「ありがとうございます。そう言えば、その前に一つだけ」
「なんだい?」
「貴方の、お名前を」
女将は涙を拭き、歌うように告げた。
「メシェだよ。元巨獣討伐隊の紅一点さ」
朝霧が、次第に薄くなっている夜明けの頃。
茂る青草が、凪の終わった大気の中でそよいでいく。幾らかの低い木々はあるが、剥き出しの地面や岩がむき出しの場所が、点々とあった。
「アタシらの陣地がこの辺り。最後の戦いは、あっちにある空き地になった場所で」
「その、コボルトとの戦いは……どうだったのだ?」
おずおずと尋ねるカーヤに、メシェはからからと笑った。
「バカみたいに強かったよ! 二度やり合ったけど、あれはとても敵わなかったね。そういやコボルトと言えば、だいぶ南の方で増えたらしいね」
「ええ。実はわたしがモラニアに来たのも、それに関することなんです」
イフは辺りを見回し、魔力を確かめる。
二十年前の激戦地、そこには至る所に瘴気や呪詛がわだかまり、それでも経年と共に消失されつつあった。
「リミリスの女王様は、コボルトと融和するとか言ってるけど、それで国が揉めてるらしいからね。だいぶ心配だよ」
「なぜ、あなたが心配を?」
「店を出せるようになったのも、女王陛下……リィル様のおかげだからだよ。昔ここで、仲間を一緒に弔ってくださったんだ」
彼女は、無造作に積まれた石積みを片手で指し示す。
そこには戦で亡くなった者たちの墓が、延々と並んでいた。
だが、手入れされた様子もほとんどなく、荒らされているところさえあった。
「即位される前は、個人的にここへきては、墓の手入れや、こっちの様子を見に来てくれたんだよ。無論ご自分ではなく、お付きの人がだけどね」
「カイタルの方で手当てはあったのか?」
「その質問が間抜けな代物だって、気づいちゃくれないかい?」
カーヤは口をつぐみ、手近な石積みを直し始める。止めるをそぶりを見せた女将も、黙って同じようにした。
イフも大地に膝を突き、石を持ち上げる。
「ああ、いいよ。偉い魔法使いなんだろ?」
「ご存じですか? 魔法使いとは自由奔放で、身勝手なものなんですよ」
メシェは笑い、それからしばらく石積みを直し、草を取っていった。
「やれやれ、大仕事だった。出発前に見ていくって話だったのに、余計な手間を掛けさせたね」
「いいえ。これも、旅の思い出です」
「そうかい。本当に、変な魔法使いさんだ」
朝の光に洗われたメシェの顔は、穏やかに雪解けていた。それから片手を差し出す。
「アンタを、なにがしかの神様がお守りくださいますように」
「貴方のこれからに、めいっぱい、幸せがありますように」
二つの手が結び合い、そして離れる。
それから、二人は彼女をその場に残し、道を進み始めた。
やがて街道に出るころ、どちらともなく、胃袋が空腹を訴え始める。
「だいぶ健康的に働いちゃったから、腹減ったなぁ」
「うん。わたしもお腹空いた。メシェさんが持たせてくれたお弁当、食べちゃおうか」
「賛成! とりあえず、どこか良さそうな場所でも――」
爽やかな初夏の風を受けて、木々が揺れ、草が鳴る。
二人は小走りに、街道を進んでいく。




