荒(すさ)ぶ雷の王(前編)
破滅は、唐突にやってきた。
いつものように、朝日と共に目を覚まし、畑に出ようとした矢先。
紫に染まり始めた空に、巨大な塊が浮かんでいた。
「なんだ、ありゃ」
「またぞろ、どっかの魔法使いの出したまぼろしか?」
同じころに起き出してきた村の者たちが、それを指さしながら、騒いでいた。
よく見れば、それは山ではなくて、真正面から見た船のようだ。
それが、一隻、二隻と増えていく。
「お、おい……」
「どんどん増えてくぞ!?」
増殖はとどまることなく、数えられる規模ではなくなっていく。
異様な光沢の船は、ついに日の光を覆い尽くすほどに膨れ上がっていた。
「あんなもの、神様からは何も言われてないぞ!?」
「神官様からだって、一言も――」
みなの言葉と懐疑を、何かが、すりつぶした。
突風、轟音、白飛びする視界。
「え?」
気が付けば、体が横たわっていた。
視界がぼやけ、焦点が定まらない。力が入らない、土の地面に顔を押し付けたまま、見えるだけの部分に目を向けた。
「あ……?」
村が、消えていた。
二十棟ほどもあった平屋が、土台のわずかな痕跡を残して吹き飛び、その辺りに不格好なすり鉢状の穴があった。
まず思ったのは、魔法。
だが、こんな威力を出す力など、昔話の中にさえ出てこない。
あるいは神の奇跡による、天罰。
そんなはずはない、うちの村は、首都の神殿からお褒めの言葉を貰うほど、信心深いので有名な。
「あ……」
今度ははっきりと、恐ろしく無慈悲な正確さで、周囲が根こそぎ吹き飛ぶ。
聞いたこともないような、恐ろしい音が響き渡って、残っていた村の家々が、村長の役宅を含めて、粉砕された。
石造りの頑丈な家のはずが、小麦粉の山に息でも吹きかけるように、あっさりと。
やがて、思い出したように、残った残骸から火の手が上がり、かすかな悲鳴が上がり始めた。
「う……だ、だれ、か」
ひどく耳鳴りがする。
助けを呼ぼうと声を上げるが、歪んでしわがれて、普段の半分も威勢が出ない。
空に浮かぶ、山のようなものが、影を落としながら飛び去って行く。
日が陰り、ようやく、今できることを思い出す。
「かみ、よ……」
胸に手を当てて、必死に祈りの言葉を口にした。
「どうか、我らを、お救い下さい」
それから、何とか体を起こし、神殿の方に顔を向けた。
「か、み……よ」
何もなかった。
この辺りの村で一番立派で、百年の歴史はあると言われた、村の象徴のような石造りの建物は、無数の黒焦げた穴と砕けた石の残骸に、成り果てていた。
「あ……」
粉砕したすべてを振り返ることもなく、巨大な暴力の塊は去っていった。
その村で最も平凡で、最も素朴な農夫は、思い知った。
世の終わりとは、驚くほど唐突に、始まるのだと。
汎世界の中心、あらゆる世界の交点に『合議の間』と呼ばれる『座』がある。
降り注ぐ光、四方に諸世界へ通じる門、緑成す庭園、神々の集う東屋、あらゆるものが穏やかさと慰撫を目的として設えられた空間だ。
星々を治める神の、交流と交渉のために設けられた『座』は、いつになく緊張した空気を漂わせていた。
「……まさか、ここまでとは」
どこかの一つ柱が、気後れしたようにつぶやく。
天地を貫くような水の幕に投影されるのは、汎世界のどこかに存在する星の光景だ。
緑成す平野と点在する森林があり、その合間に石造りの村や町であったはずの場所は、今や過去のものと成り果てていた。
地にあるものは等しく、黒々と焦げた痕跡と化し、家は燃えくずれ、あるいは溶けて煙を噴き上げるばかり。
ところどころ盛り上る塊は、おそらく木か、動物か、あるいは人、であったもの。
「いったい、あれは、なんなのだ?」
誰かの問いに、誰かが答えようとして、口をつぐむ。
それほど、何とは言い難い異物が、惨劇の大地を飛び進んでいく。
