初めての戦闘(1)
この街には大きな貯水池があった。
周りは木々で囲まれ鬱蒼としていて、近隣の住民はあまり近付かない。
昼間でも暗い雰囲気のある場所だった。
すでに変身し、魔法少女になっていたカオルは、ステッキ片手にスカートで貯水池のフェンスを乗り越える。
フェンスの上から雑草だらけの地面に飛び降りると、スカートがふわりと舞い上がった。
「本当にここなんだろうな」
「はい。反応は池の真ん中から出ています」
ヴィーゼルが手の平サイズの探知機を操作しながら返答する。
探知機には大きな画面が付いていて、確かに前方で赤い点滅を繰り返していた。
「つまり池の中ってことか」
カオルは池の表面を見る。
たまに風に揺られて小さな波が出来るだけで、他はいたって静かだった。
何も異変はなさそうに見える。
「さすがにこの中には入りたくないな」
池のふちまで近付き、カオルは池を覗きこむ。
池はかなり濁っていて、浅いであろう池の手前でも、池の底は見えなかった。
「あ、動きだしました」
探知機の赤い点滅が、左右にフラフラと動いている。
それと同時に、池の波が大きく盛り上がり始めた。
だんだんとカオル達の方向へ波が割れていく。
それを見て、カオルはステッキを構えた。
「ついに戦闘か」
カオルが戦う覚悟を決めると、池の波が急に穏やかになる。
「ヴィーゼル! 反応は!」
カオルは池を見据えながら、ヴィーゼルに叫ぶ。
「正面です!」
大きな暗い影が、正面に現れた。
それは空中で弧を描き、また水の中に戻る。
暗い影の持ち主が水の中に入った衝撃で水しぶきが高く上がり、池のふちに立っていたカオル達はそれをもろに浴びた。
しぶきというよりほとんど波のようで、カオル達は全身びしょ濡れになった。
「うへー……」
カオルの黄色の髪は濡れて顔に貼り付き、ジャケットもピッタリと肌にくっ付いて身体の線が出ている。
スカートは広がったままだが、端から水がポタポタと滴っていた。
ヴィーゼルの毛も水を含み、いつもはフワフワの毛が、今はのっぺりとしぼんでいる。
ヴィーゼルは犬のように身体を震わせて、全身の水を飛ばした。
「あっ、隣でそれやるなバカ」
ヴィーゼルが飛ばした水がカオルにかかる。
カオルはヴィーゼルが飛ばしてきた飛沫も含め、手で顔の水を拭った。
スカートも手で絞ると、ボタボタと水が落ちた。
「さてと。さっきのあれ、巨大なナマズだったな」
「そうですね。ナマズでした」
太った胴体に平べったい頭。
大きな口に特徴的な二本の長い髭。
「あれが実体化ってやつか」
外見はただのナマズだった。
その体躯が、人間よりも大きいことを除いてだが。
「あれを倒せばいいんだな?」
「はい。そうです」
「どうやって倒そうか……」
カオルはあごに手をやり、首を傾げて考える。
ナマズが水の中にいては、物理攻撃が届かない。
池全体を炎で熱するのは、他の生き物にも被害が及ぶので避けたい。
「そこらへんは大丈夫だと思いますよ」
ヴィーゼルはそう言いながら後ろに下がる。
カオルは顔でそれを追う。
「何で後ろに……」
「実体化したシュテルン石は」
ヴィーゼルはさらに後ろに下がる。
カオルは顔だけでヴィーゼルを追えなくなり、身体をひねって後ろにいるヴィーゼルを見た。
「おいヴィーゼル」
「積極的に」
ヴィーゼルはさらにさらに下がる。
身体をひねるだけではヴィーゼルが見えなくなり、カオルは池に背を向けた。
「近付いた人間を襲いますから」
カオルの背後で、巨大ナマズがまた飛び出した。
そして、巨大ナマズは勢いよく池の中に戻り、その反動で波となった池の水がカオルに襲いかかる。
「ぐえっ」
先ほどより大きな波で、カオルは水に押し潰された。
水の重さに立っていることが出来ず、頭から倒れる。
「ヴィーゼル……。こうなるって分かってて逃げたな」
カオルは腕立て伏せの要領で顔を下げたまま上半身を起こす。
またビショビショになり、カオルの髪を伝って雫が落ちた。
地面にはびっしり雑草が生えていて土が露出しておらず、泥だらけにならなかったのが不幸中の幸いだった。
「いい感じで濡れ濡れですね」
「っこのヴィーゼル!」
ヴィーゼルの言葉にカチンと来て、カオルは怒鳴る為に顔を上げる。
が、上げたとたんに、カシャリとシャッター音がした。
カオルは思わず身体を後ろに引いてペタンと座りヴィーゼルを見ると、ヴィーゼルがすぐそばでカメラを構えていた。
「な、何を」
「写真を撮っています」
「それは分かる」
何だか同じようなやりとりをつい最近したような気がしつつも、カオルはヴィーゼルに突っ込んだ。
「まさかまた写真をあの変態王子に……」
「ご名答。まだまだお金を稼がないといけないので」
ヴィーゼルがまたシャッターを切った。
「正装の生地が薄いので濡れると透けますね。高値が付きそうです」
ヴィーゼルに言われて、カオルは慌てて自分の身体を見た。
水で身体にくっ付いた服は、ヘソが見えるほど透けている。
そして、カオルは自分が胸に乳バンドをしているのに気が付いた。
白い布が透けて見えている。
女の子の姿になっている時は、胸がストンとしていて男の時と全く変わっている様子がなかったので、カオルは気にしていなかったが、女の子の下着は付けていたようだ。
そういえば、少し胸を締め付けられている感覚はあった。
乳バンドのことを意識し始めると、カオルは急に恥ずかしくなってきた。
男なのに女ものの下着を付けて、それを透ける服ごしとはいえ他人に見られるという羞恥。
たとえ姿が女になっていようとも、恥ずかしいものは恥ずかしかった。
カオルは顔が熱くなるのが分かった。
「その恥じらう感じも良いですよ」
ヴィーゼルがさらに写真を撮ろうとカメラを構える。
カオルは撮影を止めるべく、ヴィーゼルに掴みかかろうと腰を浮かした。
「やめ――」
言い切る前に、また後ろから水に襲われた。
カオルは水の重さに潰されて、尻を高く上げたかっこうでベシャリと地面に突っ伏す。
ヴィーゼルはうまい具合に逃げたようで、カオルから離れたところで涼しい顔をしていた。
「ほら、カメラに構っている場合ではないですよ。時間もないですし」
確かにヴィーゼルの言う通りだった。
店を出てからすでに十分は過ぎている。
着替えて店へ戻るのに、二、三十分は欲しい。
ということは、残り二十分しかない。
「くそっ。さっさと倒してやる」
水を被って頭が冷えた。
恥ずかしいなんて言っている状況ではない。
カオルはステッキを握り直す。