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よみびとしらず #01 初春  作者: 艸香 日月
第二章
2/12

九相図


 その日も初春はいつものように、右京の端に赴おもむいた。

 いつもの場所で車を停とめて、いつものように筆記用具を取り出した。

「今日はどこからだったかな」

「ああここか」

「この部分は難しいんだ。ほら間違えた……」

 そうして、いつものように一人でぶつぶつ言いながら、初春は手を動かしてゆくのであった。


 初春が描いているものを『九相図(くそうず)』といった。

 描いているのは死体である。

 自然と朽ちてゆく死体の様子を、順を追って絵におこしてゆく。

 出来上がったものは寺の坊主の修行に用いられるのであった。


 いつも一刻ほど描いて終わるのであったが、今日は具合が違った。

 初春が筆を走らせていると、近くの水たまりに謎の影が映ったのである。

 瞬間、物の怪(もののけ)かと思った初春であったが、視線を陸へあげると、そこには一人の老女の姿があった。

 その老女が声をかけてきたのである。

「貴族様かえ」

 ここは死体の埋葬もままならぬ不毛の地である。

 そんな場所で声をかけてくるのは物乞いか物取りか。いや非力な老女が物取りというわけにはいくまい。ではやはり物乞いか。

 初春が思案していると近習が先に動いた。

「お主の方こそ何者じゃ。場合によっては切るがそれでもよいか」

「ひえっ。こりゃあ失礼した。(わらわ)は尋ね人がおって探しておるだけじゃ。怪しい者じゃありゃせんよ」

 老女は近習の脅しにひるみながらも、そう説明してよこした。

「誰が信じる」

 近習が重ねる。

「そんなことを言われてもな。ほれ、これが証拠じゃ」

 老女は、今度は人相書きを手渡してよこした。

 描かれているのは悲しげな若い女の姿であった。

「へぇ、上手なもんだ」

 初春は無邪気に感想を述べた。

「初春様」

 近習がたしなめる。

「初春というのか。妾は圭子(けいこ)という。お主も絵を描くのか。どれ見せてくれぬか」

 老女は初春の手元に視線を移している。

「いいですよ。ほらこれを」

 初春は図画を渡すよう近習に指示をしたが、手渡す近習は仏頂面である。

「おや九相図か。どこの寺の者か」

 にわかに、老女の口調がかたくなった。

「寺の者に迷惑がかかってもいけないのでその名は伏せますが、私はこう見えても陰陽師の(ひな)でして」

「それがどういう訳で九相図などを」

「知人の坊主の頼みなのです。お前は絵が出来るからと言われ……」

「なるほど。よく出来ておる」 

「ありがとうございます」

 初春は素直に感謝した。

「さて。では次を当たるとしよう。もし心当たりがあればここを訪ねておくれ」

 老女が走り書きにしたためた場所は、右京端からそう遠くない妙蓮寺(みょうれんじ)という寺であった。

「そこにやっかいになっておるでの」

そう言いって老女はたちこめる死臭の中へ消えていった。


「何やら怪しげな女でしたな」

「そう?」

 そういえば老女は口回りに匂い袋も何もつけていなかった。相当に鼻がきかぬか、鼻はきくが我慢強いか慣れておるのか、はたまた別の理由があってのことか……。

「確かに、怪しげだったかもしれないね」

初春は突如現れた不思議に面白さを覚え、匂い袋の中でふっと笑った。





 初春が陰陽師としての仕事を請け負ったのはそれからちょうど一月後のことであった。

 陰陽寮への依頼を請け負ったのである。

 その日は出仕をすると既に忠行師匠と、保憲・晴明の兄弟子二人の計三名が揃っていた。

 さらに、その中に竹丸の顔もあったのである。

 初春は、いつもと違って自分がイの一番でないことに驚いた。更に何やら物々しい空気であることにも多少居心地の悪さを感じた。

 顔を突き合わせている四人と軽く挨拶を交わし、初春は一番後ろの席に腰をおろした。

 最後に到着した夏宮も同じよ感じたようで、初春の隣に腰をおろし興味深げに聞いてきた。

「何があったの」

「さあ。私が来たときには既にあの様子で」

「竹丸が何かしでかしたとか」

「それであのような。ありうる」

「竹丸だけに相当なことを」

 夏宮と好き勝手思い思いの事を並べていると、始業の鐘が鳴ったのを合図に四名は解散した。

 そうして講義が始まるや、師匠の忠行が口を開いた。

「本日、竹丸の生家から陰陽寮へ依頼が入った。詳細を聞いたところ、そう難しくはない案件とみられることから新入り三名の参加を許すこととした。先導は晴明が務める。各々、よろしく頼む」

