7、イモータル
驚くほどに整った美形。
癖のないさらさらとした髪。切り揃えられたそれは、燃え立つような紅の色。
長身で細身ではあるが、鋭い抜身の刀のような、鍛え上げられた結果だとわかる。
あのデブ男とはまた別の意味で、こいつも超越の存在なのだと、理解した。
「とはいえ、岩倉悠里の語った以上のことは何もありません。お前たちが『A』と呼称した怪獣は、私の同僚です」
「……なんなんだ、おまえら、は」
体が頼りなく感じていた。
呼吸のたびに、体から根こそぎ、大切な何かが漏れ出ていくような。
あの、昏い孔の中に、な、にも、かも、す。いこま、れ、
「まったく」
いつの間にか、金の目が自分の真正面にあった。
信二の頬に、相手の手があてがわれ、噛んで含める様に、言葉を続ける。
「忘れなさい、わざわざバケモノの腹の中に戻るなど、馬鹿馬鹿しい」
途端に、体に熱が戻る。
心の重さが取り除かれて、奇妙に虚ろな感じがした。
何度か顔をぬぐい、これまでの情報を頭の中で再構築する。
「Aがおま……あなたの仲間なら、Bの方は?」
「あれは魔界と呼ばれる別位相に生きる存在。現地のありふれた生物です」
「……神様の次は、魔界と来たか」
「魔王がいるなら魔界もある、その程度の理解で十分でしょう」
乾いた笑いが漏れる。
これ以上、異常事態に巻き込まれたら、頭がおかしくなりそうだ。
「小谷野信二、三十八歳。フリーランスの探偵業であり、中央省庁に勤める友人、正確には『ある省の出向職員』の依頼を担当する。半民半官の内偵者ですか」
「そんなカッコいいもんじゃない。友人のよしみで付き合ってるだけ、都合よく使い潰せる、ある種のボランティアだよ」
「国をあげてするべきことを、そういう現場判断で、そこそこ柔軟に回せてしまうのが、この国の不幸なところです」
超越者の指摘に、信二は苦笑した。
実のところ、友人の行動も『国家の命令』を逸脱したものだ。上の人間がふわふわと決めかねている『取り返しのつかない破局』を、見えすぎる中間管理職がつじつまを合わせようともがく。
その結果、いびつに『その場しのぎ』ができてしまう。
それが、日本の実情だ。
目の前の青年は、そんな無駄で有害な努力を、嗤ったのだ。
「あなたの友人、安納恒之も、本来ならしかるべき『省』や『庁』の管理職として差配する方が、よほど健全でしょうに。つまり、防諜専門の部門で」
「アレルギーがあるんだよ、この国には。そう簡単に変えられない」
「あなた方の愚行に興味はない。愚痴以外で、その口を有効に使う気はありますか?」
自分で振ってきたくせに、そんな感情を飲み下し、答案用紙を提出する。
「地球からさらっていった勇者たちは、ちゃんと戻してるのか?」
「あなた方が扱いかねている、有能な人材の引き抜きです。本人の自由意思による決定を前提にしていますし、帰りたいと言えば帰しています」
「神々の遊戯が終わったというのは本当か?」
「システムの運用に問題があり、機能を停止させています。再起動、再構築の予定もないので、破棄と考えてよいかと」
国家の頭を飛び越えて、勝手に人間をさらった事実は変わらないが、そんなことを指摘しても無意味だろう。
過去の事績と問題についてはわかった。次は現在の問題を尋ねる。
「未確認生物B群、あれはなぜここに来た」
「事故です。魔界と地球を結ぶゲートが、予期しない原因によりつながった結果です」
「産卵された卵の行方は?」
「すべて駆除しました。この地球上に、個体Bが再び発生する可能性はありません」
「……それを、社会的に公開し、証明することは、可能か?」
当事者の証言などはあてにならない。明確な証拠と証明がなければ、無意味だ。
そんな不満に、青年は笑った。
「取引をする気はありますか、小谷野信二」
「とり、ひき?」
「私たちのメッセンジャーになりなさい。代償に、開示可能な情報を提供します」
神の御言葉を伝える伝道師。無信心な自分には全く無縁の、不釣り合いな役割。
こらえきれなくなって、信二は笑い出した。
「こいつは傑作だ。あんたがたの使徒になれって? ぼろ布まとって杖ついて、もろびとよ、いざや神は来たれり、とでもふれまわりゃいいのか?」
「どうやら、諧謔のセンスは壊滅的なようですね」
