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第十六話

毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。

 イリスが目を覚ましたのは朝の明けの色から、淡い白色に変わる頃だった。

「―」

しばらくぼんやりと窓の隙間から漏れる光の道筋を、見つめていたイリスはふとある事を思い出した。

「昨夜の・・・・・・昨夜起こった事は何だったんだ・・・・・・」

イリスは自身の存在を確認するかのように呟いてみせた。

声は聞こえる・・・・・・手も動かせる。一つ一つの動作が何故か奇跡に思える。こうして朝の光を浴びている自分が不思議だった。

「―おお!起きたようだな」

急に近くで男の声がした。

「いきなり倒れるとは気の小さい」

大人の声だ。ずいぶんと落ち着いている。イリスはまだ昨夜起こった事が続いていると体を強張らせた。

「どこを見ている。私はお前の足元に居る」

その声の先にいるのは小さな人形だった。それはカタカタと音をたてイリスに近づいて来た。

「動いている」

「当たり前だ。悪いがそこからでは私の顔が見えぬだろう。私を持ち上げるか、お前が近づいてくれるか、どっちかにしてくれないか」

その人形の言うとおりに、イリスは人形を手のひらに乗せ顔を近づけた。

・・・・・・それは小さな老人だった。最初は小さくてよく分からなかったが、よく見ると身なりは良く、赤い織布のマントと首に金の留め具を着けている様だ。嬉しそうに笑う笑い皺は幾重にも重なり、どのくらいの年月を生きてきたのか分からない複雑だった。その髪は白く長い髭と共に交わり微かに靡いていた。

「・・・・・・よくできているなぁ・・・・・・おもちゃなの?それとも生きているの?」

「―どっちだと思う?」

「生きてると思う」

「じゃあそういう事にしておこう。お前はイリアスだね?」

「うん、そう。あなたは?」

「私の名はアリエン。イシュマールの知り合いだ」

その小さな者はそう名乗りを挙げた。

「イシュマール様の?」

とイリスが尋ねるとアリエンは黙って頷いた。

「じゃ、学士様なのですか?」

と興味深げに見るイリスを見て、アリエンはそれには答えず、ただじっと考え込む仕草を取った。

「―ふむ・・・・・・イリアス・・・・・・お前は人を疑う事を知らぬようだな」

意外な言葉を受け不思議そうなイリスに、アリエンはさらに続けた。

「―もし私がイシュマールの知り合いではなく、お前の命を狙うものであったら、どうするつもりだったのだ?」

「・・・・・・!」

イリスの強張った表情を見て、安心させるようにアリエンは笑った。

「―素直なのは悪い事ではない。お前の美点の一つなのだろう。人の使う言葉に用心するのだな。それから、お前が使う言葉にも慎重にな。しかし、昨夜の様に気をいきなり失うとなると・・・・・・、先行き不安なものがあるな」

「昨夜って?」

「昨夜お前に飛びついたのは私だ。試しに脅かしてみたら、目を回して倒れているとは・・・・・・」

「―あれはあなただったんだ・・・・・・でもどうして?」

「それではいつ敵にやられるか分からぬ。時としてよく考え、そのものが何であるかを感じる事、そして少し度胸を付ける事だな」

「―・・・・・・敵って?」

「不幸の元となるものを解放する者達のことだ。悲しい事に遠い約束は破られてしまった・・・・・・」

アリエンから後悔にも似た声が漏れる。

「―それって・・・・・・ケルウェンがした事ですか?」

イリスは震える声を押さえながら訊ねた。

「それも原因の一つではある。しかし彼らにこの地の存在を気付かれるのは時間の問題だったのかも知れぬ。―すでにその者は近くまで来ている。イリアス、その者を見たであろう?」

「―黒い鳥・・・・・・」

「―それもその者の一部にすぎない」

アリエンは嫌な思念を振り払う様に首を振った。

「イリアス、お前には用心が必要になる。気を付けよと言ったはずじゃ。もうワシを信用したのか?黒い鳥の話などしおって。この先が思いやられるわ。今までの様に平穏では無くなる。誰にも心を許してはならない。肉親にも、そう誰にも。お前が相対するものは、この世で最大のものに近い。気を付ける事だ。お前を罠にかけようと敵はあらゆる手段を使ってくる。お前がそれにのってしまってはもうお終いなのだ」

