第十話
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
ウィッツランドの高塔の中心である太陽の塔に朝日の光が差し込む。陽光に照らされた水桶の水面が真緋に染まる。女たちはその桶に一礼し、手に取ると、数多く用意された小さい壺に少しずつその水を注いでゆく。これがランドール最大の祭りの日である守りの祭り、イス・カラムの儀礼祭に最初に行う朝日の儀である。他にもこの日に使う儀式器具全て朝日に浴びせ神聖なものを宿らせる。この国にとって朝日は神聖なものの一つとされている。女たちが小分けした水を持って、それぞれの箇所に備え付ける為、方々へと散らばってゆく。イリスは女たちが水壺を置いて行くのを見て、祭りが始まってゆくのを感じてとっていた。
「この水はイ・ウェンと言って朝日の光を浴びたものなんですよ」
とイリスは傍らに立つアイン・フォードに説明した。
今朝、母に聞くとイシュマールは、又出かけたと聞いた。代わりに母より新しい学士にランドールを案内するよう頼まれたのである。
そうですか、とアイン・フォードはそう言ったきり何も尋ねる事はしない。ただ城内を確かめるように様々な所を見ていた。
「そんなに歩き回ったら、学士様が疲れるじゃない。いい加減やめたら?」
後ろから二人について歩くリオンは少し不満そうにそう言った。リオンも母よりこの学士の案内を任されていた。
「だって、いっぱい教えたいんだもん。この国の事」
と、又イリスはアイン・フォードに指さし何かを教えている。リオンは二人の様子をため息交じりに見ていた。彼女はまだ、アイン・フォードに教えてもらう事に不満を持っていた。確かに今の身なりは学士らしくイシュマールと変わらぬ長衣を身に着け例の嫌な臭いもしない。けれども何か馴染めない。イシュマールにあって彼にないもの、多分彼の表情に笑顔が見られないのが理由かもしれない。
―あの表情に不吉な影がある。リオンは何か理由にならないものを彼に感じていた。
「これは、花音香って言ってこういった香木、香油で悪霊払い(ダイアド)の香りで一杯にしておくんです。悪いものは嫌がるんですよ、この匂い」
イリスは柱などに括られている香木を指しアイン・フォードに教えた。
「ローダンナですね」
アイン・フォードは香木の匂いを嗅いでそう言った。
「はいそうです。やはり知識が豊富ですね」
イリスは満足そうに彼を見つめた。
「そうですね・・・・・・リ・シュナの実。・・・・・・テノンの葉。ラ・アンバーの枝、パラノウの種。オウシェイク・・・・・・」
アイン・フォードは次々と花音香の匂いのもとを当ててゆく。
「そんなにも知っているんですね。すごいや!」
イリスはリオンをちらりと見ながら言った。
「そんな事、薬草学の本に載っているわ。基本中の基本よ」
「まだ習ってないもん」
「昨日ハイシュタット・ランズベールに薬草学の本写すように言われなかったかしら?」
「書いてないもん」
「書くように言われなかったの?」
「疲れたからもう寝ていいって言ったもん」
「何よ、それ?」
「あ、あれ姉さまだ」
リオンの追及をはぐらかすように、イリスは誰かを見つけて指さした。
「何が?まだ質問に答えてないわよ、イリス」
「リディア姉さまとシェルシード」
そう指さす弟の視線の先に、影に隠れ何かを語り合う二人の姿が見えた。
「―何してるのかな」
二人に近づこうとするイリスに、リオンは慌てて弟を引っ張り、反対側の方向へ歩こうとした。
「何をするのさ、姉さま」
「いいから来なさい」
リオンはイリスの鈍さに呆れていた。まだまだ子供だわ・・・・・・。
「リオン!イリス!」
リディアがこちらに気が付いて声をかけてきた。馬鹿!イリス!リオンは弟の耳元に言葉をねじ込むように囁いた。
「あら、新しい学士様はこの方ね」
近づいてきたリディアの衣装は、すでに祭りの時のものだった。
「アイン・フォードと申します」
