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よみびとしらず #01 初春  作者: 艸香 日月
第五章
5/12

物の怪

 晴明以下四名と玄庵は必死になって屋敷の出口へ向かっていた。

 既に屋敷に施された結界は解かれ、屋敷内の迷路は跡形もなく、ただ荒れた講堂がそこにあるだけであった。

 玄庵が一人で歩けぬうえに忠行様が倒れたとあって、今度は晴明が忠行様の代わりに皆に対し『形代代』をかけ、玄庵に『浮遊術』をかけていた。

 ふよふよと宙に浮きつつ進む道すがら玄庵がつぶやいた。

「少々思い出してまいりました。私が妙蓮寺に到着した時のことです。まるっと太った住職が話を聞いてくれるといって講堂の奥へ案内をしてくれたのです」

「その住職は物の怪だったよ」

 初春が説明をする。

「なんと。どのような物の怪で……」

「古狸」

「なんとまあ。しかし何故私だったのでしょうか。僧侶など他に掃いて捨てるほどいるのでしょうに」

 この問いには晴明が答えた。

「丁度良かったのではないでしょうか」

「誰でもよかったと」

「ええ。みもふたもない言い方ですが。あの坊主等がわざわざ都のにぎわいの中に出向いて人間を物色するなどとは到底思えませぬ。第一目立ちまする」

「確かに。しかし何やら引っかかるのでございます」

「どの辺りが?」

 初春が話に加わる。

「偶然居合わせた私を人身御供として扱ったとしても、まだ違和感を覚えるんだよ」

「違和感」

「目的は果たして何だったのだろうと」

「あの人数を考えると相当危ない呪であった事は確かでございますね」

 竹丸が言う。

「坊主等独自の呪でございましたね。『聞耳』という呪を使わねば内容が分かりませんでしたから」

 晴明が説明を加える。

「坊主ならではの呪……でございますか」

 玄庵は難しい顔をして何やらぶつくさ言っている。

「細かな事は帰ってからにいたしましょう」

 そんな玄庵の様子を晴明が見やって言う。

「そうでございますね。失礼いたしました。今は無事戻ることだけを考えねば」

 玄庵は照れくさそうに答えたが、内心まだ何やら考えておるのは一目瞭然であった。


 一行が講堂から出ると裏にはいつか見た杉林が広がっていた。

 物の怪の小さいのがそこここに巣くってうごめいている。

 皆が皆、もう何年も屋敷の中にいた気がしていた。

「屋敷を作り出す呪とはいやはや。いつか身に着けたいものでございますね」

 晴明が持ち前の好奇心をあらわにする。

「皆で屋敷の中で鬼ごっこなどしても楽しそうでございますね」

 初春が続く。

 忠行不在の心細さの中でも兄弟子晴明は相変わらずである。

 それが初春にはとても頼もしく思われた。

 最近初春にも同じような好奇心が芽生え始めたのは晴明の影響を受けてのことであった。

 そんな二人のやり取りを聞いて、他の面子はそれぞれに笑みをこぼしていた。

 それでも皆、極度の緊張の中にあったのである。





 講堂を出てしばらくのことであった。

「竹丸殿、待たれよ。竹丸殿」

 背後から声が聞こえた。

 それは竹丸を呼ぶ頼明の声であった。

 それは忠行の不在を明らかにするものであった。

 一気に緊張が走った。

「誰がその手にのるものか」

 竹丸が毒づく。

 しかし声の主は既に背後に迫っていた。

 頼明は自らに『浮遊術』を使用し、とてつもない速さで追ってきていたのである。

「竹丸殿」

 一番後ろを走っていた竹丸が振り向く前に、頼明の顔が眼前にあった。

「待たれよ、と申し上げた」

 竹丸はとっさに足を止め拳を突き出した。

 しかし竹丸が最も得意とする体術を繰り出す間もなく、頼明にからめとられてしまった。

 一行の足が、止まった。

「頼明殿。竹丸をお放しくだされ」

 晴明が怒鳴った。

「ではそちらの坊主と交換じゃ」

 頼明が玄庵を指して言った。

「晴明殿、やはり私でなければならぬ理由がありそうですな」

「ええ……。さていかがいたしましょう……」

 晴明も玄庵もどうしてよいか分からなかった。

 玄庵は素人であったし、晴明に至っては実戦経験が少なすぎたのである。

 さきほどから竹丸は、

「俺のことはいいから先に行ってくれ」

 と叫んでいる。

 しかし二人とも、それを呑むほど非情にはなれなかった。

「どうなさる」

 頼明が叫ぶ。

 更に悪い事には、頼明の後ろに三十はいるだろうか、坊主の集団が見え始めたのである。

