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かみがみ拾遺譚~掉尾の物語~  作者: 真上犬太
掉尾の三、ブルー・テスタメント
20/24

5、グラップラー

 六月が開けて七月になると、唐突な灼熱地獄がやってきた。

 曇っても雨が降っても暑い。そして、肌を焼くような灼熱が降り注ぐ。

 その間、信二も焙られるような日々を過ごしていた。


「――よろしくおねがいします。それでは、失礼します」


 通話を終え、事務所のソファーに寝そべる。

 日よけのブラインドを透かして、雲の沸き立つ青空を見つめた。

 本永充は、日本から去っていた。

 小倉孝人が事故にあった直後に日本へ帰国し、半年の看病を経た後、その死をみとって師匠に当たるアーティストの住むアメリカへ戻った。

 日本での受付になっている画廊では、八月の盆には戻ってくると聞いたが、インタビューは難しいと伝えられた。


『先生は、その、大変に忙しい方で』


 もちろん、それは建前だ。

 偏屈なアーティスト。苦手なもの、人付き合い。

 クライアントとして出会った自分が、一番わかってる。


『友達が、殺された。犯人、捜して』


 うちの事務所に来るなり、本永充はそう言ってのけた。

 ここに来るまで、いくつかの事務所を門前払いになっていたのを、後で聞いた。

 それはそうだろう。

 言うことは断片的でぶっきらぼう。おまけに主観交じり。

 しかも、小倉孝人は自殺であり、たとえ会社でのストレスや過重労働が原因でも、会社側を『殺人者』として告発するわけにもいかない。


『それじゃ、まずは証拠から、集めていきませんか?』


 幸いなことに、クライアントは信二の提案を受け入れてくれた。


『例え、相手を告発するのでも、客観的な事実が必要です。小倉孝人氏が、どういう風に不当に扱われたか、まずはそれを明らかにしましょう』

『……そうか……そうだな』


 それまで激情まみれだった痩せた顔に、別の表情が浮かんだ。


『あんたに任せる。一番、うそ、少なそうだから』


 そして積み上げられた、尋常じゃない『報酬』。

 こうすれば憎い相手を殺す権利が手に入る、そんな感情をにじませて。


「小倉孝人……か」


 スマホのカメラ機能に収めた、ネズミの絵を見つめる。

 どういう冗談だ。

 幼児向けのアニメにでも出てきそうな、メルヘンチックな姿かたち。この中に三十越えのおっさんが入ってるとか。

 だが、こいつがあの『怪獣』を倒したのだとすれば。

 そして、もうひとつ。


「こっちのトリについては、一切情報なしか」


 そういえば、撮影されたトリは小さな三角帽子をかぶっていて、どこか『魔法使い』のように思える姿をしていた。

 この一月近く、頭がおかしくなりそうな情報がどんどん明かされている。

 異世界の勇者に選ばれた人々。

 神々の遊戯と呼ばれる、異世界の代理戦争。

 突然日本に現れた、AとBという二体の怪獣。

 そのすべてが、『小倉孝人』なる一本の糸で、繋がってきた。


「とはいえ、後は本永充に聞くぐらいしか、手がかりもないしな」


 ため息を一つつくと、手荷物をまとめてザックに入れ、立ち上がる。

 今日は例の『勇者』の一人に、面会を申し込んであった。

 少し遠い場所にあるため、移動は早めにするつもりだ。

 