 初春と夏宮は顔を見合わせた。

 二人の前に座っていた竹丸は、「ひとつよろしく頼む」と手を合わせてきた。

「そういう事なら喜んで」

「竹丸が何かしでかしたかと思った」

 三人はどっと笑った。


 そういう訳で三名は、午後から晴明に連れられ竹丸の生家に向かうこととなった。

 この度は、なるべく目立たぬよう牛車ではなく徒歩である。装束も普段着に着替えている。

「何かあれば()ぐに使いをよこしなさい」

 忠行は晴明にそう念を押し、保憲とともに陰陽寮で一行を見送った。

 依頼についての詳細は道中にて晴明から説明がなされた。

「まず今回の依頼主は源満仲(みなもとのみつなか)様である」

 初春に多少の緊張が走った。

「気まずければ初春は後ろで控えていたらいい」

 そう晴明は、つけ加えた。

「満仲様にご挨拶をした後、問題となっている患者の元へ向かう」

「患者……。ということは()き物でございますか」

「はやるな夏宮。まだそうと決まってはいない。まずそれを確かめる事からはじめなければならない」

「はっ」

 夏宮は照れ笑いをしつつ、きまり悪げに返事をした。

「患者は女子(おなご)で、名を博子(ひろこ)様という。竹丸にとっては遠い親戚にあたるお方じゃ」

「症状はどのようでございますか」

 初春がたずねる。

「お主も気が()いておるな初春。急いては事を仕損じる。追って話すで急くでない」

「はっ」

 初春も夏宮に続いた。

「博子様の病状は、分かっている限りでは、神経衰弱、食欲不振、減量、鬱、幻覚・幻聴といったところか」

 晴明は指折り数えながら説明を続ける。

「単なる病かもしれぬし、我らに関わる事態やもしれぬし、こればかりは確かめねばよく分からんのじゃ。ただ、腕の良いおかかえの医者が(さじ)を投げたという事だけは確かじゃ」

