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かみがみ拾遺譚~掉尾の物語~  作者: 真上犬太
掉尾の三、ブルー・テスタメント
15/24

0、曇天を縫うように

 それは六月の曇天。

 小谷野信二こやのしんじは、蒸し暑さをこらえて、上野駅不忍口の高架下に歩み出していた。

 時刻は一時過ぎ、じっとりと湿気を含んだ大気が不快だった。

 明らかに、子供のころに感じていた『梅雨』ではない。雨が降っても空気は冷えず、中途半端なミストサウナのような、貼りつく熱気を含んだままだ。

 日本が亜熱帯から熱帯になる、そんな話も現実味を帯びてきたらしい。

 

「よう」


 ワイシャツにスラックス、片手にはブリーフケース。ネクタイこそつけていないが、長身で筋肉質の、あか抜けたビジネスマン然とした男。

 この湿気の中でも、自分の価値も存在も棄損されない、そんな特殊加工をされたとでもいうような姿に、信二は苦笑いを浮かべた。


「隠しきれてないぜ、いろいろ」

「必要もないのに、何を隠すって言うんだ?」


 しゃあしゃあと言い放つ相手に鼻を鳴らすと、青に変わった横断歩道を振り返りもせず歩き出す。

 こちらは紺のポロシャツに麻のズボンで、それ以外はスマホと財布。同道する二人組としては、ぎりぎりちぐはぐではない程度。


「飲んでけよ」


 高架脇の道を、繁華街のある方角へと歩いていく。アスファルトは湿気を含んだ黒で、ところどころ水たまりが残っていた。


「……そうだな。今日はもう、直帰にするか」

「そうしろそうしろ」


 表面上ははつらつとした感じを装っていたが、友人の目元には、隠しようもない過労の影があった。


「苦労性のお役人に」

「気ままなフリーランスに」


 持ち上げたジョッキを、打ち合わせる。

 昼だというのに、かなりの客が群がった居酒屋の片隅で、乾杯の音頭を取った。

 砂漠に迷った旅人のように、黄色の液体を飲み干す友人へ、信二はもう少しいたわりをこめて、尋ねる。


「ちゃんと休めてるのか?」

「今の日本で、ちゃんと休めてる省庁関係者がいるなら、俺が叩き殺してやるよ」

「……すんません! 生二つ!」


 憂いを祓う百薬の長に応援を頼みつつ、小鉢に盛られたレンコンの煮物をつまむ。

 やがて、二つのジョッキと一緒にやってきたつまみを、互いの間に並べる沈黙が、少しばかり続いた。


『次のニュースです。先月発生した未確認生物――いわゆる『怪獣』の消失事件に関する日米合同調査、第一回の会議が、ワシントンにて行われました』


 アナウンサーの背景には、闇夜に浮かび上がる怪物。巨大に膨れ上がったヤツメウナギに翼を生やしたような『怪獣』が、存在感を示している。

 東京湾はお台場の埋め立て地エリアに出現し、日本どころか世界を震撼させた『怪獣』は、その唐突な出現と同じぐらい、唐突に消滅した。

 客たちの視線が一瞬だけテレビに視線へ移り、さざ波のような『意見表明』を引き起こして行く。


『合同ったって、連中何もしなかったじゃねえか』


『あの怪獣、アメリカの生物兵器って話だろ。だからあえて動かなかったって』


『むしろ中国の方だろ。あれ以来、米中で露骨にけん制し合ってるし』


 対面に座った友人は、露骨に疲れ切った溜息を吐く。

 これは相当な重症だ。


「河岸を変えるか? お前のおごりで」

「いや、ちょうどいい。愚痴に付き合え」


 今度はいかにもまずそうにジョッキをすすり、言葉を継ぐ。


「怪獣発見から今日まで、三十連勤だぞ。本当なら今日で三十一連勤だった」

「……ブラックどころかコールタールだな。おつかれ」

「特に、『怪獣』のお台場上陸から三日間、ほとんど寝る間もなかった。議事堂、官邸、各省庁を何往復したことか。ついでにバンキシャ気取りのマスコミどもに振り回されて、散々だ」


