第六十三話
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
その者はどこかアリエンにも似て老人の印が目元に所々に現れていたが、肌は白く光の中から卵化したかのように、鮮明な白さをしていた。髪と混じり合った長い髭だけが、彼のダルモンと同じように靡いていた。
「何という光!何という色に溢れた世界よ!」
エリアンの長アルウインドは、嘆きにも似た声で叫んだ。しかし、その瞳は驚きと好奇心に満ち溢れ小鳥の様によく動いた。アルウインドはしばらく頬を滑る風のままに任せ瞳に映る世界の中に輝く生命の彩りを全身で感じとっていた。
「―全てを知った者には感動が無いと私は言ったが、まだこの世界には私の知らない事で満ちあふれている。素晴らしい事だ。外の世界に出て私は若者の様に心弾んでいる。イリスよ、私の気持ちがわかるだろうか?」
その声は気高く、こちらを見つめる眼差しは、新たに生気の色が吹き込まれたかのよう。
「・・・・・・」
イリスは目で頷いてみせた。
「―声を失ってしまったのだったな。・・・・・・結果としてお前を守る事になるやもしれぬ。今の状態であれば声を戻す方法がわからねば“闇”はどうすることも出来まい。時くればお前の声も戻せるだろう・・・・・・お前の言葉で力を収める事になるのだから」
―戻る?再び?イリスは少し首を傾げるようにして長を見上げた。
「―私の命はこれから徐々に時間に削られていく事になるだろう。その前にお前に記憶を託しておきたい。記憶ある者がこの世を彷徨い続ける事は危険だ。いずれ”闇”に下り本来ある性質が歪み、光を求める存在となるだろう」
―”闇”に?
「”闇”という存在は、この世界の始まりより存在していたようだ。それは僅かなものだった。その存在さえも分からないほどに。同じくこの世界の始まりの頃、我らの仲間の多くは、森を去り新しい世界へと旅立って行った。一つの場所に留まり外気を恐れる生活を捨て、死してもこの世界を歩く事を選んだのだ。そうして、我らの仲間はわずかに残った者達と森の奥で静かに暮らしていた。時に人に生き延びる術を教え、災いの元になる過去の痕跡を消しながら生きた。その向こうで”闇”は次第に数を増やしていたのだ。その存在を知った時には既に彼らの力は強大なものになっていた。その時でさえ我らは”闇”の正体に気付いてはいなかった。近しいものが変化してゆくまで」
アルウインドは辛そうに目を閉じた。
「我々エリアンより、最初の第二の太陽の光を受け記憶を失った者達、それがお前達人間だ。記憶のある我らはこの世界の空気に触れ変化していった。我らの仲間だった者は”闇”となり、この世を彷徨う存在になっていったのだ。”闇”がなぜ光を求めようとするのか我らにも分からぬ、分からぬが”闇”は常に光の後を追う、あの第二の太陽を。私は”闇”になる前に自ら命を絶つことになる。その前に私の全ての知識を伝えよう。最初の者はイーシェンが行った。そして最後の者はアルウインド。我が想いを受け取れ、イリス」
アルウインドはいきなり、イリスの額に手を当て頭を鷲摑みにすると、ある言葉を呟いた。彼の唇の動きと同時にイリスの唇も同じ言葉を吐いた。
「―?」
イリスの頭の奥で何かが動き始めた。イリスは耐えられずに手で頭を抱えた。痛みはなかったが、冴え冴えと何かが染み渡って来るのを感じていた。それが終わったと同時にイリスの心の中に悲しい感情が湧き上がってくるのを覚えた。イリスの感じた心と違う別の感情だった。それは紛れもなく目の前に立つアルウインドのものだった。
『お前の心の奥底に私の意識が眠り、そこから、お前の必要な知識を問いかけるのも可能だ』
イリスは心の中で響き渡る彼の声を聞いていた。イリスはこれがどういう事なのか理解できないでいた。
『お前にこのような事を押し付けた事、すまないと思っている。それでも力を貸して欲しい。私はそうまでしても、この世に残る過去の痕跡を消しておきたいのだ。
―イリス。我らの痕跡を拭い去ってくれるか?我らの英知は災いでしかなかったのだ。せめて、この時代の者には、その災いに触れることなく生きていて欲しい。私の願いはそれだけだった。この時代になっても、生き続けた理由はそこにある。全てはこの新しい時代の為に』
アルウインドは、この言葉を伝えると同時に、イリスの前で崩れ落ちた。
「―・・・・・・」
イリスは彼の身体を必死になって抱き起し、彼の顔を覗き込んだ。再び彼の口から答えを聞くために。
―しかし、アルウインドの瞳は死の色をしており、二度と彼の表情は動く事をしなかった。
「・・・・・・」
イリスは心の奥底にアルウインドを探し求めた。
『―私が再び感情を語る事は無い。お前の心に残るのは知識のみ。お前の心は自由だ。必要な時には呼び掛けるがいい。答えはお前の中にある。・・・・・・イリス、最期に自分の目で見た、この世界の美しさは私にとって最高の時間だった』
イリスは時折流れる液体を拭った。それはアルウインドが流したものなのか、イリス自身の涙なのか。二人の涙は声なく、海渡る風の中へと消えて行った。




