2、消された痕跡
「――で、いったん壊されたケイタ様の家を、もう一度建て直したのが、今の村長宅になるってわけです」
軽薄そうな笑いを浮かべた村の青年は、イフを無遠慮な好奇の目で見続ける。
気づかないふりをして、村長宅の外観を見るとはなしに眺めた。
堅牢な丸太で組まれた小屋だ。材木が貴重なケデナでは見られない、モラニアならではの一般的な建築様式。
その軒先には、リンゴの枝と女神の顔をあしらった、青銅製の飾りが掛けられている。
「あれは、魔よけですか?」
「一度目の災厄の時、女神と契約してリンゴの林に守りの加護を掛けてもらった。そうやって魔物の軍勢から身を守ったそうです。その時から、病気や災難を避けるためにって」
「その女神の、名前は?」
「え? あー、カニラ様、なんじゃないですかね。てか、それ以外いるんですか?」
イフは記録用の羊皮紙を閉じ、青年を見た。
とぼけているわけではない、本当に何も知らないのだ。
「これをお伺いするのは酷かもしれませんが、三度目の災難、疫病についてなにか知っていることはありますか?」
「実は俺、その時まだ、赤ん坊だったんですよ。で、死にかけたらしくて。でも、その時青い竜、みたいな人が来て、治療してくれたとかなんとか」
「その時に、他の神の付き添いがあったことは?」
青年は、快活そうな顔に不審な影を浮かべて、首を傾げた。
「かあちゃんは何も。この話をする時は、だいたいその、青い竜みたいな女? の人の話になるんで」
「……ありがとうございます。それで、私に何か聞きたいことはありますか?」
顔を驚きと、羞恥に染めた青年は、もじもじとしながらも、問いかけてきた。
「その顔、どうして、そんな顔、してるんですか?」
「これですか」
イフは青年の手を取ると、自分の頬に触れさせた。
「う、うえっ!?」
「ごめんなさい。でも、こうしたほうが分かりやすいから」
「な、なにを、ですか?」
「わたしはこうなるよう、望まれて生まれたんです。ただそれだけ」
それから、彼の手を戻し、微笑んだ。
「尋ねてくれて、ありがとうございます」
「え……いや、なんで?」
「好奇心と憶測だけで距離を取られるより、そうして直接聞いてくれる方が、わたしは嬉しいですから」
「……なんか、すみません。偉い魔術師様に、こんな失礼なこと」
恐縮した青年は、それから少し姿勢を正して、頭を下げた。
「その、この後、どこか見たいとことか、ありますか」
「じゃあ、そのみんなが隠れたというりんご林を。それと」
心持ち表情を硬くしながら、イフは告げた。
「過去三度の災厄を生き残った古老の方がいらしたら、その方の所へ」
その迷宮跡は、すでに朽ちかけていた。
一応、周囲を守るために築かれた石塁はわずかに残っていたが、入り口は完全に潰されてしまっていた。
「実のところ、この迷宮は、ケイタ様が封じられた後、完全に死にましてね。奥の柱を壊して潰した後、"知見者"のクソ共が埋めて平にしたんで」
「……かの神の軍勢は、この国に広がる『旅の道』を造ったはずだが」
「詐欺師のクソヤロウでさ。あんな奴じゃなくて、ケイタ様がいりゃよかったんだ」
実のところ、最後の魔王の侵攻に、小神の使徒に過ぎない勇者が、どの程度対応できただろうか。
魔王という存在に被災したカーヤにとって、案内人の無邪気さが羨ましかった。
「それで、この迷宮は勇者一人で?」
「ああ、なんでも『村で一番の猟犬』を連れてったとかなんとか」
「その猟犬の名前は」
「さあ? 話の主役はケイタ様ですからねえ。犬の名前までは伝えんでしょ」
道すがら、案内人の男は、聞かれてもいないケイタという勇者の武勇伝を、のべつ幕なしに語っていた。
突然、村にやって来て、頑迷な人々を説き伏せ、朝晩を共にして村の発展に尽くした。
村の勇者。みんなに慕われる守りの要。
そして、魔王軍の災厄に一人抗い、"知見者"という悪辣な神に追い落とされてしまった非業の義士。
「その後の、"知見者"共の振る舞いも含め、あっしらは語っていかなきゃならないんで」
「……村の宿屋は、"知見者"の軍による建築だと聞いたが」
「人の家から、税だの麦だのを取るだけ取って、畑を演習地に変えていった連中をありがたがれって? まあ、ケイタ様をお守りできなかったあっしらが、どの面下げて、と言われりゃ、それまでですけど」
実のところ、"知見者"の施した施策は、今ではモラニアの商業経済を、根底から支える物流の要だ。しかも、その整備法や必要な資材の計算まで残してあるため、各国はその恩恵を維持するだけでいい。
だが、その軍勢の拠点とされた村の評判は、著しく悪かった。
「あげく、魔王軍と戦って敗れた上に、魔王の城を取り逃がしてんだ。笑い種ですよ、なにが"知見者"だか」
「……そうだな。ところで、ここに碑でも建てる気はないか?」
「へ、いしぶみ、とは?」
「勇者ケイタの偉業を讃える碑だ。名物の一つもあれば、村にも人が寄り付くだろう」