「なるほど確かに、その症状だけでは何やらよく分かりませぬな」

 初春は理解を示した。

「それはそうと初春、お主、竹丸の妹に恋文を送ったそうだが首尾はどうなっておる」

「清明様、なぜそのことを」

「何を今さら。周知の事実よ」

 初春は振り返り、後ろを歩いている竹丸をきっとねめつけた。

 竹丸は、にかっと笑って返した。

「幸いにも、姫君からは色良い返事をいただきまして、文通をしております」

 初春は律儀にありのままを伝えた。

「ほう、それはよいことじゃ」

 晴明はちゃかさずに、そのように答えた。

 そんな晴明に関心を抱き、今度は初春が尋ねた。

「晴明様はどなたか想い人がいらっしゃいますか」

「いや、いない」

「晴明様が陰陽師になられてどれほど経ちますか」

 今度は夏宮が問うた。

「ちょうど五年ほどになる」

「五年!とても優秀なのでございますね」

「今後は分からんがね」

 続いて竹丸が問うた。

「なぜ陰陽師になろうと思われたのですか」

「実は私は忠行様に預けられてな。なんでも母が狐だとかで父一人では育てられなかったらしい。忠行様の元で育ったことで自然と陰陽師を志すようになっておったよ」

「なんと御母君は物の怪の類でいらっしゃいますか」

「さあて。父を知らないものでねぇ。真実は闇の中よ。そのうち耳や尾が変化(へんげ)するかもしれぬな」

 そう言って晴明はくつくつと笑った。

 訓練中はもっぱら厳しい兄弟子である晴明であったが、陰陽寮を離れると気さくな青年であることが分かり、新人三名は嬉々として質問をなげかけるのであった。


 道中は和気(わき)あいあいと歩を進めてきた四名であったが、いよいよ竹丸の生家が近づいてくると口数は減り、表情は厳しくなっていった。

 生家に着くと家の者が挨拶をし、足を洗ってくれた。

 しばらくここで待つようにと言われた部屋で大人しくしていると、大きな足音をたてて満仲が登場した。

「やあやあ諸君、お待たせして申し訳ない。(わし)が満仲じゃ」

「私は代表の晴明、以下は弟弟子が三名でございます。よろしくお願いいたします」

「詳しい事は竹丸から聞いているとおもうが、いかがか」

「おっしゃる通り、竹丸殿より聞き及んでございます。あとは博子様のご様子を(うかが)うだけかと」

「おうおう、それでよい、それでよい。では家の者に案内をさせるでの。おうい」

 満仲はそう言うと手を叩いて家の者を呼んだ。

 呼ばれた者は、「どうぞこちらへ」と短く言うと四名を先導し始めた。

 庭をコの字で区切った縁側をいくつか曲がってゆく。 

 季節の頃は初夏である。

 庭の緑がみずみずしく、任務でなければその辺りに寝そべって昼寝でもしたい日和(ひより)であった。

 満仲殿の口元によだれの(あと)があるように見えたのは気のせいではあるまい。手短(てみじ)かな挨拶もうなずけた。

 初春は改めて庭に目を向け、手入れの行き届いた色とりどりの池や草木の眩しさに、ふぅと一つ、息をもらした。

 縁側を伝いながら庭を眺めていると、まるで絵巻物でも見ているかのような気になる。

 竹丸の生家は、それは立派な屋敷であった。


 うららかな日差しに誘われ浮足立った初春であったが、最後の曲がり角を曲がったところで、思わずうっとうめき声をあげた。

 博子様が休んでおられるという屋敷のその一角だけ、まるまる日陰になっていたのである。

 今日は日差しが強いだけに影はいっそう濃く、足の裏を伝って床から冷気が上がってきて寒気(さむけ)を感じるほどであった。

 庭に目を転じてみると、草木に生気はなく苔だけがそこいらをじっとりと覆っていた。日向で見る苔とは異なり日陰で見る苔は黒々としており何やら不吉なもののように思われた。