形は、海原を泳ぐ巨大な魚のようだった。
あるいは、魚を模した巨大な船と言うべきか。
「軍船、なのだろう。おそらく」
「空飛ぶ軍船など、珍しくはない。問題は、あの数と、その身に秘めた威力だ」
神々が絶句する映像は、惨劇の幕開けから始まっていた。
唐突に虚空に現れた、千を超える巨大な金属の軍船。その砲門が一斉に、劫火を吐き散らしていく姿を。
侵攻された村や町にも、確かに守り手はあった。
神の加護による防壁、敵を寄せ付けぬ胸壁、あるいはよく鍛えられた騎士や神官たち。
その一切が、無力だった。
加護による守りも、魔法による妨害も、ボロ布同然に引き裂かれた。そんな威力の前に肉の身であるものなど、数刻も原形を保っていられるわけがない。
「しかも、千はゆうに超える勢力ぞ。金属でできた飛行軍船を、あそこまで用意できるとは……」
「その上、神秘と魔法の守護を粉砕し、大地のことごとくを焼き払ってみせた。魔の者とは言え、定命の力ではおぼつかぬはず!」
「かつて存在していた『世界喰い』であれば、そのような力を蓄積することも可能であったろうが」
「むしろこれは、御身の領分ではないか? "護民官"殿」
群衆の中に立つ、一つ柱が問いに答えるべく体を伸長させる。
それは巨大な機械そのもの。歯車と発条と、電子の目を持つ者。
自ら創り上げた『機械文明』を信仰し、その結果生まれた『新しき神』。
"護民官"フェム・ゲユーグル・ベファウ・ルージは、すべてを心得て告げた。
『然様です。あれは、私を生み出した『科学』の精髄。世の理をヒトの目で解析し、聲の領域に近づかんとした文明。その近似の力』
「近似ということは、何か違いが?」
『あれは、いわば合成魔獣です。魔法と科学の合成物と推察されます』
水の幕に写された映像に、無数の注釈や拡大表示が施される。それは、金属の軍船の材質や、使われた火砲の正式な名称や威力を表したものだ。
「"電磁加速砲"、"荷電粒子砲"、"ミサイル"、私の星にも配備されているものですが、完全機械作動式であるならば、想定される動力機と艦艇の規模に不整合が生じます」
「つまり?」
「船足や攻撃を下支えする『人員』と『実際の戦果』が、合わないと言えばお分かりになられますか? 本来なら、一隻の大きさもあの倍は必要となります」
彼の言葉に、神々は首を傾げ、あるいは得心が言ったとばかりに頷く。
その中の一つ柱が、不満げに告げた。
「そもそも、そんなことが可能であるなら、とうの昔に神も魔も、あのような代物を作り出しているはずではないか。なぜ、今になって?」
『結論から言えば『労力』に合わないからです』
水鏡の映像は、一隻の軍船を拡大し、その内部構造を投影してみせる。
いくつかの部位で『不明』と表示されているが、かなり正確な透視図絵になっていた。
『私の世界で発達した『科学』は、確かに魔法を上回る面が多数あります。個人の資質に左右されず、誰でも利用可能で、力の安定供給を可能とします。ですが』
「貴殿の『科学』は、魔法以上に『正確性』を必要とされ、消費される『素材』も、けた違いになるのだったな」
『はい。実のところ、ある一線を超えると、科学技術は魔法の後塵を拝します。何より、その最高峰である『聲』には、遠く及びません』
「そう卑下したものではあるまい。魔法の素養が無い者にとって、科学の恩恵は計り知れぬ。日常使いであるならばなおのことよ」
実際、どれ程優れた魔法文明のある世界でも、高度なものになるほど、基礎部分は機械作動式の機構を補助としていた。
汎世界において、魔法と科学は反するものではなく、足りない部分を補うという形で広まっている。
『あの規模の飛行艦隊を動かす魔力があれば、大規模な殲滅術式に使用するほうが効果的です。反対に、個人の資質に左右される魔法を、艦隊用の動力源にすること自体、科学の意義から外れます』
