11、終わりの向こうへ
そこは、どう見てもただの草原だった。
一本の道がその中央を貫き、かなたからこなたへと、人を渡す役目を負っていた。
二人の旅人が、その中途に立って、辺りを見回していた。
「ほんと、なーんにもないねえ」
「宿の人が言った通りだね。なーんにもない」
そこはかつて、"知見者"と魔王軍が相対し、魔王軍を打ち破った戦跡、という触れ込みだった。
だが、特段目立った痕跡はなく、往時のように低木がまばらに生えた、見栄えもしない土地に過ぎなかった。
「これで一通り、"知見者"の戦跡は見て回った、でいいのかな」
「そうだね。さて、ここからが大変だよ」
猫そっくりの顔を嬉しげに緩めて、イフは相棒に語り聞かせた。
「各地に散らばった『百の勇者』の話を、ひとつひとつ、拾い集めていかないと」
「ほとんど、名も成さなかった人たちばっかりなんでしょ? それって意味なくない?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
煙に巻くような言葉にカーヤは顔をしかめ、それでも歩き出した彼女の後に続く。
その道行の退屈さを紛らわせるように、問いかけた。
「ベルガンダっていう魔将の痕跡は?」
「それも、可能ならね。でも、戦争が終わったころ、不吉だって言われて、ほとんどの砦や支配地は、跡形もなくなってるそうだから」
「そういえば、昔は良くお話聞かせてもらったね。魔王城の戦い」
珍しく苦笑し、イフは被りを振った。
「もう言わないよ。簡潔にまとめて、棚の奥にしまっておくから」
「えー、なにそれ! ろくでなしのグリフだって、妙にカッコよく盛られてるのに、イフ姉だけ地味で目立たないのとか、絶対に駄目!」
「……だって、わたしの話なんて、そんなに面白くないし」
「絶対そんなことないって! もー、そういうところは、昔と変わらないんだから」
正直、目立つのは今でも好きじゃない。
ユーリやシェートに貰った勇気も、自分のことを語られるという恥ずかしさには、効き目を表してくれることはなかった。
そんなこちらを察したのか、カーヤは南の山並みに目を向けた。
「村長さんたち、元気でやってるといいね」
「そうだね。そして、大変なのはここからだよ」
女神の降臨と庇護という、予想だにしなかった事態を経て、コボルトの村は自治を認められた。
これから先、彼らは人として生き、人としての困難にぶつかっていくことになる。
それが果たして、幸せであるのかどうかは分からない。
「でも、これからはコボルトとして、言い訳なく生きて行けるんだと思う」
「弱いから搾り取られるわけでもないけど、弱いから大目に見てもらえるわけでもない」
「シェートさんが、最後の戦いで言ってた意味。ようやく、分かったよ」
思い出す。
ボロボロに傷つき、死に瀕しながらも、戦い抜いて思いを貫いた姿を。
そして、自分の終わりの先にさえ、光を求め続けたことも。
「どうして、シェートは、最初から頼んでおかなかったのかな」
「……たぶん、途中で気づいたんだと思うよ」
空を振り仰ぎ、その蒼さを目に留める。
モラニアの夏は、包み込むような熱と湿気と、森によって冷やされた、緑の香りのする涼やかさがあった。
「自分たちの力だけでは、どうしようもないことが、あるってことを」
「それなら、その時に、サリア―シェ様に頼めば」
「コボルトのシェート。その名を、その偉業を、容易に使うことはできなかったの」
彼は自分の力で運命を拓いた。
しかし、その名はあまりも重く、強くなってしまった。
ひとたび表に出せば、コボルトたちに無用の重責と、神に認められた叛逆者であるという偏見を、持たせてしまうほどに。
「もしも最初からコボルトが、神に認められた存在と知っていたら、世界の彼らに対する扱いも違ってたと思うよ。もちろん、良くない方向にだけど」
「……そうか。イフ姉も散々、そういう連中に絡まれてたもんね」
「それでも、最後の最後で、コボルトたちだけでは、どうしようもなくなった時、使うために切り札として、用意した」
どこまでシェート自身が、それを想定していたのかわからない。サリア―シェの振る舞いからすれば、全くの思い付きだったのかもしれない。
そして、その一撃は間違いなく、大きな獲物を狩り込めた。
「本当に、ただ狩るために、何もかも使い尽くしたんだね」
「あの人はいつも言ってたよ。自分は勇者じゃない、狩人だって」
目に染みる青さから顔を逸らすと、ふたたび二人は歩き出す。
だが、妹分の『紫の騎士』は、先ほどとは別の話題を口にした。
「そういえば、イフ姉に質問」
「どうしたの?」
「女王様と別れ際にしてた話、あれってどういう意味?」
イフはぎゅっと目をつぶり、心持ち足を速めた。蒸し返されたくない問いを振り切るように、ずんずんと先を急ぐ。
『一つ、お伺いしてもよろしいかしら』
それは女王へのいとまごいの際の、一幕。
『その氏族名。とても奇妙に聞こえるわ。どうして、西方のエルフの言葉と、ドワーフの言葉を、繋げていらっしゃるの?』
まさか、そんなことを尋ねられるとは。
いつもなら『二つの種族の和合を祈念して』などと、ごまかしていたのだが。
彼女は、自分と同じ境涯を持つ人だったから、すぐに気づかれてしまった。
『アルキは西方のエルフ語で『岩』。そしてドルーガはドワーフ語で『宝物庫』あるいは『倉』を意味するはず』
『け、慧眼です。そのとおり、かと』
『昔……私の勇者さまにお伺いしました。彼らの国の氏族名『ミョウジ』は『二つの表意文字』を組み合わせて、表せられることが多いと』
女王は慈悲深く、それ以上の誰何を止めてくれた。
『どうか貴方の道行が、その名と共に、末永くありますように』
「あれって何なの!? なんで『アルキ』『ドルーガ』に特別な意味があるの!?」
「あー、あー、聞こえなーい、なーにーもーきこえなーい!」
言いたくない、言えるわけがない。
こんな形でしか『彼と一緒にいたい』という気持ちを、表せないだなんて。
「ねえってば、ちゃんと説明してよ、イフ姉ってばあっ!」
騒がしい声が、草原に広がっていく。
二つの背がもつれ合いながら、彼方の景色へと埋没していく。
それは夏のある日。
長い旅路、そのほんの一部の出来事だった。
これにて、拾遺譚その一「イフ編」終了です。
彼女たちの旅はまだ続きますが、これはあくまで「かみがみの拾遺譚」ですので、これ以上は描きません。
さて、次は誰の手による「拾遺」となるでしょうか。
次の更新を、気長にお待ちください。