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よみびとしらず #01 初春  作者: 艸香 日月
第三章
3/12

姫君

 夏も真盛りの或る日の午後、陰陽寮では竹丸が初春にある提案をしていた。

「うちの妹も引く手あまただ、早いことモノにしてしまった方がいいと思うぞ」

 恋の話である。

 修行中の初春は勢い咳き込んだ。

「そういう話はまた今度。今は訓練あるのみ」

 初春は先月の初めての調伏の際に、自分が何の役にもたてなかった事を悔やんでいた。また単純に、目の前で披露された先達(せんだつ)の術の数々に魅了されてもいた。

「あら。姫君ったらこないだ浮気しようかな、とか漏らしてたけど大丈夫?」

「え?」

「え?」

 夏宮の言に男子二人は動きが止まった。

「夏宮、なんでそんなに姫と仲がいいの」

 初春はまずそこに疑問を抱いた。

「だってお弟子さんだもの」

 夏宮はさらっと言ってのけた。

 なんでも、竹丸が筆の師匠にと夏宮を紹介したらしかった。

「そうじゃない問題はそこじゃない。妹が浮気をほのめかしていたっていうのか」

 竹丸の目は本気である。

「まぁねえ。他にも引く手あまたらしいし。初春とは正式につきあっているわけでもないし」

 夏宮は爪を磨きながら竹丸の言を重ねた。


 竹丸は初春の前に膝をついた。

「初春、頼む。真面目に考えてやってくれ」

 そこまでされては初春としても考えざるを得なく、

「うん、将来の兄様がそう言うなら仕方ないね」

 と笑って返すのだった。

 問題は両家が犬猿の仲という事だったが、そこは政略結婚の体を保てばいいだろうということになった。

 「かたじけない」

 竹丸は二人に頭を下げた。





 姫君といってもこちらの姫君は訳が違った。

 先月の調伏で難を逃れた博子姫である。

 あれ以来、不思議な体験をすることもなく体調も上向きではあるが、部屋いっぱいに貼られた札と注連縄(しめなわ)は相変わらず、光の入らぬ部屋も相変わらず、家の者の態度も相変わらずで、それらが益々(ますます)姫の気を重くさせていた。