 更に進み博子様の部屋の前まで来た初春たち一行は、ここでも驚かされることになる。

 博子様の部屋の(ふすま)いっぱいに、怪しげな(ふだ)がびっしりと貼られていたのである。

 その上に注連縄(しめなわ)が四方八方から何十にも張られていた。

「これはどなたの手によるものですか」

 先導していた家の者に、思わず晴明が問うた。

「寺の連中でございます。医師が診る前は寺の連中が診ておったのでございます」

「なるほど、寺の札と注連縄か。初めて見る。興味深いな」

 室内の姫君に聞こえるかもしれないのに、晴明は不謹慎にも好奇心をあらわにした。

「晴明様」

 初春はあわてて晴明をたしなめた。

 自分の兄弟子にそういった部分があることを知っていたので初春にとっては今さらな話ではあったが、場所が場所であるだけに冷や汗をかいた。

「失礼。この札と注連縄を一つずつ持って帰ってもよいだろうか。後学のために」

 晴明は家の者に問うた。

 家の者は「かまわないでしょう」と短く答え、状態のよさそうなものを一つずつ見繕(みつくろ)ってくれた。

 そうしてやっと、晴明たち一行は博子様の部屋に入ったのだった。


 博子様の部屋は内側にもびっしりと札が貼られ、注連縄が張られていた。

 室内は約三十尺四方あり、板張りの部屋の中央に畳が置かれ、その上で姫君がお休みになられていた。

 すべてのやり取りは畳を四方から囲む几帳(きちょう)ごしに行うとのことであった。

「失礼いたします」

 晴明が代表して挨拶を行う。

「誰じゃ」

 几帳の中からは、上体を起こしたと思われる衣擦(きぬず)れの音が聞こえた。

「満仲様よりご依頼いただきました陰陽師にございます。姫君のご様子を窺いにまいりました」

「まぁ陰陽師。満仲様も次から次へと……」

「ご様子だけでも窺う事は出来ないでしょうか」

「体に触れるという事かえ」

「できれば」

「よかろう、ただし一名のみじゃ」

「はっ」

 ここでも晴明が代表して几帳の内へ入って行った。

 姫君はやつれ果てていた。声はか細く、髪の毛は荒く波打ち、肌は青白く、頬はやせこけていた。

 まず晴明は姫君のやせ細った手を取り脈をとったが、これは緊張があったとしても正常の内であった。

 次に物の怪が入り込んだ跡が無いかを確かめた。

 動く物の怪を追うには邪見で十分だが、痕跡を見つけるとなると別の術を使うのであった。

 今回使用した術はまだ弟子三名には教えていない『全点透視(ぜんてんとうし)』という術である。

 晴明は唱えると、その目で姫君及び室内をくまなく見据(みす)えた。

 すると几帳のあちらこちら、布団としている羽織のそちらこちらに、物の怪のはった跡があったのである。

「ありましたぞ、物の怪の跡にございます」

「まぁ」

「あちらの襖の方より出て来ておりますな」

 初春たち弟子三名は、入ってきたのとは逆の襖を開け、広がる庭に目をやった。

 するとそこには寺の連中が残していったであろう、四方に注連縄を張ったおそらく読経用の祭壇らしきものが拵えてあったのである。

「これはなんと」

晴明の視線が几帳から床を這い祭壇へと向かう。

「どうやら物の怪はこの祭壇より出て来ておるようでございます」

「まぁ。それでは寺の者が」

「いえ、そうとは限りませぬ。まだ調べが足りませぬが、この祭壇は特殊な(じゅ)により作られております。その呪がどのようなものなのか、それを確かめなければなりませぬ」

