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かみがみ拾遺譚~掉尾の物語~  作者: 真上犬太
掉尾の一、拾い集める者
11/24

10、果たされた約束


 人々は会議場から、別の場所に移動することになった。

 城の中庭、程よく開けた草地へと。


「いったいどういうつもりですか。こんな無意味なことを」


 宗主補はいら立ち、同時に動揺を匂わせていた。彼もまた、必然があってその地位に上り詰めた者。何らかの違和感を覚えたに違いなかった。


「無意味ではありません。貴方が仰ったはずです」


 イフは銀の装束をまとい、片手にした杖で、準備されつつある場を指し示した。


「もし、コボルトの祈りに答える神があれば、それは信仰の証明であると」


 村長とユネリが、二人で組み上げていくもの。

 それは、粗末な狩の道具と、土皿に捧げられた白い団子だった。


『なんだあれは、祭壇か何かか?』

『ずいぶんとみすぼらしいが……あんな儀式で祀られる神があったか?』

『時々、街中でも見るぞ。なんでも『ナガユビ』とかいう道具に、ああするとか』


 ざわめき、誰何、あるいは小ばかにしたような感想が、呟かれていく。

 支度が終わると、村長は不安そうに振り返った。


「で、どうする?」

「どうする、だと? それを組んで、何か祈りでも上げるのではないのか? 聖句の類は伝わってもいないと?」


 白装束の男が盛大に鼻を鳴らす。それでも、コボルトの青年はうろたえ、頭を振った。


「知らない! 俺、俺たち、言われてた。ナガユビ、団子、供えろって。助けられた、ずっと、だから!」

「話にならない。連中の祖霊でも祀っているのなら、まだ格好がついたものを」


 あまりにもあっけなく、神秘の欠片もない作業の終わりを眺め、人々が苦笑する。

 女王は終始無言のまま、その最前に陣取っていたヒュバリス公は、明らかな侮蔑を口にした。


「所詮は犬、でしたな。大陸随一の術士殿も、くだらぬ見世物を出してくれたものだ」


 居並ぶ会衆が、その一言に茶番の終わりを見た。

 そう思った時だった。


「約束、だ」


 年老いたコボルトの老女が、作り上げた祭壇の前に、ひざまづく。


「ようやく、ここまで、来た。言いたいこと、ある」


 本人にも、それが何を意味しているかは、分かっていないのだろう。

 それでも空を見上げ、彼女は告げた。


「伝える、こと、ある。『ナガユビ』、来てくれ」


 その願いは、過たず、届いた。



 白い一筋の光が、降り注いでいく。

 粗末な捧げものと祭壇を、祝福していく。

 光は広がり、長い旅路の果てにたどり着いた、獣の老女とその支えとなった青年の、すべてを優しく抱く。

 輝きは一つの容をとる。

 たおやかな、女神の姿となって、顕現した。


「我を願いし者は、汝らか」


 コボルトたちは目を見開き、戸惑いながら女神を見上げる。女神は笑い、その肩を優しく撫でた。


「お、おら、言われた。村、できる時、ナガユビ、呼べって」

「……そうか。分かった」


 女神は顔を起こし、周囲を見渡す。

 そして、イフとカーヤに顔を合わせた。


「久しいな、異貌の魔術師殿。そして……手のかかるやんちゃな娘」

「はい。お久しぶりです」

「……この場で、そのような呼び方はおやめください。恥ずかしくて、死んでしまいそうです」


 会衆は驚き、うろたえた。

 なにより、この場に合って策謀を巡らせていた者は、困惑の声を上げた。


「い、いったい、これはどういうことですか! そもそも、彼の神格は、一体」

「かの女神の聖名みなは、サリア―シェ・シェス・スーイーラ。"平和の女神"にして"とじめの者"。そして、"叛く者の守護者"です」


 それは秘された銘であり、この星の者にとって、無視をすることのできない銘だ。

 畏れ、忌まわれ、それでも世界を変えうる奇跡を、授けるという女神。

 