 体は丈夫になるのにそのぶん気が滅入っていく、そんな相反する状態で姫君は伏せる日が以前より増していた。

 また姫君には友人もなく、たまに結界の調子を見に来る陰陽師と交わす雑談だけが唯一の気晴らし、いや救いになっていた。

 そうしていつの頃からか、「さびしい、さびしい」と独り言を言うのが癖になっていった。

 そのような姫君が結界のすぐそばに横たわっているのである。

 物の怪には格好の獲物であった。

 運よく結界から出られた小物の物の怪は姫君に巣くっていった。

 姫君は人知れず、(むしば)まれていったのである。





 例の訓練の日から数日後、初春の描いていた九相図が完成をみた。

 初春は依頼主を訪ねに左京の外れに位置する願良寺(がんりょうじ)へと足を運んだ。

 願良寺は孤児院も兼ねていた。

 長い石段をのぼっていくと蝉の声に混じって子供たちの声が聞こえてくる。

 石段を登りきって境内にある椅子で息を整える。

 すると背後から声がした。

「今回は遅かったな」

 依頼主の玄庵(げんあん)である。

 年のころは初春よりひとまわり上の二十代半ばである。

「色々と立て込んでてね」

 滴り落ちる汗を手ぬぐいで拭きながら初春が答える。

 二人は軽く挨拶を交わした後、寺の最も奥の部屋へと移動した。

 小坊主が菓子を持って来てくれたのでそれをつまみながらの近況報告となった。

「どう?陰陽師様っていうのは。少しは板についてきた?」

「まだまだ(ひな)だよ。ああ、でもこないだ初めて調伏を経験したよ。その他にも色々と学びがあって。面白かったかな」

「へぇ、しっかり成長してるみたいだねえ。何よりだ」

 玄庵は丸い頭を手でなでおろした。

「そっちはどうなの」

「こっちは相変わらずだなぁ。子供たちの世話に毎日の修行に。たまに来る客の相手に。忙しいね」

「悪かったね忙しいのに」

「まったくだ」

 二人同時に笑みがこぼれた。

「忙しいということもあるし、早速で悪いけれど九相図を拝見しようか」

 玄庵が待ちかねたように言った。

「ではご覧いただきましょう」

 初春が九相図を展開した。

 玄庵が食いつくように見る。

「ああ、今回も見事だね、初春は本当に才がある」

 するりするりと巻物を開いていく玄庵が独り言のように何度も言う。

 初春は菓子を頬張り無言で玄庵と巻物とを眺めている。

 巻物に夢中な玄庵に、初春が問うた。

「そういえば、こないだの調伏の折に寺のものと思われる呪の跡が見つかったんだけど、最近きな臭い話を耳にしてはいない?」

 九相図の対価に、初春はいつも玄庵からこうして色々な話を聞くのである。

「きな臭いかどうかは分からないけれど、最近、近くの寺だか神社だかに新たに座が出来たよ。なんでも油売りだとかで繁盛しているらしい」

 『座』というのは商売人の集まりのことである。

「油売りかぁ。ちょっと違うかな。他には?」

「呪を使うといえば、別の寺になるけれど、なんでも怪しげな者たちが出入りしているらしいという噂を聞いたっけ」

「どこ?」

「確か『妙蓮寺』といったかな。右京の端にあるんだけども」

 妙蓮寺――。

 初春には聞き覚えがあった。例の老女が身を寄せていると言っていた寺である。老女も「怪しい者」のうちに入るのかどうかは分からないが。

「お役に立てたかな?」

 玄庵が巻物から目をあげて脈ありげな初春をちらりと見やった。

「なんなら私が様子を見てきてあげようか。次の九相図も急ぎでお願いしたいし」

「それは大助かりだ」

 こうして新たな約束をして、二人は別れたのだった。





 この頃の恋はまず和歌を用いた文通から始まる。

 文通を経て互いに想いが通じ合えば、男性が女性の元へ通い徐々に関係を深めていく、という順を追う。

 初春の場合は、既に文通で相思相愛の仲なので、そろそろ姫のもとへ通おうかという段であった。

 姫君の名は宮子(みやこ)といった。

「明日、姫君の元へ通おうと思うが、どうだろうか」

 初春はその日の訓練の最中に、竹丸にたずねてみた。

「それはいい、宮子も喜ぶだろう」

「今日の文は特別な香をたいた方がいいかもしれないね」

 夏宮が、文に香りをつけて送ることを提案した。

「それはいい、ついでに季節の花も添えてな」

 季節の花は毎度添えていた。