「晴明殿、私を差し出されよ」

 と、玄庵が言うのとほぼ同時であった。


「ひけい、頼明よ」

 上空から声が降ってきたのである。

 一同が見上げてみると、それはいつぞやの烏天狗であった。

 その烏天狗が頼明に対し「ひけ」と命じている。

 晴明は混乱した。

 ここへ(いざな)われたのは物の怪によってである。

 いや――。

 誰も晴明たちを誘ってはいなかった。

 古狸は逃げただけであり、烏天狗は「帰れ」と言っていた。それを狐めが制して案内をかってでてくれたのであった。

 しかし物の怪等が頼明等と反目する理由が分からなかった。物の怪等は頼明等と組んでいたのではなかったのか。

「どうなっておる」

 声に出して晴明はかぶりを振った。

「助力いたすぞ若いのよ」

 今度は背後から声がした。

 振り返ってみると古狸と狐めであった。

 それに連なる物の怪が多数。

「お主等、何が目的じゃ」

 晴明は古狸に向かって叫んだ。

「俺たちには俺たちの都合がある。今は助力を受け入れるが賢いぞ」

 狐めが応える。

 それは、その通りであった。

 しかしそう簡単に受け入れられる相手でないことも確かであった。

「晴明殿、ここは受け入れるしかないかと」

 玄庵が晴明に耳打ちをした。

 少し迷った末に晴明は答えた。

「ええ……ではそのように」

 忠行を失った直後のためか、晴明には年長の玄庵の存在が頼もしく思われていた。

「分かった。話にのろう。ご助力感謝いたす」

 晴明が物の怪たちに向かって叫んだ。

「晴明、よいのかそれで。こちらには竹丸がおるぞ」

 頼明が竹丸をからめる腕に力を入れると、竹丸がその中で(うな)った。

「卑怯者め、竹丸を放さぬか」

 初春が叫ぶ。

「そうじゃ、そうじゃ」

 夏宮が重ねる。

小賢(こざか)しい。お主等から餌食(えじき)にしてくれようか」

 頼明が返す。

「初春、夏宮、下がっておれ」

 晴明が見かねて命を(くだ)した。

 その時である。

 既に頼明の元に駆けつけていた坊主の集団の上に火が立った。

 烏天狗である。

「はじめておるぞ」

 人間たちの言葉のやり合いなぞ待っていられるかといった含みがあった。

「では儂らも」

 古狸と子泣爺(こなきじじい)が頼明に突っ込んでいった。

「『対面鏡(たいめんきょう)』」

 頼明がそう言うと二匹の前に巨大な鏡が出現した。

 二匹は勢いあまって鏡に激突するかに見えたが、すうっと鏡の中に消えてしまった。

「あれは鏡という名の(おり)でございます。早く助けねば中で衰弱し死んでしまう恐ろしい呪でございます」

 晴明が物の怪たちに説明をした。

「どう助けるんじゃ」

「私も書でしか確認しておりませぬが、合わせ鏡にすれば自ずから出てくるとのこと」

「もう一つ鏡があればええんじゃな」

 砂かけばばあが確認をする。

「おうい、誰ぞ『魔鏡』を持ってまいれ」

 声を受けて物の怪の中から青銅製の光沢が鈍く輝く白銀色の、なんとも美しい鏡が持ち出された。

「ではこちらをあの鏡に合わせればよいのじゃな」

「はい」

「足の速い俺が行こう」

 狐めが名乗りをあげた。

 言うが早いか狐めは変化をし巨大な九尾の狐になり鏡をくわえて頼明の前に置かれた鏡に向かい突っ込んでいた。

「『ぬりかべ』」

 頼明は狐の前に壁を出現させた。

 しかし狐の速さと身のこなしの前には(かな)わなかった。

「『影針(かげばり)』」

 狐の影が捕らえられた。

 合わせて狐の動きも止まった。

 しかし鏡を合わせることには成功していた。

 対面鏡から古狸と子泣爺が飛び出てきた。

「お主なにをしておる」

 縫い留められている狐に向かって、古狸がぶっきらぼうな言葉を投げかけた。

「見ればわかるであろう。はよう助けよ」

「仕方がないのう」

 そう言うと古狸は「『解除』」と唱え狐めを自由にしてやった。

 三匹がこちらの陣へ戻ってくるのを待って、初春は古狸に聞いてみた。

「なぜお主は陰陽師の術が使えるんじゃ」

 もっともな問いであった。

「我らは物の怪。人に化ける事が出来る者の中にはそういった術に長けたものもおるということでございますなぁ」

 言うと古狸は木の葉を頭の上にのせて人間に変化をして見せた。

「おお、よく化けておられる」

 初春は驚きのあまりうれしくなってしまった。

「初春、竹丸殿を忘れてやるなよ」

 玄庵がたしなめる。

「そうだった、竹丸じゃ」

 