ちょっと待って、とイリスは慌てて口を挟んだ。

「どうして僕が罠にかけられるのです?」

「森の中で少女の口から何かを聞かなかったか?」

「―・・・・・・」

イリスの胸に彼女の言葉が(よみがえ)る。

「―その言葉決して口に出すでないぞ。まあ、再現することは無理だろうが。―あの言葉は上代古語であり、古き言葉とも言う。古き種族が使った言葉なき言葉。それは、言葉であって力であり光でもある―」

「魔法ですね」

イリスは得意気に言った。

「お前たちは魔法と呼ぶのか・・・・・・お前たちの言葉と上代古語は性質は同じこと、お前たちの言葉にも魔力は存在する。一言で相手の心を傷つけたり楽しませたりする・・・・・・そして、一度そのものから出たものは二度と帰っては来ない」

そうだな?と問うアリエンにイリスは頷いた。

「上代古語は精霊の心をとらえ、万物を動かす・・・・・・お前たちが言葉で人の心をとらえ動かすように。見る者にとって不思議でも、その想いは変わらぬ」

「上代古語ってどうやって使うのです?どうしたらあんなに綺麗な声が出るのでしょう?」

と再び尋ねるイリスにアリエンは、重々しく口を閉じ考え込む仕草をとった。

「よろしい、イリアスよ、お前に自身を守る言葉を教えよう。その方がよく分かるであろう」

そう言うとアリエンは微かに微笑んだ。

「本当に?」

それを聞いたイリスは慌てて、アリエンをベッドの上に降ろすとペンと紙を用意した。

「いけない!」

とアリエンはいきなり大声を出した。びっくりするイリスにアリエンは責めるような瞳を向けた。

「言葉を・・・・・・書き示す事、それは危険な行為だ。誰にも知られたくない時は特にな」

どうして?書かないと覚えられません、と言うイリスにアリエンは説明を続けた。

「この言葉は書物では伝えられてはいない。どうしてかわかるか?それは悪い者に悪用される恐れがあるからなのだよ。上代古語は使い手の心の中でしか存在しないもの。書物はのぞき見されるが、心の中は覗けまい・・・・・・。第一、上代古語はお前が知っている言葉で表せられぬほど複雑なものだ」

「―・・・・・・」

慌ててペンと紙を机にしまうイリスに、アリエンは安心せい、お前が覚えられなくても、お前の体が記憶するのだよと優しく言った。

「よいか」

とアリエンの問いに頷き、イリスは緊張しながら、老人の深い消炭色の瞳を見つめた。

「この言葉は誰にも伝えてはならない。これは王子、お前が危険な時、絶大な力でお前を守る為の言葉だ。約束してもらいたい、この事は誰にも言わないと」

イリスは黙って頷いた。ゴクリと喉元が鳴った。

「太陽にかけて?」

「太陽が照らす木々にかけて、木々と共に広がる深き森にかけて」

真剣なイリスの眼差しを和らげるように微笑むと、アリエンはよろしいと頷いた。小枝のような杖をかざし、私の後に言葉をたどりなさいとイリスに伝えると、しばらく低い声を口の中で呟き始めた。やがて上代古語が紡ぎ出された。

「最初の名はイーシェン」

「最初の名はイーシェン」

「最後の名は偉大なるアルウインド」

「最後の名は偉大なるアルウインド」

アリエンは又しばらく口の中で長い言葉を呟くと、力を()めるように体を抱え込み目を閉じた。呟きは小さくなっただけで終わってはいなかった。それはうねる様に次第に大きな声をなってイリスの耳に響き始めた。重い緊張感がイリスを取り巻く。老人の手が宙を抱くように大きく広げられた。

「ヴェル・ダモス・イノウダウン・インシュリード」

重々しい和音がイリスの身体を揺さぶり心の奥まで響き渡った。その言葉はイリスの心の中に力強く残り、その感覚は母にも似た温かさがあった。

「力のある言葉の一つだ・・・・・・」

力のない声が弱々しくアリエンの口から洩れた。彼の顔はひどく疲れ息が辛そうだった。大丈夫ですか?と声をかけるイリスに、アリエンは力を使った後は、いつもこうだと答えた。