「頼もしい限りだね」

 二人の勢いに初春は笑って応えた。


 予定通り、翌日の夜遅く、初春は姫君のもとへ忍んでいった。

 新月の夜、真っ暗闇の中で、姫君の部屋だけが室内の炎でゆらめいている。

「こんばんは」

 室内に入り几帳に片手を添えて中を覗くと、あの姫君がちょこんと座って待っていた。

 垣間見は除いて、顔を合わせるのはこれで二度目である。

「こんばんは、初春様」

 姫君は笑顔である。

 初春はほっとした。

 近くの文机には、初春の送った文と花が大事そうに置かれている。

「遅かったでしょうか」

「いいえ。丁度いい頃合いでございました。ささ、中へ」

 姫君が(いざな)う。

 室内には品の良い香が漂っていた。

「ほぅ、沈香(じんこう)にございますか。よい香りで」

甘松(かんしょう)を混ぜてあります」

「どおりで甘い」

 香の知識は教養のひとつである。

 ここでも初春は人一倍の記憶量を誇るが、この場で披露してよいものかどうか迷った。

 しばしの沈黙の後、姫君が切り出した。

「そういえば一番に陰陽師になられたとか。兄に聞きましてございます。おめでとうございます」

 逡巡(しゅんじゅん)する初春を見かねたのか、姫君が話題を変えてくれた。

「ありがとうございます」

「今日も訓練があったと兄に聞きました。初春様もご一緒に?」

「そうですね、今日も兄君たちと訓練でございましたよ。日々精進してまいりたいと思っております」

「まぁ頼もしい」

 姫君の顔に笑みがこぼれる。

「陰陽師というのはどういった訓練をなさるのですか」

「そうですね、ええと……」

 気のせいか遠くで名を呼ばれた気がして、初春は一瞬言葉を(しっ)した。

「ええと」

 初春が言葉を継ごうとしたその時である。

「初春-っ!!」

 気のせいではない、竹丸の大声がすぐ近くから聞こえた。

 かと思うと部屋の外まで既に来ていた。

 さすがに部屋の中には入らずにいる。

「まぁお兄様」

 突如現れた兄に姫君も驚いている。

「いいところを邪魔してすまん。陰陽寮から呼び出しだ。いくぞ」

「なんと。詳細は」

「知らん。とにかく急げ」

 初春は姫君に振り返って謝った。

「姫君、申し訳ない」

「決まったことですから。では初春様これを……」

 そう言って姫君は小さな匂い袋らしき小袋を初春に手渡した。

「これは?」

「お守りでございます」

「それは頼もしい。ありがとうございます」

 初春はお守りを首にかけ、姫君と別れた。


 陰陽寮へ到着すると既に二人以外の面子が揃っていた。

 忠行が言う。

「博子様の容態が急変したそうだ。急ぐぞ」

 今回は忠行が先陣を切る。

 屋敷へ着くと「おはやく」と言いつつ家の者が博子様の部屋まで案内をしてくれた。

 例の襖の前まで来たところで、忠行が念のためにと全員に形代代(かたしろだい)の呪をかけた。

「まいるぞ」

 忠行が襖を開けた。

 すると生臭く生暖かい風が吹き出し、一気に全員の鼻を突いた。

 庭の結界からである。

「なぜ結界からこのような」

 忠行が結界へ近づく。

「破られておる。しかも内側からじゃ」

「何者が……」

「今は追及より博子様じゃ」

 「ごめん」と言って忠行が几帳をあげ中へ入り様子をうかがうと、博子様は既に虫の息であった。

「博子様は瘴気にあてられ衰弱が甚だしい。几帳の内側に新たな結界を設けるぞ」

「はっ」

 言われて保憲(やすのり)晴明(せいめい)が動く。

「残りの三名は調伏じゃ。いそげ!」

「はっ」

 忠行の形代代のおかげで無限に力が湧いてくるように感じられ、初春たちはそこここに巣くう物の怪に片っ端から向かって行った。

 保憲と晴明は博子様の周囲に結界を張り終えると、忠行の命に従い大物の調伏へと向かった。

「晴明、腕は落ちておらぬか」

「保憲殿もいかがでしょうな」

 兄弟子二人の頼もしい会話が聞こえてきて初春の腕にも力が入る。

 大物は三匹いた。

 一匹目は班目(まだらめ)の猫、二匹目は巨大蟻、三匹目は烏天狗であった。

 うち一匹目の班目は既に忠行が相対(あいたい)していた。

「では蟻からゆくぞ」

 保憲の声が響く。

 巨大蟻は待っておったとばかりに口の牙をがちりと合わせ向かってきた。

「いでよ鬼蜘蛛(おにぐも)