「では、そんな不合理を行う理由は?」
『仕組みさえ整えれば、短期間で即席の大軍を用意できます。それを用いた、我らへの嫌がらせかと』
嫌がらせ、という指摘に誰もが顔をしかめた。
実際、自らの星を攻められた小神は、信者と星を失いかけ、消滅さえしそうな状況になっており、座視するわけにもいかない。
『『科学と魔法の合成』自体、構想としてありふれたものでした。しかし、魔法を能くする者にとって、科学の正確性は手間でしかなく、科学を能くする者にとっては、魔法の不安定さをシステムに組み込むこと自体、否定的だった』
「それを、どこかの馬鹿者が成果として吐き出し、拡散させた」
『"とじめの星の魔王"、その置き土産ですよ』
今度は、先ほどよりも明確に、神々は嫌悪感を露わにした。
癒えていない深手の傷を、まさぐられたかのように。
『かの魔王は実に周到でした。"とじめの遊戯"そのものを最終実験場とし、その後の戦局を左右する戦略と戦術を、後の世に残したのですから』
「そんなことはどうでもよい! 問題は、アレにどう対処するかであろうが!」
神々の集団の中から、髭をたくわえた偉丈夫が進み出る。粗野な武人風の装いをした神は、機械神と顔を合わせた。
「少なくとも、下界の戦力では歯が立たぬ。神々の座にある英雄や小神を差し向けねばならぬ事態だ」
『正確な分析です、"覇者の威風"よ。それで、その選抜は?』
「それを合議するため、我らが集まったのだろうが」
いら立ちと共に吐き捨てた"覇者の威風"の背後で、悲痛な叫びが上がった。
「どうか、今すぐにでも最強の布陣にて、動いていただきたい!」
発言者は人型の神格。見目は整ってはいるが、これと言って特徴はなく、感じる神威も高い格を感じさせない。
いわゆる『小神』と呼ばれる類の一つ柱だ。
「我が星は失陥目前、信徒の命も風前の灯です。なにとぞ……っ、即断のご裁可を!」
「そうは言うが、あー……貴様、その、なんだ」
豊かなひげを蓄えた、いかにも武の神然とした男神が、言いよどむ。
「この度の敵の動き、尋常ではないものを感じる。軽々しく動くことは、慎まねば」
「ですが、先兵を迅速に潰してこそ、魔界への掣肘となるのではありませぬか!? "覇者の威風"よ!」
「戦を知らぬ者が、分を弁えよ」
明らかに侮蔑を含んだ顔で、"覇者の威風"は萎縮する小神を蔑んだ。
「魔の者がこのような手管を用いるとは、思いもよらぬことであった。そもそも、神の軍を動かすことは、小麦の粉や水を融通するのとは訳が違うぞ」
「……この侵攻に関しては、かねてより"平和の女神"殿が――」
「その銘は口にするな――忌々しい」
強烈な憎悪が、神々の庭を洗う。誰もが口をつぐみ、わずかな間を置いて、さざ波のようなささやきが大気に流れる。
『"覇者の威風"は、"始まりの遊戯"に加担した件で、かの女神に様々な制約や賦役を課されたそうだな』
『実兄の"審美の断剣"など、千年もの間、自らの星に封じられたとか』
『"遊戯の破壊者"にして"復仇の鬼神"なりし、"とじめの者"か』
『あれ以来、"闘神"と昵懇となり、"愛乱の君"ともつながりを深めておるようだ……権威に取り入るのが上手くなったものよ』
『嫌味の一つも言ってやりたいが、掛け代を返されたとあっては、粗略にも出来ぬしな』
耳障りな風聞をひとにらみで払い散らし、現状の進行役を買って出るように、偉丈夫の男神はもろ手を挙げた。
「皆の者、これは天を揺るがす一大事であることは間違いない。天にある神の一つ柱として、彼の神の心痛は察して余りあるものだ」
弁を振るう"覇者の威風"。その姿を見る神々の目は、幾分か冷ややかだった。
これが少し前、いわゆる"とじめの遊戯"の前であったなら、彼の言葉に賛意を示し、あるいは尻馬に乗ろうとする者もあっただろう。
