早口言葉に関する考察 4
形式ばった研修期間もひと段落したころ、果たして本当に自ら望み進んで参加している者がいるのか判断しかねると巷で噂になっているともっぱら噂の新人歓迎会という名の飲み会が開催されることになった。本当は対して親しくもない間柄の飲み会は断固拒否の姿勢なのだが、歓迎会を兼ねていると謳われた今回の催し事には新入社員という肩書きを持った我らに拒否権はなかった。
とりあえずアルコールの類は飲めない、それもアレルギーの関係であるため一口でも摂取しようものなら即救急車を呼ぶ羽目になるといった設定を作り吹聴しておいた。
ここまで面倒な設定にしておけば次回からは飲み会参加候補に挙がることすらないだろう。今回を布石とし、今後の平穏が手に入るのであればやぶさかではない。とにかく平穏に過ごしていたいのである。
挨拶もそこそこに乾杯となり、いざ始まってみるとコップに注ぎ注がれ続けるエンドレス一気飲みなどといった噂に聞くアルコールハラスメントのような類は一切なかった。最初の一杯からウーロン茶を頼んでも、別段変な空気にもならないではないか。これは少し気負い過ぎたか。よく耳にしたテンプレートなアルハラはもう流れゆく時代と共に廃れていった習慣なのかもしれない。
しかし「今日は無礼講」などと宣うイベントはやってきた。今この場では何を言ってもいいそうだが、その内容を許すとは誰も言っていないブービートラップのあれである。
最初は新入社員全体へ質問が飛んできていたが次第に素面ゆえに受け答えがカッチリしているこちらよりも、酔いで本音が出やすくなっている他の同期メンツへ話が振られていく。今日は無礼講だから、の一本槍を武器に先輩連中が無礼講を引き出そうとしている。哀れ一本釣りされる酔いどれ同僚。話題に挙がったお歴々も笑っていたが眼は笑っていない。あれは絶対に後々まで根に持つタイプの眼だ。
素面で内側から見る飲み会は中々趣深い地獄である。とある極悪人はたった一回の善行で救いの蜘蛛の糸が垂れてきたそうだが、普段から悪行も善行も行わないニュートラルな人種に救いの手は伸ばされないらしい。なんだかそれは不公平ではないか?
そんな不平不満を脂っこい食べ物で流し込み、できるだけ徐々に存在感を消すことに注力しているとようやくラストオーダーの宣告を受けた。そこから更に飲み放題プランの二時間が経過上で何故か続いていくロスタイムは永遠のように感じた。彼らは時間の感覚が酔いで無くなっているのであろうが、こちらはモロに時間の影響を受けているのである。もしかしたらタイムパラドックスとはこういった、もっと身近にあるのかもしれない。
現実逃避の妄想に耽っていると酔っているようで眼が全然笑っていなかった上司からの有難いお言葉が始まった。そこから絶妙に合わない一本締めが執り行われた時には予定の時刻を大幅に過ぎていた。
つ、疲れた。ようやく帰って布団でグッスリ眠れる。
そんなことを考えながら荷物を持ち上げた瞬間に他人から悪口を引き出すのが絶妙に上手い悪魔、ではなく先輩方が声高らかに参加者を募り始めた。
まさかの二次会である。
そもそも二次会とは何なのだろうか。
今この瞬間、酔っていい気分に浸ったのであればそのまま帰路へつき、流れるように布団に入って気持ちよくグッナイすればよかろうなものである。または風呂に入って汗を出しすっきりとしてから寝間着に着替えてから布団に入り徐々に意識をフォードアウトさせていくのも一興である。
ともかくもう布団に入りたいのである。
それが何故二次会。一次会では不完全燃焼だったとでもいうのか?あれだけ意気揚々と騒いでおいて?
