男の娘襲来(1)
桃子に脱がされて、とんでもないことになりかけた次の日の午後。
薫はケーキ屋の厨房で、食器を洗っていた。
飲食フロアの客は少なく、すでに夕方のピークは過ぎている。
ここからは大量購入の客が来ない限り、ケーキの追加をする必要はない。
売り場は桃子に任せ、薫は下を向いてひたすら食器を洗っていた。
イライラとしながら。
昨日、シュテルン石を集める気があるのかとヴィーゼルを問い詰めようとしたが、のらりくらりと会話をかわされ寝られてしまい、朝は朝で薫が起きた時にはすでにヴィーゼルの姿はなく、家にはいなかった。
ヴィーゼルは逃げたのだ。
帰ったらどうしてやろうか。
とりあえず、お土産のケーキはなしだ。
小さなお仕置きを決意するが、それでも治まらないイライラをぶつけるように、鉄板をガシャガシャと力任せに洗っていた薫は、ガラス越しに店の様子を見ようと不機嫌な表情のまま顔を上げた。
そして、そこに予想していなかった姿を見付け、驚愕した。
手が濡れているのもかまわずに、薫は急いで売り場へ出る。
「ヴィ!」
見付けた相手の名前を叫ぼうとしたが、カウンターの中で桃子が振り返ったのが視界に入り、薫は慌てて言葉を飲み込んだ。
「び?」
桃子がキョトンとしながら、薫の言った一字を繰り返す。
その向こう側には、ヴィーゼルがいた。
「あ、えっと……」
薫は驚いてヴィーゼルの名前を呼ぼうとしてしまったが、それはまずい。
桃子にこの姿のヴィーゼルと、知り合いだとバレてしまうわけにはいかないのだ。
カウンターを挟み、桃子の前に立つヴィーゼルは、昨日の女の子の姿をしていた。
今日の服装は襟付きの長袖に、膝丈までのズボンで、ズボンをサスペンダーで吊っている。
今日はスカートじゃない。
ヴィーゼルは斜めにかぶっていたハンチングの帽子を取り、上目使いで桃子を見た。
「び、はボクの名前です。び・ぜ・る。美世留と申します」
ヴィーゼルが名乗る。
微妙に元の名前をもじっているが、妹の名前がかおりで兄の名前が美世留だなんて、違和感丸出しである。
こんな名前で怪しく思わない人間がどこにいるというのだ。
「美世留ちゃんかぁ。可愛い名前だね」
ここにいた。
桃子はにっこり笑っていて、怪しんでいる様子がまるでない。
「ありがとうございます」
ヴィーゼルが桃子にお礼を言う。
ヴィーゼルはどういうつもりなのか。
魔法少女がバレるような行為は、極力避けた方がいいはずだ。
これでは魔法少女のカオルと男の薫に繋がりが出来てしまう。
「薫さんはいきなりボクが来たから驚いたんですよね。ごめんなさい」
ヴィーゼルは頭をペコンと下げた。
「薫さんとは親戚なんです」
ヴィーゼルは桃子にとんでもないことを言い出した。
「へえー。そうだったんだ。世間は狭いねえ」
桃子がしみじみと言う。
「今日、こちらへ来たのにはお願いがありまして」
ヴィーゼルは真っ直ぐに桃子を見た。
「え? 私に?」
「はい。ここでバイトをさせて下さい」
「バイト?」
「はあ?」
薫は驚きのあまり、すっとんきょうな声が出た。
「お前、何を……」
「昨日、店の入り口にあった、バイト募集の貼り紙を見たんです。それで、ここで働きたいと思いました」
本当に、何を言い出すのだ。
ヴィーゼルは薫を無視したまま続ける。
「あー、でも募集しているバイトって、高校生以上なんだよね」
「大丈夫です。ボク高校生です」
「えっ! っとと、ごめんなさい」
桃子は驚いた後に、慌てて謝った。
「いえいえ、ボクは背が小さいのでよく間違われていて、もう慣れっこです」
「高校生なら年齢はオッケーだね。バイトするとしたら何時くらいから入れる? あと土日休日も入れるかな?」
「部活はやっていませんので、放課後になればすぐに。土日休日も大丈夫ですし、よければ毎日でも入れます」
「そっかそっか。接客仕事はやったことある?」
「接客とまではいきませんが、対人関係の仕事はしたことがあります」
「なるほど。ちょっとオーナーに確認してくるから待っていてね」
薫が驚いている間に、トントン拍子で話が進んでしまった。
薫は桃子と入れ違いで厨房を出て、ヴィーゼルのそばに行く。
「何のつもりだ」
薫はヴィーゼルを睨み付けながら小声で話した。
「こちらでの活動資金が底を尽きまして、少しお金を稼ぐ必要が出ました」
ヴィーゼルも小声になる。
「しゃ、写真を売った金はどうした」
思い出したくもないことだが、魔法少女姿の写真は全て完売していた。
濡れて服が透けた姿。
ぬるぬるにされてドロドロ状態の姿。
半脱ぎでパンツ丸見えの姿。
その他色々と、撮られた写真は変態王子の手に渡っている。
最悪である。
最悪ではあるが、その分の金はきちんと振り込まれていたはずだ。
「王子からのお金は、魔法購入に使われる口座に直接振り込まれますので、活動資金としては使えないのです」
「いや、おろせばいいだろ」
「おろしたところで人間界のお金とは違うので、こちらでは使えませんよ?」
ヴィーゼルがバカにしたように薫を見る。
こ、こいつ……!
ヴィーゼルの態度にイラッとするが、薫はそれについて突っ込んでいる場合ではないと怒りを抑える。
「だからってここで働かなくとも」
「ボクにはこの世界で、本人証明になるものが何もありません。他で働こうとすると、色々とめんどくさいことになるんですよ。ここなら薫さんがいますから、めんどうごとがはぶけます」
「た、確かにそうだが」
「それに、人手が足りないって言っていたじゃないですか。お店的にも都合がいいですよね?」
「ぐっ」
それは事実なので、薫はうまい反論が思い付かない。
薫が考えているうちに、桃子が戻って来た。
「美世留ちゃんはこの後、時間ある?」
「はい、大丈夫です」
「オーナーが実際に働いてもらってから判断するって」
「ありがとうございます」
ヴィーゼルが頭を下げた。
「じゃあこっちに来て。制服を貸してあげる」
「はい」
ヴィーゼルは桃子に連れられて、店の奥に行ってしまった。