「確かめるにはどのくらいかかるのじゃ」

「数日はかかるかと」

(わらわ)に数日も耐えよと……」

姫君は思わず嗚咽をもらし涙を散らした。

「いえ、数日のうちに出てくる物の怪にはこちらで相対します。姫君は安心してお休みになってくだされ」

「そうか、ではそのように……」

 姫君は混乱してかその場に突っ伏し泣き出してしまわれた。

 その場で決まった事だっただけに急場しのぎではあるが、姫君のそばには夏宮がつくことになった。

 竹丸と初春は几帳のまわりで物の怪を対峙する役となった。

 晴明は祭壇近くに陣取り全体の監督である。

 こうして長い夜が始まったのである。


 弟子の三名にとって、『調伏(ちょうぶく)』は初めてであった。

 物の怪の動きが活発になる夜が来る前に、晴明は調伏の方法を三名に教えなければならなかった。

「簡単な例ではあるが、この札を使う。これと同じ札を三枚用意せよ。用意が出来たらその札の裏に自分の髪の毛を縫い付けよ」 

 庭に面した縁側で札の用意をする三名の顔に夕日が当たり、汗を光らせていた。三名が三名とも、極度に緊張していた。初めて物の怪と対峙するのである。当然であった。

 晴明もまた緊張していた。師匠の忠行に使いを出すべきだろうかと最後まで悩んでいた。が、功名心が競り勝ってしまった。であれば、後はやるだけだと己に言い聞かせていた。


 家の者に夕餉(ゆうげ)を用意してもらい、姫君の部屋で皆で食べた。

 これが最後の夕餉にならぬように、と各々胸のうちで念じながら食べたため味など分からぬまま器だけが空になってしまった。

 夕餉が済めば最後の点検である。それぞれの配置・役割を再度確認し、持ち場へついた。

 遠くで、暮れ六つ時の鐘が鳴った。





 各人が持ち場について一刻は経っただろうか。

 その間、起こったことといえば、一匹の(たぬき)が柴垣の合間を縫って庭を抜けていったことくらいだった。

 この緊張が一晩続くのか……新入り三名の額に脂汗(あぶらあせ)がにじんだ時だった。

 一陣の風が、庭に張られた注連縄を四方へと揺らした。

 それを皮切りに生暖かく生臭い風が四方へ湧き出ていったのである。

 風は几帳で仕切られた姫君と夏宮の鼻へも届いた。

「なんじゃこの……」

 混乱する姫君を夏宮が抑える。

「この注連縄、やはり結界か!!」

 晴明が背後に聞こえるように叫んだ。

「邪見を忘れるな!来るぞ!!」

 晴明の声に触発されたかのように、結界から漏れ出る風は一旦激しく結界内に向かって吹くと、その反動で勢いを増して四方へ一気に漏れ出た。

「ああ…これは…」

 晴明が邪見を通して見た先には――。

 ――百鬼夜行。

 晴明が固唾をのんで見守る間、背後では新入りたちが騒いでいる。

 晴明は彼らをたしなめるのも忘れ、瞬間、見入ってしまった。

 晴明の肩をかわして百鬼夜行は姫の部屋に入ることなく上へ上へと昇ってゆく。

 この一時が命取りになってもおかしくはなかったが、

「晴明様!!」

 棒立ちだった晴明に初春が飛び掛かってその場に伏せさせた。

「晴明様、これは……」

「ああ、百鬼夜行だ。私も初めて見る。しかし奇怪(きっかい)な……」

「晴明様、何を悠長な。姫君は、残りの二人はどういたしまする」

「ああ、ああ、そうだな、そうだった。すまない。すまない」

「晴明様、どうか落ち着かれて……」

「ああ、すまない。百鬼夜行は単に物の怪等が練り歩いておるだけじゃ。こちらから手を出さぬ限り害は及ばぬ。ただやっかいなのは、百鬼夜行のために空いた結界内の穴から小物が沢山湧き出て来るでの、それらを調伏していかねばならん」

「札は三枚で足りますか」

「足りぬ」

「いかがいたしましょう」

「秘術を使う。これは忠行様より使うなと言われておる術だがな、今つかわねばいつ使う。そのような術じゃ。名を『形代代(かたしろだい)』と申す」

「して詳細は」

「お主等(ぬしら)の体を私の形代として使う。お主等の力量に関わりなく、私の霊力が尽きるまでお主等は私が使う術を使う事が出来る。ただし使える術を先に知っておる必要があるがな」

「なるほど。今のところは邪見と全天透視と調伏くらいですが、事足りますでしょうか」

「今は十分じゃろう。では二人の元へ」

「はっ」

 晴明は他の二人にも同じように説明して了承を得た。

 百鬼夜行とともに(あふ)れ出た物の怪たちは、部屋中至る所に巣くっていた。

「では今より調伏をはじめる。まずは札から使え。邪見からじゃ」

 晴明の号令で新入り三名は邪見を試みた。

「見えた!」

 竹丸が興奮気味に叫ぶ。

「私にも見えました!」

 夏宮も続いた。

「では札をその物の怪の腹に押し当て、教えた呪を唱えるのじゃ」

 初春は右手の人差し指と中指で挟んだ札を、目の前の物の怪の腹に充ててみた。すると札を充てた部分から煙があがった。そうして言われたままに呪を唱えると物の怪は音もたてずに、すうと消えていったのである。

 初春の初めての調伏であった。

 竹丸と夏宮も初春に続き調伏を行った。

 一人三枚用意した札はすぐに底をついた。

 ここからは秘術の出番である。

 晴明が人型の形代を胸に呪を唱え、それらを三名の髪の毛に挟む。

「では全天透視をしてみてくれ」

 三名は目を姫の羽織に集中し、周囲を見るでもなく透かして見る。

「見えました」

 今度は三名がほぼ同時に報告した。

「よし、では調伏だが、形代を使わぬ方法をとる。人差し指と中指を、札を持っているかのように二本直立させる。後は札のある調伏と同じじゃ。では始めよ。この数、朝までかかると心得よ」

