6、ヒーロー
岩倉悠里。
道場経営者であり、商社勤めの父と二人暮らし。母親は早くに亡くなり、古い剣術流派を受け継ぐ家に生まれた以外は、特筆するべきところはない青年。
そんな彼が、異世界において最高の地位に就いた神に選ばれ、世界を救うことを嘱望された。
「"英傑神"シアルカ、それが俺を呼んだ神の名前です」
「ずいぶんシンプルだね。英傑、つまり英雄の神様ってことか」
「実際、遊戯では高い勝率を誇ったそうです。僅差で"愛乱の君"の方が上だったらしいですけど」
愚直な武神たちや皮算用が過ぎた知恵の神より、世界を魅了し手玉を取る女神の方がゲームに強いというのも、なかなか皮肉な話だ。
とはいえ、声望も実力も、折り紙付きな神であったことは確からしい。
「俺は仲間たちと一緒に、魔王を倒すために戦っていた、つもりでした」
「つもり?」
「……魔王は、俺達を罠にはめたんです。世界そのものを、勇者を殺すための仕掛けに変えて」
それは、魔王と呼ばれる魔界の代表者がお膳立てした『ゲームのような勇者の冒険』というお題目。
「俺を妨害する魔物や危険な罠、陰謀によって苦しめられた人たち、その土地を支配していた『中ボス』に至るまで、俺たちの実力や行動を管理するため、仕組まれたイベントでした」
「わからないな、そんなことをして、何の意味が?」
「こちらの実力を、想定内に収めるためです。偽りの満足感を与え、いざ魔王と対峙する時になって、段違いの力でひねりつぶすために」
それは壮大な『八百長』であり、接待だった。
ぎりぎり勝てるようなハードルを用意して、最後の最後ですべてを回収する。カジノの胴元のように。
「しかし、そんなに簡単にいくかな? カードゲームとは違って、殺し合いをしてたんだろう?」
「……魔王は、地球の科学を学んで、異世界の人間に対応できない、現代兵器を導入していました。戦車や自動小銃、毒ガスや……核兵器を」
一気に酔いが醒める。
話をすでに聞いていたはずの辻も、嫌そうに顔をしかめていた。
「ちまちまチャンバラごっこや、個人の魔法で超人バトルもどきをやってるところへ、無慈悲に核爆弾を落とすつもりだったのか」
「魔法を利用して、レールガンまで実用してましたからね。さすがに、驚きました」
「…………」
なんだろう。
青年の言葉になにかが引っかかる。その疑問を、信二は口にしていた。
「ねえ、岩倉君。質問いいかな」
「はい」
「その魔王、どうやってこっちの情報を知ったんだろうね?」
「……来ていた、らしいですよ。部下が、地球に」
全身の毛穴が開く思いがした。
早朝の東北自動車道、謎の戦闘集団が所持していた戦車や重火器。その出どころの最有力と思しき存在が、まさかこんなとことで。
「来ていた、のはいいとして、らしいってのは?」
「残党狩りをやったんです。シアルカと、辻さんの召喚主だった"闘神"ルシャーバ、それから竜神の部下の人が、こっちに来て」
「それはいつ頃のこと?」
「二年前、ですね」
だが、その時の成果は芳しくなかったらしい。
いくつかの大規模な拠点などは潰せたが、そこに従事していた人員は、後を追うことができなかった。
「ただ、拠点だった異世界の魔王城は完全に機能を停止して、こっちにいる魔物たちも、どこにも行けないだろうと。異常があったら、すぐに駆け付けるとは言ってました」
「分かった。ありがとう」
「ところで、小谷野さん」
口元にジョッキを当てながら、格闘家はこちらをにらんだ。
「あんた、そういう仕事の人かい」
「……どうしたんですか、いったい」
「俺の経歴は調べてんだろ。地下格闘技、ごろつきの番犬、要人の警護。そういう積み重ねでさ、わかるんだ」
こちらの内臓をえぐるような、素人の自分でもわかる、強烈な殺気。
「すみません。帰ってから割と早いうちに話は通してあるんです。あなたみたいな人が探りに来たら、連絡を取り合うようにって」
青年の目も、明らかにそれまでとは違う。
目の前の格闘家と同じか、それ以上のすごみが、発散されている。
「向こうの体験に関しちゃ、隠すつもりはねえんだ。誰が聞いても、バカな妄想か与太話だからな」
「でも、そこに真実を見出して、何かの利益を得ようと干渉してくる人が、出るかもしれない。そのために準備していました」
なんの冗談だ、これは。
だとすれば、今までインタビューしてきた全員が、見た目通りの人間ではなかったというのか。
「まあ、このことを知ってるのは、一部の人間だけだがな。知らずにあんたのインタビューを受けたやつもいるだろうさ」
「別に、何処の所属とかは言わなくていいですよ。おじさんの伝手で、裏を取る方法もありますから」
確かに、岩倉悠里には父方の叔父がいたはずだ。
だが、その経歴は大学卒業後から、一切たどれなくなっていた。そいつがどんな存在であれ、絶対にまっとうな人間じゃない。
政府関係の工作員か。もっと別の。
「俺たちの要求はひとつです。このまま、そっとしておいてください」
答えない、いや、答えられない。
言葉に窮してしまった段階で、あらゆる言いつくろいは無駄になる。
「あんたも聞いてるだろうが、神様は完全に、この世界から手を引くそうだ。神々の遊戯が終わって、勇者を召喚する必要もなくなったからな」