「天に在りながら、天に叛く神。あらゆる理を破却し、神を裁く神! しかしながら、その信仰を広める者さえ拒み、宥めのみにて崇敬を集める忌神いみがみ!」

「別段、どのように評しようと構わぬが、この場に呼ばれたのは私だ」


 そのおもてに冷たい意思を込めて、"平和の女神"は神を祀るものを睨み据えた。


「いかな"愛乱の君"が寵臣とて、礼を失したる態には相応に振る舞うが、それでも構わぬであろうな?」

「……御寛恕を、どうかっ。我が無礼を、咎め立て下さいますな……っ」


 女神は、膝を屈して叩頭した男から、狼狽したヒュバリス公へ視線を移した。


「なにか、申し述べることがあるか、地の塩の公僕よ」

「お……恐れながら、御身を奉ったのは……その犬どもではありますまい」


 歯を食いしばり、それでも女神の威光に逆らうように、男は言葉を振るった。


「此度の儀式、魔術師殿と騎士殿の招請によって、為されたものではありませぬか?」

「……確かに。この二人には縁故がある。騎士殿に至っては、夜泣きした涙をぬぐい、食事の世話をしたことさえあったな」


 思わぬ過去の恥をさらされて、顔を真っ赤にしたカーヤの肩を、イフがそっと叩く。しかし、その言質を受けて、貴族の男は歪んだ笑みを浮かべた。


「であるならば! この儀式はコボルトの潔白を意味しない! この犬どもは神を祀らないのだから!」

「そなたは『ナガユビ』というものが、どういう意味かを知っているか?」

「……い、犬どもの猟具が、なんだというのですか」


 女神は掲げられた猟具に手を添えた。それから、供えられた団子に視線を落とし、もの柔らかく微笑んだ。


「ナガユビとは猟に出る者が携える道具。同時に狩りの下働きを意味する俗称でもある。そして狩りに出る時、彼らは長を定める。それを『ガナリ』と呼ぶ」


 コボルトたちはその言葉に頷き、女神は会衆に進み出た。


「その昔、私は『ナガユビ』であった。狩りの長をいただき『ガナリ』の令に従った。そして今、再び『ナガユビ』として、この場に呼ばれた」

「そ、そんな……馬鹿な」

「故に、私はこの者らをガナリと定め、ナガユビとして、この者らの後ろ盾となろう」


 誰もが、その発言に口を開けた。

 目の前に降臨した女神の言葉を、理解できなかった。

 ただの魔物に過ぎない存在に、天の神が従うなどということを。


「そ、そんな、そんなことが、許されるのか!? なぜ、なぜ神たる貴方が、そんな愚かな……たかが犬じみた魔物に……」

「分からぬなら、教えてやろう」


 庇護者となるべきコボルトの肩を抱き、女神は宣言した。


「『ガナリ』の言うことに、『ナガユビ』は従うものだ。コボルトなら、子供でも知っている道理だぞ」


 分かるわけがなかった。そんな道理は、誰も聞いたことがなかった。

 それでも、一個の神格が定めたことを覆し得るものなど、この場には誰もいなかった。


「審判は、くだったようですね」


 すべてを見守っていた女王は、笑顔で進み出た。

 そして、良く通る声で宣言した。


「我ら、祖先の血に誓い、汝らを同胞はらからとし、公正と友愛にて、共に歩むことを誓う」

「我が、血、我が、父祖、の尾に掛け、共に睦み、赦し、正道、生きる事、誓う」


 村長は女王の前にひざまずき、女王も膝を付いた。

 そして、共に立ち上がる。


「今この時より、天なる神の照覧もめでたく、新たなる民を、我らが国の一人と成す。これより後、コボルトらは人の法によって守られ、法によって裁かれるものである!」


 会衆はただ、見守っていた。

 野望を燃やし尽くされた者たちは肩を落とし、あるいは顔を覆った。

 賞賛はなく、歓呼もなかった。

 ただ間違いなく、一つの成果が、実ったことを喜ぶ者たちがいた。


「……やったんだね、イフ姉」

「うん。彼の、シェートさんの願いが、叶ったんだよ」


 それから、人々がその場を後にして、残ったのはコボルトたちと、女神と、それらを知る者だけになった。


「まさか、貴方が来られるとは思いませんでした」

「……実のところ、私もだ」


 女王と女神が笑う。それは親しげな友人のように、言葉を交わしていた。

 それから、サリア―シェはコボルトの老婆に顔を寄せた。

 見上げ、片手を伸ばして、口元を震わせていた。


「何か、言いたいことがあるのか?」

「『ガナリ』、言ってた。『ナガユビ』、会ったら、言えって」

「……なんと?」


 それは、時を超えた、願いだった。


「『俺、やれるだけ、やった。

  すまん。あと、頼むな』」


 老婆の手が、力無く垂れた。

 青年の腕の中で揺すぶられながら、もう目を開くことはなかった。

 暮れていく落日の中で、コボルトの遠吠えが響く。


「馬鹿者」


 女神はただ、しずかに、悲しげに笑っていた。


「最後の最後まで、遠慮などして……馬鹿者が」


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― 新着の感想 ―
[一言] そうか……シェートは最後までやりきったんだな……
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