第二十五話
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
「―姉さま、どこへ行くの?」
「イリス・・・・・・母様の所に行こう」
「・・・・・・」
イリスは姉の繋いでいる手がより強く結ばれるのを感じた。イリスはその強さに姉の不安を感じ取った。そして、駆けるように歩く歩調と共に、母との別れの時が近付くのを胸が詰まる思いで城の裏庭に広がる花園を見た。
木蔓の絡まる低い石垣の向こう、早咲きの花々に彩られた女王の庭が作られている。二人はよくここで母の手入れした草花について、彼女の手伝いをしながら教えてもらったりしていた。
これが、春知花・・・・・・薄花雪。イリスの脳裏に母の声と共に花の名が浮かび上がる。
「金花光・・・・・・鈴白草、淡香花」
次々とその名を読み上げて行くと、その先にいつものように母が花園の中に居た。
白い手が青い小花の花弁に優しく触れる。暖かな笑顔が花の中心に近づきそっとキスをした。
「母様!」
ディーリアは手折ったその花を口に付けたまま、声のする方を振り返った。長く垂らした銀の髪は、彼女の動きに沿って光を放って揺れ動いた。
「イリス、リオンどうしたの?そんなに息を切らして」
僅かに小花を揺らす柔らかな風が、ディーリアの髪をさらい、より輝きを増していく。
―まるで、銀細工が音を奏ででいるかのよう。イリスはここで髪をなびかせ花の中に囲まれている母が大好きだった。母とこの時を幾度過ごした事だろう。
「母様!母様!」
二人はディーリアに縋りつくように抱きついた。それは、全て明日失われるもの・・・・・・イリスもリオンも最も離れがたいものとの対面に、明日までという限られた時間が悲しく身近に迫っていることを痛烈に実感した。悲しみを出さずにいられなかった、別れというものを母の身に縋りつくことで遠ざけようとしたのだ。
「―・・・・・・」
ディーリアは二人を抱きしめ愛おし気に目を閉じた。しばらくは、そうじっとしていたが、やがて目を開け、なだらかな緑の曲線の向こうに視線を向けた。その瞳は遠いものを映し涙色に滲んでいた。
「―別れの時が来たようですね」
ディーリアの声は静かで、甘い花の風に溶けてゆくようだった。
「母様・・・・・・」
二人は顔を上げ母を見つめた。母の表情を見て、なんて考えなしだったのだろうと後悔した。どうして母に旅立ちを包み隠す事が出来なかったのか・・・・・・アイン・フォードは言わなかったか、心の中で別れを済ませと。
「―あなた方がランドールを旅立つことは知っていました。だから、そんな顔をしなくてもいいのですよ」
ディーリアは二人に柔らかく微笑むと、アイン・フォードにそう頼んだのは私なのです、と打ち明けた。
「―母様が?」
「そう・・・・・・イリス、あなたの道筋はそう決められたこと。けれど、リオンはアイン・フォードに私がそう頼んだのです」
「―そんな・・・・・・母様。私は行きたくありません。私なんかより姉さまの方が、きっとイリスを敵から守れるはずです。どうして私が行かなくてはならないのです?」
「あなたが私の娘の中で何も知らないものだからですよ、リオン。あなたなら、ランドールの外の世界でも生きていけるはずです」
「ランドールの外の世界」
リオンは低く呟いた。
「その世界はランドールの知識は要らないのです」
「では、母様、私にランドールの事をもっと教えて下さい。知識が一杯で出て行けなくなるくらいに」
「リオン」
「私はランドールを離れたくはありません」
「リオン、誰かがその役目を果たさなければ、ランドールの人々が守って来た意味が無くなるのです。長い間、ランドールがこの地にしがみついてきた意味を、リオンあなたはわかりますか?人がこの世界を知るようになってから、この人間の時代はまだほんの数百年しか経っていないのです。この世界は本当にまだ若い。古き種族の時代はこの時代よりもっと長く知識ある時代でした。しかし、古き種族は今の時代を息をひそめて生きるしかない。その最大の理由がこの地にあるのです。ランドールのあるこの力によって古き種族は滅んだのです。人も同じ運命をいずれ辿るでしょう。しかし、それは今であってはならないのです。その力に対して防ぐ手立てが残っているのですから」
「最大の理由はランドールの娘と関係があるのですか?」
リオンは自分とその最大のものが関わっている事を怪しんだ。
「ランドールの娘は、その力を静める役目と復活させる役目があるのです。一人でも欠ければ力は動かす事も出来ない。”闇”に落ちる前に、あなたにはランドールを離れて欲しいのです」
「他の娘では駄目なのですか?」
「あなたが適任です。要らない知識を持たないあなたが。リオン、ここにとどまっても何もなりませんよ。私には、この国には、あなた達を守るすべはありません。頼れるのは学士の知識と行動力のみ。彼らは”闇”に対する最大の力を知るもの。学士ならあなた達を助けて下さるでしょう」
「―それなら、私はイシュマール様に守ってもらいたいです。イシュマール様はどちらに行ってしまわれたのです?母様は知っていらっしゃるのでしょう?」
「いいえ、学士の行く先や行動の理由は、訊ねたところで、答えが返ってくることはないのですから。・・・・・・本当に学士は不可解なほど、心の奥底を見せない人々です。リオン・・・・・・学士に心を寄せればあなた自身が傷つく事になります。学士に必要以上の感情を持たない事です」
ディーリアはリオンの手を取り、この言葉を刻むように固く握りしめた。
「―・・・・・・」
リオンは心の中で母の言葉を否定した。あの方はそんな方ではない。それに、既に諦められないところまで、リオンの想いはイシュマールに向いて抜け出せないでいた。
「リオン・・・・・・イリスを守ってあげて。頼る事が出来るのは、イリスにとってあなただけです」
「母様・・・・・・」
リオンは傍に立つイリスを見た。その彼の表情は、リオンにとって、ひどく頼りなさげに見えた。
「―そうね・・・・・・母様。こんな向こう見ずの、考えなしの弟一人じゃ安心して旅立させる事なんて出来ないわよね」
・・・・・・どういう意味だ?イリスは、そんな姉の言動に睨みを利かせて彼女を見上げた。
「イリスは私に任せて母様。外の世界でも、ちゃんとやっていけるように二人で頑張るわ」
リオンは自分の使命を感じたのか、先程見せた不安そうな表情は見えない。決意した晴れ晴れとした顔で母を見た。
「リオン」
ディーリアはそんなリオンに微笑みで答えると、リオンの手とイリスの手を取り、二人の手を包み込んだ。
「イリスはリオンを守ってあげてね。姉さまが悲しそうな時は、元気づけてあげてね」
「うん、母様。姉さまみたいな泣き虫、一人で居たら涙で溺れ死んじゃうだろうから、ちゃんと傍に居て慰めるよ」
「私は泣き虫じゃないわよ」
とリオンはイリスを睨みつけた。
しかし、そう言うリオンの瞳は既に涙で濡れていた。イリスに自分の事を頼む母の言葉が彼女の心を温かくしたからだった。
この花園を去る時三人は、お互いを確かめるように抱き合った。長い抱擁だった。この時を心の奥底に刻み付け、そうして女王と彼女の子達は、お互いに別れを告げた。その内の一人は再びこの地に立ち、緑の中で静かに、この時を思い出していたという・・・・・・。




