第四話
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
「姉様、お加減いかが?」
リディアの方を見ると、末子の弟イリスが、いつのまにか台所の戸口に立っていた。
「あら、イリス。どこかへお出かけ?」
リディアは、イリスのマント姿をみて、そう尋ねた。
「・・・・・・さあね」
姉の質問に対し、イリスは答えず、少し笑って見せた。
「―又、外に出掛けるつもりね」
リオンの声にびくつく様に、イリスはゆっくりと、こちらを振り返った。
「・・・・・・姉様、いたんだ」
イリスの声は少し震えている。
「私が見えてなかったようね?どこに行くつもり?」
リオンの声は静かだが怒気を含んでいた。母王の唯一の息子で、母があまりにもかわいがるので、城の者も幾分かイリスの行動に、目を瞑っていたり、姉達も母と同様に、かなりイリスに甘かったりするので、イリスはこの国で、かなり好き勝手をしていた。
しかし、ハイシュタット・ランズベールとリオンは別だった。イリスには、かなり厳しく、彼女達の口から、小言を聞かない日はないくらい、イリスは叱られ続けていた。
そんな恐ろしい二人に捕まれば、イリスはしぶしぶ従うしかない。
「――!」
イリスが、走り出そうとした後ろから、リオンはマントを掴んで止めた。
「離せえっ!」
リオンは、イリスと二つしか離れていない。その割に、二人の身長の差は、かなり離れている。リオンは年相応の背をしているが、イリスの方が小さいのだ。リオンが握りしめたマントへとイリスの伸ばした手は、宙を掴む事しか出来なかった。
「芋のお菓子を作ってあげるから、そこにいるのね」
そうリオンに言われたイリスは、高椅子に紐で足を括り付けられて膨れていた。
「イリスお前はいいわね、祭りの準備を手伝わなくてよいのだもの」
リアが、ああもう限界と根を上げた。
「男の子は台所に立つことは無いからね。十五になれば色々な祭りごとに嫌でも参加させられるよ」
リア、後少しだよ、とリノスは彼女の前にある芋を、両手で持てる限りの量を取って自分の前に置いた。ありがとう姉さま、とリアは嬉しそうにリノスに感謝した。
「イリスが来たことだし、少し休憩しましょうか」
とリディアが提案すると、皆でうん、そうしようと喜んで芋から手を離した。
「早く大人になんないかな、子供だからって守られてばっかりだ」
イリスはそう言うと口を尖らせた。
「今、外は危険なの。外へは行かない方が安全なのよ、イリス」
リディアは、慰める様に、乱れた弟の髪を撫で付けた。
「何が?」
まだこの状況に不本意なイリスは、砂糖入りのミルクをリディアに、もらいながら少しむくれて聞き返した。
「北の森の入口付近で異変があったでしょう?」
リオンは芋のお菓子を作りながら答えた。
「それでシェルシード様達、騎士の方達は三日前に北の森の方へ異変を調べにお出かけになられたの。森に出かけられるのは彼らしかいないから」
リディアは心配そうに目を伏せた。
姉さま心配だろうな、シェルシードの事好きだから・・・・・・。国一番の憧れの的の美姫の想い人はただ一人、城を守る騎士隊長を務めるシェルシード。顔に銀のマスクを常にしており、あまりそれを外したがらないが、そのマスクの下の素顔はとても優しい。女性のような優しげな顔を隠す為マスクをするのだ、とリディアはそっと教えてくれた。本人は少し威厳が無さ過ぎるので、皺ができる頃にはマスクを取っているかもしれませんと恥ずかしそうに笑っていた。
「北の異変ってどんな事が起こったの?」
イリスはリディアに向かって訊ねた。
「私達の部屋からは見えないけれど、騎士の方が高台から確認したところ、森の木々が黒く染まっているのが広がっているとか、言っていたわね・・・・・・」
「黒く広がっている?」
異常だ。そんな不吉な事が起こるなんて・・・・・・よりによって黒色とは。不吉な。この国では黒と言えば禍々しい印象が強く、国中で黒のあらゆる物を排除する程、禁忌の色だった。
―大丈夫かな、シェルシード・・・・・・。イリスはミルクの熱さに顔をしかめた。
「それにしても・・・・・・一年前の地震といい不安な事ばかり・・・・・・何も起こらなければいいのに・・・・・・」
そうつぶやくリディアの言葉は、ここにいる皆の心を重たいものにした。
地震・・・・・・異変。次に起こる何かへの恐怖が、今のランドールの人々の一番の関心事だった。
「イシュマール様もイスターテに、新たに学士を呼びにお出かけになられたわ」
そう言うリオンも心配そうだ。
「イシュマール様の代わりにあなた達を教えてくださる学士様ね」
イシュマールは女王の補佐としての仕事が忙しくなる為、数週間前に代わりの学士を連れにイスターテへと向かっていた。学士は時にランドールの政治にも関わることがある。非常事態の時は特にそうだ。今この国は学士が関わらねばならないならない事態に陥っているのだ。
「別に次の学士様がどんな方でもいいわ。それにしてもイシュマール様は早くお帰りにならないかしら。あの方がいないと不安で仕方ないわ」
リオンは不安そうに上を見上げた。
「そうだね。この時期の国に学士様が不在なのは確かに不安だね」
リノスはリオンの肩に手を置いた。
「けど、その間私達が何とかするしかないよ。もうじき騎士の方々も学士様も戻ってくるよ、それまでの辛抱だ」
リノスはリオンを励ますように顔を覗き込んだ。
「うん、そうですね。姉さまありがとう」
リオンはリノスに微笑みを返した。
「・・・・・・」
イリスは窓からランドールの北部に続く道を眺めた。
・・・・・・トマなら森の異変の事を詳しいかもしれない。彼があの軽やかな足取りで又この道を歩いて来てくれたら―。イリスは何度この道筋を見てきたことだろう。白い砂利の敷かれた細い一本の道の先は、木々に囲まれた森の入口近くで見えなくなる。あの道の向こうに行ってみたい、そのずっと先へと、たとえ帰れなくなるのだとしても・・・・・・。イリスは固く口を締め道行く先を見つめた。
「・・・・・・」
森の入口付近でよく見ると二つの影が動いている。
一人は背が高く、一人は軽やかに踊っているかのような歩き方だ。茶色のマントが楽しく揺れている。
「トマだ!」
イリスは突然叫んだ。
「トマがやって来たんだ!」
イリスは高い椅子をガタガタ揺らして、足元を括りつけられた紐を外し、するりとその場を離れた。
「イリス!待ちなさい!」
リオンが呼びかけた戸口には、イリスのマントの先がひらめく様を残して消えていく。リオンが調理場の外に出た時には、彼の足音のみが響いていた。リオンは手に粉が付いているのも構わずイリスを追いかけようとした。その背中に「リオン、少しくらいイリスの事ほおっておいてあげてもよいのではないかしら?」とリディアは問いかけた。他の姉達も同様にうんうんと頷いている。
「そうやって姉さま達が甘やかすから!」
私が怒り役になるのよと口の中で呟き、走りの速い弟の後を追った。商人と話すことは禁じられた事。弟の友人の商人の子供は、彼によく森の話などをするという。リオンの弟は森に関して興味があり過ぎる。森に惹かれた人間は森の中へ消え二度と帰ることのない人になってしまう・・・・・・。
―森を見つめる彼の瞳は危険だ。リオンは弟を森にやるつもりは無かった。