誕生日と都市伝説と魔法少女カオルの誕生(1)
その日は、竹山薫の三十歳の誕生日だった。
六畳ほどの小さな部屋の真ん中に座卓があり、その上に小さなホールケーキが置いてある。
ケーキは生クリームで真っ白に覆われ、イチゴの赤が表面を彩っていた。
ケーキの上にはろうそくが三本。
すでに火が灯り、電気の消された部屋を、ぼんやりと照らしていた。
薫は座卓の前に座り、少し太めの背中を丸めて、おきまりの誕生日曲を口ずさむ。
薫の口から声が出ると、その勢いで火が揺れた。
それを、薫は見つめながら歌う。
一緒に歌ってくれる相手など、ここにはいない。
最後に歌ってもらったのは、いつの頃だったろうか。
薫はぼんやりと記憶を手繰り寄せる。
思い出せるのは、小学生の頃に家族でやった誕生日会だ。
中学生に上がる頃には、誕生日会が気恥ずかしくて、薫は母親にもうやらなくていいとぶっきらぼうに告げた。
それ以来、誰かに歌ってもらったことはない。
歌い終わった薫は、ロウソクの火を一吹きで吹き消す。
「おめでとう、俺……」
真っ暗になった部屋で、薫は一人呟いた。
「俺もついに三十歳か……。早かったな」
薫にとって、社会に出てからの数年間はあっという間だった。
学校を出て就職し、故郷を出て一人暮らし。
薫は必死に働いてきた。
「彼女も作らず三十歳。童貞のままここまで来てしまった」
作らずと言っても、薫に彼女を作るチャンスがあったわけではない。
薫は女の前だと極度に緊張し、うまく喋られなくなる。
コミュニケーションが取れないのだから、彼女なんて出来るはずがなかった。
薫はわざとそこには触れず、別のことを考える。
「童貞と言えばあれか」
薫はとある都市伝説を思い出す。
童貞にまつわる都市伝説を。
「三十歳まで童貞だったら魔法使いになる」
薫は自嘲気味に笑った。
「今日から俺も魔法使いだ」
「いやー、魔法使いになる気満々とか助かります。お願いする手間が省けました」
いきなり聞こえた他人の声に、薫は固まる。
電気を消す前、この部屋にいたのは薫一人だった。
玄関にはカギをかけているから、誰かが入って来ることも出来ない。
じゃあ、この声は誰だ。
「この部屋、真っ暗ですね。電気を点けてもらっていいですか?」
声の主は軽く言う。
他人の家にいきなり現れたのに、全く気にしていない様子だ。
「ちょちょちょちょちょ」
「ちょうちょですか?」
「だだだだだだ」
「だだっ子ですか?」
混乱しているため、薫は口がうまく回らない。
とにかく誰なのか確認する為に、薫はへっぴり腰で部屋の電気のスイッチに向かった。
「電気はまだですか?」
声の主は薫の焦りとは反対に、落ち着いた声で要求する。
それが、声の主の異常さを表しているようで、薫の恐怖をさらに煽った。
壁に辿り着き、薫はスイッチを探る。
しかし、スイッチはなかなか見つからない。
泣きそうになりながら、薫は壁を叩いてスイッチを探し始めた。
何故かスイッチが見付からないことで、薫の恐怖は頂点に達していた。
もう暗闇に耐えられない。
「ちょっとまだですか? 遅いですよ。もしかして、暗くて電気の場所が分かりませんか? それならそうと言ってくださいよ」
声の主の方から、ゴソゴソと物音が聞こえる。
刃物か何かの武器を出そうとしているのか。
強盗を想像して、薫は恐ろしさから顔ごと壁に貼り付く。
「これでどうですか?」
ぼんやりとした灯りが、壁を照らした。
そのおかげで、電気のスイッチが見えた。
スイッチは薫が思っていたより上の方にあった。
薫は急いで電気を点ける。
部屋の中が明るくなった。
眩しさで目をまばたきしながら振り返り、薫は部屋の中を見た。
「……はあ?」
部屋の真ん中、テーブルの上に、リュックを背負った白いイタチが立っていた。
手にはノートパソコンを持っている。
ノートパソコンは薫の方に向いており、ぼんやりとした灯りの元は、ノートパソコンの画面だったようだ。
白いイタチはノートパソコンを閉じ、テーブルの上に置く。
「どうも。初めまして。ヴィーゼルと申します」
白いイタチ、ヴィーゼルは立ったまま器用にペコリと頭を下げた。
「これからよろしゅうお願い申し上げます」
「ネズミ? が人間の言葉を……。ん?」
喋り出して、薫は異変に気が付いた。
薫の声が異常に高い。
いや、高いというより、別人の声に聞こえる。
「ボクはネズミじゃありません。どちらかと言えばイタチです。そして、属するのなら、女の子に大人気のフェレットに属したい」
そうのたまうヴィーゼルには構わず、薫はそういえばと部屋の中を見回す。
部屋の中の全てのものが、薫にはいつもより大きく見えていた。
「何だこれ? 声もおかしいし……」
薫は喉を押さえて下を見る。
「なんじゃこりゃあああああ!」
薫の目にはピンク色のスカートが映っていた。
薫はスカートを掴んで持ち上げる。
さっきまでズボンを着ていたのに、いつの間にかそれがスカートになっていた。
「ど、どうなって!」
薫は洗面所に走った。
そして、いつもより高い位置にある洗面台の鏡を覗きこむ。
そこに映ったのは、知らない女の子だった。
オレンジがかった金髪、というよりほぼオレンジ色の肩まであるツインテール。
パッチリ二重に小さな鼻と唇。
可愛らしいという形容詞がピッタリな女の子がそこにいた。
「誰だこいつ!」
そう薫が叫ぶと、鏡の中の女の子の口も同じように動いた。
手を上げれば女の子も手を上げ、薫がほっぺたを触れば女の子もほっぺたを触る。
「うわっ、柔らけ」
薫のほっぺたはふわふわのほわほわで、引っ張ると薫の想像以上に伸びた。
「しかも、痛い」
と言うことは、夢ではない。
その事実に薫は衝撃を受ける。
そして、ふらふらとした足取りで部屋に戻り、呟いた
「何で俺はこんなものを着て、女の子になっているんだ……?」