 最後の言葉に、ポケットからスマホを取り出し、ニュースを表示。

 映像に映し出されたのは、ごま塩、ハゲ、白髪のスーツ姿が、記者会見場で一斉に頭を下げる映像だ。


「お前のところの仕事だろ。『災害対応の妨害行為に対し、テレビ局へ厳重注意』、ネットでも、めちゃくちゃ叩かれたな」

「実際には『注意』どころじゃない。怪獣の攻撃で破壊された施設や地主からも、かなり突き上げを喰らってる。人身御供に幹部クラスの首が、ダース単位で飛ぶ予定だ」


 いくらか溜飲が下がったのか、友人は機嫌をよくして串盛りに手を伸ばしていた。


「怪獣と自衛隊って組み合わせがよかったんだろうな。最初から、自衛隊には好意的な意見が多かったし。特撮映画様様ってところだ」

「なんか笑っちまうよ。あれだけの騒ぎになったのに、事件による死者は無し。負傷者も嫌われ者のマスコミ関係者ぐらいで、なんかわからんうちに、怪獣は消えちまった」

「その後始末に奔走してる人間がいるってことを無視すればな」


 だが、あまりにも大騒ぎだった事件当初に比べれば、極めて尻すぼみな結論。

 怪獣は死体どころか存在した証拠さえ残さず、姿を消した。


「まさに『大山鳴動して鼠一匹』ってところか」


 何気ない揶揄、のつもりだった。 

 それきり、会話が止まった。

 無言でつまみを食い、酒を干すと、友人は立ち上がる。


「飲みなおそう。サウナに入って汗流してから」

「おお」


 信二が会計を済ませ、そのまま連れだって御徒町駅へ。

 その間もほとんど会話はなく、二人はいつものルーチンに従った。

 サウナ、マッサージ、電車で移動し、大都会にありながら、どうということはないという顔をしている、のっぺりした街並みへもぐりこむ。


「で?」


 終点は駅近にあるワンルームマンション。

 間近に線路の高架を見下ろせる四階の一室は、遮光カーテンが引かれていた。

 座卓が一つと冷蔵庫、ネットにつながるパソコンが一台。


「まずは飲んでくれ」


 買ってきた缶ビールが差し出される。

 その態度に不審なものを覚えつつ、壁を背にして座り、タブを引き起こす。

 室内はエアコンが掛かり、程よい湿度と温度に保たれている。

 防音は完璧で、電車の通り過ぎる音も、内側の会話も、一切通すことはない。


「終わってないんだ。なにも」


 合皮のブリーフケースから、引き抜かれたもの。それは分厚く重い、資料の束だ。


「終わってないって、なにが」

「そういうのはもういい」


 信二は舌打ちして、ファイルをめくる。この友人、いやさ『クライアント』がこういう態度をするときは、状況が煮詰まっている証拠だ。

 思った通り、それは陳腐なほどの『極秘資料』だった。

 冒頭にあるのは『未確認生物――A個体、並びにB個体群についての報告』。


「A個体ってのは、あのでかいミミズみたいなのじゃ……ないのか!?」

「五月十七日、早朝の東北自動車道で起きた『事故』、そこで目撃されたのが『A』だ」


 添付された画像資料には、冗談みたいなものが映っていた。

 黒々とした肉饅頭、的な代物。

 幅広い高速道路を占有する、肉塊然とした表面には、無数の切れ目のようなものが走っている。

 しかも、一枚目とは別の画像には、もっとおぞましいものが映っていた。

 不揃いな牙の生えた、無数の口が何かを呑みこむ姿。


「こ、これって、戦車、か!?」

「陸自の話では兵員輸送に使う車輛で、配備されているものと酷似している。だが、砲身の構造が明らかに『改造』されていたそうだ」

「……盗まれて、使われた?」


 その問いかけに、友人は答えない。

 仕方なく先を読み進める。

 その後、現場検証が行われ、宇都宮ICの職員に聞き取り調査や、防犯カメラのチェックも併せて行われたことが書かれている。


「……迫撃砲、ロケット砲、重機関銃、の痕跡。だが、残された薬莢、硝煙反応の異常な少なさか」

「『直接的な証拠さえ残さなければいい』と言わんばかりの、手際の良さだそうだ」

「それ以上に、職員の聞き取りも、ひでえもんだな」


 ICに勤務していた職員へのインタビューに曰く、


『ちょうど交代の時間で、その後のことは知らない』


『移動中に腹痛が起き、別の同僚に一時的に後を頼んだ』


『そんな話は聞いておらず、定刻通りに交代が行われたと報告が行われていた』


『事件発生当時のカメラには故障が発生し、録画記録が残されていなかった』


 その上、午前四時から五時という時間帯に関わらず、あらゆる流通関係車両、一般通行車両が『その日のその時刻は、東北自動車道をなぜか(・・・)使わなかった』という報告がなされていた。


「空白の一時間、その間に出現し、異常を引きおこしたのが『A個体』だ」

「ひとつひとつは起こらなくもないケアレスミス、故障、個人の事情、そのすべてが一度に、示し合わせたように起こったって?」


 示された異常な事実を、温くなった缶ビールと一緒に飲み下す。

 そういえば、友人は『仕事』の時に酒を飲むことはないはずだった。

 違和感の正体――こいつもこの事態を、受け止め切れていない、そう感じた。

 そのままページをめくり、信二は後悔した。


「個体B()……こういうことか」


 どこかの下水道の暗い穴蔵。そこにびっしりと産み付けられた『卵』の写真がある。

 注意書きには『二十一日以降、B個体の産卵痕、並びに卵、消失』とあった。


「し、消失!? 卵はどこへ行ったんだ!?」

「その写真は、ある動画実況者が偶然撮影したものだ。その直後に、例のB個体がお台場に出現して東京都民の避難が始まった。写真の提出と確保は二十五日。現場検証は二十六日だ」

