ショートショート あいつを刺したい
ショートショート 殺人
「あいつを刺そう」
男はそう思いついた。前から思っていたのかもしれないし、突発的に思ったのかもしれない。 男は殺気をまとわせて、まずは着替えることにした。 まるで自分の意志を確かめるように。
男の格好は返り血を隠すように、真っ黒だった。 黒いロングコートに黒いスラックス。 革靴も真っ黒で、全身が夜の闇に溶け込むようだった。
男の顔色は土気色をしていて、ほほはげっそりとこけていた。 どこか病的なものを感じさせ、見る人によっては精神を病んでいる人のそれだった。
そんな男が刺そうと考えている相手は上司だ。 男が会社の中で一番低い役職であることは認識している。 だからこそヤツが許せない。 いつもニコニコしている顔、しかし時に、ひんやりとプラスチックのように、感じる時がある。 その笑顔が貼りついた下には、何が隠されているのだろうか。
刺したい理由はたくさんあるが、とどのつまり気に喰わないのである。 ウマが合わないとも言う。
凶事を今日、今から行う。その時にして男の心境は平穏だった。 何ということもないという風情だった。 あまりにも何とも思わなかったので〔これは行けないな)と独り言をごちて身を引き締めた位だった。
ついにきた。 男は標的の背後に迫っていた。 標的となった哀れな男は、男に気付く事もなく黙々と仕事を続けていた。 一歩踏み出し刃を立てる。 殺気をまとってもう一度刺す。
「ふぅ。すっきりした。いつも俺をも見下しやがって」
刺した後も男に罪悪感はなかった。 むしろ顔色も良くなった。 男の足元には『工事中の道路を誘導する時の人形型機械』である通称「すすむくん」が痛々しい姿で横たわっていた。
その姿はさみしげでもあった。
本当に人を刺すわけではないので、そのことを隠すのを苦労した。
もう一つ男が全く罪悪感を持っていないことも込めたかった。殺人ではないからね。ものを壊すだけだからね。
なんにせよ幽霊より、人間が1番怖い。男は気を病んでいたのだろう。男はすすむ君を上司と思い、会社の備品を壊してしまった。