途端に、案内人の顔が照り輝いた。
「そりゃ名案だ! なんで思いつかなかったんだ。村に帰ったら、早速みんなに話してみますよ!」
そのまま、上機嫌の男と共にカーヤは帰途についた。
同時に、決して顔に出さないまま、自分の上司にして姉が嗅ぎ取った不穏を、遅まきながらに感じていた。
「消えてる」
「というより、消されている、だね」
小さな灯火だけをつけた部屋の中で、二人は寝床に腰かけて、意識の確認をした。
「あの後、村の生き残りの人に話を聞いたけど、当時は年が若すぎて、ほとんど覚えていないって」
「こっちも同じようなもんだった。こうなると、もっと直接聞いたほうがいいかな」
「……たぶん、無理だと思うよ」
ため息とともに灯火を吹き消すと、イフはそのまま寝台に横たわった。
「勇者ケイタの迷宮討伐。それは、村を悩ます魔物の迷宮を、討伐すると宣言するところから語られる。でも、そのきっかけについては、あいまいなままなんだよね」
「元々、村の近くにあったから、というのはそうらしいんだけど……勇者が来た当時からあったのに、なんで『魔王軍の侵攻直前に』討伐する必要があったのか」
「ただ、『猟犬』が、その助けになった、という話は聞いたよ。おそらく、彼一人で討ち果たすには難しいという事実が、付け加えさせたんだろうけど」
「その『猟犬』の、名前は?」
イフは目を閉じる。それから、思い浮かべる。
「語られていない。というより『覚える気がなかった』んだろうね。そして彼らは、勇者ケイタに『負い目』がある」
「"知見者"の策略で、村をだまし取られた……まあ、村そのものは村長のだったから、だまし取られた、ってのもおかしいけどさ」
「その損失を埋め合わせるために、"知見者"を悪とし、魔王軍を害と見て、勇者ケイタと女神カニラを、自分たちの守護者で、悲劇の英雄としたかったの」
だが、実際の事実には、『異物』が存在した。
勇者ケイタが、迷宮討伐に急がなければならなかった理由。
魔王軍がこの小さな村を押しつぶそうとした意味。
そして、"知見者"の軍が、村を召し上げるきっかけになったこと。
「都合の悪いことは、覆い隠す。そして、本当に覆いきれないものは、なかったことにしたんだね」
「……そんなの、あんまりだろ」
「そうだね。あんまりだよね」
珍しく、カーヤの顔が苦痛で歪んでいた。
こらえきれない憤り、その顔はいつもどこかで、ケデナのあちこちで見ていた。
それでも、平静を取り戻して問いを投げてきた。
「林に掛けられた、守りの加護は?」
「まだ薄れずに残っていたよ。街から戻ってきた神官も驚くと思う。何しろあれは」
口元を緩めて、イフは語った。
「"平和の女神"と村が結んだ、契約の証なんだから」
そして、出立の朝。
村の門前に並んだ人々の顔は、屈託ない笑いだった。
「この度はお立ち寄りくださり、ありがとうございました。本当に、案内などつけなくても、よろしいのですか?」
村長の申し出に首を振ると、イフは山の方に目をやった。
「ここからは山中を抜けて、アガ・イトラン村へ行く予定ですので」
「『カイトラの古戦場』ですか……あそこは未だ、残念を抱えた亡者がうろつくとか、どうかお気をつけて」
「ありがとうございます。それじゃ行こう、カーヤ」
そのまま、人々をその場に残し、二人は歩き出す。
見送る人々の声も、顔もぼんやりとするほどの場所まできて、カーヤは告げた。
「能天気な連中だなぁ」
「ダメだよ、カーヤ。そういう言い方」
「自分たちが、誰と契ったのか忘れて。忘れようとしても、神との契約は絶対なのに」
息をついて、背後を振り返る。
すでに道は斜面となって、昼なお暗い山林の奥へと続いている。
後ろには、盆地の中に小さく固まった、村落と果樹園が見えた。その中で、点々と動く人々に、イフは目を細めた。
「彼女には訂正する機会がいくらでもあったよ。でも、あえてそれをしなかったの」
「癒しの竜蛇、"凍らぬ泉"のメーリウムも、なにも言わなかったんだね」
「たぶん契約のことも、知らないうちに、消してしまうんじゃないかな」
ケデナにはあまたの神が降臨し、その神殿が建てられている。
最も支配的なのが"愛乱の君"で、次いで"英傑神"、その次に青の竜蛇神が続く。
しかし、すべての戦いに決着をつけた女神の名は、誰一人語らない。
「おかしな神様だよね。みんな、自分を崇めて欲しいって言ってるのに」
「そうだね。本当に、変な神様だ」
「でも、あの人は、それを望んでる気がする」
その神と、言葉を交わしたことのあるカーヤは、穏やかに笑っていた。
思い出を愛おしむように。
「さあ、いよいよ本格的な山道だよ。がんばろう」
「……なんで、そんなに嬉しそうなの、イフ姉」
「嬉しいに決まってるじゃない」
石畳で舗装された坂を踏みしめながら、異貌の魔法使いは答えた。
「ここは、私たちが来たかった場所なんだから」