その名声は"とじめの遊戯"における、悲惨な敗北で、地に堕ちていた。
遊戯の勝者であった女神、サリア―シェに破れたのではなく、その同盟者にして、彼自身が小間使いにしていた者に、闇討ちされたことが原因だ。
それでも、往時の倣いに従って、誰もが彼の言葉に耳を傾ける、かと思われた時。
「その辺でよかろう、"覇者の威風"」
青い鱗の海生人種を思わせる神格が、不満を隠さないまま進み出る。
"波濤の織り手"、シディア。
かつて、表面上は盟友と振舞っていた二つ柱はにらみ合い、今にも争いに発展しようかという気配を放ち始めた。
「卑怯臭いフジツボ風情が、何をしに出てきた――"波濤の織り手"」
「耳障りな胴間声に、中身のない長広舌。"調停者"殿を真似たつもりだろうが、見苦しいばかりよな」
「典雅を解さぬ田舎者め。そのような無粋を抜かすから、お前の下につこうという者が現れんのだ」
「……結論の出ている事実に駄弁を塗りたくるのが、貴様の言う典雅か?」
青い肌の神は、水鏡の映像を現地のものに戻す。
それを星の全てが映るように調節し、惨状を明確にした。
「見ての通り、そこの――なにがし神の主星は、すでに手遅れであろう。各地の神殿は焼かれ、統制の取れた国家権力も、ほとんど潰えておる様子」
「で、ですから! 今すぐに」
「なあ、御身よ。頭を働かせてくれ。今、我らが力を合わせたとて、どの程度の救いになるというのだ?」
それは"覇者の威風"よりも酷薄で、事実に基づく指摘だった。
「我の見たところ、ここにいる神々の有する英傑を、百万ばかり降ろせば、あの軍勢を散らすことも適うだろう」
「であれば、今すぐ!」
「だが、それをして、我らの星の護りはどうする?」
水鏡に映されるのは、侵攻された星を中心とした勢力図。それは魔の領域との境近くにあり、隣接した地域には他の小神の領土が点在している。
「先ほど"護民官"殿も言っておられただろう。即席に用意できる数合わせと。であれば、あの艦隊と同じものに、我らは備えねばならん」
「……つまり、私の星を、見捨てると?」
「そうではない。まずは小勢にて斥候を出し、敵の陣容を探る。その折に、貴殿の星の民も、いくばくかは救えよう」
提案を告げられた小神は、助けを求めるように神々の群れを見渡す。
その悲嘆に対して返されたのは、利己と憐憫のはざまで揺れる、ためらいだけだった。
『見たところ、連中も星の精髄までは穢してはおらぬ様子。であれば、まずは敵を見定めたほうが、奪還の可能性もあろう』
『それに、神の英傑も不滅ではあらぬ。万が一、神殺しの武装など持ち出されれば、こちらの手勢を減らしかねん』
『戦が終わった後であれば、民でも糧秣でも融通しよう。ただいまは艱難に耐え、後の再起を期するが上策ぞ』
悔し気にうつむいた小神は、それでも決然と顔を上げた。
「皆様の深謀遠慮、承りました。ですが、私が欲するのは今この時の助成。かくなる上はさらに力ある方々に、我が星の危急をお救い下さるよう、願い出るまで!」
「貴様……わざわざ我らを呼び集めておきながら、その物言いか!」
「そもそも、陣容も兵数も戦略も分からぬ敵に、無償で突撃せよなどということ自体、おこがましいとは思わぬか?」
髭の男神と青い肌の海神に挟まれた小神は、助けを求めるように周囲を見渡す。
それでも、動く者はいない、そう思われた。
「お待ちくださいませ、"覇者の威風"様」
神々の群れから、進み出る影がある。
背は低く、押し出しも弱い、吹けば飛ぶような一つ柱。
だが、呼び止められた神は、柳眉を逆立てて、怒りをあらわにした。
「……よく恐もせず、卑賎な面を俺の前に出せたな、"穢闇の"」
「"黄金の蔵守"、イヴーカスでございます。お間違えくださいますな」
簡素なローブに身を包んだネズミそっくりの獣神は、穏やかに笑いながら、髭面の神を制した。