「……芸人を目指す気もないんでね。で……具体的にはどうすればいい」
青年は勝手にパソコンを動かし、何かの文字列をプリントアウトし始める。
その最初の一枚を突き付けてきた。
信二の手によって、今回の事件と勇者たちの過去をまとめた、レポートだった。
「これを、あなたの友人の手を介して、各国政府にばらまくこと」
「そ、そんなことをすれば!」
「この世界は沸き立つでしょうね。有象無象が勇者たちに群がり、この日本は、野次馬どもや策謀家、野心家に蹂躙され尽くす」
神の実在証明、異世界の存在証明、それが妄想としか思えないことでも、無数の状況証拠と、あの『怪獣』が裏書をする。
何より、少年少女たちが言っていた。
『日本がいいんだって。カミサマをまじめに『信仰してない』から』
太平戦争以後、世界の様々な思惑と自国の性質によって醸成された『奇妙な価値観』こそが、異世界の神を惹きつけた、供物であると。
最初はひそやかに、やがては暴力も辞さない手が、この島国を荒らすだろう。
「リスクどころか、デメリットしかない! 日本を焼け野原にするつもりか!?」
「別段、私にとってはどうでもいいことです。これはあくまで、上の命令なので」
「お断りだ! 大体、なんでそんな真似をする!?」
「邪魔なのですよ。あなた方が」
積みあがっていくプリントアウトを、細やかな手が丁寧に拾い集めていく。
日本に破滅をもたらす文章を。
「詳細は省きますが、あなた方は生まれながらに『神と悪魔を呪い殺す毒』を生成するように構築されています」
「たしか、そういう話も、あったな」
「あなた方に信仰を向けられた神は、その中に含まれた毒によって死ぬ。ゆえに汎世界、すなわち『地球を除くすべての世界』から、今すぐ消えてほしいと、願われている」
なんだそれは。
この地球以外の、すべての世界で。
知らないうちに忌み子として扱われているなんて。
「神々の遊戯には、いくつかの意義がありました。魔界との戦時協定、神々の序列認定、そして『神去』の有効利用」
「利用って……まさか」
「神去の魂が持つ『毒』の利用。魔王に対して敵意、すなわち『負の信仰』を向けるだけで、魔を滅ぼす兵器として利用できる。あんな馬鹿げた八百長が成立しえた、本当の理由です」
脳裏によみがえる、さまざまな勇者たちの顔。
彼らは自分たちの境涯を、身に降りかかったことを、前向きにとらえていた。
だが、現実はひどいなんてものじゃない。
鉄砲玉どころか、毒矢を作るために捕まえられた、極彩色のカエル同然の扱いだった。
「しかし、神々の遊戯は停止し、あなた方には利用価値がなくなり、不良債権どころか汚染物質を垂れ流す忌地に逆戻りした」
「……やめろ」
「その上、今回の一件であなた方は『外』を意識してしまった。万が一、あなた方の信仰が漏れ出したら? あるいは神々の遊戯でした様に、魔界の者共がそれを利用しようとしたら?」
「やめろ」
「であれば、神をあがめず、あがめられない哀れな者どもには、自滅してもらえばいい。そのために『真実』を知らしめる」
「やめろ!」
信二の手が、まとめられた資料を叩き落す。
紙切れが部屋中にぶちまけられ、時間を巻き戻したように、青年の手に戻る。
「この世界には互いを滅ぼしうる兵器が貯蔵され、人々は自己矛盾を解決できないまま、目先の利益どころか、目先の感情を優先して、最後の一押しを待っている状態です。利用しない手はない」
「それを、救うのが、導くのが、神じゃないのか?」
「神よ何処に行かれるか? 残念ながら私も天界のものどもも、あなたがたの神では、ありません」
何も通じない、何を言っても、すげなくかわされる。
今まで、信二にとって神とは遠く、何の影響もない戯言の一つでしかなかった。
だが、神にとっても、それは同じことだった。
この地球上に生きる人々の、あらゆる願いも祈りも、日々の営みも、異星異界の存在にとっては、どうでもいい代物だった。
「俺に、死刑執行人になれってのか」
「ドミノの最初の一触れです。世界崩壊の引き金を引くチャンス、人々が欲してやまない『なぜ滅んだ?』という問いへの、決定的な答えを持てる。またとない機会では?」
最後の一枚が印刷され、丁寧にファイリングされ、体裁が整えられてく。