完全に理解の外である。
どうやら悪口誘発先輩は個別に参加確認をしていくようで、完全に作られたネコ撫声でキャピキャピしている女性社員達や何故か軽く肩の周りのストレッチをし始めるイケメン気味な男性社員が続々と参加していく。さらには酔って脚がおぼつかず文字通り身体を引きづってでも参加を表明する者もいた。これが二次会メンツだと思うと身震いした。
ある一定以上の年齢や役職クラスの人たちは不参加らしいが、結婚している人と酔いつぶれて動けそうにない人以外の若手は全員参加するようだ。
このままでは素面で新入社員の自分はダブル役満で参加確定となってしまうだろう。
ここはなんとか同調圧力に屈せずNOと言える日本人になりたい。YESマンではダメだのだと何かで聞いたことがある。しかし全てにYESと答えるがゆえに人生が好転していく映画があったような気もする。
今はそんなことを考えている余裕はない、出来るだけ後々に引っかからない方法を考え付かないといけないのだ。それも周りから見てもあぁあれはもう参加できないのは仕方ない、と思わせるための作戦が必要だ。あんなカオスに飲まれてたまるか。もうこちらは帰ってグッナイしたいのだ。
段々と確認の順番が回ってくる。思考時間が圧倒的に足りない中で執り行われた脳内会議の末に立案された作戦はこうだ。まず酔いつぶれている同僚を介抱しておく。その状態で参加確認をされた際に、いやぁこいつをこのままにはしておけない、家まで連れて帰るので今日はちょっと…、ってことで二次会をスルーする作戦だ。中々にクールな作戦ではないだろうか。気が利いた仲間想いの一面が垣間見え、軽く評価を上げることも期待できる良いオペレーションではないか。作戦名は「スイスアーミーマン」にしよう。隣でぐでんぐでんになっている同僚がこの窮地から脱出させてくれる和製ラドグリフに見えるではないか。
ちょうど確認役が来るタイミングで作戦を決行。「こんなに酔ってちゃ危ないから帰った方がいいんじゃないか?」「仕方ないな、俺が一緒に行ってタクシーで送ってやるよ」などと気の利いたセリフと共に肩を貸して立たせた瞬間に、目覚めることのないはずだった和製ラドクリフが息を吹き返し反射的というか喰い気味に二次会へ参加表明するという謀反を起こしたのである。
メニーが勝手に蘇るんじゃない。
更に参加表明する和製ラドクリフ、改め「くさったしたい」に肩を貸していたがいこつ剣士、ではなくこちらまで一括りに参加するものとしてカウントされてしまった。
裏切り者の擁したが故に敗退した石田三成軍の如く、あえなく作戦失敗である。
これからはこいつを小早川と呼ぶことにする。
茫然自失となりながらも肩を貸し続け言われるがまま辿り着いた先にあったのは大型カラオケ店であった。カラオケて。二次会を辞書で引けば例文に出てくるほどの定番中の定番ではないのか。
酒にやられている彼らの喉には負担が大きいのではないだろうか。いやしかしだからと言って正常運転の自分は歌う気はない。そもそも自分は一人カラオケ派だ。
大部屋に通され各々が頼んだ飲み物片手に乾杯が行われた。小早川も元気よくグラスを開けている。お前、本当に許さんからな。
そんな感情で奴を眼で射殺す練習をしていると、比較的イケメン先輩2人が大部屋に設置された台の上に颯爽と躍り出た。黄色い歓声が上がる。なんだ、何が始まるんだ?
まさかのラブソングメドレーだった。
ハモリも完璧でなんだか振り付けらしい動きもあった。時々するウインクに黄色い歓声も上がっていた。
戦に負けた我が軍にまさかこれほどの責め苦が待っていようとは。二次会ではなく笑ってはいけないカラオケと言ってくれないとこちらも心の準備が必要ではないか。堪えるんだ。直視するんじゃない。
悪口を誘ってくるあの悪魔先輩達もいる。笑ってしまえば待っているのはケツバットどころではなく、今後の社内生活に支障をきたすレベルのイジリが待っている可能性が高い。それだけは避けなくては。
しかしここまでパフォーマンスのレベルが高いとなると、やはり練習しているのではないだろうか。
立ち位置の確認から振り付けを考え、綺麗なハモリが出来るまで発声練習をしているのであろう。
自然なウインクが出来るまで弛まぬ努力をしてきたのであろう。時にはぶつかり合い喧嘩をし、認め合い、一緒に頑張ってきたのであろう。今この瞬間、黄色い賞賛を得るために。
ンフッ…!
耐えきれなかった。青春アミーゴの世界観で想像してしまった。
堪えるために咳で誤魔化し下を向いていると、歌い終わったハモリラブソング先輩たちはこちらへマイクを向けてきた。なんだ?引退宣言か?
対応に困っていると次は我ら新入社員の番なのだと悪口誘発先輩達が囃し立ててきた。
新入社員の番であれば別に自分でなくてもよい、それこそ隣に居る、この状況を作り出した元凶である小早川にでも歌わせようかと目をやると寝てやがる。さすが小早川、ここでも裏切ってくるか。名に恥じぬ働きぶりである。マジで許さんからな。
さて他の同僚と、目をやるとどうにも遠く位置が悪い。このマイクが向けれられた方向にいる新入社員で反応し得るのは自分しかいないではないか。
悪口誘発先輩がもう一度煽ってくる。ハモリラブソング先輩はニヤニヤしている。
どうやら先ほど笑ってきた生意気な新入社員の鼻っ柱を折ってやろうというところだろうか。それとも歌唱力やその他諸々におけるレベルの違いを見せつけて赤っ恥をかかせてやろうとかそんな感じなのか。なるほど確かに歌唱力は段違いであろう。パフォーマンスのクオリティなぞこちらには毛ほどもありはしないのだ。
しかし、こちらにも折りたくないプライドの一つはある。断固として思惑通りにはさせない。
赤っ恥をかくなら自分の思うとおりににかかせていただく。
マイクを受け取り、言い放った。
「歌唄いが来て歌唄えと言うが、歌唄いくらい歌うまければ歌唄うが、歌唄いくらい歌うまくないので歌唄わぬ!!」
言い切るや否やマイクを悪役レスラーばりに叩きつけ大部屋から、カラオケ店から出てやった。
こうして社内に伝え継がれていく「早口レスラー事件」は幕を閉じ、諸先輩方が絡んできたり飲み会に誘われることはなくなった。尾びれのつく結果となったが大枠は作戦通りといったところである。
しかし困ったこともできた。
社内でも有名な偏屈な同僚に絡まれ続けることになった。
曰く「素面であそこまで面白いことができる人はそうは居ません」ということだそうだ。
どうしてこうなった。
最後の作戦名は「駆け出し男と駆け込み女」です。