第十八話
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
「それから、イリス様。森で出会ったあの少女のことですが、・・・・・・あの者は北の方にあるリイン・カラドルから来た者です」
「リイン・カラドル」
―北の凍える大地の果て・・・・・・。イリスの想像では気の遠くなるほど離れた場所だ。
「かの地にもランドールと同様に石から守る者が存在していました」
「リイン・カラドルに住む人がいたのですか?」
「ええ、石を守る要となる言葉を持って、彼女はここまで逃れてきたのです。おそらくリイン・カラドルの地に闇の異変が起こったのでしょう。そして、彼女は最大の言葉を無事伝える事に成功した・・・・・・。そう、イリス様、あなたの中に言葉が存在しています。彼女が放った言葉は力ある言葉の一つです」
「魔法ですね。あの言葉がそんなに大事なものだったなんて・・・・・・」
あの声は静かなる森のイメージと共に、イリスの中に響き続けている。
「イリス様があの場所を見つけて下さったから、救いがあったのです。“それ”はすぐそこまで来ていたのですから」
「イシュマール様はあの少女を探していたのですか?」
「そうです。彼女は森の中で“それ”と戦ったはずです。その結果、北の森は黒に染まったのですから」
「シェルシード達は北の森で彼女を見なかったのでしょうか?」
「彼女はもうその時には、イリス様が見つけた場所に、たどり着いたのだと思います。そして、最期にあなたと出会い彼女の使命は果たせたのです」
「彼女は僕に言葉を残して僕から逃げました。どうしてですか?」
「“それ”からあなたを遠ざける為だったと思います。そして、私達の近くで力尽きてしまいました」
「彼女はどうなったのです?」
「―亡くなりました。イリス様に出会った時に、すでにその者の力ほとんどは残っていなかったのです」
そんな・・・・・・とイリスは言葉を震わせた。あの時少女を追いかけなければよかったのか。イリスは激しい後悔を覚え下を向いた。
「その言葉はそんなことまでして伝えなくてはいけないものなのですか?」
「それはリイン・カラドルにあるものを解放する言葉。その力は絶大で世界を変える力があります。絶対に“それ”に渡ってはいけないのです」
イリスは自分の中にそのような強い力が存在することに、その事の大きさに言葉を失った。
「・・・・・・イリス様」
イシュマールは黙り続けるイリスを心配そうに見つめた。
「・・・・・・“それ”はずっと僕を狙い続けるのですね。ああ、どうして僕はこんなにも子供なのでしょう。もっと大人なら心の強い人でいられたのに・・・・・・僕はさっきと矛盾したことを言っていますね。大人になりたくないとか言ってたのに。僕は何を言っているんだろう」
はあ・・・・・・とイリスは大きく息を吐き出した。
「イリス様、大人でも心の弱い者はいますよ。心を強くもってください。それにあなたは一人で闇と戦うわけではありませんよ。アイン・フォードは全力であなたを守るでしょう。つらい時はあなたを今まで守ってくれていた人達を思って下さい。あなたの最大の助けとなります」
「母様や姉さま、イシュマール様を?」
「それが一番大切です。これから生きるにあたって、あなたの一番の命の源となりますよ。その思いを大事にして下さい。イリス様」
「はい、大切にします」
イリスは少し強張った表情をイシュマールに見せた。イシュマールはその様子見て、大丈夫ですよ、イリス様なら、と微笑むと、やがて決心したように口を開いた。
「イリス様、私は今から旅に出なくてはなりません」
イリスは薄い茶色の髪の青年を見上げた。イリスのよく知っている優しい顔は静かに運命を受け止め、藍の瞳は遠い旅立ちを、その彼方への行く末を見つめていた。
「―どこへ、どこへ行くのです?」
イリスはその行き先を予感していた。しかし、再び彼を襲う不安がイシュマールに訊ねずにはいられなかった。
「北を越えてリイン・カラドルの地へ」
イシュマールは低い静かな声で答えた。
「危険なのでしょう?だって“それ”がそこにあるって言いましたよね?どうして、今何だってあんな北の果てに?イシュマール様が行かなくてはならないのです?」
イリスはイシュマールの服を掴んだ。その服は商人の獣臭い服と同じ臭いがした。その臭いを彼に近づいた時から、嗅ぎとりイリスはイシュマールが遠くへと旅立つことを内心恐れ続けていた。それは現実となってイリスに突き付けられた。不安がイリスの胸を覆う。掴んでいるこの服でさえ不確かなものに思えるくらいに。
「“それ”に負けてしまえば、この目に見える全てが無くなってしまいます。私はこの世界を失いたくはないのです」
静かな口調の中に隠された彼の決意が伝わる。
「・・・・・・これから、私の最大の敵は音もなく過ぎ去る時間です。我が愛馬ファラキスとともに風より速くかの地に向かわなくてはなりません」
優し気な瞳が強い決意をもってイリスに注がれる。イリスは微かに震えていた。イシュマールは、その震えを抑えるかのように、イリスの肩を力強く包んだ。
「大丈夫ですよ、イリス様。あなたは決して“それ”に負けない力を持っています。いつも光を先を見つめていてい下さい。アイン・フォードがあなたを導きます。彼に従って行動すれば大丈夫です」
「それでも、僕はあなたにここに残って助けてほしい。これは我が儘でしょうか?あなたが居なくなるのは嫌です。でも、もっと嫌なのは、あなたをそんな危険なところに行かせてしまうのが嫌です」
「そう、確かに危険です。けれども誰かが行かなければならない。これは私しか出来ない事です。いち早くかの地に行かなくては。ソルヴェイグを置いて行きます。きっと、彼女はあなたの力になるでしょう」
「・・・・・・ソルヴェイグを?あの鳥が助けになるのですか?」
イリスはソルヴェイグを見つめたが、頼りになりそうにない。彼女のいつもの態度や行動に不安を覚えた。
「イリス様、見かけだけで物事を判断すべきではありませんよ。彼女はあなたの良き導き手になるでしょう」
「・・・・・・ソルヴェイグを置いていくのですか?あなたの大事な奥様を」
イリスの問いにイシュマールは黙って頷くと、肩の上でくう・・・・・・と鳴く妻を見つめた。言い表せない想いがイシュマールの瞳にはあった。
―彼はたった一人で、あの灰色の空の彼方へ旅出つのだ。イリスは彼の孤独な旅路とその行き先を思った。行ってほしくない、しかし自分の我が儘で引き留めては駄目なのだと悟るしかなかった。
「・・・・・・イシュマール様。あなたの旅の幸運を祈ります。再び会える日が来ますように」
イリスはせめて祈りの言葉を、彼のために紡ぎだすように呟いた。泣き出しそうなのを隠すためにイリスは下を向いた。
「・・・・・・」
イシュマールは静かにイリスを見つめていた。その瞳は彼の王子の思い出せる限りのすべての印象を彼の心に刻んでいた。
「・・・・・・イリス様あなたにも幸運を。又会える日を楽しみにしています。ファラキス!ここへ!」
イシュマールは彼の愛馬を大声で呼んだ。間もなく白馬が彼の元へと駆け寄った。
「イシュマール様もお元気で」
イリスは精一杯の笑顔で彼を送り出した。
「では、いつの日か会う日まで!」
イシュマールはファラキスに跨ると、二度と振り向くことなく森の中へ消えて行った。