「その言葉はお前の中にある。決して忘れる事は無い。それは危険から守るものだが、できればその言葉を使わなくてはいけない事態にならないように気を付ける事だな」

はい・・・・・・と不安気に頷くイリスにアリエンは、笑って大丈夫だと繰り返した。

「この言葉がある限り、お前は守られている。安心せい。しかし、お前はすぐに人を信用するのだな。ワシが敵だとは思わぬのか?」

アリエンはそう言うと、ベッドの上から下へと滑り落ちると窓側に向かった。

「どこへ行くのです?」

「帰るのだ。用は済んだ」

アリエンは紐を取り出し、椅子の方へそれをほおり投げた。

「机に上がるのですか?」

「そうだ。老人をおもうなら、持ち上げてくれるか?」

イリスはアリエンを机の上に上げた。

「どちらにお帰りになるのですか?」

「お前の想像に任せる。―ああ、そうだ」

アリエンは思い出した様に、机の上の青い巾着に近づいて行った。

「これは土産にもらって帰る。実に美味そうなティーチェの実だ。・・・・・・良いかね?」

「それはシェルシードのお土産。・・・・・・ティーチェの実だったんだ。―いいですよ。持って帰っても。でも重たくないですか?」

「ふん。それなら心配無用」

とアリエンは軽々と巾着を背負って見せた。

「さて・・・・・・帰るとするか。すまないが、窓をあけてくれないか」

「どうしてですか?」

イリスが窓を開けながら訊ねていると、窓の外からバッサバッサと聞きなれた音が聞こえてきた。

「ソルヴェイグ」

彼女は窓枠に足を据えるとアリエンを見つめた。

「もしかして・・・・・・・」

「そうとも、これに乗って帰るのじゃ」

平然とアリエンはソルヴェイグの首にまたがると、さらばと一言残し窓から去って行った。

イリスは飛び去るアリエンたちの姿を見ながら、彼の事を振り返った。学士よりも森の匂いのする人だ。昨日の森の輝きにも似ている。

「―アイン・フォード、ここを外してくれますか。王子と話があります」

「はい、それでは失礼します」

「イリス様、入ってもよろしいでしょうか?」

扉の向こうでイシュマール達の声がする。そういえばアイン・フォードは外で守ってくれていたことを思い出しながら、イリスは扉を開きイシュマールを部屋へと招き入れた。

「イシュマール様・・・・・・」

彼の姿は旅支度が整えられており、イリスは彼がこの地より離れる時が来たことを感じた。アイン・フォードの姿はない。彼はどうして昨日イリスに、あのような出来事があったというのに、部屋に入ってこなかったんだろう、とイリスは疑問に思った。が、それだけ、アリエンは危険ではない存在なのだとイリスは解釈した。

「先ほど、アリエン様がいらっしゃいましたね?」

彼の服は商人と同じ獣の臭いがした。

「―あ、はい」

「アリエン様は何と?」

そう問われたイリスは一瞬戸惑いを覚えた。用心しろとアリエンの言葉が心に響く。

(けれど、イシュマール様は大丈夫。アリエン様が乗っていったのも彼の妻ソルヴェイグだったし)イリスは決心し口を開いた。

「用心しろと、誰にも心を許すなって・・・・・・敵がこの地にやって来るって言われました」

イシュマールの変わらない優しい藍の瞳を見つめながら、安心したのかイリスはさらに続けた。

「イシュマール様・・・・・・森の中であの時、理由はいずれ話すとおっしゃって下さいましたよね?」

「はい」

「教えて下さい。僕が森で見つけた女の子は何者なのですか?僕が聞いたあの言葉はなにですか?」

自分を不安そうに見上げるイリスに、イシュマールはその小さな肩を包み込むように手を置き、イリスがかつて見たことの無い悲しい色でイシュマールは見つめた。

「では、お話ししましょう。この国で何が起こっているのか。そして、イリス王子あなたの身に起こったことを・・・・・・」


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