世界はともかく、日本という国を、確実に崩壊させる文書が。
「あなたが断るなら、そうですね、別の人間にお願いしましょうか」
「恒之か?」
「名義は誰でも。岩倉悠里に頼んでも構わなかったのですがね」
大ぶりな封筒に、個別に分けられた膨大な紙の束。
それらをデスクに積み上げ、傲慢な神性は、侮蔑をはらんだ視線で、見下ろす。
「ここまで、十分に楽しんだでしょう? 世界の裏に隠された秘密、それまでの常識を壊す真実、誰も知りえなかった秘儀を、その手でひも解いてきた」
「ただの野次馬根性ってだけじゃない! 俺だって、守るために」
「それで、手に入れた情報で、何が守れるというのですか?」
信二は目を閉じ、必死に何かを見出そうとした。
集められた情報に、状況を打開する方法が、なにかないのか。
「なかったことに、するのじゃ、だめなのか」
「アメリカの調査団が到着するのは、来月の末です。そもそも、各国の諜報機関はすでに動いていますが?」
「今から、国内で情報統制を」
「内政干渉の排除と、外部諜報による汚染の浄化。それを主導できる『国益に基づき国民を欺く情報統制組織』を、あとひと月足らずで、でっち上げられるなら」
神は言っていた。
日本という国は、ここで死ぬ定めだと。
なぜ、どうして。
「諜報、防諜という大事を、見ないふりをしてきたツケですよ。それがここで噴出した、それだけです」
「だが、まだ、なんとか、なるはずだ。この情報を上にあげて、対策を」
「その間に、神とかかわった勇者たちが、人知れず拉致されていくでしょう。研究機関に集められた『B』検体を巡って、暗闘も起きます」
だが、そんなことをしても無駄だ。
神はこの世界から手を引くと宣言し、こちらからの声には答える気もない。
それでも、未知の力へのアクセス権を求めて、世界は日本を、隅々まで調べようとするに違いない。
その先にあるのは。
「であれば、混乱する前に、真実の情報を世界に公開する。それが最善です。たとえその後に、世界が混沌と化そうとも」
「連中が信じるか!? それを足掛かりに、結局は他の国々の圧力が」
「それは国家間の話でしょう? 私が言い渡されたもう一つの使命は、各勇者たちのその後を守ること」
神の意志は、図りがたし。
青年は淡々と、自分の目標を述べていく。
「個人のプライバシーはわずかに損なわれますが、全世界が知りうる情報であれば、うかつに手は出せない。ダメ押しに、何人かの志願者を調査に協力させ、元勇者はただの人間に過ぎないという、事実を見せつけます。それで、おおむねは納得するでしょう」
「Bの卵と異世界移動については?」
「こちらで、すべての産卵場所の情報を出します。あとひと月以内であれば、残渣の調査が可能でしょう。必要な検査試薬の合成式もお渡ししますよ。異世界移動については」
告げる声は、監獄の統率者のような響きを持っていた。
陰々と、永遠の縛につく罪人を、断じる様に。
「この星の人々が死に絶えるまで、永遠に封鎖を続ける。それが『我々の総意』です。諦めなさい」
言うだけ言って、神は去っていった。
空虚が支配する事務所で、信二はへたばっていた。
『例え一瞬、元勇者の連中が守られたからって、日本が崩れれば、同じことだぞ!』
『人知れず非道に身柄を拘束されるのと、あわよくば自分の意志で活路を見いだせる状況なら、どちらを選びますか? そもそも』
それは明らかな、怒り。
信二と、信二を通して透かし見た、ふがいない日本という国への。
『あなた方がしっかりしていれば、防げたはずのこと。神を呪う前に、自らの愚かしさを顧みなさい』
書類を収めた封筒は、現実の物として残り続けている。
パソコンにもデータとして収まり、いつでも世界に向けて発信できる状況だ。
なんのフェイルセーフもなく、核兵器のボタンが、しょぼくれた、うだつの上がらない探偵事務所に装備されてしまった。
しかも、消費期限付きで。
「……もしもし、恒之か」
抱えられるわけがなかった。
見て見ぬふりをして、それが自分のせいだと、明確にわかる『なにか』が起こってしまえば、とても耐えられない。
「今から丸一日、お前の時間をくれ」
それが、小谷野信二の出した結論だった。