「今日も暑そうだな」


 言わずもがなの愚痴を口にして、信二は事務所を後にした。



 それは都営の運動施設、その建屋の中にある畳敷きの部屋で行われていた。


「息を吐きながら、そう、ゆっくりと。右の動きに合わせて、左も同じ距離だけ……そうです。いい感じ」


 ジャージ姿の一団。

 その連中を、特徴のあるズボンとシャツを身に着けた、筋肉質の男が指導していた。

 いわゆる中国拳法、という奴だろう。

 信二はそういうものに興味はなかったが、依頼人である友人はその辺りに熱心で、あのシュッとした姿を維持しているのも、格闘技に対する情熱の賜物だった。


「どうですか、小谷野さんも」

「いやあ、俺は昔から運動苦手で、あんな中腰姿勢なんてやったら、膝でも腰でもぶっ壊しちゃいますよ」

「架式は、その人に合わせた高さを選んでもいいんで。厳密にやるならこう、ぐっとやらないとですが」


 まるで機械作動式のジャッキのように、膝を曲げつつ腰を落とす異様な姿勢を取ると、そのまま、ほぼ棒立ちのような状態に戻ってみせる。


「こういう形でもいいんです。要は勁が通ればいいんで」

「勁ってその、いわゆる気、って奴ですか?」

「単純に言えば全身力の和と構造の力、なんですが。まあ、オカルトなしの物理エネルギーって考えてもらえれば」


 あっけらかんとした物言い。

 こういう古さを誇るような武道につきものな、秘密めかしたところは一切ない。

 むしろ、そういうオカルトじみたものに興味がない、とでもいうような。

 そのまま練習は、打ち合いや型稽古のようなものを一通り進め、挨拶とともにスケジュールは終わった。


「シャワー浴びてきますんで、申し訳ないですが、下のロビーで待っててもらえます?」

「分かりました」


 言われた通り施設の一階で待ちながら、改めて彼のプロフィールを確かめる。

 辻隆健つじたかやす、神の勇者として異世界にわたった格闘家。三条日美香は顔だけは知っていたらしく、カードゲームに誘ったが断わられたと言っていた。


「そりゃ、自分の土俵で戦おうって言われて、頷く奴はいないよな」


 やがて、ポロシャツにジーパンという、あまりにもそれっぽい恰好でやってきた男とともに、暑気の強い夕暮れの街に歩き出した。


「そういえば、あなたで二人目ですよ」

「なにがです?」

「その、十代ではない勇者に会うの」


 相好を崩して、格闘家は苦笑いを浮かべる。浅黒い、目じりに濃いしわのある顔は、年齢以上に老けた印象を感じた。

 同時にある種の子供っぽさ――彼は独身らしい――所帯やつれを感じさせない、稚気も併せ持っている。


「俺と戦った吸血鬼も『まずそうな中年で萎える』って言ってくれましてね。マジで失礼な奴だったなぁ」

「き、吸血鬼、ですか」

「他の子供らからも話聞いてたんでしょ? 今更驚きます?」


 彼の来歴は、他の子供たちよりははるかにぶっ飛んでいる。

 二十歳を機に台湾に渡って四年の武術修行。その後、世界を転々としつつ、用心棒バウンサーや地下格闘技の格闘士グラップラーをやっていたという。


「ここの店、結構手ごろでうまいんですよ」


 そう言って連れられたのは、しゃれた感じのイタリアン居酒屋。だが、内装は畳敷きで厨房も居酒屋そのもの。

 おそらく、本来の店をそのままに、出すものを変えただけらしい。

 とりあえずビール、格闘家はいかにも健啖家らしく、いくつもの前菜を頼んだ。


「その、吸血鬼の話ですけど、どうでした?」

「意外と食いつきますね。まあ、こっちじゃ経験できないことっすからね」


 これまでは、ただのファンタジー小説程度の話だったが、拳一本で異世界のモンスターと戦うと来れば、興味の度合いも違ってくる。

 辻隆康は、その時の状況を、身振り手振りを交えて、雄弁に語ってくれた。


「まあ、最後に戦ったやつに比べれば、吸血鬼なんて物の数でもない、って思えるけど」

「どんなバケモノですか、そりゃ」

「笑いますよ。コボルトって、わかります?」


 またそれか。

 つまり、前回聞いた通りに、シェートというコボルトは、この百戦錬磨の格闘家も下したということになる。


「とはいえ、あれは武術というより機略、兵法で負けたって感じすかね」

「だまし討ちされた?」

「ある意味正々堂々でしたよ。仲間のチビドラゴンとオオカミを向こうに回した、三対一だったけど」


 やってきたオリーブをつまみ、チーズの盛り合わせや、イワシのパン粉揚げを、話のついでに平らげていく。

 その右肩に、見ても分かるような、凄絶な傷跡が残っていた。


「それ、もしかして」

「これは違います。リザードマンの剣士に、肩口をばっさり。神様の力が無きゃ、右腕が動かなくなってたか」


 彼の冒険自体は、一つの大陸の中で収まってしまうほどの規模だったらしい。

 召喚主である武神は、いわゆるチート勇者を嫌い、彼のような武術家を呼ぶことに執着したという。


「すみません、辻さん。帰った後、神様から接触はあったんですか?」

「ありましたよ」


 本当に、この連中は。

 普通に考えれば何らかの優越感を持ったり、世界の秘密を知ったことで、ふるまいを変えてもおかしくないのに。


「ただ、その時の用事は俺じゃありませんでしたね。そもそも、負けて帰るときに、部下にならないかと誘われて、断ってますし」

「どうして?」

「向いてない、そう思ったんで」


 その時、店の開き戸を開けて、新たな客が入ってきた。


「お、悠里君。おつかれ」

「こんばんは。おまたせしました」


 紺染め麻シャツと七分丈のパンツの、ラフな姿の青年は、こちらに気が付き黙礼し、そのまま座敷に上がってきた。


「えっと、彼は?」

「どうせこの後、取材するんでしょ? 連絡して、了承してくれたんで呼んだんですよ」

「初めまして。連絡返す前にお会いすることになって、申し訳ないです」


 いかにも人好きのする、快活な笑顔の青年は、会釈しつつ告げた。


岩倉悠里いわくらゆうり、異世界の勇者やってました」

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