 頼明の腕にからめとられていた竹丸は、頼明の横に立つ坊主等二人の手に移っていた。

 竹丸は自らを捕らえておる坊主二人の目つきが以前と異なることに気づいた。

 目に生気が宿っているのである。

 屋敷の中で見た坊主等は、どこか正気を失っているような恐ろし気な目つきをしていた。

 しかし今はその目に意思が感じられるのである。

 一体何が彼らを動かしているのか、竹丸は突き止めたいと思った。

「あの、何が目的でございますか」

 竹丸は傍の坊主に尋ねてみた。

 しかし坊主からは、

「黙っておれ」

 と短い回答をくだされた。

 それでも会話が出来るほどには正気が保たれていると確認が出来た。

 皆仏門に入っている衆であることからも、言葉による説得が可能かもしれぬと期待してもよいのである。

 このことは竹丸にとってわずかな希望となった。

 そうこう思案しておると、竹丸の足元で何かが動いた。

 ようく見るとそれは(うろこ)のように見えた。

 鱗が竹丸の足元でうごめいておるのである。

 はて。

 竹丸が不思議に思い鱗の筋を辿ってみた時であった。

 地面が盛り上がり一匹の大蛇が躍り出たのである。

 この蛇は『地ノ蛇』といった。

 竹丸は叫んだ。

 しかしその声むなしく竹丸は大蛇に(くわ)えられ空高く舞い上がったのであった。

 高さは烏天狗が飛んでいる高さにまで及んだ。

「逃すなっ」

 はるか下から頼明の叫ぶ声が聞こえた。

 と同時に坊主等の集団が一気に何やら唱え始めた。

 坊主ならではの呪であった。

 すかさず晴明等は『聞耳』を唱えた。

 すると坊主等は『水龍』を召喚しようとしていることが分かった。

 途端に、集団の頭上が水色に波打ち光ったかと思うと、一匹の青く輝く龍が堂々と躍り出たのであった。

 龍は蛇の腹に喰いついた。

 蛇は大きくのけぞり竹丸を頭上に飛ばした後、また大きくうねりながら地下に逃げ込んでいった。

 竹丸は烏天狗に受け止められ、無事に地上に降りる事が出来た。

 地上に降りた竹丸は晴明以下三名と玄庵と、肩を叩いて抱き合った。

 ところが、水龍はまだ動いていたのである――。

 水龍は一行の半分と、物の怪の半分を大きな口で飲み込んでいった。

 飲み込まれた者は水龍の半透明な腹の中で息が出来ずに(もだ)えて息絶えてゆくのであった。

 一行で飲まれたのは、玄庵と初春と夏宮であった。

 飲まれる直前、初春は自分が飲まれるのだと分かった。そのため瞬時に『人結界』を唱えていた。

 夏宮は龍に背を向けていたため反応出来ずに飲まれてしまっていた。

 玄庵はそもそも素人であった。

 龍の腹の中で呼吸が出来るのは初春のみであった。

 せっかくの『形代代』も本人の意識が朦朧(もうろう)としていては役に立たない。

 そこで初春がとった選択は。

「『調伏』」

 もともと相手方の召喚獣である水龍を、こちらの召喚獣とするわけである。

 水龍が激しく暴れた。

 発現元の坊主等の列が乱れる。

 頼明は物の怪と対峙しており坊主に加勢するどころではなかった。

「晴明様、すみませぬ。霊力を更にいただきます」

 初春は渾身の力を振り絞って集中し呪を唱えた。

 坊主の呪と陰陽師の呪の激しいせめぎあいが続いた。

 どれほどの時が経ったろうか、ほどなくして水龍は動くのをやめ大人しく杉の木にしなだれかかり、体内の人間と物の怪をその表皮から外に垂れ流し形を崩しはじめた。

 それは初春の勝利を意味していた。

 坊主等はぐったりとその場に倒れこむ者が多く、もうこれ以上呪を展開することはないと思われた。

「『火ノ鳥』」

 次の瞬間、大きな火が一行と物の怪等を取り囲んだ。

 坊主の次は頼明であった。

「水の次は火かよ」

 竹丸がうんざりした様子で言う。

「烏天狗よ、あれはおぬしより強そうじゃがいかがか」

 晴明が問う。

「あれは……儂より強いな。先ほどの水龍が適材じゃろう。召喚すればお主等の霊力と頼明の霊力と真正面からのぶつかり合いになるぞ。その覚悟がありやなしや」

「迷っておる暇はございますまい」