「……孵化、していたりとかは?」

「不明だ。痕跡も残さずに消えてるんだからな」


 友人の言葉が、実感できた。

 何も終わっていない、それどころか、絶望的な不安が横たわってしまった。

 産み落とされた怪獣の卵が、この世界に残されたまま、行方も分からない。


「……ん? なんだ、これ。『要検証個体群』?」

「ああ、それも懸念の一つだ」


 それは最初、ゴシップ週刊誌やネットニュース、個人のオカルト系動画のスクリーンショットから始まった。

 深夜の繁華街に姿を現した『獣人』の話題。

 チョッキを着たネズミと、帽子をかぶったトリのような姿。


「あったな、こんなの。その後、すぐに世間の話題は怪獣一色になって――」


 だが、参考資料の内容に妙なノイズが混じりこみ始める。

 最初に『獣人』が確認された場所に、個体Bも一緒に出現していたという『事実』だ。

 その後、地下鉄の構内、奇妙な自転車の二人乗り、繁華街で起こった『銃撃戦』のうわさ。そのどれにも、ネズミとトリの存在が示唆されていく。

 そのままページをめくろうとしたとき、友人が声をかけてきた。


「そこから先は、最重要機密だ」

「お前、そういう言い方は嫌いじゃなかったか?」

「そうだな。基本的に国家の機密なんてものは建前であるべきで、時世や状況が変わり次第、開示されてしかるべきものだってのはな。でも」


 普段は決して、無茶な飲み方をしない男が、明らかに視界をよどませるほどに、アルコールの力を欲していた。

 できれば、ここにあるすべての事実を『酒の席で見た妄想』にしたい、と。


「それだけは、可能な限り、知られないほうがいい」

「……おい」

「安心しろ。お前のことは信頼してる」


 すっかり悪酔いした友人に呆れつつ、資料をめくる。

 そして、絶句した。


「……何の冗談だ」


 おそらく、現地で自衛隊が飛ばしたドローンによるものだろう。一枚の映像が大写しになっていた。

 巨大な剣を振り下ろし、怪獣を断ち斬るその姿。

 驚くほどにくっきりと(・・・・・)見せつける様に(・・・・・・・)、ネズミの雄姿が映っていた。


「面白いことにな、現地で怪獣撃退のために集結していた自衛隊の面々が、不思議な声を聞いたそうだ」

「……なんて?」

「『刮目せよ、讃嘆せよ、喝采せよ』ってな。こうなる直前まで、謎の霧が覆って、地上どころか、監視衛星の撮影さえ不可能な空間ができたってのに」


 唐突に表れた『異常な存在』、それらが残した痕跡。

 怪獣発見の初報から今まで、日本の報道も政府も、情報を制限もせず垂れ流しをしていると思っていた。

 とんでもない、彼らは本当に明かしてはいけないものは、ちゃんと隠していた。


「うちの『省』でも、平成っ子の比率が上がったおかげか、ネットの動きには早いうちから注目しててな。事実の相関関係で、ちょっとしたお祭り騒ぎだった」

「お通夜の間違いじゃないのか?」

「それは現状だ。そして明日にでも、地獄の黙示録もかくやって言う、戦場が待ってる」