「はっ」

 三名は言われた通りに物の怪を見つけては片端から調伏にかかった。

 説明はあったが不思議と疲れはしない。すべての疲労・霊力は晴明によるからであった。その晴明は晴明で調伏にあたっていた。

 晴明の余力が全員の命綱であった。


 草木も眠る丑三つ時。

 百鬼夜行はいまだ続いている。

 一方晴明たち一同は、こちらもいまだ懸命に調伏を試みていた。

 しかし最悪、恐れていた事態が起ころうとしていた。

 晴明の余力が底を突きかけていたのである。

「晴明様……」

「ううむ」

 初春等が交代で声をかけてみるが、晴明の反応は鈍い。

「これは忠行様にご報告申し上げた方がよろしいのでは」

 初春が何度か提言するも、晴明は首を縦には振らなかった。

 しかしこのままでは皆、共倒れである。

 晴明の功名心のために皆が倒れてはこれまでの苦労が水の泡である。

「晴明様、忠行様に遣いを出しまする。ようございますね」

「うむぅ」

 晴明の意識は朦朧とし始めていた。

 時は一刻を争った。

 その時、頭上から声が降りてきた。

「遣いは出さぬでよいぞ」

 忠行の声であった。

 庭に出て辺りを見回すもその姿はない。

「ここじゃここ」

 一同、声の聞こえる方へ目を向けると、姫君の館の屋根の上、月夜が百鬼夜行を照らす中に人影が二つ見えた。

「遅れて参上つかまつった。忠行と保憲(やすのり)である」

 瀕死の晴明とは裏腹にお二人はとても元気そうに見えた。

「忠行様、晴明様が!!」

 竹丸が叫ぶ。

「おう、分かっておるわい」

 忠行と保憲はひらりと屋根から降りてきた。重さを感じさせない身のこなしは何かの術であろうと思われた。

「晴明、晴明。無茶をしおって。この()れ者め」

 晴明のそばに駆け寄った忠行と保憲が、何やら晴明に術をかけている。

「忠行様、それは」

 物怖じをせず初春が尋ねる。

「これは『形代代』じゃ。お主も知っておろう」

「はい」

 ということは、今度は忠行様の霊力で晴明様が動くという事になるのか。

「しかし何故、私が『形代代』を知っていることをご存知なのでしょうか」

「それはな……」

 忠行は晴明の腰帯に忍ばせた形代を取り出した。

「これよ。『遠耳(とおみみ)』という。晴明の周囲で行われた会話を拾う術じゃ」

「では最初から」

「うむ。晴明はこのところ活躍する機に恵まれず拗ねておったでのう。念のため着けておいて正解じゃったわ。功を焦りおって」

 そこまで言ったところで晴明に意識が戻った。

「忠行様……申し訳ございません」

 晴明の頬に生気が戻っている。

「仕置きは帰ってからじゃ。あとひと踏ん張りしてもらうぞ」

 新入り三名は晴明の形代代が効力を失った代わりに、今度は忠行の形代代となることになった。

 晴明と新入り三名に調伏を任せた忠行は、保憲を連れて結界へ近づいていった。

「こりゃあえらいものを拵えてくれたものじゃ」

「いかがいたしましょう」

「一晩ではどうにもならんな。一旦開けた結界の穴は物の怪の道になる。その道が(すた)れるまで待つほかあるまい。なに、注連縄で結界を封じておる限り通りにくい道である事は確か故、廃れるのも早いじゃろう」

「これは寺の者が拵えたという事で」

「そういうことになるのう。……やっかいな事にならねばよいがのう」

 忠行は顎髭(あごひげ)に手をやりながら難しい顔をして唸った。

「さあ我らも調伏じゃ」

 忠行は保憲にそう声をかけ庭に巣くった物の怪等に目をやった。


 東の空が白み始めた頃、調伏にやっと終わりが見え始めた。

「あと一息じゃ」

 忠行の号令が頼もしく響いた。

 几帳の内の姫君も安心され、よく眠っていらっしゃる。

 百鬼夜行の勢いも収まり、物の怪たちの練り歩きも仕舞いに近づいている。

 夜が明け、朝が来るのであった。




 初春は心地よい疲れの中でうつらうつらしていた。

 帰宅中の牛車の中である。

 長い夜であった。

 学ぶことが多く、はじめての体験も多く、非常に長い夜であった。

 初春は、数多くの物の怪を調伏した自分の右手に目をやってつぶやいた。

「あれが調伏かぁ……。一人で出来るようになりたいな」

 初春なら早いであろう。

 形代代で既に体験しているぶん早く身に着くということもある。

 初春はここでふと、姫君の顔を思い出した。

 頬のこけた生気の無い姫君。

 どこかで見たような。

「ああそうだ」

 一ヶ月ほど前に右京の端で出会った老女の探し人にそっくりであった。

 もしかするとその人かもしれない。

 では早めに知らせてやらないと。

 でも今日は無理だ。

 初春は牛車に揺られながら心地よい眠りの中へ誘われていった。




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