第九話
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
「こんな量明日までに出来ないよ」
イリスは数冊の本を前に溜息を深く吐いた。ハイシュタット・ランズベールが今日の講義をさぼった罰に、薬草学の本の写しをするように言いつけたのである。
(それにしても・・・・・・さっきの子はどうなったのかな)
あの涼やかな声はイリスの頭の中に繰り返し響き続けている。その脳裏に森の中の情景が浮かび上がる。イリスは立ち上がり窓から見える森を見つめた。―その時。ギャッと突然鋭い声と共に黒い影が過ぎ去った。
風・・・・・・?イリスは外の様子を見るより、怖い感情が先に立ち窓より後ろへ下がった。鎧窓が勢いよく壁に叩きつける音を立てて開くと、目に痛いほどの強風が部屋を駆け巡った。
―やがて目を開けたイリスはおそるおそる窓の方を見た。窓には空に浮かぶ月を背に黒い鳥がおり、こちらを見ていた。その無言の凝視はイリスの背筋を冷たくさせた。夜の影なす闇よりも深い漆黒の瞳はイリスの心を鋭く刺し、イリスは姿ないものに体を縛られた様にその瞳を見つめさせられた。黒い鳥が落とす影は次第に大きく広がり、恐怖がじわじわとイリスの足元から焼き付けるように、喉元まで這い上がりつつあった。
「―・・・・・・!」
ドンドン。イリスがぴったりと張り付いたドアからノックが聞こえる。
「イリアス様?!」
ハイシュタット・ランズベールだ。
首を動かして樫の木の色のドアを見た。その横顔に大きな影が揺らぐのを感じたと同時にイリスは解放され体が熱くなっていった。
窓を見ると鳥の姿は無く、月明かりに蒼く煙る空が薄暗く輝いていた。
ふう・・・・・・手で額に張り付いた不快感をぬぐうとイリスは呼吸を整えドアを開けた。
ハイシュタット・ランズベールが蝋燭の火を持って戸口に立っていた。
「そろそろ蝋燭の火が切れる頃と思いましてね」
「そう」
イリスは彼女に深く感謝した。彼女が来なければ今頃どうなっていただろう。彼はハイシュタット・ランズベールを部屋に入れた。
「おや、まあ!思ったより早く火が切れたようですね。満月の夜でようございました。月明りで、暗闇にならなくて」
彼女は慌てて蝋燭の火を灯した。部屋は再び明るさを取り戻した。
「―あら、こんな所に黒い羽根が・・・・・・」
とハイシュタット・ランズベールは、床に落ちた黒い羽根を拾い上げた。イリスに恐怖がよみがえる。
「イリアス様の物ですか?このような黒い不吉な物をどこで・・・・・・」
貸してとイリスは羽根をハイシュタット・ランズベールから奪い取ると、窓の外へほおり投げた。
「あら、まあ、イリアス様、いくら不吉でも、この様な所から物を捨ててはいけませんよ」
それに窓まで開けっ放しで・・・・・・と彼女は窓を閉めるとイリスの顔を見つめた。
「・・・・・・イリアス様?!顔色があまり良くなさそうですね。どうかされましたか?」
「―・・・・・・何でもない。もう今日は休んでいいかな?」
「そうですね。少しお疲れのようですわね。今日はお休みください。ただし、明日この本の写しはしてもらいますからね」
「うん、わかった」
「おや、ずいぶんと素直なこと。いつもこうなら私、助かりますのに」
ハイシュタット・ランズベールは、イリスを寝かしつけると部屋から出て行った。
彼女が出て行くとイリスは慌てて跳ね起き、鎧窓を二重に閉め固く鍵をかけると安心したように溜息をつき、再びベッドに転がった。
さっきの出来事が何を意味するのかイリスには分からなかった。何かが近づいている前兆のようなものなのだろうか・・・・・・。ハイシュタット・ランズベールには言えなかった。彼女はああ見えてとても怖がりだ。余計な事は言わない方がいい。
明日イシュマール様かアイン・フォード様に聞こう・・・・・・。イリスはそう決めるとすごく疲れた様に、あくびをすると頭にすっぽりと毛布を被せ寝ころび目をつむった。暖かな毛布の感触が頬に優しい。やがて柔らかな寝心地と共にイリスは眠りについた。