「そんな古臭い銘など、今更持ち出してなんになる。そも、今や貴様はあの忌神の下についているのであろうが。俺に話しかけるな、穢れが移るわ」
「私については、いかようにおっしゃられても結構。ですが」
柔和な表情は消え失せ、厳しく、強烈な怒りが、尖った鼻面に威圧が宿った。
「亡き主から頂戴した銘と、今の我が主を蔑みされたること、その一切を許すつもりはありません。お取消しあれ」
「吹き上がったか、臭いネズミ風情が。姦計を弄して我を下した程度で」
「お望みであれば幾度なりとも。御身の武名を泥に塗れさせること、やぶさかではございませんが」
売り言葉に買い言葉、体格も風体も違う二柱がにらみ合う。
それを、物見高い連中が取り囲んで眺める間に、更に別の姿が進み出てきた。
「どうも、あの方に感化された神というのは、挑発に弱くなるようですね。貴方には調停役をお任せしたはずですが、"黄金の蔵守"」
「これは失敬。とはいえ、竜種である貴方にそのように言われるのは、いささか不本意ではありますな、"瞋恚焔"殿」
赤い鱗目をざらめかせ、小竜が進み出る。"覇者の威風"はわずかに顔をしかめ、何でもないという風で大げさに手を広げて見せた。
「なるほど、俺の下についていたころとは、だいぶ気風が変わったようだ。威圧に向こうを張れる胆を身に着けたか」
「これも『神々の遊戯』にて、御身に胸を貸していただいたおかげです」
「であれば、だ」
髭面の神は嫌らしく目を細めて、ネズミの神を眺め降ろした。
「貴様の助勢で、そこな哀れな小神を救ってみるのはどうだ?」
「私が、でございますか?」
「あの忌神の命で、事の成り行きを探りに来たのであろう? "平和の女神"殿であれば、一も二もなく、憐憫を垂れてくださるだろうからな」
そこで、ネズミの神は、視線を件の小さき神に向けた。
彼の顔にあったのは、なんとも複雑な顔だった。
野盗に襲われ、救いを求めようとした相手が、それよりも恐ろしい怪物であったとでもいうような。
苦笑いし、小神イヴーカスは首を横に振った。
「誠に遺憾ながら、私では、なんの足しにもならぬでしょう」
「はっ。口先だけなのは相も変わらずか。話にならんな」
「ですので、ただいまより"闘神"様に、この一件を、ご注進申し上げてまいります」
その銘が出た途端、神々の気配が変わった。
互いを見合わせ、その先の成り行きを不穏に口にしあう。
『一体、何を言っておるのだ、あれは!?』
『敵の先遣隊に過ぎぬ者に、最大勢力を引っ張り出すなどと!』
『あの方が『遊戯』の廃止と、魔界との大戦をお望みなのは、天の神であれば誰もが知ること! これ幸いと、神魔の大戦争の先鞭としかねんぞ!?』
「ま、まて! こ、"黄金"の! それは、まずい!」
「はて、何か問題でもございましたか?」
「か、彼の御仁の……武威を持ち出すのは、大げさに過ぎよう!」
「であれば、どのような神であれば、問題がないと思われますかな?」
その指摘に、髭の神は言葉を詰まらせた。
大神を出すほどの戦ではない、と言った以上、"闘神"と同格の神を名指すわけにはいかない。
目の前の小神は、自力での救済は無理だと断言している。
その上、同輩の神々は皆、視線を逸らし、あるいは素早くこの場から立ち去っていた。
「し、"審美の断剣"はどうだ! あれなどは、常日頃から武名武名と、猪のように鼻を鳴らしておったではないか!」
「彼の神はただいま、自らの星に帰還なされ、向こう千年、お出でにならぬとの、重い誓約を課しておいでです。そのことは、すでに告示されたものと」
「あ、ああっ。そ、そうだったな。であれば、そこな竜種、貴様が行けばよい! 貴様であれば、魔物の身内争いとでも片付けられよう!」
いきなり話を振られ、赤い竜はいかにも面倒だ、と言わんばかりの顔で吐き捨てた。
「真っ平御免ですね」