 晴明が叫んだ。

「初春、水龍の召還じゃ」

「はっ」

 言われて初春は先ほど調伏した水龍の召還にあたった。

 初春、はじめての召還術である。

「『水龍』召喚」

 初春が唱えた。

 しかし水龍は現れない。

「『水龍』召喚!」

 懇願に近い集中をしてみるもまったく反応がない。

 『火ノ鳥』はそこいらじゅうに火をつけてまわっている。

 一行と物の怪がいる場にも、すぐに火が迫ってくる。

 もう時間がない。

「初春、無駄じゃ。教え忘れておったかもしれぬが、召喚獣にも体力のようなものがあってな、それを使い果たして居る状態だと召喚に応じてくれぬのよ」

 晴明はすまなさそうに説明をした。

「なんと。では先ほどの攻防により」

「そうじゃ。で、じゃ。私の『水龍』を使え。形代代で使えるはずじゃ」

「なるほど、晴明様も水龍をお持ちでしたか」

 では。と、初春は再度召喚呪を試してみた。

 すると今度はすんなりと召喚が許された。

 辺りの火の手がどんどん引いていく。

「晴明様、ありがとうございます」

 初春がそう言った時であった。

 初春と水龍の勢いが、がくんと落ちたのである。

「晴明様!」

 晴明の霊力が底をつきかけているのであった。

 いつぞやの光景が初春の脳裏をかすめた。

 二度目があってたまるか。

 初春は何か手はないかと知恵をしぼった。

 目に映るものすべてに手がかりを求めた。

 しかし目に映るのは一行と物の怪と杉林――。

 すがるような初春の目に大粒の涙があふれた。

 打つ手がない――。

 と、その時であった。

「儂の力を使ってくれい」

 それはあの古狸の声であった。

 しかし見た目は変化していて、初めて見た住職の姿をしていた。

「儂がお主に『形代代』を使おう。知っておるか?形代代は二重につかえることを」

 言うが早いか古狸は形代を初春の腰巻に差し込んだ。

「儂の霊力を使い、晴明殿の『水龍』を使役するのじゃ。頼明の霊力は底なしじゃ。心してかかれ」

 初春の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「はっ」

「狸めが倒れたら次は儂のを使え」

 子泣爺の申し出には笑みがこぼれた。

 そこからは長かった。

 本当に頼明の霊力は底なしかと思われるほどだったのである。

「頼明殿。あなたのような方が何故よからぬ輩になり下がってしまわれたのです」

 初春が叫んだ。

 頼明に対する畏敬の念が強くなっていただけに、余計にそのことが悔やまれた。

「よからぬ輩とは失敬な。私はよき輩よ」

「あなたの行動にどのような道理があるというのです」

「道理はあるにはある。が、相容れぬだけじゃなおそらく」

 頼明は飄々としてこたえる。

「博子様の死も関係しておるのですか」

「師匠の忠行にも言うたがの、何故お主等の問いに答える義理があろう」

「くっ……」

「一つ教えてやろう。我らは南都の者である。これだけ言えばあとは理解できよう」

「南都……。お主等の目的は都の転覆か……!坊主等の袈裟の色が異なるのはその数だけ寺があり破門を受けてのことか」

 玄庵が叫んだ。

 坊主等の中から涙を流す者が現れた。

 耐えきれず嗚咽を漏らす者もいる。

「皆まだ若いところを見るとお主等……もしや邪教にまで手をだしておったのか」

 嗚咽の声がいっそう増した。

「なんとまぁ……」

 晴明がひとりごちる。

「おそらく博子様の死もこの坊主等が関わっておるに違いない。なんということじゃ……」

「この坊主等はもう人の世では生きていけまい」

 玄庵が言う。

「それでこのような所を住処とし物の怪と組み……」

 初春は耳だけで聞いていた。

「そちらの道理は大体理解できました。して頼明殿、忠行様をどうされました」

 術を巧みにやりとりしながら二人の会話は続く。

「ああ、忠行様か。立派なお方じゃった。しかし最後には命乞いまでされてのう。見るに忍びなかったぞ」

「嘘じゃ!」

 初春の術に怒りがこもる。

「お主がとどめを指したのであろう。ようもそんな嘘が言えたものじゃ」