 資料の最後には、今後の政治的なイベントが羅列されていた。

 そのひとつひとつに込められた意味が、日本という国に対する呪縛のように見えた。


「さっきのニュースでもやってたろ。日米安保条約を盾に、日米合同の検証が予定されてる。名目は『同様の異変が自国でも起こりうる可能性の調査』だが」

「まあ、わかるよ。『怪獣』だからな」


 フィクションの世界から湧き出したような化け物。

 あんなものを研究することができれば、何らかの受益を被ることができる。

 いや、新しい情報というものは、ただそれだけで恐ろしい価値を持つ。


「随分虫のいい話だな。怪獣出現の時は太平洋艦隊どころか、沖縄でさえ動かさなかったんだろ?」

「中国やロシアを刺激したくない、というのが表向き。実際は連中が『世界の警察役』を降りたがってるってのが、大きいそうだが」


 日米による事件検証開始が八月の下旬。

 その後、共同声明という形で世界に情報発信がなされ、各国調査団の受け入れが予定されていた。


「ただ、中国、ロシア、EUから『待った』が掛かってな」

「アメリカに『おいしいところ』をさらわれてなるか、って奴か」

「こういう時に、きっちり『うちの問題だから引っ込んでろ』と言える政府だったら、よかったんだが」


 その辺りの複雑な力関係や、国としての性質を含めた『立ち居振る舞い』に関しては、この場で何かを言えることもない。

 友人は国益を担う立場で、軽々には口に出せないし、信二は結局、無責任な市井の人間に過ぎなかった。


「で、今回は煮詰まった国際情勢に振り回される中央官僚の苦労を、わざわざセーフハウスに友人を引き込んでまで、吐き出しに来たのか?」

「ちゃんと仕事の話もするさ。まあ……そのぐらいのささやかな『横領』ぐらいは、許してほしいとも思うが」


 友人はブリーフケースから、別に用意してあった薄い紙束を手渡してきた。

 それは、資料と呼ぶにはいささか、毛色が違っていた。


「……なんだ、こりゃ?」

「仕事だ」


 そこに並んでいるのは、複数の人物名。

 大半は高校生や大学生だったが、三十代以上の中年も入っている。

 その連中の、共通項とされる、一つの呼称。


「『異世界の勇者』ぁ?」


 ビールをあおり、アルミ缶を握りつぶすと、友人はアルコールと疲労で真っ暗になった目元のまま、うなった。


「そいつらの素性と背景を、洗ってくれ」

今回の掉尾の物語は、別の物語の掉尾でもあります。

現在連載中のれ・れ・れ、「REmnant・REvenants・REincarnation ~異世界転生日本人、魔界の最下層で生きていく~」の、五章の後日譚です。

地球人側から見た神々の遊戯、そして小倉孝人という模造人が引き起こした一件が、その後どう扱われたのか。

その顛末をお楽しみください。


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