「な、なんだと!? 貴様、それでも天の」
「私が仕えるのは、"斯界の彷徨者"、エルム・オゥドのみ。そもそも、なぜ私が、貴方のような『格下の神』に、命令を受けねばならないのですか?」
完全に面子を潰され、絶句する"覇者の威風"。だが、それ以上の言葉を口にすることも出来ず、目の前の小さな神を睨みつけるばかりだった。
そこで素早く、ネズミの神が言い募る。
「皆様大分お困りですな。"闘神"様への注進を止められ、他の武神様方は奥ゆかしく名乗りを辞退された。この上は"英傑神"――」
「それだけは、ならんぞ」
それまでうろたえていた"覇者の威風"は、驚くほどの冷たい表情で、断言した。
「彼の神のことは、口にするな。おぞましい限りだ」
「……失礼を。であれば」
「"愛乱の君"は……その、わかるであろう。言わせるな」
「あ、はい」
そんな、ダメ出しの応酬を見て、赤い竜は深々とため息をついた。
「それで、あなた方は結局、哀れな小神を見捨てるということでよろしいでしょうか?」
「そ……それは」
「この件は一切見なかった、我々は知らない、辺境の小さな星など一つ失ったところで、自分には何の関係もない、そういう事なのですね?」
話題の中心に押し上げられた小神は、今にも消えそうなほどに縮こまっていた。
そして神々の、憐憫と保身の間で揺れ動く視線に嬲られていた。
「いかがでしょう、"覇者の威風"よ。この一件、すべて私にお任せいただけませんか?」
その不穏な空気を破ったのは、ネズミの一言だった。
「昔のよしみで、皆様の汚れ仕事をきれいさっぱり、飲み干してごらんにいれましょう」
「……俺に恩を着せるつもりか」
「まさか。そもそも私は、二度と貴方にお仕えするつもりはございませんし、関わり合いになろうとも思っておりません。ですが」
背筋を伸ばし、小さな体をしゃんと立たせて、"黄金の蔵守"は告げた。
「有象無象の神々の思惑に翻弄される、力無きものを見るのは忍びない。それが我が主である"平和の女神"のご意志ですので」
「ならば勝手に」
「いいえ。ここで、皆様の銘において、宣誓を掛けていただきます」
石板を取り出して虚空に掲げ、それを突き出す。
「皆様の名代として、"平和の女神"サリア―シェ・シェス・スーイーラに、一切の解決をゆだねると」
神々は紛糾したが、結局、多数の意見を以て合意に達した。
"覇者の威風"は憤然とその場を去ったが、野次馬たちは事の成り行きを見守るべく、訴えに出てきた小神と、彼に助勢した二つ柱を見つめている。
「……なぜ、貴方が。いえ……あの方が、私などを?」
「先ほど申しあげたとおりですよ。我が主は、今の天界を良しとしておられませんので」
「私は、あの方を侮辱し、忌み嫌ったというのに」
「そういう愁嘆は、後にしていただけますか?」
赤い小竜は、片手にした小さな板切れを口元に当て、うんざりした顔で告げた。
「後は貴方の承認だけです。民を救いたいのでしょう?」
「その志に……感謝を。どうか、我が民をお助けください」
「了解。『クライアントからGOが出た。仕事にかかりなさい』」
『やっとかよ! ほんと、カミサマってのはこれだから!』
響き渡る罵倒とともに水鏡の景色が変わり、一つの光景が映し出された。
空を埋め尽くす、巨大な金属の船の群れ。
その下に、土台さえ砕け散った胸壁や、焼け野原になった畑、すりつぶされて原型さえ留めていない集落。
そんな光景に、何者かが向き合っていた。
『おい、ここのカミサマ! 聞いてっか!?』
「な、あ、ああ」
『次からはもっと早く言ってこい! 死ぬのはお前じゃなくて、星に生きてる人間なんだからな!?』
「その意見はもっともだが、今は仕事に集中しろ」
崩れかけた神殿を守るように、進み出る者。
その姿はあまりも小さく、頼りなげに見えた。