 晴明の呼び声で、かつて調伏した物の怪が現れる。

 仕組みとしては召喚用の調伏印を使い倒した物の怪を、己の形代として召喚しているのである。そのため己の霊力が尽きれば物の怪は消えてしまう。

「蟻には蜘蛛か。忠行様が倒れてしまわぬようにな」

 保憲が笑いながら続く。

「いでよ鬼蜘蛛」

 二匹の鬼蜘蛛に一匹の蟻――。

 勝敗は決した。


 最後は烏天狗である。

 烏天狗は人の言葉を話す。

 その言葉を聞くなという者もおれば、会話に耐えうるという者もいた。

 忠行はまだ班目に手こずっていたので、烏天狗には保憲と晴明が対峙することになった。

 晴明が烏天狗に問いかけた。

「烏天狗よ、聞こえるか。私は晴明という。少し話が出来ぬか」

 保憲は様子を見守っているが、何かあればいつでも動けるよう構えている。

「なんじゃ。手短に頼むぞ」

「かたじけない。お主等、なぜ博子様を狙った」

「なんじゃそんなことか。(あるじ)の命を受けてのことじゃ」

「その主とは誰じゃ」

「それは言えぬことになっておる」

「じゃろうな。では主は坊主か」

「それも言えぬ」

「では調伏に応じてもらえぬか。待遇はよいぞ」

 烏天狗はからからと笑った。

「話は終わったか。では、まいる」

 烏天狗はそう言い終わらぬうちに、一気に急降下をして晴明めがけて手に持っていた団扇(うちわ)を振りかざした。

 振りかざした場所に炎が立った。

 すかさず保憲が防炎の陣を敷く。

「ではこちらからも、まいる」

 晴明が水龍(すいりゅう)を召喚した。

「ほう。おもしろい」

 言って烏天狗は、はるか上空に引き、今度はそこから団扇を大きく振りおろした。

 屋敷のあちこちで炎が立った。

「お主、屋敷ごと焼き払うつもりか!」

「それもよい」

 はるか上空から冷酷な返事が聞こえる。

「保憲殿」

「ああ、屋敷の方は私に任せろ。お主は奴を頼む。忠行様もじきに合流されよう。それまで粘ってくれ」

「分かりました」

 保憲は晴明の返事を聞くと、屋敷全体の火消しに向かった。


 屋敷内を右往左往する家の者をつかまえて保憲が状況を尋ねると、あちらこちらから火の手があがり手が付けられない状態だと言う。

 火消しの数が足りないのだ。

「いでよ小龍(しょうりゅう)

 小龍が十匹ほど召喚された。

 保憲の命に従い小龍たちは屋敷の火消しに向かっていった。

「これで足りればいいが……」

 保憲はそんな台詞(せりふ)を家の者に残して再び姫君の部屋に戻った。

 戻ってみると烏天狗と晴明がにらみ合っていた。忠行様もいる。どうやら無事に班目の猫は倒されたようだった。

 保憲は安堵し、室内で四苦八苦しておる三名に加わり小物の調伏にあたった。

 そちらが一息つくと今度は博子様の容態が気になったので一旦几帳の内に入り結界の中へ入った。

「失礼」

 保憲は博子様の細腕に触れ脈を確認した。

 なるほど虫の息である。

 ここで保憲は秘術を用いることにした。

 先週教わったばかりの術で、名を『病針(びょうしん)』という。

 この術を使えば、病をその状態で止め置く事が出来るという。当然、実践では初めての使用となる。

「ごめん」

 保憲は姫君の手の平にさらさらと人指指で(まじな)いを書き(じゅ)を唱えた。

 すると姫君の体がぶわっと風をはらみ宙に浮いた。

 かと思うと重みをもって、どさりとその場に落ちた。

「姫君!」

 保憲は急いで姫君の呼吸を確かめた。

 姫君の息は絶えていた。

 保憲は何度も姫君の名を呼び続けたが、姫君が息を吹き返す事はなく、ただ虚しさだけが結界の内に広がっていった。

 

 几帳の内の様子がおかしいことに気づいた忠行がいた。

「まさか」

 烏天狗が言った。

「そのまさかよ。(わし)の役目も終わったようじゃから退散するとするかの」

 晴明が叫ぶ。

「待て貴様!退散など許さぬぞ」

 烏天狗はからからと笑う。

「追って来られるものなら追うて来い」

 そう言うと烏天狗は明けかけた空の中に消えていったのであった。


「晴明は結界を頼む。儂は博子様の様子を見てくるでの」

 晴明に次の指示を出し忠行は姫君の元へ向かった。

 開けてゆく空の明るさに反して、几帳の内はいっそう暗い。

 小物の調伏が終わった三名は、一足先に几帳の内の様子を知っていた。

「結界内におるのは保憲か。保憲、いかがした。返事をせよ」

 忠行が緊張を解くように問う。

「忠行様、申し訳ございませぬ。博子様はみまかられました」

「何があった」

 忠行は慎重に問う。

「教わった秘術『病針』を使用したのでございます。すると博子様の息が絶えてしまわれ……」

 保憲が涙ながらに申し開きをする。

 忠行は顎髭をねじりながら怪訝な顔をする。

「『病針』じゃと?儂は知らんぞ。お主、誰に教わった」

「頼明様にございます」

「なんと。そうか……。その先は寮へ戻ってから聞こう。家の者には衰弱し息絶えたと伝えよ」

「はっ……」

 保憲は涙をぬぐい忠行の命に従った。


 姫君が亡くなられたとはいえ庭の結界は依然として強力なものであった。

そのため解除するにもそれなりの霊力と術を用いる必要があり、また自然と閉じるのを待つ方が早い場合もあり、しばらくその場に残されることになった。

 とりあえず忠行一同が一時しのぎに注連縄をしめなおし結界を補強したが、そこでもやはり寺にまつわる物が散見された。

 初春は妙蓮寺に赴いた玄庵が急に心配になってきていたため、解散後に立ち寄ることにした。




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