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第五話

毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。

 外に出ると先ほどまで覗いていた春の光が、黒い雲に覆われ暗い影を落としていた。まだ冷たい北の風がイリスの側を擦り抜ける。

「うー・・・・・・さむ」

短めのマントから除く膝小僧が震えた。寒さで縮みこむイリスの耳に聞きなれた厭な声が飛び込んできた。その声が頭上で聞こえたと思ったら大きな影と共に何かが彼の肩に重くのしかかってきた。

「―ソルヴェイグ」

イリスはその姿を認めると、彼女の名を溜息と共に吐き出した。

・・・・・・だからそれがどうした。言葉でその鳥の態度を書くとそんな感じだった。人を見下す様な目付きに重い多重瞼。くちばしは滑稽なくらい大きく、そのくちばしから出る鳴き声は蛙を踏み潰したような声で人の聴覚を変にする。それがソルヴェイグという鳥だった。なんともったいない名前である。イリスは彼女には他に相応しい名があるんじゃないかと思うのだが、名付けた本人に悪いのであえて口に出さない。

「重いぞ、ソルヴェイグ。いつまで乗っているんだ」

鳥のあまりの重さに悲鳴を上げたイリスは、彼女を振り落とそうともがいた。

「・・・・・・」

ソルヴェイグは動かない。イリスが彼女の羽をつかもうとしたその時、鳥は思いっ切り体重をかけて飛び立った。ソルヴェイグは飛ぶ姿も美しいとは言えない。低く地面すれすれを擦るように羽ばたいたりするし、非常時でなければ空を高く飛ぶことはない。何より羽音が喧しい。イリスはそのゆっくりとした様子を見ながら、ふとある事に気付いた。

―ソルヴェイグが帰って来たという事は・・・・・・。

「イリス!待ちなさい!」

追いかけてきたリオンの手が、イリスの肩に触れようとしたその時、城門の向こうで人々の歓声が上がった。国の者が集う広場(エルウセ)からだ。

「イシュマール様が帰って来た!」

イリスはリオンにそう叫ぶと、城門をくぐり抜け大通りを駆け出した。

「イリス!今何を言ったの?」

リオンは盛り上がる聴衆の歓声のせいで、イリスの言葉を半分も聞き取ることが出来なかった。蹄の音がする。人の間に揉まれながらリオンはイリスを捕まえようと必死だった。

―確かイシュと聞こえたような・・・・・・もしかして、イシュマール様が帰っていらしたの?リオンはイリスに何としても歓声にかき消されたイリスの言葉を確かめたかった。

なだらかな坂道の向こうから騎馬隊が白いマントをなびかせ近づいてくる。正面の男の銀の髪が僅かに揺れ鈍く光を放った。

「シェルシード!」

そうイリスが叫ぶと彼は視線を少しそらし照れたように俯くと、馬上から降りてイリスが駆け込んで来るのを待った。

「イリス様」

息が切れて咳き込むイリスの頭をくしゃくしゃと撫でると、シェルシードは片膝をつきその顔を覗き込んだ。シェルシードがイリスの髪をこのように撫でるのは、彼がイリスに会うとよくする挨拶のようなものだった。

「どうされました?今時分は勉学の時間のはずではありませんか?」

「その通りよ、イリス」

走り過ぎてしゃべる事が困難なイリスの代わりに、ようやく追いついたリオンが答えた。

「これはリオン姫」

シェルシードはリオンの前で恭しく礼を取った。

「―イリスは外に出て行く事ばかりで困ります」

リオンはイリスの両腕を押さえつけながらシェルシードに訴えた。

「イリス様、あまり出歩くのは控えて下さらないと。最近はとても危険です。どうか城の中で大人しくなさって下さい」

「ほら、みなさい。シェルシードも言っているでしょう。外に出るのをやめるのね」

とリオンが釘をさすと、イリスは拗ねた様子でぷいと横を向いた。

「―北の森・・・・・・どうでした?」

リオンの問いにシェルシードは口を閉ざし何も語らなかったが、重々しい灰色の瞳が不吉な何かを物語っていた。

そう・・・・・・とイリスは、シェルシードの白いマントの端をぎゅっと握りしめた。

「イリス様、リオン様。北の森の件は女王様に報告するまで何も私には言えません。けれど、気を付けてください。決して一人で外に出る様なことの無い様に」

この言葉にイリスは、益々むくれたが、一応頷いて見せた。

「では、報告を急ぎますので。イリス様も早くお帰り下さい」

シェルシードは再び馬上の人になろうとした。

「シェルシード」

イリスは彼を呼び止める為に声をかけた。

「イシュマール様を見てない?・・・・・・ソルヴェイグがいたから帰ってきていらっしゃるはずなんだけど・・・・・・」

「イシュマール様が帰って来ているの?」

リオンは興奮して声を張り上げた。

「―彼は見かけませんでした。鳥の声は聞いたような気がいたしますが」

シェルシードはしばらく考えたのち、思い出した様にマントの中から、青の巾着をイリスの手の上に置いた。

「お土産です」

そう言うと白いマントを翻し、騎馬隊を伴いウィッツランドの高塔へ向かって行った。

国中の不安が彼らの強さへの期待として表れているのか、騎馬隊の周りには人々が取り囲み歓声を上げていた。むらがる群衆の中に消えていくシェルシードを見ながら、イリスは人々の言葉にならない不安を思い、自分自身の複雑な思いを考えた。