小さな翼を背負った、蒼い仔竜。
「ま、まさか、貴方の言う、助勢とは……」
「ええ。あれこそ、我ら竜洞の秘密兵器にして、最強の神竜――」
明らかに、絶望的な戦力差しか感じない光景に、竜洞の管理者"瞋恚焔"のソーライアは、力強く宣言した。
「――"青天の霹靂"、フィアクゥルです」
空の彼方からやってきたそれは、鉄の船と呼ばれ、恐れられた。
まるで、煙か沸き立つ雲のように、敵は侵攻を開始していた。
これまで一度も目にしたことのない、異様なそれらは、村や町を焼き、人を容易く焼き殺した。
騎士団、神官戦士、あるいは熟達の魔法使い達が、何の抵抗も出来ずにすりつぶされ、人々は逃げ惑うしかなかった。
「神は……なにをしておられるのか」
薄暗い神殿の中、集まった避難民の中から、そんな声が漏れる。
少し前なら、その不遜を咎める言葉もあったが、今や誰もが不満と、失望を隠そうともしていなかった。
「あ、案ずるな。神は、我らをお見捨てにはならない。故にこうして、我らも命を保っていられるのだ」
そう言う神官の声も、本気でそれを信じているとは思えない。癒し手でもある彼の力自体、以前に比べて効力が落ちているのは、誰の目にも明らかだった。
「おーい、みんな! 何とか食料かき集めて来たぞ!」
その時、誰かが入り口に立って、声を上げていた。
人足に連れて行った男手と一緒に、両手に抱えた袋を掲げて見せるのは、黒髪の青年だった。
「お、おお! よく無事で!」
「いきなり全部食おうとすんなよ! 水も汲んでこられたから、スープやおかゆにして、みんなにいきわたるようにな!」
簡素な鎧と腰の剣、顔立ちはまだ若く、幼いとさえ言える平板さだが、彼はこの避難所の支えになっていた。
「感謝を、コウジ殿。貴方が居なければ、我々の命数はとうに尽きていた」
「……アンタこそ、こんな状況でよくやってるよ。俺はその手助けをしてるだけさ」
「貴方のような方がいるから、私も信心を失わないでいられるのだ、重ねて感謝を」
青年は笑顔と言うには苦い顔で頷き、そのまま人々のまとめに戻っていく。
彼は、異様な敵に逃げ惑う自分たちの前に、唐突に姿を現した。
地上に降りた、不気味な服装の敵が放つ『火箭』から逃げるすべを伝え、危険を承知で斥候役や食料の回収などを、進んで受け持ってくれている。
『もしや、貴方は我が神からの御使いでは?』
『違うよ。通りすがりのお節介、ってやつさ』
だが、それでも状況は悪くなる一方だ。
神託はなく、降臨もなく、神からの言葉も威光も届かない。
もし、ここでコウジさえ失ってしまったら。
「神よ……どうか憐れみを、我らをお救い下さい……」
短く祈りを上げると、神官は運び込まれた傷病者への介護を再開した。
「だから、このままじゃ持たないって言ってんだよ!」
押し殺した声、それでも抑えられない怒りに満ちた声が、神殿の隅の大木あたりから聞こえた。
外に焚き付けを取りに来た少年は、不思議に思いながらそちらに近づいていく。
「面子だの勢力争いだの、守るべきものが無くなったら意味ないだろ!」
そこにあったのは、みんなを助けてくれる青年が、はじめて見せる激怒の顔だった。
「予想以上に侵攻速度が速い! 今手を打たないと全滅するぞ!」
「ぜん、めつ?」
思わず問い返した言葉に、青年はこちらに気が付いて、何か板のような物を懐にしまった。
「あ、ど、どうした? ごめん、ちょっと休憩してて」
「僕たち、全滅するの?」
「……っ」
青年は顔をしかめ、それからゆっくりと首を振った。
「大丈夫だ。俺がそんなこと、させやしないから」
「誰と、話してたの?」
「……天のカミサマに『早く俺たちを救ってくれ』って、文句言ってたんだよ」
それは冗談のつもりだったのだろうか、青年は笑ってこちらの肩を叩いた。
「もうメシ食ったのか?」