「地球に戻って来れば、俺たちには何の力もない。俺たちが脅されたり、拷問されたりしても、神様が助けに来ることもない」
「……それを、みんなが信じるかな」
その問いかけに、二人は沈黙した。
世の中の権力構造というのは、基本的に傲慢で分からず屋だ。信二が集めた資料がどこに提出されるにせよ、確実に上は、彼らの身柄の確保に移るだろう。
「この前の『怪獣』騒ぎ、知らないわけじゃないだろ? 詳しくは言えないが、君たちの存在は、確実に注目を集めてるんだ」
「解決したそうですよ。紛れ込んだ魔界の生物は駆除され、卵も除去されたそうです」
それは絶望的な、確定情報だった。
この場にいる者だけが理解し、ここにいない誰もが、絶対に納得できない類の。
「魔王軍の残党も掃討、地球へ干渉する方法は取り除かれた。今後は警戒を強め、一切の出入りを封じるそうです」
「それを、世間的に証明する方法は?」
「ないですね。すみません」
「……いい加減にしてくれ」
訳知り顔の二人に、信二は鈍い怒りがこみあげていた。
「ここは地球だ。異世界じゃない。君らの一存で化け物をどうにかしたからって、済む問題じゃないんだぞ!」
「それじゃ、どうすれば納得してもらえますか?」
「神様とやらを、ここに呼んでもらおうか」
ここまで付き合ってきたが、限界だ。
神の勇者、魔界の怪物、そんなものに引っ掻き回されて、何も知らされないまま解決したと言われて、納得させられるなんて。
「そもそも、これは明らかな侵略だろ! 神だか超越者だか何だか知らないが、勝手に地球人を徴兵して、代理戦争の駒にする権利があるってのか!?」
「あー、わかるわかる。そいつはご立腹でもしゃーないな」
それは前の二人の、どちらでもない声。
気が付けば白い割烹着を付けた、とんでもなく太った、浅黒い男が立っていた。
その手に持った大皿には、豚肉のローストが盛り上げられている。
「まあ、これでも食って落ち着きなよ。オレのおごりだ。めったにないぜー」
「……あ、あんたは?」
「お前が注文したんだろ? 神様一丁特盛で、ってな」
その言葉が合図だったように、それまでカウンターや座卓に座っていた他の客たちが、一斉に店から出ていく。
前に座っていた二人も、腰を上げた。
「ちょ、な、なにを」
「俺たちの言葉で納得いかないんだ。それなら、当事者同士で話し合うしかないだろ」
「それじゃ、後はお任せします、グラウムさん」
「あいよー。任されたー」
あっという間に、信二は一人残される。
デブ男は笑いながら、対面に座って頬杖を突き、尋ねてきた。
「で、どしたん? 話聞こうか?」
遅まきながら、気が付いた。
これは罠、自分を取り込んで、始末するための。膝が震え、震えながら、それでも靴をつっかけて出口へ走る。
「無駄だよ」
からりの戸を開けて、その向こうに広がっていたのは、店だった。
出口が、入り口になっている。
その奥まった四人掛けの座卓に座り、丸い背中が振り返る。
「お前、"喪蓋"の舌に乗っといて、逃げ出せっと思ってんのか?」
にたり、と笑った顔が、裂けた。
顔の輪郭、体の輪郭がゆがんで膨張し、肉の塊のように変わる。
それは写真で見た、Aと呼ばれた個体そのもの。
「あ、あ、あっ、ああ、あぁあ、ああああ!」
気が付くと、周囲の景色は暗く、湿った空洞と化している。
生臭く、温かい。
ねばつく地面と思っていたのは、唾液がたっぷりとあふれた巨大な舌だ。
飲み込まれていた、巨大な口の中に。
「や、やめ、やめ、やめっ!」
『聞けねーな。どうもこのところ、オレの威厳? つーか尊厳が、盛大に破壊されてる感じで、取り戻しときたくてよ』
異様に健康的なピンク色の舌先が、ぞろりと、信二を舐め上げる。
不快で、おぞましく、恐ろしい感触。
しかも、自分の服どころか、手足や体さえも、溶けだしていた。
「あ、あああああああああああ!?」
『オマエだけじゃねえ、神去の人間どもはな、神を舐めすぎてんだわ』
膝が砕け、太ももが失われ、地べたに這いつくばる。
溶けた『信二だったもの』が、肉厚な喉の奥へ流れ去っていく。
『事情説明? 社会への忖度? 国家のしがらみ? 知るかぁんなモン!』
失われていく。
信二だったものが、昏い孔に吸い込まれて消えていく。
必死に抱きしめても、貪欲な舌が、喉が、何もかもを奪い去っていく。
『いいか、よく刻んどけ。これが神だ』
肉がそぎ落とされ、体液が奪われ、骨が微塵になっていく。
記憶が、過去が、思い出が、自分を構成するなにもかもが、奪われる。
『神は傲慢なんじゃねえ。傲慢に等しい力を振るう者を、神と呼ぶんだよ』
その言葉を最後に、すべてが暗闇に消え――
「――!?」
信二は、目を覚ました。
昼下がりの事務所、そのソファーの上で。
夢、とは思えない現実感。そして、自分の部屋なのに、現実感がない。
「おはようございます」
いつの間にか、パソコンデスクに座っていた男が、醒めた声であいさつする。
スーツ姿の、冷酷な無表情のまま。
「では、お望み通り説明しましょうか」
ブラインド越しに光を背負い、影になった顔。
その両目に宿る、金色の異常な虹彩が、輝いた。
「今回の事件のあらましを」