そして見た。これらの不安のすべての原因のもとを。

丘の上に灰色に靡く柳の木を。そして罪人の墓と呼ばれるその場所を。

 約一年前の事、ケルウェンという一人の若者がいた。盲目の母一人と丘の上に住む、金色の髪の下で恥ずかしそうに笑う若者だった。彼は内気だったが、好奇心は人一倍だった。

ケルウェンは母と物静かに暮らしていた。しかし、彼は罪を犯してしまった。彼のたった一つの罪、それは触れてはいけない物に興味を持った為。

 大昔より土を深く掘る行為は災いをもたらすものとして恐れられていた。それにも拘わらずケルウェンは興味を持った。

―土の中には何があるんだろう。

月日が経つにつれ、その思いは積み重ねっていった。まるで地の底から誘われたかの様に。

―なぜ土を掘ってはいけないのだろう。

彼は好奇心を止めておくことが出来なかった。彼は丘の上に小屋を建て、誰にも気付かれないように、土を掘り始めた。来る日も来る日も掘り続けた。

―土の中にきっと何かがある。彼の手は止まらなかった。その増大した思念は彼の行動力に拍車をかけた。途中で硬い岩盤にあたったが、ケルウェンは挫けなかった。鍛冶屋だった彼は、つるはしのような掘削するものを自身で考えて工夫し作り上げ、岩盤を砕き進めた。そして、掘り進んだその先に、彼が見たものを誰も知る事が出来なかった。ケルウェンがその穴から発見された時、彼の顔は土気色に凍り震える手の中に何かを握りしめていたという。彼が大事に守っていたものは小さなクルミ大のただの石だった。その石は彼の手の中で、微かに暖かな光に包まれていたと言われている。その石が何であったのか未だに知ることが出来ない。そしてケルウェンの石と呼ばれた石は、彼の手の中で彼と共に墓の下にあるという。

ケルウェンは処刑され灰色の木の下で眠っている。彼の死後、病に倒れ最期まで涙の枯れる事のなかった彼の母と共に。罪人の墓の土はあの日以来、水の重さで湿り黒ずんでいる。ケルウェンの後悔が時を重ねて滲んでいるように。

・・・・・・彼が得たものはひとかけらの石。

ケルウェンの好奇心は彼の命を奪い、そして今ランドール、この国を取り巻く全てのものの平安を奪おうとしていた。

結局その行為は禍でしかなかった。イリスは振り返る。イシュマールが言った事を。

「・・・・・・地表の奥に何があるのか。それは誰にも分りません。その遠い記憶を知る者は誰一人としていないのです。ただわかる事は禁じられた行為を犯した後に残るのは、激しい後悔だけでしょう。遠き昔に禁じた事柄については想像以上に恐ろしい事があるということです」

そしてそれは彼の言うとおりにとなった。

 事件の一年後、銀青山の美しさを一部崩すほどの地震が、ランドール一帯を襲い、数日前北の森で異変が起こった・・・・・・。

「・・・・・・」

イリスはランドールの街を見下ろした。人々の後悔にも似た沈黙が、冬の静けさと違った響きを伴い街に沈んでいた。

「イリス、イシュマール様が帰っていらしたって本当?」

リオンがいきなりイリスを引き寄せ真剣な眼差しで尋ねた。そのあまりに真剣な姉の顔にイリスは半分呆れ溜息をついた。・・・・・・姉さまはまだイシュマール様の事好きなんだ。

「―いい加減諦めたら?相手には奥さんがいるんだよ?」

その言葉に血が上ったのかリオンの白い頬は、さっと赤く染まっていった。

「あんなのが?」

とリオンはいままで彼女に対してためていた怒りを、吐き出すように大声を、イリスにぶつけた。

―確かに。あまり説得力に欠ける言葉だったかも知れない。イリスは二の句が告げなかった。

(ソルヴェイグ)が奥さんだもんな~」

イリスは深く息を吐きながらあの滑稽な鳥を思い浮かべた。姉が諦め切れないのもよく分かる。国一番の知識の源として尊敬されているイシュマール唯一の汚点だと人は言う。しかしイシュマールはソルヴェイグを溺愛していた。誰にも向けたことのない想いを帯びた瞳で、ソルヴェイグを見つめ、柔らかく話しかけ、いつも傍らを離れることはなかった。この鳥は僕の奥さんですと彼と初対面の時に、満面の笑みで紹介された時には正直驚いたものだ。何といっても学士が自身の事を話したのはイシュマールが初めてだったのだ。イシュマールは見た目も今までの学士より遥かに若い事に関心を持たれたが、自身の事をあからさまに言う学士を皆驚きの声をあげたものだった。イリスは最初はふざけている様にしか思えなかったが、イシュマールのソルヴェイグへの愛はどうやら本物のようである、と考えるようになった。かなり変わっているが・・・・・・彼らの愛は確かなのだ。もしかしたら何らかの理由で別れた奥さんの名を鳥に付けて読んでいるかも知れないのだ。イリスは秘かにそう解釈している。

「とにかくあの鳥には負けてられないのよ」

リオンの決意は固いらしい。しかし、どうせなら人間の女と張り合う方がリオンも諦めがつくだろうに・・・・・・イリスは複雑な気持ちで姉を見つめた。

ヴァー・・・・・・街はずれの方からソルヴェイグの鳴き声が聞こえる。

「あの変な鳴き声はソルヴェイグ」

リオンが声のする方を見据えた。ソルヴェイグが空を舞っている。彼女は森の入口付近でその姿を消した。

「きっとイシュマール様がいらっしゃるんだよ!」

イリスは森の方へ走り出した。

「イリス!」

慌ててリオンもそのあとを追った。

「・・・・・・」

イリスの駆け足は速い。去年までは同じ位の速さで走っていたリオンを追い越して先に走るようになった。

「イリス!森に入ってはだめよ!」

リオンは次第に遠ざかる弟の後ろ姿に叫び続けた。悲鳴に近い叫び声は先を急ぐイリスには届かない。

―どうか思い直して戻って来て。リオンは弟が森に入って行くのを凍る思いで見た。


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