「おうおう、泣いておるのか。そうじゃ儂がとどめをさした」

 初春の目から大粒の涙が流れ落ちた。

「忠行様っ……」

 初春の術に今度は敬愛の念がこめられた。

 術というのは不思議なもので、多少ではあるが術者の意思が色としてのる。術を受けた者にはその色が分かるのである。

「お主にそこまで慕われておったとは。忠行様も師匠冥利に尽きたのではないかのう」

「うるさい。黙れ」

「術が乱れておるのう」

 頼明が挑発する。

「じゃからほら、油断をする」

 初春が何事かと思った瞬間、頼明の小刀が初春をついていた。

「体術も立派な術の一つよ」

 頼明は自らに『浮遊術』をかけ一瞬で初春の眼前に迫っていたのである。

「初春!!」

 取り巻く陣営から初春を案ずる声があがる。

 初春の繰り出していた水龍が水音をたてて崩れさった。

「私がお相手しよう」

 古狸が言う。

「いでよ『水龍』!」

 再び水龍が姿を現した。

 初春の元へは晴明以下四名が駆けつけていた。

「初春!初春!」

 初春の呼吸が浅い。

 初春の胸からはおびただしいほどの血が流れていた。

「晴明様、どうすれば……」

 竹丸と夏宮が晴明に問う。

「まずは止血じゃ」

「俺がやろう」

 体術が得意な竹丸が手をあげた。

 竹丸が初春の着物に手をかけた。

 その時である。

 かさり、と胸元の血だまりから落ちる何かがあった。

 初春が首にかけていた小袋である。

 いくらか重みのあるものであった。

 竹丸は中身が気になって開いてみた。

 するとそこには血に染まった銭が一枚入っていたのである。

「それは姫君からいただいた……」

「なに、妹から。初春、お主銭をもらっておるぞ」

「なぜ……」

 再び初春の意識が遠のく。

「愛のなせる業かしら」

 夏宮はくすりと笑った。

「まぁよい。なぜ銭なのかは分からんがこの銭が初春の命を救ったと言えよう。妹に感謝せねばなるまい。出血の割には傷が浅い」

 そう言うと竹丸は、初春の胸元の傷を物の怪に借りた針と糸で縫い始めた。



 笑えないのが古狸であった。

 いまだ頼明と術の掛け合いをしていたのである。

「この男の霊力、本当に底なしか。いでよ『酔虎(すいこ)』!」

 狸が吠える。

「古狸には黙っていてもらおう。いでよ『(ぬえ)』!」

 頼明も黙ってはいない。

「古狸殿はお強うございますな」

 玄庵が狐めに対して言う。

「変化が出来るってのが大きい。それにここが妖界であることもな。狸は絶対に負ける事がない」

「霊力と関係しているのでございますか」

「ああ。ここは妖界、物の怪の力が尽きることのない世界よ。それを霊力というのかは知らんがな」

「なるほど」

「お主等、もう引き上げてもよいぞ。この勝負は消耗戦じゃ。狸が勝つ」

「よろしいので」

「ああ、今のうちだ引き上げろ」

「ありがとうございます。ではご武運を」

 玄庵は礼を言い、晴明以下四名と引き上げにかかった。

 いつか来た注連縄の施された大きな杉の大木に空いた穴を通って帰る。

 ここをくぐったのがつい先日のように感じられた。

「晴明殿はどうされますか」

 初春の牛車にのせてもらった玄庵が晴明に問う。

「陰陽寮へ戻って報告ですね。おもに忠行様と頼明殿について」

「ああ……。ご遺体があるのであれば物の怪等にお願いをして引き取らせていただきましょう。私にとって命の恩人にございます」

「そうですね、きちんと供養をして差し上げたいですし」

 牛車の内に沈黙がおりる。

「とりあえず我々は都の転覆を防いだ、それでよしといたしましょう」

「さようでございますね」

「あの坊主等はいかがするのでしょう」

「さあて、妖界を住処に細々と暮らしていくのかもしれませんねぇ」

 竹丸と夏宮は疲れのあまり牛車の中で寝入っている。

 辺りに漂う死臭は気にならないようであった。

 牛車が右京の南を鈍い音をたてて進む。






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