プロローグ
毎週木曜日に投稿します。よろしければ読んでみて下さい。
―人々の記憶の向こう,かの地イシュアン霧のあわき中、永遠の時を刻む―
―蒼く澄んだ月が全てを照らしていた夜だった。
冷たい想いが森の北部から、ヒタヒタと音を凍り付かせ近づいてきていた。木々は傷ついた獣の様な悲しい溜息を、静かに霧の中に溶かし、そんな物憂げさを伴い、風は木々の間を忍び寄るように通り過ぎ、静寂が重い沈黙へと変わって行った。
森の闇は、風の葉音と共に黒く静まり、少女の心を恐怖に染め上げていった。湿った泥水が足元でじくじくと音を立てる。跳ね返った泥水が足に一筋、少女を不快にさせた。
・・・・・・早く行かなきゃ。
風と共に何かが迫って来るのを、背中で感じながら少女は走り続けた。小さい息づかいが、暗い森の闇に白く溶けていく。短めのスカートから覗く細い足は、地面の岩肌と絡み付く草木で傷つき、暗紫色に鬱血していた。足の痛みを感じさせないくらい、恐怖が彼女の足を速めさせた。走らなければ、影は彼女の足元まで及ぶだろう。
「・・・・・・!」
右腕に激しい痛みが走った。血の感触を左手で感じながら、少女は恐怖と圧迫感に耐えていた。赤い唇が微かに震える。
―それでも行かなきゃ。
―オオ・・・ン
森の影に潜む『まがもの』を解き放つ、遠い静かな声が響く。遠吠えと風の冷たさが、少女を不安にさせた。
―風が迫っている。
―あれにつかまってはおしまいだ。
彼女の足元を、蒼く照らす月が闇に消えて行く。
森の葉陰は万華鏡のように月空を狂わせ、鴫が沈黙を裂くように叫び声を上げた。
―永遠の沈黙が破れた。
―影が森を闇へと焼き尽くす。
少女の視界は次第に闇へと染まり、つんざく様な耳鳴りと共に、彼女の意識はそこで途絶えた。