彼は静かに礼を取った。
「一の姫リディア・ハイ・ランドと申します。お母様から聞いております。本当にお若いのね。二人をお願いしますね」
そう柔らかく微笑むリディアに、アイン・フォードは再び礼をした。
「姉さまごめんなさい。この馬鹿イリスが邪魔しちゃって」
「いいじゃん。二人が恋人同士って事皆知っているよ」
そう言うイリスの頭をリオンが小突く。
「イリスは子供だから何もわかってないのよ」とリオンが馬鹿にすると「何がわかってないって?」とイリスはリオンの言葉に嚙みついた。
「二人ともおやめなさいな。リオンそろそろ儀式の準備をしなくてはいけないのではなくて?まだ、祭りの衣装も着けてないようだけど。私と一緒に行きましょう」
―儀式・・・・・・と呟くリオンの表情は固い。又この時間がやって来るのかと思うと心が重い。
「―・・・・・・ランドールの娘は逃れる事は出来ないのよ、リオン」
リディアはリオンに諭すように語り掛ける。
「わかっているわ、姉さま。姉さまは十六才で終わったのよね」
「ええ、なかなか新しい声の子が生まれなかったけど」
「いいなあ、姉さま」
「そうねえ、儀式の後が物凄く気怠いのを除けば、悪くはなかったわよ」
「早く解放されたい。もう次の子が生まれてもいい頃なのに。私だけだもの、生まれてないのは」
「生まれてくるわよ、今年あたりには」
リディアは大丈夫とリオンの肩を優しく叩いた。
「リオン!」
他の姉たちも集まって来た。彼女達も祭りの衣装を身に着けている。
「ああ、彼が新しい学士様?」
リノスがアイン・フォードに声をかけた。
「本当に若いわね。今までで最年少なんじゃない?」
リアが珍しそうにアイン・フォードの顔をまじまじと見つめた。
「リア、そんなに覗き込まない!」
リノスが失礼だろとリアに注意する。リアはハッと無礼に気づき、失礼しましたと慌てて彼に謝った。
「アイン・フォードと申します」
彼は何事もなかったように礼を取った。
「私は二の姫リノス・ランド・ロードと申します。二人をよろしくお願いします。二人を扱うのは大変でしょうけれど」
リノスはそう言って笑って見せた。
「リ、リア・ファー・ランドと申します。三の姫です。よろしくお願いします」
誰をよろしくなんだよとリノスに突っ込まれながらも、リアは挨拶をし終わりホッと胸をなでおろした。
「・・・・・・。イリス、後の案内お願い。変なこと学士様に教えるんじゃないわよ」
「わかってるよ。早く行きなよ」
「絶対に外に出ては駄目よ!」
こちらに顔を向けたまま、リディアの後に続く姉の姿に、どこまで心配すれば気が済むんだろう、と半分疲れた気持ちで見送ると、イリスは再び学士と共に城の中を散策した。
イリスはランドール一帯を見渡せる見晴らしのいい一室へと、アイン・フォードを案内した。
「あの川がリシュオン川。その周りに広がっているのが牧草地。あの石ころで囲ってあるのがじゃがいも畑。―で、あの花畑は母様が手入れしています。薬草もたくさん生えています。あの丘は古人の丘、あそこから見える景色も美しいのですよ。人々が集まる広場、商人が季節ごとにあそこの片隅で物を売りにやって来ます」
イリスの説明にアイン・フォードは静かに聞き入っている様だ。
「今日は、お祭りだからたくさんのご馳走が出ますよ。いつもは芋料理がほとんどなんですけど」
「芋が主食なのでしたね、ランドールは」
「はい・・・・・・。この土地は土が少なくてすぐ下は岩なのだそうです。だから作物はそれでも大丈夫な芋しか育ちません。後の食材は商人が売りにやって来ます。彼らが持ってくる物はいつも珍しい物ばかりです。あんなのどこで作っているんでしょうね」
ふふ、とイリスはアイン・フォードに笑いかけた。しかしアイン・フォードの表情は固く崩れることはなかった。
「友達に、商人の子がいるんです・・・・・・、森の事とかは少し話してくれるんですけどね。商品の事はあまり教えてくれないんです。どうしてですかね?」