「うん。美味しかった、スープに変なの入ってたけど」
「もしかして団子か? うまくなかったか?」
「初めて食べた。おいしかった」
「そっか」
二人で歩き出し、避難所に戻ろうとした、その時。
大地を穿つ、強烈な破裂。
「うわぁあああっ!?」
もう耳慣れてしまった、地を吹き飛ばす轟音。神殿の周りに打ち込まれる暴力が、土煙を巻き上げる。
体が震えて、立っていられない。
「しっかり、つかまってろ」
青年の腕がこちらを抱き上げて、素早く神殿へと駆け込む。薄暗い空間に集まった人々は、悲鳴を上げてひざまずき、祈りを捧げていた。
「ああ、コウジ! 無事だったのですか!」
「連中、とうとうここまでやってきた! なんとか逃げないと」
「逃げるったって、どこに行くんだよ!」
群衆の中から、悲鳴と怒りが沸き起こった。
「この辺りの町も神殿も、みんな焼き尽くされてんだぞ! 一体どこに行けば、あいつらから逃げられるってんだ!」
「だからって、ここにいても――」
「もう、終わりだ」
うなだれ、力無くうなだれる者がいる。
「神様はもう、俺たちを見てない」
「あんなもんが、我が物顔でのし歩いてるってのに、知らんふりだ」
絶望を口にし、神を恨む言葉を口にする者がいる。
「なんで、どうしてこんなことに……」
「あたしら、なんの罪でこんな罰を受けているんだい!?」
理不尽を突きつけられ、被りを振る者たちがいる。
「こうなりゃ、あいつらに従って生き延びるほかねえ」
「だからって、近づこうとしても殺されるだけだ!」
あるはずもない生存の道を、必死に模索する者がいる。
その言葉に、神官は無言で唇を噛みしめ、聖印を握り締めている。
「ねえ、コウジ」
少年は、かたわらの青年を見上げた。
「僕たち、死んじゃうの?」
「――させない」
青年は踵を返し、神殿の入り口へ向かって歩んでいく。
「コウジ!?」
「自棄を起こしてはいけない! 戻って」
「もっと早く、こうしておけばよかったんだ」
その顔は怒りと悔悟に溢れた、今にも泣きだしそうな顔だった。
「神なんて知ったことか! 天界と魔界の勢力図とか、なんで俺に関係がある!」
彼は胸元に下げていた板を、鎧の下から引き出し、
『待ちなさい、この馬鹿者』
聞いたこともない声が、その動きを制していた。
『余りある暴力を、自分勝手に奮って後悔するのは、こりごりだったのでは?』
「だからって、お前らの内輪もめに、付き合わされるヒトの身にもなれってんだよ!」
『――少し待ちなさい。『後は貴方の承認だけです。民を救いたいのでしょう?』』
救い、という言葉がその場にいた皆の不平を止める。
そして、
『クライアントからGOが出た。仕事にかかりなさい』
「やっとかよ! ほんと、カミサマってのはこれだから!」
不思議な声の主に、黒髪の青年は拳をならし、奮起する。
それからコウジは振り返り、優しく、悲し気に笑った。
「ごめんな。ホントはもっと早く、こうしたかったんだ。でも、もう大丈夫だから」
いったい何を、そう思う間もなく彼は外に飛び出していき、姿を変えた。
『え……?』
空から零れ落ちたような、蒼に染まった小さな竜。
確かに、竜とは世界における最強種だが、それでもあんな小さな体では。
そんな不安を吹き飛ばすように、竜の聲が高らかに響き渡った。
「神竜威鎧=荒ノ雷皇――全権能起動!」
嵐が、そこに顕現した。
仔竜の周囲で大気が逆巻き、稲妻が迸って大地を焦がす。
白銀の鎧を身にまとい、目前の空に広がる鉄の絶望を前にして、その全てを食い破らんと、身構える姿。
それはまさしく、晴れた空に鳴り渡る、霹靂。
「行くぜ!」
青い稲妻が、破滅を撒く者どもへ、まっしぐらに吶喊した。
色々あって、書きたい場面と思い付いたことがあったので、拾遺譚二作目です。
久しぶりに神々の世界と、そこで暮らすフィーの話。よろしくお願いします。