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第六十五話

毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。

 灰色に近い木の色の屋根から、長い煙が所々に上がっている。その煙の元である、トマの一族の商人達の村の家から、出てきた男たちの賑やかな声が通り過ぎて行く。日に焼けた半身を朝日に晒し、彼らは船へと向かう。船からは、魚や荷物、人などが、行き来しており、その周りではこの島を離れて行く者、帰ってゆくもの達の輪が幾つもつくられていた。

「―あれは、港といって、海を渡る船を停めて、船から人や物が行き交う所」

トマは、港で人々が集まる場所を通り過ぎる時、イリスにそう説明した。それぞれの人が醸し出す匂いが混ざり合った空気の中、荷降ろした物の紐が解き開かれ、次々と店が開かれていく。たちまち港の側は物を売る市場へと変化していった。

「―あれは市場。船が来れば商人が物を売りに来る。僕らが君らの所に売りに行ったようにね」

イリスは店先にあるランドールでよく手にした食べ物を指した。

「そうだよ、君らの食べ物はここから仕入れていたのさ。そして、僕らは君のお母上から薬を商品の代わりに譲ってもらっていた。僕ら商人は他の土地で薬を売る事を商売としてきたのさ」

トマは、イリスの表情を読むように話を続けた。

「商人は外の世界に行っても商人さ。僕らの使命はあの森を守る事。そして、過去の遺産を守る事。その使命は僕らの本来の生業だけど、表向きは商人として生きているんだよ」見てごらん、とトマはイリスに小さな守りの印を見せた。それは今まで見たものより、色が金色に輝き小さかったが、紛れもなく守りの印だった。

「―これから、イリスが行く世界は、これが物を言う世界なんだ。この守りの印はね、お金といって、色んなものを買えたりするものなのさ」

イリスは手のひらにある守りの印を見つめた。

「イリス、こっちへおいでよ」

トマは少し高台にある岬の方へと走り出した。

「あれが、明日僕らが乗る船、イルネシア。大きいだろ?」

トマに追いついたイリスに彼はそう指し示した。船は他の船より、抜きん出て大きなものだった。帆の数も高さも、二倍近くあった。その船の木の色は、艶やかな石のような輝きをしていた。

「・・・・・・」

イリスは頷いて、同意を示した。そして、船の行く海を見た。

「―」

水平線はどこも途切れることなく続いていた。この風景もイリスにとって知ることがなかったランドールと別の世界なのだ。イリスは背伸びをしてその先を見つめる。あの海の向こうに何が広がっているか、イリスには分からない。イリスは銀青山の先の世界を夢見ていた頃のような好奇心が胸の底から湧き上がっていくのを感じていた。イリスは岬の先まで進み潮の匂いを含む風を受けた。

―風・・・・・・いつも僕の心を風が攫っていく。風の先を追いかけて止まない心が存在している。風の流れを心地よく思いながらイリスは目を閉じた。

「―こうして、君と世界を歩けるなんて・・・・・・嬉しいよ」

二人は顔を見合わせると嬉しそうに微笑み合った。どちらともなく、草地に腰を下ろすと、しばらく潮風に身を任せ、広がる海の色に目を向けていた。

「僕が君を早くランドールから連れ出していれば、こんな事にはならなかったのに」

トマはそう、ポツリと話し出した。

「?」

イリスは首をかしげて彼の次の言葉を待った。

「イリス、君が十五になっていたら、僕がランドールから連れ出す事が出来たんだよ」

トマは苦しい表情で言葉を吐き出すように語った。

「君の母上であるディーリア様からそう頼まれていたんだ。十五になった時にランドールを旅立つ決意があるのなら、外の世界に連れて行くように」

「・・・・・・」

初めて聞く母の言葉にイリスは驚いていた。何も言わなかったが、森に近付くことは反対だったはずだ、母は、どうしてトマにそのように頼んだのだろう・・・・・・。

「ランドールに縛られるのは、声を持つ女だけで十分だと。イリスは男の子だったし、それに心が外の世界に向いている者を無理に引き留める事は無い。イリスには心のそのままに生きて欲しいって。そうディーリア様は仰っていたよ」

母様が・・・・・・。ずっと銀青山を見続けるイリスの視線の先を、ディーリアは知っていたのだろう、その思いを引き留める事は叶わぬ事を。イリスはトマを通して母の想いに触れ温かく感じた。

「・・・・・・十五才になったら、なんて言わずに早く君を、そんな世界から連れて行ってあげたかったよ。本当にごめんな。そうすりゃ・・・・・・こんな」

トマは辛そうにイリスを見た。

「・・・・・・」

イリスは笑って首を振った。そして、足元に転がる小さな流木を持ち、地面に書き始めた。

“君のせいでも何もない”そう書くとトマを見て、もう一度微笑んだ。

“これは、僕の通るべき道だったと思う。僕は声を失ったけれど、多くの事を学んだよ。例えば僕が君を傷つけるような大馬鹿者だって事もね。トマ、僕は何もわからないままここまで辿り着き身近な人を傷つけた。姉さまやアイン・フォード様、君の事もね。又旅を続け、再び君を疑ったり怒らせることがするかもしれない。

―それでも、君は僕の友達でいてくれるだろうか?“

ここまで、イリスは書き終えるとトマの横顔を心配そうに見続けた。

「もちろんさ、君が友と信用してくれるなら」

トマは笑ってそう答えた。

「これから君と大いに喧嘩して生きるだろう。けれども、幾度も許してやるさ。君は友達だからね」

二人は目を合わせ笑い合うと風渡る海辺へと駆けて行った。



 朝の靄が作り出す幻想の後は、太陽が静かに照らしだす。光が溢れた頃、人々は再び港に集い始める。灰青色の緩やかな波の上を春色の光が揺らめいている。その上に浮かぶのは大海を行く(イルネシア)。その側にはそれぞれの荷物を持った一行が居た。

トマ、アイン・フォードが並び、そして、イリスのその手に隣にいるリオンの手が重なる。姉の手はランドールを離れる時の様に手の甲に不安を握りしめていた。イリスはその手を軽く引いて姉の注意をこちらに向けると口の端を上げて見せた。

「うん・・・・・・」

リオンはイリスの言いたいことを理解したように微笑むと船へと進みだした。その行く手に待つのは、トマとアイン・フォード。彼らはお互いを確認する様に集まると船尾へと歩き出した。やがて、その姿も港からは見えなくなるころ、帆は風をはらみイルネシアは港を離れて行った。

そうして、イリス達はイスの地と人々が呼ぶ理想郷から旅立ったのである。名も知らぬ大海へと。



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