「―商人には言ってはいけない決まり事があるのですよ。だから、商人はあまり会話をしたがらないのです」
「言ってはいけない決まり事って?」
「それは商人のみが知る事。私にはわかりません」
「そうですか・・・・・・」
トマ・イスアはイリスに色々と教えてくれたが、それも商人の決まり事の範囲内での事だったに違いない。イリスの質問の中にはトマが答えない時もあったのだ。
「アイン・フォード様。森の向こうには何があるのです?」
イリスはトマが答えなかった質問を彼にぶつけてみた。彼ならこの学士なら答えが返って来るかも知れない。期待はあまりなかった。同じ質問をイシュマールは何も答えてはくれなかったのだ。
「―それは、行った者しか目に出来ない事です。ここより広い世界ではありますが」
「何があるか教えては駄目なの?それは決まりなの?」
「それを知る者はランドールに帰ることは許されません。限られた物のみがこの国を行き来できるのです。知りたければ、ランドールを出る事です。ただし二度とこの国に帰れません。それだけは覚えておいてください」
「どうしても知りたい・・・・・・。けど帰れないなんて・・・・・・」
イリスは国を出る代わりに、この風景を眺める事が出来なくなる事を嘆いた。
「すべてはイリス様、あなたの心の赴くままに。二度と戻れなくても良いくらいの世界が待っているかは、あなた次第ですよ」
「―僕次第か・・・・・・」
アイン・フォードの言葉が、イリスに縛られていた何かを解き放った。それはイリスの行く先を決める指針のようなものだった。
―しかし・・・・・・イリスは急に不安になった。学士が外の世界の事を教えるには何かあるのではないかと・・・・・・。例えば昨日の少女の事や黒い鳥の事―。
「・・・・・・あの、アイン・フォード様・・・・・・。アイン・フォード様はイシュマール様の代わりにここにいらしたのでしょう?」
イリスは彼と二人きりになって、聞いておきたいことが山ほどあった。
「ええ、その為にここに来たのです」
アイン・フォードは明確に答えた。
「―じゃ、イシュマール様に聞いておきたい事を、アイン・フォード様に質問してもいいですか?」
「―何でしょう?答えられる限りお教え致します」
イリスは昨夜の出来事を出来るだけ細かく彼に話した。そして、質問した。あれは一体何なのかと。
「・・・・・・」
アイン・フォードは無言のまま、何かを考えているようだった。
「―二度とこの様な事の無い様に、今夜は私が番を致します。守りの儀式の夜なので大丈夫とは思いますが・・・・・窓に香木と香油をつけておいて下さい」
「―あの鳥は何なのです?」
「―・・・・・・私にはその者の名を言う事が出来ません・・・・・・教えるとかそういう事ではなく言う事が出来ないのです。申し訳ありません。じき明日にでもイシュマール様が、お戻りになった時にお尋ねになって下さい」
「言う事が出来ないって?」
「―・・・・・・“それ”を口にするだけで危険・・・・・・という事です。この国ではその言葉を口にするだけで“それ”が近づいてきます」
「―昨日の少女と関係があるの?」
「―そう心に留めておいて下さい」
イリスは昨日の事で何か自分自身に、不吉なものが関わってきたのだと理解した。イリスは僅かに寒気を感じた。
「イリス様。これを・・・・・・」
アイン・フォードは胸元から小さな包みを取り出すとイリスの手のひらに乗せた。
「無くさないようにしてください。・・・・・・これはあなたの身を守るものです」
「これはもしかして守りの印ですか?」
イリスは包みをほどいて丸い鉄の印が彫金された物を見てそう訊ねた。
「そうです。今のあなたに必要な物です」
「これが守りの印」
想像したものよりも重く存在感のあるものだった。
「今日はなるべく人の輪の中に、いるよう心掛けておいて下さい。決して一人にならないように」
「はい。わかりました」
イリスは真摯に頷いて見せた。




